31. 大聖堂

 〈魔導律機構マギステリカ〉の現技術研究統括にして最高意思決定機関〈七花法典セブンズ〉が一人、〈創生の法典〉エルフィエッテ――それにしてもまあ随分と大仰ったらしい肩書である。『最高意思決定機関』ってカッコよすぎか。俺だったらこの肩書だけで胃に穴が空いてしまいそうだ。


 結局、師匠とエルフィエッテの間になにがあったのかはよくわからなかった。どうやらよほど根深い因縁があるのだけはたしからしく、


「とにかく……だめなの!! だめっ!!」


 と、師匠は駄々っ子みたいになってそっぽを向くばかり。……さてはあれだな。背の小ささとか体の幼さとか、昔ぼっちだったこととか散々煽られたクチだな? 師匠、そういうのを末代まで祟る勢いで根に持つタイプだし。

 原作のエルフィエッテも、ちょっとメスガキ感があるといえなくもない……そんな小生意気な少女として描かれていた気がする。


 そういえば魔法使いの間には、『一流ならば弟子を持つのが当然』っていう不文律があるんだっけ。「えー、リゼルって大魔法使いなのに弟子が一人もいないのぉ? 弟子ナシが許されるのは二流までだよね~、あは☆」みたいなやり取りがあった――のかも、しれない。おかしいな、涙目で暴れる師匠の姿が目の前で起こったみたいに想像できる……。


 ん? じゃあもしかして、師匠が〈魔導律機構マギステリカ〉と袂を分かって王都を飛び出したのって――いや、さすがにそれはないか。あまり失礼な邪推をするのはやめておこう。


 さておきエルフィエッテを頼るかどうかは、まずはもっといい義足を試してからということで保留にしてもらった。


 原作を知っている俺には到底即答できる話ではなかったし、義足で事足りるならわざわざリスクを冒して関わりに行くような相手でもないしな。アンゼも今の段階では机上の空論に過ぎないと認めており、


「エルフィエッテさまは何分、変じ――いえ、その、変わった感性をお持ちの方と有名でして。興味がないことには、非常に冷淡な対応をされるそうです……」


 ああ、やっぱり世間的にも『変人』って認識なんだ……。


「加えて、お恥ずかしい話ではございますが、わたくしたち〈聖導教会クリスクレス〉は〈魔導律機構マギステリカ〉とあまりよい関係を築けておらず……」


 〈魔導律機構マギステリカ〉は絶対的な魔法至上主義を掲げており、名は体を表すがごとく、この世の森羅万象を魔法によって解き明かし、魔法によって律することを志している。つまり連中は神を敬うどころか、神をひとつの学問と捉えて研究対象とするような集団なのだ。


 当然そんなやつらが〈聖導教会クリスクレス〉と仲良くやれるはずもなく、長らく宗教と科学の対立めいた関係が続いているらしい。


「ですが可能性はございます。選択肢のひとつとして、ご検討なさってみてください」

「そうだな……。ありがとう」


 師匠が嫌がってるし、俺もなるべく関わりたくないけどな。聖都最高クラスの義足が、それこそ漫画のようにめちゃくちゃ高性能なシロモノであってくれることを願うばかりである。


 やがて船は聖廷街せいていがいに入り、そのまま大聖堂近くの船着き場に係留された。


 この国でも随一の偉容を誇る大聖堂が、俺たちの眼前を埋め尽くさんばかりに君臨する。

 俺は、この大聖堂をもはや『城』だと思っている。端から端まで視界に収まらないほど広大、そして天へかかるきざはしがごとき塔を擁する長大な姿には、何度見ても圧巻という言葉しか出てこない。寸分の綻びもない石造りは荘厳にして華麗を極め、先日「神などいない」と悪態をついたばかりの俺ですら、もしかすると神様って本当にいるのかもしれないと改心してしまいそうになる。


