08.〈重戦士〉アトリⅡ

「――で、なんでこいつは灰になってんの」

「闘う前から負けたんだって」

「はあ……?」


 その日男がギルドを訪れると、以前パーティで指導していた顔馴染みのルーキーがロビーの椅子で燃え尽きていた。


 男はBランクの冒険者である。本来であればAランクでもおかしくないこの街きっての大ベテランだが、「俺はそんな器じゃない」とギルドの昇格勧告を断り続けてもう何年にもなる。ただその実力と面倒見のよさは誰もが知るところなので、気のいい親父ポジションで後輩はもちろん同期からも幅広く慕われている。

 受付嬢ともタメで話す間柄だ。


「気になる女の子の冒険者ができたみたいでパーティに誘ったらしいんだけど、もうケンモホロロ。それで昨日からずっとこれ」

「なんだおい、青春してんなあ」


 男はニカリと歯を見せて笑う。少年を小馬鹿にしているわけではないとひと目でわかる、なかなか気持ちのいい笑い方だった。


「しかし、こいつが気にするような女なんていたっけか?」

「ほら、あの子よ。ちょっと前からこの街に滞在してる、桜色の小さな」

「……あー、あの嬢ちゃんか! さっき道端で会ったぞ」

「……は!? おいおっさん、どういうことだ!」


 少年が瞬く間に灰から甦った。大股で詰め寄ってきた彼に男はまたニカリと返し、


「ありゃパーティの仲間かね、車椅子押してそのへん散歩してたぞ。んで階段の前でちょっと難儀してたから、俺が野郎の方に肩貸してきたってだけだ」

「あ、ああ……なんだそういうことか……」


 少年が見るからに安堵している。男はますます笑みを濃くして、少年の頭をガシガシと荒っぽく撫でくり回す。


「おいおい、マジで青春してやがんのか! かーっいいねえいいねえ、やっぱガキのうちはそうじゃねえとな!」

「ガキ言うな!」


 少年は威勢よく吠え、しかしすぐに俯き、


「なにもよくなんかねえよ……断られたし」

「いやおまえ、DがAとパーティ組んでもらえるわきゃねえだろ。ガキの子守りじゃねえんだぞ」

「グフッ……」


 ド正論を返されて少年は崩れ落ちそうになった。


「むしろオッケーされたら完全に脈アリだわ。今すぐ押し倒してこい」

「ちょっと、そういうのセクハラよセクハラオヤジ!」

「るせーるせー、行くときゃガツッと行くのが男ってもんだろが」


 口うるさい受付嬢をしっしと追い払い、男は膝を折って少年と目線を合わせる。

 太平楽で締まりのない声音が、少しだけ生真面目なものに変わる。


「ま、いいじゃねえか。……おまえ、パーティで三つ四つ依頼こなしたからって、なんとなく上手くやってけるような気分になってたろ? 冒険者稼業ったってやってることは魔物相手と命のやり取りだ、なんとなくでやってけるほど甘かねえよ」

「……」

「強くなきゃあ、冒険者なんざそこにいねえのと同じだ。ガキだからってナメてくるやつらの鼻は明かせねえし、気になる女の一人にだって見てもらえやしねえ」


 少年も、慕うというほどではないが男のことは信頼できる先達と認めている。

 だからこそ男の言葉は、一定の重みをもって少年の心に届いていた。


「目標ができたな? じゃああとは簡単だ、脇目も振らずに突っ走りゃあいい。思いっきり悔しがれ、血を吐くような思いをしろ、男が綺麗な手ェしたままで辿り着ける強さなんざゴミクソだ」


 男は更に言う、


「――なあ、あの野郎の手はなぁ、俺よりもボロボロだったぞ」

「……!」

「数えきれねえくらいマメ潰して、何度も血だらけになって、そのたびにヘッタクソな治癒魔法で誤魔化してきたんだろうな。あちこちひび割れて、傷だらけで、硬くなったタコまみれだったよ。右腕と左腕で筋肉の付き方も違ってやがった。ありゃあ、生まれてこのかた剣を振ることしか考えてこなかった馬鹿も馬鹿、大馬鹿野郎の類だわな。……片目と片足がなくなっちまったみてえだが、まあ、いま嬢ちゃんと組んでんのはそういう男だ」

