30.『原作フラグ』

 南方聖都〈グランフローゼ〉は、巨大な入り江のように南北で分かたれた我らが国の、文字通り南方でもっとも栄える水と運河の都市である。


 〈聖導教会クリスクレス〉の大聖堂が位置する海沿いの街『聖廷街せいていがい』を中心に運河が張り巡らされ、水運が人々の生活に当たり前の存在として溶け込んでいる。聖都の人々にとって一番慣れ親しんだ乗り物は馬車ではなく船であり、ここでは概ねどこにいても、小船が運河を切る涼しいさざなみの音を聞くことができる。

 人の手で築くには何十年もかかるであろうこれら広大な運河は、古の時代、この地に聖都の礎を築いた初代の聖女が神の御業にてもたらしたものであり、我々が目にすることのできるもっとも身近な奇蹟であると大聖堂ではもっぱらのご高説だ。


 俺たち〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉が現在の拠点とするホームタウンに、ようやく帰ってきたのである。


「んぐぅ……うぁー、やっと着いたのぉー……」


 師匠が、馬車の長旅で凝り固まった体を伸ばしながらぐったりとため息をついた。

 ロッシュと一緒に御者をやってくれたアトリを除いて、女性陣はみんなだいぶお疲れの様子だ。サスペンションが悪かったせいか、それとも単純に席の質の問題か、正直乗り心地のいい馬車ではなかったので俺も少々腰が痛い。


 とはいえ、いつどこで魔物や悪党に襲われるかわからない外の旅が終わったのに違いはなく、ルエリィや〈森羅巡遊シークロア〉の少女二人の顔には、疲労よりも安堵の色が強くにじんでいた。


「ここまで来れば、もう安心していいだろう。聖都の騎士はみんな強いから」

「……はい」


 俺が言うと、ルエリィは小さな笑顔を浮かべて応えてくれた。


 俺が口下手なのもあってあまり会話はできなかったが、ルエリィともほんの少しくらいは打ち解けられた……と思う。まあルエリィの方はまだ若干距離を量りかねている様子なので、俺が勝手に仲良くなった気でいるだけかもしれないけれど……「勘違いするな」とか「悪党を気取るな」とか散々偉そうに説教垂れてしまったのを考えれば、ちゃんと口を利いてもらえるだけルエリィの優しさに感謝だろう。


 〈森羅巡遊シークロア〉の少女二人も、氷のようだった肌の色に多少なりとも生気が戻って、簡単な受け答えであれば可能な程度には回復してきている。ただそれでも、完全に立ち直るまではまだまだ長い時間が必要となるだろう。世界でも有数の治安を誇るという聖都でなら、平穏の中でゆっくりと傷を癒していけることを願う他ない。


 さて、これで長かった旅もようやく――と言いたいところだが、実は肩の荷をすべて下ろすにはまだ少しばかり気が早かったりする。


 北方王都〈アイゼンヴィスタ〉と並んでこの国の双璧となる都市なので、一言で聖都といってもまあ広いのだ。現在俺たちがいるのは、聖都の南端の砦を越えた先にある通称『南遊楽街』。聖都のもっとも外縁に位置し、小規模ながらも旅人向けの宿屋や娯楽施設が居並ぶ賑やかな街である。ちなみに西遊楽街と東遊楽街もある。


 ここから馬車で聖廷街せいていがいまで行くためには、緑豊かな農業区域が広がる『豊穣街』や、商いの中心地区である『商興街』を通りながら、右へ左へ行ったり来たりしてあちこちの橋を渡っていく必要がある。たくさんの運河が都中に張り巡らされている都合、聖都ではどうしても陸路の移動が回り道になってしまうのだ。


 俺たちの拠点は聖廷街せいていがいにある。引き続き馬車でガタガタ揺られては、到着する頃には日が暮れるし師匠たちの体もバッキバキになってしまうのだろう。


 よってここからは船に乗り換えるのが、聖都で暮らす人々の知恵である。ロッシュが馬たちの労を撫でて労いながら、


「さて、僕は一旦ここまでだ。君たちは先に船で行くといい」

「いいのか?」

「きっと待たせてしまうだろうさ、〈ならず者ラフィアン〉の件も報告しないといけないから」


 砦にほど近いのもあって、この遊楽街にはトラブル対処や警邏けいらを担当する騎士たちの駐在所が存在している。スタッフィオらと同じ一味が他にもこの国で暗躍している可能性を否定できない以上、情報共有は極めて重要だろう。真面目に仕事するじゃねえかこいつ。