 これほど神々しい建築物が中心に堂々鎮座しているのだから、そりゃあ聖都で暮らす人々も自然と信心深くなって、世界有数の治安を誇る都市に発展するわけである。


「はい、着いたよ」


 女船頭さんに手を貸してもらいながら、船を降りる。その中でアンゼがそっと金貨を一枚手渡して、


「道中聞いたお話は、他言無用でお願いしますね」

「おや、なんのことだい?」


 女船頭は、とぼけたふりをして金貨を受け取らなかった。


「今日は天気がいいもんだから、途中からずっと船をこいじまってねえ。なにか話してたのかい?」

「……ふふ、あなたさまはとても思慮深い船頭さまなのですね」

「あらまあシスター様から褒められるなんて、毎日大聖堂で祈りを捧げてみるもんだね」


 うーん、この年長者らしい泰然自若というか、道理の弁え方というか……俺もこういう風に歳を取っていきたいもんだな。


 ルエリィたちを預かってもらうため、俺たちはそのまま大聖堂へ向かう。


 大聖堂の正面は噴水と花々に彩られた広場となっていて、傷病人関係なく多くの人々と出店が集まる憩いの場である。

 寄り集まって情報交換に精を出す冒険者、陽気な井戸端会議を楽しむマダム、散歩をする老夫婦、無邪気に走り回る子ども、休憩中と思しきシスター、うつらうつら船をこいでいる露天商など。聖都という都市の日常を凝縮したのどかな風景の中を通り過ぎ、白い彫像たちが見下ろす大聖堂の扉をくぐれば、次に飛び込んでくるのは開いた口が塞がらなくなるほどバカ広い礼拝堂だ。


 本当に、ここまでデカくする必要はあったのかと造ったやつらに訊いてみたくなる。見上げればおよそ建物五~六階分に相当する迫力満点の吹き抜けと、正面を向けば主祭壇で説法する神父が米粒のように見える広々とした空間。建築技術の粋を集めたシンメトリーの意匠は手すりの一本から装飾のひとつまで精緻を極め、天井近くには祝福をもたらす天の遣いを描いた宗教画が並び、それらを支える柱のように連なったステンドグラスがきらびやかに陽光を取り込んでいる。


 この礼拝堂ひとつだけ見ても、果たしてどれほどの歳月をかけて造られたのやら。

 ここが神々の世界にもっとも近い場所だと説かれれば、ひょっとすると本当にそうかもしれないと思わず頷いてしまうような。信仰心の薄い俺ですら、何度訪れても心の底から圧倒される。


「ふわわ……」


 外とは明らかに空気が違う荘厳の世界に、ルエリィもだいぶ畏まった様子だ。余計な物音ひとつ立てぬよう、一挙手一投足に気を遣っているのが伝わってくる。俺も、教会の空気に慣れない頃はこんな感じだったっけな。


「ここは人が多いですから、どうぞこちらに」


 アンゼの案内で壁伝いに進み、騎士が守る隅の扉から奥へ。埃ひとつ落ちていない回廊を抜けて、通されたのは別の小さな礼拝堂だった。


「わたくしたちシスターが普段の礼拝に使っている場所です。どうぞおかけになってください」


 なるほど、シスター専用の礼拝堂がちゃんと別にあるんだな。

 小さな礼拝堂といってもそれは正面のやつと比べればの話で、ここも天井は吹き抜けで三階くらいの高さがあり、祭壇から等間隔で並んだ席の数も百人分にはなりそうだ。これが建物の中のほんの一区画に過ぎないというのだから、大聖堂の呆れんばかりのスケールがよくわかる。


 なんとなく前の方には行きづらいので、適当な後ろの席に座らせてもらう。五人程度がまとめて座れる長椅子は多少クッションも効いており、シアリィをそのまま寝かせてやることができた。