「っ……」


 少年がきつく拳を握り締める。そのとき男は少年の瞳の奥に、今はまだかがり火のように小さな揺らめきだけれど、それでもたしかな赤い炎が灯ったのを見た。

 おそらく、受付嬢にも見えたのだろう。肩の幅で両手を開いてやれやれとため息、


「男って単純よねー」

「おうさ、単純も単純だぞ。なんたって、女のためならいくらでも強くなれんだからな」

「それは体験談? それとも理想論?」

「体験談だわ。俺だってなあ、ひと昔前はそりゃあもうブイブイと」


「――訓練場行ってくる」


 殻を破るように、静かな決意の言葉だった。男が振り返ったとき、少年はすでに背を向けてギルドから飛び出そうとするところだった。

 辿り着くべきいただきを見出した少年は、もう迷わない。少しだけ大きくなった背中を最後まで見送って、男はガサツに頭の後ろをかいた。


「……ま、結果的にはいい経験だったんじゃねえの。ありゃ一皮剥けるぜ。やっぱ男はいっぺん鼻っ面へし折られねえとダメだな」


 受付嬢は口の先と息だけで笑い、


「あんたもそうだったわけ?」

「たりめーよ、俺は今も昔も失敗ばっかだ。あいつの方がよっぽど強くなるだろうな。もうそろそろ隠居すっかぁ」

「はいはい、そんな失敗ばかりのベテランさんに今日もお仕事がありますからね」

「おい人使い荒ぇぞ。ちったぁ年長者を労われや」

「あら、じゃあなにしにギルドまで来たのかお伺いしても?」

「かーっあいかわらずかわいげねーなあ。モテねえだろおまえ」

「んなっ――あんたにゃ関係ないでしょ!?」


 おいまた始まったぞ誰か水ぶっかけろ水、と近くの男冒険者たちが苦虫百匹噛み潰した顔をしたそのとき。

 炉辺談話飛び交うギルドの賑やかな空気が、にわかにざわついた。


「おっと、噂をすりゃあ――」


 男は入口の方を振り向き、眉をあげた。

 このあたりではてんで見かけない、遥か異国の装いをした褐色肌の少女。件の桜色の少女とパーティを組んでいるという、おそらくこのギルドで今もっとも話題になっている冒険者。

 名はたしか――アトリ、だったか。


 なぜ彼女がギルドで一躍時の人となっているのか、理由は二つ。


 ひとつ、すさまじく強いから。彼女の戦いを偶然目撃した者によれば、なにかの間違いかと思うほど巨大な大槍斧ハルバードを軽々振り回し、Bランクでも手を焼くような魔物を一撃でぶちのめしていたという。大人が抱えても運びきれないような戦利品ドロップの山を持ち込んで、受付嬢を絶叫させたらしいともっぱらの語り草だ。

 ただその戦いぶりは――曰く、ようであったとか。


 そしてもうひとつ。身にまとっている民族服の布面積がやたら小さく、よく見ればうっすらと肌着まで透けているため実に目の保養――もとい、目の遣り場に困るから。

 彼女を追いかける衆目の中には視線も少なからず含まれており、受付嬢が若干怖い顔をしている。


 そんな話題の少女アトリは、周囲のどよめきをまるで気にせず男から一番遠い受付へ。ここで働き始めて間もない新人受付嬢が、やや緊張した面持ちで応対を始める。


「――実際のところさ、」


 男はアトリまで聞こえないよう、正面の受付嬢に声をひそめて、


「こないだ〈ゴウゼル〉を再踏破したパーティって、あいつらだろ」

「……」


 男は百パーセント確信を持ってそう告げたし、言い当てられた受付嬢にも驚きはなかった。静かにため息をついて同じように声を落とし、


「やっぱり気づく?」

「まあ、俺以外にも勘のいいやつらはみんな言ってるよ」


 この街からそう遠くない場所にあるダンジョン〈ゴウゼル〉が踏破されたのは、ひと月以上前の話だったと記憶している。それが二週間前に突然、真のボスモンスターが討伐されたためギルドで詳細を確認中だと告知が出された。すなわち、最初に出した踏破承認が誤りだったというのだ。


 二週間前といえば、ちょうどこんな目撃情報がある――アトリたちのパーティ〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉と思われる一行が、血まみれの青年を抱えて〈聖導教会〉に駆け込んだと。


「普通、踏破を成し遂げたパーティは大々的にその名が称えられるよな。ボスモンスターだって公表されて、おいおまえあんなやつ倒すなんてすげえじゃねえかと冒険者も酒場で盛り上がる。俺たちにとっちゃ最高の名誉のひとつだ。

 ……けど、今回はどこの誰が踏破したのか、ボスモンスターはなんだったのか、そういう情報がまるでねえ。なんで隠すような真似をしてる?」

「私だってこんなの納得行かないわよ」


 受付嬢の苛立ちを隠せない声。けれどそれは目の前の男にではなく、自分ではどうしようもないもっと大きなものに対する苛立ちだった。


「私が公表していいんだったらすぐしたいくらいよ、あの子たちは本当に……本当に、がんばったんだって。……ねえ、これはあんただから教えるんだからね。絶対声に出さないで」


 有無を言わさぬ受付嬢の目つきに、男はやや考えてから無言で頷く。


「……本当のボスモンスター」


 それだけ言って、受付嬢は手元の紙に小さくその名を記した。



 〈摘命者グリムリーパー



「――、……そうか、そいつぁ……」


 男は柄にもなく、言葉を失った。すごいどころの話ではない。本当ならば歴史に名を刻むはずの大偉業だ。冒険者の命を摘み取る絶対的存在。もし出会ってしまったら、どう倒すかではなくどう逃げ延びるかに全力を注ぐべき怪物。