「馬車は、このまま僕が引き取って構わないかい? 騎士隊も物資不足でね」

「ああ、助かる」


 しかも、俺たちでは扱いに困る馬車をさりげなく引き取ってくれるイケメンムーブ。なんだこいつイケメンか? イケメンだったわ……。


「〈ならず者ラフィアン〉の掃滅に〈摘命者グリムリーパー〉の討伐。数日中に、大聖堂から褒賞があると思っておいてくれたまえ」

「うげ……断っていいか?」

「駄目だとも。信賞必罰が聖都の原則だからね」


 褒賞ねえ……。人を殺して褒められてもなにひとつ嬉しくないし、〈摘命者グリムリーパー〉に至ってはどうやって倒したのかすら記憶が飛んでいるのに。


 けど、ここは素直にもらっておいた方がいいのかもな。高性能な義足を作るならそれ相応の大金が必要になるはずだし、そうでなくともまだまだみんなに苦労をかける生活が続くのだ。貯えがあるに越したことないだろう。


「ではまた会おう! 僕を思って泣かないでおくれよっ!」

「さっさと行け」


 ロッシュの軽口に軽口を返しながら、俺は吐息して。


「まあ……ありがとう。おまえがいてくれて助かったよ」

「……おや」


 思えば、こいつにもだいぶ助けられちまったな。えーと……まずは〈ならず者ラフィアン〉の連中を三分の一ほど引きつけて一網打尽にしてくれただろ。あと遺跡では息をするように先頭で俺たちを守ってくれてたし、野営のときも必ず一番遅くまで起きていた。更にはここまで御者の役目を買って出て馬車を動かしてくれた挙句、俺に至っては大変耳が痛い助言まで……こ、このイケメンがよぉ……。


 なんというか、一歩引いた立ち位置からみんなをフォローする引率者みたいなポジションだったと思う。

 本当に、キザでやかましいのに目をつむれば高スペックの塊なんだよなこいつは。天はイケメンに二物も三物も与えるのだ。これが男の格差社会か……。


 しかし、友人として心底頼もしかったのはたしかである。ロッシュは意外そうに目を丸くしてからすぐに微笑み、


「ふふ、どういたしまして。ゆめゆめ、その素直な心を忘れないことだ」

「へーへー」

「ではまた会おう! 僕を思って泣かないでおくれよっ!」


 さっきも聞いたわさっさと行け。

 はっはっはっは! と最後までナルシシズム漂う背中と別れ、俺たちは最寄りの船着き場に向かった。シアリィが未だ目を覚ましていないため、一番力持ちなアトリに運んでもらうわけだが、


「ウォルカ……」

「ん?」


 シアリィを軽々お姫様抱っこしたアトリは、なにやらとてつもなく哀愁漂う面持ちをしていて、


「……………………船、やだ」

「……」


 アトリは、船が大嫌いである。

 それはもう、『超』を付けてもいいくらい本当にダメ。たとえば聖都の北側は海に面した港となっているが、あそこから船で王都に向かう依頼をもし師匠が持ってきたら、アトリは顔面蒼白の涙目で必死に命乞いを始めるだろう。

 ルエリィが首を傾げて、


「アトリさん、船が苦手なのですか?」

「……よくも人類は水の上を移動しようなんて愚かなことを考えたと思う」

「そ、そこまで……」


 別にカナヅチではない――むしろ泳ぎは相当上手い――のだが、どうも船だと体調を崩しやすいらしく。以前なにかの依頼でどうしても船に乗らざるを得なかったときは、ものの数分で具合が悪くなってずっとユリティアにくっついてめそめそしてたっけ。