「人を手配してきますので、ここで少々お待ちください。ルエリィさま方は念のため、一度しっかり診療を受けてくださいませ」

「はい。お願いしますです」

「それと、ルエリィさまについては……診療ののち、詳しくお話を聞かせていただくことになるでしょう」


 ルエリィが表情を強張らせ、唇を引き結んだ。

 胸に手を当て、重く頷く。


「……はい。どんな罰でも受けます」


 アンゼが言う意味はわかる。たとえ、どんな事情があったとしても。おねえさんと仲間を人質に脅され、そうするしかなかったのだとしても。ルエリィがやろうとしたことを、まったくのお咎めなしにはできないのかもしれない。

 けれど。


「アンゼ、この子は……」

「ご安心ください、ウォルカさま」


 俺が口を出すまでもなくアンゼは優しく、


「もちろん、情状は充分に考慮されます。決して重い罰にはならないでしょう」

「……頼んだ」


 ……まあ、ここはアンゼを信じるべきか。教会も鬼ではない。ルエリィに必要なのは情け容赦ない罰を与えて突き放すことではないと、きっとわかってくれるだろう。


 一礼したアンゼが一旦礼拝堂を去ると、ほどなく後輩と思しきシスターが冷えた水を持ってきてくれた。さすが日頃からたくさんの傷病人を相手にしているだけあって、俺たちが来ると最初からわかっていたみたいにスムーズな対応だ。

 そして各々軽く喉を潤し、一息つくと。


「……あ、あの、」


 意外にも、口を切ったのは〈森羅巡遊シークロア〉だった。桃色髪の少女がなにかを言おうとしたものの、俺たちがつい一斉に視線を向けてしまったせいで言葉に詰まる。そのあとを金髪の少女が引き継ぐ。

 彼女たちが自分からはっきりと話しかけてくれたのは、これがはじめてだった。


「今更になっちゃうけど……ありがとう、助けてくれて。……それと、ずっと黙ってばっかりでごめんなさい」

「なに、わしらは気にしておらんさ。事情はわかっておるつもりじゃからな」


 師匠が軽い調子でそう返すも、彼女らのやつれた面持ちは微塵も晴れない。


「……あなたたちが本当に助けてくれるのか、わからなかったの。私たちには……私たちには、もう、なにを信じればいいのかが……」

「……」


 それは、そうなのだろうと思う。

 どうして、今になって話しかけてくれたのか。それは、今この瞬間になってようやく俺たちを信じることができたからなのかもしれない。

 自分たちをいたぶった〈ならず者ラフィアン〉は全員死んだ、だからもう大丈夫だと頭ではわかっているはずなのに。馬車に乗っている間も、船に乗っている間も、聖都の土を踏んで抱いた安堵の片隅で、悪夢が終わったと信じきれない闇をどうしても振り払えなかった。


 彼女たちが〈ならず者ラフィアン〉のアジトでどんな目に遭ったのか、言葉にするつもりはないが――事実他人を一切信じられなくなるほどの思いを、したのだろうから。

 けれど桃色の少女は顔をあげ、意を決して、


「で、でも……あなたたちは、嘘つきじゃなかった」

「だから、ありがとう。……もう少し、生きてみようと思う」


 ……儚く微笑みながら言外に「死のうと思っていた」と言う人に、いったいどんな言葉をかければいいんだろうな。


 俺の人生経験からいうと「剣振れ剣、体動かせ」なのだが、そんなので励まされるバカは俺くらいだろう。

 ユリティアもアトリも言葉を見つけられない中、答えてくれたのはやはり師匠だった。本当になんてことのない、太陽が東から昇るのと同じくらい単純な道理を説くように、


「『どうして』とか『なんのため』とか、いちいち難しく考えるでないぞ。腹が減ったら美味いごはんを食べて、喉が渇いたら甘いジュースを飲んで、眠くなったら好きなだけ寝て、部屋の中に飽きたら日向ぼっこでもしてみることじゃ」


 おお、なんだか師匠が深いことを言っている。……ん? でもそれって、師匠が普段送っている幼女な生活そのまんまのような……。

 まあともかく、そうやってゆっくり心を休めろと言いたいのだろう。


「あ、あの、私もっ……」


 それに続いてルエリィも、コップの水をこぼしそうになるくらい勢いよく頭を下げる。


「このたびは、本当に、本当に……ごめんなさい。そして、ありがとうございましたっ。今すぐは無理ですけど、必ずお礼はします! 私にできるお礼なんて、たかが知れてますけど……」

