07.〈重戦士〉アトリⅠ
このままではマズい。俺は強烈に危機感を覚えた。
〈
しかし、これ以上はさすがに認めざるを得ない。
――暇を持て余したベッド生活で、体が怠け始めている。
そう感じてしまった一番の理由は、昼間に襲ってくる怠惰な眠気だった。夜の睡眠は充分すぎるほど確保しているのに、運動を終えたあと、昼食を摂ったあと、気づけばうつらうつらと舟をこいでしまっている自分がいる。
今まではこんなことはなかった。すなわちこの眠気は堕落の兆候に他ならない。
今すぐ鍛錬を再開しなければ。
別に、この体でも鍛錬して冒険者に復帰しようというつもりは――今のところ、なんともいえない。そもそも、この体での復帰が現実的なのかどうかもわからないしな。今はとにかく、運動不足を少しでも解消しなければ俺の精神衛生上よろしくないというだけの話だ。
この先は慣れない義足生活になるはずだから、なるべく体力を維持しておいて損もないだろう。
寝ながらできるストレッチ程度では運動のうちにも入らん。となれば、ここはやはり素振りを再開したい。一応座ったままでもできるし、今まで何千回何万回と繰り返してきたこの鍛錬なら、ストレッチよりずっと高い練度と集中力で取り組める。
というわけで、師匠に庭先まで車椅子を押してもらったのだが――。
「ウォルカ……やっぱり、剣を振るのか……?」
「ん……? ああ、もちろん」
剣を振るのかって、そのために外まで移動するんだから当然では……?
「どうも俺には、これが一番らしいからな」
「っ……そう、じゃな。ウォルカは、剣が一番で……剣が、一番だったのにっ…………」
……なんだか深読みをされてる気がする。師匠、俺は体を動かしたいだけだからな? 深い意味は一切なくて、ただの運動だってば。
「わかってる……わかってるのじゃ…………」
わかってないだろそれ。
師匠? 師匠ー?
その後教会の庭先で素振りに勤しんでいると、ユリティアが俺を見つけるなり持ってきた荷物を地面に落とした。どこか心ここにあらずな虚ろな瞳になって、
「先輩……やっぱり先輩は、そんな体でも……剣を…………」
だからただの運動だってば。
ユリティア? ユリティアー?
/
久し振りの素振りは大いに身が入るものだったが、それでも午後になると眠気は襲ってきた。
まあ眠くなってしまうものはしょうがないので、軽く午睡を取ることにする。師匠もなんだか急に思い詰めた風になってしまって、俺の傍から離れてくれないため仲良くお昼寝だ。
そうして窓から注ぐ陽光の中でまどろんでいると、部屋に誰かがやってきた気配。ユリティアなら「失礼します」の一言くらい言うはずだから……この感じ、ウチのパーティの重戦士のアトリだな。
などとぼんやり考えていると、
「んしょ」
「……!?」
アトリがいきなり俺の腹に乗っかろうとしてきた。当然俺はすぐさま起きあがり、マウントを取られるすんでのところで彼女の肩をがっしり押さえる。
「あ……起きちゃった」
「……起きるに決まってる」
間違いなく、そこにいたのはアトリである。
いや今なにしようとした? 目で訴えるもアトリは真顔で、
「大丈夫、ちょっと襲おうとしただけ」
どのへんが大丈夫なのかさっぱりわからない件。
襲うってなにさ。襲撃? マウント取ろうとしたのってそういうこと? もし気づかなかったらあのまま首でも絞められてたのだろうか。うーん仲間とはいったい……。
「勘弁してくれ、俺はこの足だぞ」
「平気、ボクが動くから」
だからなにが平気なのかさっぱりわからないんだって。パーティ近接最強のキミに襲いかかられたら、今の俺なんて一瞬でボロ雑巾だろうに。ほんと強すぎるんだよこの子……。
我らがパーティの重戦士にして一騎当千の戦闘民族、『アトリ』について。