 かの〈アルスヴァレムの民〉といえども、人間である以上やはり嫌いのひとつやふたつはあるものなのだ。


「師匠、出番だ」

「おいコラ!」


 アトリがダメなのは主に大きい船であり、聖都の運河を行き交う小船であればなんとか大丈夫なはずなのだが、精神の奥底まで染みついてしまった苦手意識をその程度の理屈で払拭できれば誰も苦労しないわけで。


 誰かにくっついて精神安定を図るのであれば、膝の上でだっこできる師匠がちょうどいいだろう。師匠がすかさずぷんすか怒るも、


「ありがとうリゼル……」

「ま、待て、わしはいいとは一言も……ひ、一言もぉ!」


 せっかくここまでみんな一緒に帰ってきたのに、最後の最後でアトリだけ歩いて帰れというのもな。ここは師匠に尊い犠牲となってもらおう。

 師匠もなんだかんだ、アトリならだっこされても嫌ではないだろうから。




 /


 自分で言うのもなんだが、俺たちのパーティは聖都でもそこそこ名が知れていたりする。


 聖都ほどの都市となればAランクの冒険者自体は珍しくないが、その点ウチは面子が話題性抜群だ。良くも悪くもちっちゃくてかわいい師匠、可憐な容姿からは想像もできない剣技で度肝を抜くユリティア、エキゾチックな装いで人目を引きつけるアトリ。俺もまあ、謎の剣術を使う変人枠としてまったく無名なわけではないらしい。変人は遺憾だが。


 つまるところ、船着き場で俺たちを迎えてくれた女船頭は、どうやら〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉を知っていたらしい。


「おや、あんたら――」


 一瞬笑顔を浮かべかけ、すぐ口を噤む。俺の眼帯と義足、アトリに抱えられるシアリィ、そして未だ目の隈が消えきらない〈森羅巡遊シークロア〉の二人を順に見ると、ただ静かな表情で、


「……そっか。よしわかった、駄賃はいいから乗ってきな」

「いや、それは……」

「いいのいいの、気にしなさんな。――よく帰ってきたね」


 日頃からこの運河で何人もの冒険者を運んでいるからか、ひと目見ただけでだいたいの事情を察してくれたようだ。タダで乗せてもらうのは気が引けたが、変にいろいろ訊いてこようとしない節度ある振る舞いは好感が持てた。


「その子は……悪いけど足元に寝かせるしかないね。ちょっと待ってな」


 更に女船頭はシアリィのために、大きなブランケットを何枚も引っ張ってきて、船床に寝かせられる場所まで作ってくれた。ルエリィがすっかり恐縮して、


「あ、ありがとうございます……!」

「どういたしまして。この聖都に来たからには、もう安全だからね」


 義足の俺はもちろん、〈森羅巡遊シークロア〉の二人が乗るときにも頼もしく手を貸してあげるなど、大変気っぷがよくて面倒見のいい船頭さんであった。


 聖都の運河を行き交う船は、どれも数人~十人程度の客を運ぶ小さなものが大半である。端的にはボートと呼んでもいいだろう。

 なんだったか……名前は忘れてしまったが、前世でもどこか外国にこういう運河と小船の都市があったはずだから、きっとそこが聖都のモチーフになったんだろうな。


 ただし聖都の船には、この世界ならではともいえる独自の特徴がひとつだけ備わっている。

 魔石を動力源にして推進力を得る、ある種のエンジンともいえる機構が組み込まれているのだ。速度は馬車より多少速い程度なものの、お陰で船頭は汗水垂らしてオールを掻き回す必要がなく、鼻歌をのんびり歌いながら進行方向に気をつけるだけでよい。


 この世界、基本的な文明レベルはよくあるファンタジー水準なのだが、近世ではこういった魔導具が都市部の生活をより豊かに変化させつつある。

 とりわけこの船のような魔石を動力源にして動く技術は、魔法の素養を必要としないため誰にでも扱いやすく、人々の生活に浸透しやすい。だから魔物を倒して魔石を得ることができる冒険者や騎士は、人類を支えるエッセンシャルワーカーとして近年ますます存在価値を高めているわけだな。