「そう気に病むな。俺たちも、大したことができたわけじゃない」


 実際〈天巡る風ウインドミル〉も〈森羅巡遊シークロア〉も男を全員殺されていて、俺たちが助けられたのはたった半数だけなのだ。それで命の恩人みたいに感謝されても心苦しい。

 しかし、律儀なルエリィは決して首を縦に振らない。


「いえ……皆様がいなかったら、きっと私も、ねえさまも……」


 ここまでの旅で気づいたことだが、ルエリィは聞き分けがいい性格に見えて意外と頭でっかちで、自分がやると決めたらそう簡単には譲ろうとしない頑固な一面がある。形だけでもなにかをさせてやらないと、彼女は絶対に引き下がってくれないだろう。

 俺は少し、考えて。


「……わかった。なら、ひとつだけ」

「はい、私にできることなら……!」


 俺がルエリィに望むことがあるとすれば、これだけだ。


「おねえさんが目を覚ましたら、二人で元気な顔を見せてくれ。待ってるからな」

「……、」


 ……ん? なんか変な空気になったな。な、なんだその「ウォルカはそういうこと言っちゃうから……」みたいなちょっと生温かい感じは! 別に変なこと言ってないだろ!?

 ユリティアが困った風に微笑み、


「ルエリィさん、先輩はこういう人なんです」

「……ふふ、そうですね。ウォルカさんって、はじめはもっと怖い人だと思ってたです」

「ま、まあ……心当たりはある」


 目つきがあまりよくないし、愛想も絶望的に悪いし、極めつきは眼帯のせいでなんだかカタギじゃない人に見えなくもない――らしい。強キャラっぽく見えるということだと前向きに考えるようにしている。


「でも、ぜんぜん違いました。……私、ウォルカさんがかけてくれた言葉、絶対忘れないです!」


 ……俺、そんな特別なことルエリィに言ったっけ?

 もしかして、偉そうに説教垂れたときのことを言ってるのか? あ、あれは忘れてくれ、思い出すだけで恥ずかしいんだ……!


「ねえさまが目を覚ましたら、必ずご連絡します! 待っていてください!」

「……ああ」


 ……でもまあ、それでルエリィが嫌な記憶を少しでも忘れられるんだったら、笑われるくらいどうってことないか。

 どうってこと――


「ウォルカはほんとにっ……もう……」

「……」


 俺の全身に突き刺さる、一周回って慈愛すら抱いているかのような師匠たちの視線。……なんでだよ! なんでこんなに生温かい反応をされるんだ、そこまでおかしなこと言ったのか俺は……!?


 ちくしょう、ただハッピーエンドを望んでるだけなのになぜ……。

 俺は心の涙を紛らわすように、コップの冷たい水を一気に呷るのだった。



 /


「――よ、〈天剣〉」

「あっ、〈白亜〉さま」


 その頃、ひと通り必要な手配を終えて礼拝堂に戻ろうとしていたアンゼは、回廊の途中で同僚兼幼馴染兼姉代わりの少女と出くわしていた。


 もはや明言するまでもないことではあるが、雪の紋章を携え壮麗な祭服に身を包んだ出で立ちは、アンゼと同じく聖都の頂点に君臨する聖女の一人である。

 あいもかわらずあまり聖女らしくない、快活で人懐っこい笑みを浮かべている。


「ロッシュのやつが砦から報告くれてな、そろそろ着いた頃だろって思って」

「そうでしたか……。あの、申し訳ありません。実はまだ、ウォルカさま方をお待たせしておりまして……」

「ああ、わかってる。だからさくっと用件だけ言うぜ……おれもついてっていいか?」


 アンゼは目を丸くした。


「ええと……同席されるということですか?」

「いや、邪魔するつもりはねえよ。隅っこからちらっと見させてもらうだけでいいんだ。……おい、じいや」

「はい、ここに」


 〈白亜〉がと、二人の死角となる回廊の片隅からふっと老執事が姿を現した。なんの気配も足音もなく、それどころか人が通ってこられるような扉も空間もない場所からいきなり、だ。ピンポイントでそこに出現したとしか表現のしようがない老執事に、しかしアンゼも〈白亜〉も驚いた様子は一切なく、