原作のパーティでは、ウォルカに次いでほとんど描写がないまま退場してしまったキャラだった。セリフがひとつもなくて名前も性格も不明、更にはコマの隅っこで描かれるだけだったため容姿すらもはっきりせず、ミステリアスな印象のまま例のシーンで無惨にも――という具合だった気がする。
なお重戦士とは、巨大な武器や強靭な鎧を身にまとい、敵の防御を打ち砕いたり攻撃を引きつけたりする役割を指す。彼女の場合は鎧をまとわず、自身の身の丈すら超える武器を手足のように振り回すという超攻撃型の重戦士だ。攻撃は最大の防御? いいえ、攻撃は最大の攻撃です。
さて、原作を抜きにした『俺』の認識は。
まず、アトリはこの国の生まれではない。
ここより遥か南方のとある少数部族の出身で、その血が浅い褐色の肌として表れている。真白の髪を肩に届く程度の流麗なセミロングにし、耳や首、腕にはこの国の意匠では見られない異国の装飾品。数多の文様が織り込まれた民族衣装はとりわけ上半身の布面積が小さく、健康的な肩やらへそやら胸元やらを艶やかに晒している上、生地まで薄いせいで胸の肌着がうっすら透けて見えるという大変
下も下で深いスリットスカートから脚が大胆に見え隠れしており、肌着が黒いショートスパッツだから見せても大丈夫なのかもしれないが、ともかく年頃の青少年などはちょっと目のやり場に困るだろう。
なんでも彼女の出身は、知る人ぞ知る一騎当千のバーサーカー民族らしい。長い歴史の中で遺伝子が戦闘に極振りされた結果、歴戦の猛者ともなれば〈
彼女にもその血が色濃く受け継がれており、ウチのパーティでは少なくとも近接戦最強。天才剣士のユリティアが、「アトリさんはちょっとレベルが……」と苦笑いするほどである。
年は俺よりひとつ下の十六歳で、身長は同年代よりちょっぴり高い。体つきは細身でしなやかながら、どう見てもパワータイプではなく、彼女が重戦士だといっても一発で信じてくれる人はそういない。
薄紫のぼやけた瞳には感情があまり宿っておらず、事実彼女は非常に寡黙でクールな性格だ。必要以上のことはあまり話さないし、口調もちょっとカタコトっぽいし、表情もほとんど動かない。
ただもちろん感情がまったくないわけではなく、今はどうも、俺にマウントを取れなかったのを大いに残念がっている様子だった。そんなに襲撃したかったのだろうか……。
「きっと気持ちいいから大丈夫。ボクにおまかせ」
「いや、ほんとに勘弁してくれ……」
戦って気持ちよくなっちゃうのは君だけだってば。
この子、故郷で叩き込まれた知識が戦闘やサバイバル関連に偏りすぎてるせいで、一般情操面が少々ぽんこつなんだよな。さっきから言い方よ。よその人に聞かれたら変な誤解されるでしょうが。
ただ、ボクっ娘なのは個人的にかなりポイントが高い。いやはじめて出会ったときは感動したね、ボクっ娘って本当にいるんだ! って。
のじゃロリな師匠然り、はわわ撫子なユリティア然り、こんな魅力的な子たちが一話であっさり使い捨てられた上、それが全滅凌〇死エンドだったなんて改めて理解できない。やはりあの作者は腐れ外道よ、生かしてはおけぬ。
「だめ?」
「ダメだ。ほら、師匠が寝てるから」
アトリはむむっと考える仕草をし、
「……たしかに。いきなり仲間に見せながらはレベルが高い」
「わかってくれたか」
「ん……はじめては、やっぱり雰囲気が大事かも」
仲間を襲撃するのにうってつけな雰囲気ってなんですかねェ……。
というか、そもそもこの子はどうして襲撃なんて……あれだろうか、俺が入院生活で堕落してきているのを察知して、ウチのパーティに腑抜けはいらんと釘を刺しにきたのだろうか。くっ、見抜かれている……! これからこの体なりにがんばって鍛錬するので、どうか今日は見逃してください。
しかし、改めて考えてみると。