 閑話休題、船が出発する。


 席は俺の右隣がアトリ――と、その膝の上でだっこされてぐぬぬとしている師匠。左がアンゼで、向かいがユリティアとルエリィと〈森羅巡遊シークロア〉の二人、そして足元にはシアリィだ。……乗せられる場所がここしかないから仕方ないとはいえ、蹴飛ばさないように気をつけないとな。せっかく打ち解けつつあるルエリィに嫌われてしまう。


 遊楽街を越え、豊穣街ののどかな原風景で目と心を休ませつつ、俺たちの世間話も自然と船を降りてからの話題に切り替わっていく。


 アンゼが「後援者パトロンのわたくしにすべてお任せください!」とやる気満々で申し出てくれたため、ルエリィたちについてはこのまま大聖堂で療養させてもらえることになった。


 実際、俺たちでは教会に任せるしかできないのでとても助かる話である。本当にアンゼって、俺たちパーティにできない穴をピタリと埋めてくれる逸材だったんだなぁ……。そんなニュアンスのことを素直に伝えてみたら、アンゼはなんかもうこれ以上ないほど嬉しそうで、あたり一面が天から降り注ぐ光で浄化されるかのようだった。うーんクソデカ感情。


 俺たちに関していえば、まずは聖廷街せいていがいで借りている宿に戻って、知人らに無事を報告するところからだな。

 ……まあ俺の傷を果たして無事といっていいのかは疑問だが、ともかく生きて帰ってきたということで。重苦しい反応をさせてしまいそうで気乗りはしないものの、かといって黙っているわけにもいかないだろう。


 それが終わったら……当面は日常生活を通してリハビリに励みつつ、アンゼに助けてもらいながら新しい義足を探して、一歩ずつ社会復帰を目指していくことになるんだろうな。


「ところで、ウォルカさま」


 ちょうど、アンゼも似たようなことを考えていたらしい。


「ウォルカさまの、新しい義足についてなのですが……少し、お話を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ」


 俺の義足と聞いて、師匠たちがやおら真剣な様子で居住まいを正した。それを見たルエリィが、やや遅れてから慌ててピンと背筋を伸ばす。いや、君はそんな畏まらなくていいんだぞ。

 ありがとうございます、とアンゼは言葉を置いて、


「お約束の通り、今の聖都で手配できる最高級の義足をお探しするつもりです。ですが、気になることもありまして……」


 俺は目で先を促す。対してアンゼは、やや思案げな表情。


「ウォルカさまの『抜刀術』……あれほどの瞬間的、爆発的な〈身体強化ストレングス〉を伴う戦闘で使用するのは、現在普及しているどの義足でも想定されていないかもしれません。最高クラスの義足で、いったいどれほどウォルカさまの剣術に耐えられるのか……」

「……」


 それは俺も気になってはいた。並の義足を一発で壊してしまうほどの負荷。今後一生使い続けることになるものである以上、数ヶ月程度でガタが出て、修理だの買い替えだのとなるようではちょっと厳しい。できれば年単位で持ってほしいところだろう。

 それに、とアンゼは続ける。


「質のよい義足は、その人のお体にきちんと合うようサイズを測ってから精密に作ります。ですので、たとえば成長によって身長が伸びた場合などは……」

「……あ」


 アンゼに言われて、そのとき俺もはじめて思い至った。


 ああそっか、それは完全に盲点だったなあ……。たしかに身長が伸びたり足の筋肉量が変わったりすると、義足のサイズも合わなくなってしまう。日常生活を送るだけならいざ知らず、剣士として再起を目指すのであれば、サイズが合わない義足を無理に使い続けるのは……まあ現実的でないことくらいは俺でも容易に想像がつく。


「ウォルカさまは十七歳ですから、まだ身長が伸びる可能性は充分にあると思います」


 十七歳なら成長期はほぼ終わりといえる頃だが、かといってもう身長が伸びないだろうと断言できる歳でもない。……ん? つまり最高クラスの義足が俺の抜刀術に耐えうるものだったとしても、どのみちまた高い金を払って調整やら買い替えやらって話になるのか?


 あれ? これってもしかして……俺が想像してるよりだいぶエグい金がかかるやつ?