「ちょっと付き合ってくれ。バレないように」

「かしこまりました」

「あの、隠れて同席されるのは構わないのですが……なにか気になることでも?」

「大した理由じゃねえよ」


 〈白亜〉は口端を上げ、さながら子どもじみた軽いイタズラを語るような調子で、


「〈摘命者グリムリーパー〉討伐を成し遂げた剣豪様のこと、おれも結構気になるからな。ここらでちゃんとひと目見ておこうってワケ」

「まあ……!」


 途端にアンゼは目を輝かせ、


「ええ、ぜひ! 〈白亜〉さまもきっとお気に召すと思います! ウォルカさまは本当に、聖騎士にも負けないくらいの剣の使い手で……あっそういえば聞いてください、道中〈ならず者ラフィアン〉を討伐したとき――」

「はいはい土産話はあとあと。待たせてんだろ? おれは勝手に二階から覗くからなー」


 早速クソデカ感情が暴走しそうになったアンゼを慣れた様子で受け流し、〈白亜〉は老執事を連れてスタンバイを始める。

 少しだけ、楽しそうな表情をしている。


 先刻のエルフィエッテ然り。

 死神を単身で葬ってみせた冒険者が帰還したことで、本人の知らぬところでも少しずつ動きフラグが起こり始めているようだ。



 /


 ひと通りの手配を終えたアンゼが礼拝堂に戻ってくると、ほどなく集まったシスターや騎士の案内で、ルエリィたちは診療に向かっていった。


 これで済ませることはすべて済んで、俺たちもあとは歩いて宿へ帰るのみとなった。

 いやはや本当に、とんでもなく長い旅がようやく終わった気分だ。実際、〈摘命者グリムリーパー〉と出くわすわ片目片足が吹っ飛ぶわ、『原作』を思い出すわ師匠たちが病んでしまうわ、〈ならず者ラフィアン〉に襲われるわ腕をナイフで貫かれる経験をするわで、人生がひっくり返ったと表現しても足りないくらい激動の日々だったと思う。


 当分、旅はおなかいっぱいだな。しばらくは聖都でゆっくりリハビリするとしよう。


「みなさま、本当にお疲れさまでした」

「ああ。アンゼもありがとう、本当に助かったよ」

「はいっ!」


 礼拝堂という神の膝元にいるからか、アンゼから放たれる祝福オーラがいつもより一層光り輝いている。


「少しでもウォルカさまのお力になれたのであれば、わたくし……とても、とても嬉しいです。ウォルカさまの後援者パトロンとして、これからも誠心誠意お手伝いいたしますっ!」

「くぉら、誰がウォルカの後援者パトロンじゃ! パーティの! わしらのパーティの後援者パトロンじゃからな! 調子に乗るでないわっ」


 すかさず師匠がぷんすかと怒る。最後まであいかわらず、クソデカ善意のせいで言動が前のめりなアンゼであった。


 しかし今回の旅では彼女の等身大な一面というのもいろいろと発見できて、俺の中にかつてあった苦手意識はもうほとんど吹っ飛んでしまったといっていい。これからは、仲間としてもっともっとよい関係を築いていけるであろう。


「アトリさん、わたしたちも負けてられないですね……!」

「ん」


 そんでユリティアとアトリは張り合うんじゃない。頼むから、俺に社会復帰させてくれよ? 一生女の子に面倒見られる生活は御免だからな!