 公式に認められた討伐記録は、どれだけ歴史を遡ったとしても果たして十を超えるかどうか。

 それを、あんな子どもたちが。


「なんで公表しないのかは私も知らない。ただ聞いてるのは――当人たちが望んでないからだ、って」


 〈摘命者〉、ただ一人片目と片足を失った傷だらけの青年、五体満足で傷ひとつない三人の仲間たち。男の頭の中で、それらが漠然と一本の線でつながっていく。

 受付嬢の声音も、柄にもなく弱々しい。


「言い訳するわけじゃないけどさ、最初に踏破の報告自体を受けたのはウチだけど、ダンジョンに人を派遣して、間違いなく踏破されてますねって最終的な承認をしたのは聖都側なの。だから、向こうじゃ相当大騒ぎになったんでしょうね。すぐに調査員がすっ飛んできて、あの子たちのパーティに話を聞こうとした」


 吐息、


「あんた、さっき車椅子の男の子に肩貸してきたって言ったでしょ。あの子、助かったのが本当に奇跡ってくらいの大怪我だったんだって。片目と片足も……、……パーティの大事な仲間がそんなことになったら、ね。

 調査員の人、教会でシスターに門前払いされたって言ってた。今は話ができる状態じゃないからって……あの男の子じゃなくて、仲間たちの方が、よ」

「……」

「やっと許可が下りたのは、二日後だったかな。それでも、一番小さな魔法使いの子が途中で泣き出しちゃったらしくて……出てけって、追い払われたみたい。……キツかっただろうな」

「……遣る瀬ねえ話だな」


 男は、今の自分が憤りにも似たしかめ面をしているとわかっている。男は冒険者としてはそこそこ年長者の方で、あの少年含め多くの若者に手解きをし、巣立っていく背中を見送ってきた。だからだろうか、この手の話を聞かされると遣り場のない怒りに胸が駆られるのを感じる。


 責任の所在を求めるなら、十中八九でギルドが槍玉に挙がるのだろう。


 踏破されたと思っていたダンジョンが踏破されていなかった――前例が、ないわけではないのだ。名声ほしさに嘘八百を並べたやつもいるし、本当に勘違いしてしまっていたやつもいる。だからギルドはわざわざ調査隊なんてものを派遣して、ダンジョンの活動が間違いなく止まっていると最終承認する体制を整えている。


 だが今回、また同じ過ちが起こった。

 調査になんらかのミスがあったのか、あるいは本当に嘘八百を並べたのは――


 どうあれ、大人の失態が一人の若者の未来を奪ったということだ。たとえ、奇跡的に助かったとしても。片足を失った以上、冒険者としての道はもはや崩れ落ちてしまったに等しい。

 受付嬢が、縋るような目で男を見る。


「……ねえ。ねえ、あの男の子ってさ、」

「ああ、守ったんだろうよ。仲間を、文字通り死ぬ気でな」


 青年だけが片目片足を失って生死を彷徨い、仲間の少女三人は五体満足で生きている。……そういうことなのだろう。ああ、そうだろうとも。男が青年の立場だったとしても迷わず同じ選択をする。


 だが少女たちにとっては、呪いのようなものかもしれない。ただ、守られただけ。青年の片目片足を犠牲にのうのうと生き延びただけ。

 〈摘命者〉討伐の名誉を賜って、報奨金をもらって、Sランクに昇格して――だからなんだ。それで青年の足が元に戻るのか。目が見えるようになるのか。過去をもう一度やり直せるのか。なにも変わらない。なんの意味もない。

 命を懸けたのは青年ただ一人なのに、あたかもパーティ全員の功績かのように褒め称えられるなど堪えられない。


 そう、自分たちを責め苛んでいるのかもしれない。


「……なんでかな」


 受付嬢の拳は、かすかに震えていた。


「がんばって、がんばって、生きて帰ってきたのにっ……」

「……」


 そのとき、受付で話を終えたアトリが踵を返した。今日もこの近辺で魔物を狩りに行くのだろう。普通ならうら若い少女が一人で魔物討伐なんてありえないし、下心を抱えた野郎たちがあわよくばと声をかけようとするものだろう。


 だが今この場に限っては、誰もが彼女の背を見送ることしかできない。誰も声ひとつかけられない。アトリもまた、周りの冒険者を誰一人として眼中にも入れていない。



 ――まるで、なにかに取り憑かれているような。



 仲間を守れなかった後悔から、自暴自棄に陥っているのとは違う。己が殉ずる道を見出し、魂まですべてを捧げると神に誓った――そんな、後悔すら呑み込むのような。


 彼女は、いったいなにを見たのだろうか。

 なにを、目に焼きつけてしまったのだろうか。


「……ほんと、遣る瀬ねえ話だよ」

「……」


 未知の世界に思いを馳せる飽くなき探求心、あるいはあの少年のような勇ましき決意――若き冒険者を突き動かすのは、そんな輝かしい感情であるべきなのに。

 少年とほとんど歳の変わらない少女が、若くして命の使い道を静かに見定め、殉じようとしている。


 そんな少女に諭し聞かせる言葉を、男も受付嬢も持ってはいない。

 何年も長く生きている自分たちすら、己の命の使い道など、一度として考えたこともないのだから。

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