俺はこのまま、剣士として終わってしまってよいのだろうか。
普通に考えて、片目だけならまだしも片足――しかも軸足を失ってしまったならば戦士としては一巻の終わりだ。前世の漫画やアニメでも、隻眼や隻腕ならむしろ強キャラの代名詞ともいえるステータスだったが、片足がない剣士なんてのはほとんどお目にかかった記憶がない。創作という自由な世界の中ですら、足は二本そろっているのが大前提――片足を失うというのは、それだけ大きすぎることなのだ。
ただ、もしこの異世界に優れた義足が存在していて、剣士として復帰するのが充分現実的だとするならば。
それなら俺はきっと――剣を振り続けると思う。ここが腐れ外道ダークファンタジー世界である以上、今後も仲間たちにどんな危険が降りかかるかは予測ができない。今の俺にとっては、仲間たちの
自分の命を投げ捨てるつもりはもうない。けれど最低限動く体さえあれば、なにかができる可能性は格段に上がるだろう。
しかし一方で、そもそも彼女たちに俺の力は必要なのだろうか?
アトリはもちろん師匠もユリティアも立派な実力者だから、怪我人が中途半端に復帰しようとする方が迷惑なのではないか。片目片足を失った不完全な剣士が、彼女たちの力になろうなど身の程知らずではないか。自分の面倒を自分で見る程度の社会復帰は成し遂げるとしても、そこから先は――
「……ウォルカ? どうかした?」
横でアトリが不思議そうにしている。俺は緩く首を振り、
「これからのことを、少し考えていた」
「リハビリ?」
「いや……もっと先だ」
短くなってしまった左足を撫でながら、
「俺は、もうこの有様だからな。もし、付き合いきれないと感じるなら……」
「ウォルカ」
思いがけず、アトリの少し大きな声。
顔を上げるとアトリが身を乗り出して、吐息がかかるほどの距離から俺の瞳を覗き込んでくる。
「あの戦いで、ボクはキミに助けられた。命を救われた。それなのにキミを置いていくなんて、絶対にしない」
「――」
息が詰まる。
紫の瞳に、落ちていきそうな錯覚を覚える。
「命を救われた恩は命で返す――それが部族の掟」
華々しい決意とも、美しい誓いとも、清らかな祈りとも違う。
見る者の腕に絡みついて、落ちゆこうとするような。光すら届かない底なしの執着、あるいは――欲望のような。
「ボクの髪一本、骨の一片、血の一滴、魂の一切まで……ぜんぶ、キミのものだよ」
俺が思わず仰け反った分まで、更に身を寄せて。
あくまでいつも通りクールな彼女のまま、こう言うのだ。
「ボク……アトリはキミのために生きて、キミのために死ぬ。安心して」
「……、…………そうか」
たったそれだけの答えを返すのに、何秒もかかった。
こういうときだけは、筋金入りに無愛想な自分をありがたく思う。たとえ心の中で気が動転していても、見た目だけは冷静に反応を返せるのだから。
ほとんどしなだれかかるようになっているアトリの体を、そっと押し返して。
「気を遣わせたな……ありがとう」
「ん」
そのときにはアトリも、元のアトリに戻っていた。その場で座り直した彼女は無表情に、
「……じゃあ、襲っていい?」
「いやそれはダメだ」
「むぅ……ウォルカは襲う方が好き? 実はボク、ウォルカなら襲われるのもちょっと興味ある」
「はいはい」
アトリは意外と、打ち解けた相手に対してはおしゃべり好きな一面がある。なんだか会話が若干噛み合っていない気もするけれど、そんなことよりも俺は、
俺は――
(…………お、おああ、あがががががががががが)
――ちょいと重すぎやしませんか、アトリさん。
今しがたアトリの激重発言に関して、心の中で白目を剥きながら痙攣するのだった。
胃が。胃があああ。
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