 アンゼが慎み深く頭を下げる。


「改めましてダンジョン〈ゴウゼル〉の踏破、並びに〈ならず者ラフィアン〉掃滅における多大なるご貢献、誠にありがとうございました。ロッシュさまが申しておりましたとおり、後日大聖堂より褒賞を贈呈したく……受け取っていただけますか?」


 俺は受け取ってもいいと思っているが、決定権はリーダーの師匠だろう。しかし師匠は俺の目線に首を振り、ついさっきまで元気に怒っていたのが見る影もないほど暗くなって、


「ウォルカの好きにするとよい。〈摘命者グリムリーパー〉を討ったのはおぬしじゃ……わしらに受け取る資格なんてない」


 またそんなこと言いおってからに。重く考えなくていいんだって。〈ならず者ラフィアン〉討伐の方はむしろ俺の方がほとんどなにもしてなかったんだから、師匠たちにも受け取る資格くらいあるだろ。


 しかしユリティアもアトリも、表情ににじんでいるのは真っ黒い自嘲と後悔だけ。そ、そんな暗くならないでくれよぉ……。時間が少しずつ解決してくれる可能性も期待していたが、みんなに巣食ってしまった罪悪感は未だ底が見えないほど深いようだ。

 俺は仕方なく、


「わかった、受け取るよ」


 アンゼはほっとして、


「ありがとうございます。……〈摘命者グリムリーパー〉の討伐は、歴史を遡っても数少ない偉業です。お望みであれば、Sランクへの昇格も……」

「いや、それはいい。普通に金で頼む……」


 Sランクになったところで、師匠たちの罪悪感に余計な拍車をかけてしまうだけだ。世間が俺たちを見る目も大きく変わる。したがって俺の胃も痛くなる。なにひとつメリットがない。

 アンゼも予想していたのか、少し残念そうにしつつも食い下がることはなかった。


「かしこまりました。日を改めまして、大聖堂から使者を遣わせます。みなさまは、明日以降のご予定は……」

「明日は……昼間は、知り合いに顔を見せに行くかもな。日が暮れる頃には戻ってると思う」

「かしこまりました。それでは――」


 等々今後の話をまとめながら、しかし、正直俺はあまり会話に集中できていなかった。

 その理由は、単純明快。


 ――さっきから、ずっと誰かに見られてないか?


 吹き抜けになった礼拝堂の二階部分、祭壇に近い右奥の方。アンゼが戻ってきて少し経った頃から、妙に誰かの視線を感じるようになった。ただ〈身隠しハイド〉の魔法でも使っているのか、姿は一向に影も形も見えない。

 うーん、でも師匠もアトリも気づいてないみたいだし、俺の気のせいか……?


「ウォルカさま、どうかされましたか?」

「いや……なんでもない」


 まあいいや。ここは大聖堂だし、誰か見ていたとしても悪いやつではないだろう。

 ただ居心地はよくないので、話がひと段落したところでさっさと退散することにした。アンゼに外まで丁寧に見送りしてもらって、大聖堂をあとにする。


 夕暮れが始まっている。宿に戻って、旅の終わりを美味しい夕食で締め括るにはちょうどいい頃合いだ。

 久し振りに、ロゼの料理が恋しくなってきたな。



 /


 ウォルカたちが去ったあとの礼拝堂にて、とある聖女な少女が長椅子にどかりと座り込み、ものすごく真剣な表情をして何事か黙々考え込んでいる。

 〈白亜〉である。彼女は傍らに立つ老執事へ問う、


「――なあ、じいや。ウォルカ様、こっちに気づいてたよな?」

「気づいておりましたな」

「完全にバレてた?」

「いえ、姿までは。ただ、あのあたりから見られている、という程度は見抜かれていたかと」

「……」


 〈白亜〉が礼拝堂の二階からこっそり観察する間、一度だけではあったがウォルカがはっきりとこちらを見た。

 老執事の〈身隠しハイド〉で向こうからは見えていないはずなのに、だ。


 偶然ではなかった。ウォルカは間違いなく、『そこに誰かがいる』という明確な疑念をもって〈白亜〉の方を見ていた。その証拠に以降彼はどことなく居心地を悪そうにして、アンゼとの話が終わるなり早々に礼拝堂から出ていってしまった。


 姿は見えずとも、完全にバレていた。老執事の〈身隠しハイド〉を見破っていた。だから〈白亜〉はものすごく真剣な形相をしている。


「……じいやの〈身隠しハイド〉を即見破ったやつって、今まで何人いたっけ?」

「はて、ここ四~五年ほどは……」

「手ェ抜いてなかったよな?」

「無論ですとも」


 〈白亜〉はアンゼと違い、ウォルカに対する個人的な思い入れなどなにもない。だから色眼鏡は一切なしに、〈摘命者グリムリーパー〉を討ち倒した剣豪への純粋な興味だけでウォルカを観察した。なんだったら、「どんなやつかおれが見定めてやるぜ」くらいの上から目線だった。


 とはいえ、片目片足を失ったという話である。剣士としては死んだも同然の重すぎる傷だ。たとえ死神を打ち破った傑物だとしても、「片目片足なくしちゃったらまあこんなもんだよなぁ」と落胆は避けられないと思っていた。


 思って、いたのだが。


「――いやなんで? おかしくない? あれ本当に弱くなってる? 弱くなってなくない? 片目片足なくしてむしろ強くなってない? なんで? いや、〈摘命者グリムリーパー〉倒したんだったらあれでも弱くなってる方なのか……? えっやだ意味わかんない」


 あれではまるで――彼自身が、磨き抜かれたひと振りの剣であるかのような。

 頭痛をこらえる〈白亜〉に対して老執事は楽しげだ。


「単身で死神を討ち倒したのであれば、死地を越えて高みへ踏み込んだ可能性は否定できますまい」

「あー、バケモン踏み倒して覚醒しちゃったパターンかぁ……」

「騎士に興味がないというのが残念でなりませんな。彼を後継者にできるなら、私も後顧の憂いなく隠居できるでしょうに」

「……いっそ騎士にならなくていいから、大聖堂専属の冒険者ってことにできねえかな?」

「騎士隊の反発がありましょう。ロッシュ曰く、彼を認めない騎士も多いとか」

「それなー……」


 あれはちょっと、想像以上に。

 片目片足を欠いたハンデがあるはずなのに、それでもなお。


 危険な魔物が蔓延はびこるこの世界において、『強いやつが手元にどれくらいいるか』というのはどこの都市にとっても重要な問題だ。優秀な人材はいくらいても困らない。定住してくれる強いやつらが多ければ多いほど、それだけ都市にとっても大きなステータスとなる。


 ゆえにこれは、ちょっとしたたとえ話だが。


 もしこれから先、ウォルカたち〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉が「この都市は信用できない」と聖都を見限ってしまったら。荷物をまとめて出ていってしまったら。


 間違いなくアンゼは病み堕ちするし、万が一王都に鞍替えでもされた日には――「あんな優秀な冒険者パーティに逃げられちゃうなんて、バカなんじゃないの☆」と〈七花法典セブンズ〉のアホどもから死ぬまで煽られることになるだろう。


 ウォルカたちが聖都に愛想を尽かさなければいいだけの話。なるほどそれはそうだ。では、その『愛想を尽かしかねない事態』がもうすでに起こってしまっているといえば、どうだろうか。


「はぁー……なんでよりにもよって、あのパーティが巻き込まれちまったかねえ」


 だから〈白亜〉は頭が痛い。だがそのとき見送りを終えたアンゼが礼拝堂に戻ってきたので、すっぱり気持ちを切り替え一息で立ち上がった。


「おう、おかえり」

「はい。……あの、〈白亜〉さま。もしかして、ウォルカさまは……」


 すべてを聞くまでもなく〈白亜〉は頷く。


「ああ、じいやの〈身隠しハイド〉を見破ってやがった。悪い、まさかあんなあっさり気づかれるとは……」

「まさか、御姿まで……?」

「いや、それは大丈夫。……そうだよな、姿までバレてたら聖女だって気づかれてたかもしれなかったよなぁ。あぶねーあぶねー」


 聖女が姿を隠してこっそりこちらを盗み見していた、なんてバレたら変な勘繰りで心象を悪くしてしまっていたかもしれない。〈白亜〉はため息をついて、


「……そういやおまえも、外ではちゃんと騒がれないようにしてきたよな?」

「はい、『これ』がありましたので……」


 アンゼが手を遣った左の胸元には、一見なんの変哲もない小さな十字架のブローチがある。


――〈福禍ふっか〉さまの御力はさすがですね」

「あいつはマジで神サマの領域にいるからなー。……ま、それはさておいて」


 〈白亜〉は与太話を切り上げ、アンゼが帰ってきたらすぐ伝えようと思っていた本題に入る。

 それは奇しくも、〈白亜〉が目下頭を痛める『ウォルカたちが聖都を見限りかねない問題』そのものでもあった。


 すなわち――ダンジョン〈ゴウゼル〉の踏破承認事故について。


「おまえが向こう行ってる間に、こっちもいろいろ進んだぜ」

「……〈ゴウゼル〉の件ですか」


 アンゼの声音がかすかに真剣味を帯びる。〈白亜〉は「ああ」と頷き、


「そこの踏破承認をした冒険者が元凶だ。随分と手間かけさせてくれやがって、結局〈福禍ふっか〉に手伝ってもらう羽目になっちまった」

「それは……」


 アンゼはわずかに驚き、言葉を選ぶように、


「その、大丈夫だったのですか? 〈福禍ふっか〉さまの御力が必要になるなんて、いったい……」

「ああ、手間がかかったってだけで別に危険があったわけじゃねえよ」

「〈福禍ふっか〉さまも、よく協力してくださいましたね?」

「めんどくさーとか、だるーとかぶつくさ言ってたけど、なんだかんだな」


 〈白亜〉は苦笑、


「〈福禍ふっか〉も〈星眼せいがん〉も、死神倒した剣豪様のことは気になるらしいぜ」

「まあっ」

「大変だなーウォルカ様、聖女全員から目ェつけられちまった。もう逃げられないぞー?」


 半分冗談であり、半分は本気である。


 アンゼはご存じのとおり、聖女の職務すら放り出しかねないほどウォルカに執着しているし。

 〈白亜〉も本日をもって、ウォルカおよびそのパーティは末永く聖都で暮らしてもらうべきだと確定したし。

 この場にはいないが〈星眼せいがん〉も〈福禍ふっか〉も、聖都の利になる優良な人材をわざわざ手放す理由はないと思っている。


 死神すら打ち破った不世出の冒険者と、その冒険者が片目片足を失うことになってしまった大事故の元凶。

 天秤がどう傾くかは、もはや論じるにも及ばない。


「ともかく……。ウォルカ様から愛想尽かされないように、おれらがきっちりケジメつけねえとな」

「……」

「連中の身柄は押さえてあるから、近いうちに〈審判〉するぞ。落ち着いたら報告書読んどきな」

「――わかりました」


 悪い芽は、摘まねばならない。

 神の化身とも謳われる四人の聖女が一堂に会する時は――そう遠くない。






 /


「……そういえば〈白亜〉さま、聞いてください!」

「なんだよ、せっかく真面目な空気だったのに。おまえの土産話ならあとでって」

「わたくし、〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の後援者パトロンになりました!」

「……んぁ? あー、えっとなんだっけそれ」

「平たく申し上げますと……ウォルカさまのパーティに入れていただけました!」

「へー、すげえじゃんそりゃあよかっ――は?」

「ウォルカさまと同じパーティになれるなんて、夢のようですっ……」

「あ? ……え? は? いやおまっ、聖女がなにやって――冒険者パーティに入った? 聖女が? は??」

「わたくし、これからがんばりますっ」

「……………………あー、夕日がまぶしいなー。あははは」


 〈白亜〉は現実逃避をした。おそときれい。


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