「なのでわたくし、ひとつ考えていることがあるのです。……今はまだ、ただ思い描いているだけに過ぎないのですが……」

「……聞かせてくれないか」


 俺はすぐさまそう答えていた。仮に俺のこの悪い予感が当たっているとして、師匠たちならお金くらいどうとでもすると二つ返事で言ってくれる――いや、言ってしまうだろう。なんなら、アンゼもわたくしが全額負担するとか言い出す可能性がある。


 それはなんというか……「ありがとう助かるよ」とはいかないだろ! 生活面はともかく、金銭面はさすがにもっとちゃんとしないとダメだろ! これ以上女の子の財布に寄生するなど、俺の胃がメタメタになってしまう……!


 なので俺は、藁にも縋る思いでアンゼの『考え』とやらを待った。頼むから、「費用は教会が全額負担いたします!」とか笑顔で言わないでくれよ? 勝手にそんなこと決めたら聖女様から怒られるからな?


「ウォルカさまは、王都の〈魔導律機構マギステリカ〉をご存じですか?」

「あ、ああ……」


 ――幸いそういう話ではなさそうで俺は一安心した。

 〈魔導律機構マギステリカ〉、もちろん知っている。一応俺は王都の出身だし、両親がそこで学者をやっていたらしいし、師匠も昔に少しだけ在籍していた時期があったみたいだからな。世界最高峰の魔法研究機関であり、現在世に普及している魔導具のほぼすべてを生み出した功績は、曰く人類の発展を一世紀近く早めたと――


 ――いや、ちょっと待て。


「そこに、とある高名な賢者の方がおられます。彼女なら、ウォルカさまのお体の問題を……よりよい形で解決することができるかもしれません」


 アンゼはあえて、はっきりとは言わなかったけれど。

 その言葉の奥にはかすかながら、という淡い希望が込められている気がして――

 

 そのとき俺の脳裏で、砂場に指で書かれたようにおぼろげな原作知識が甦る。


 そういえば、原作に。

 主人公が嫌々関わることになっていた、王都編のメインキャラで。

 ができてもおかしくないような少女が、一人だけいたのではなかったか。


「その方は――」


 名前は、たしか。

 たしか、エル……エル――

 


「〈魔導律機構マギステリカ〉の現技術研究統括にして、最高意思決定機関〈七花法典セブンズ〉が一人。

 ――〈創生の法典〉エルフィエッテさまです」



 ああそうそう、たしかそんな名前だったな。メスガキ……とは違うかもしれないが、『うちがかの大天才美少女、〈創生の法典〉エルフィエッテ様だぞ☆』みたいなノリで自己紹介していた、言っちゃあなんだがちょっとチョロインっぽい雰囲気があるキャラだったはずで…………


 …………いや思いっきり原作キャラぁ!!


「……そ、そうか、そんな人がいるのか。すごい肩書だな」

「そうですね。王都は聖都と違って身分による格差が強く、こういった地位や肩書が非常に重視されますから……」


 そんな当たり障りのない返事をしながら、俺は内心ガクガク痙攣する勢いで動揺しまくっていた。冷静でいられるわけがなかった。


 だってもしアンゼの提案を受け入れるならば、それすなわちということである。


 しかも彼女って、原作の中でも割と頭のネジがおかしい側の一人として描かれてなかったっけ? こう、人類の発展のためならヤバい人体実験もどんどんやっちゃおー! みたいな倫理観ゆるふわキャラだった気が。お陰で原作主人公からも大層嫌われて、ヒロイン格なのに面と向かっての会話すら拒絶されていたような……。


 あ、アンゼさん? そんなやつの名前がどうして君の口から……ちょっと待ってくれ、展開がいきなりすぎて頭が追いつかない。いやいやこんな形で原作キャラの名前を聞くことになるなんて予想できるか。ああそうだよな、この世界で生きていくんだったら『原作』と関わってしまう可能性だって当然あるよな……! 自分たちのこれからを考えるだけでいっぱいいっぱいだったから、その思考が完全に頭から抜け落ちてしまっていた。


 こ、これって頼めばいいのか? それとも断ればいいのか? どう考えても関わったらロクなことにならない。なんだったら、原作でモブキャラだった俺にとっては死亡フラグもいいところだろう。

 だがたしかに、神聖魔法でも手の施しようがない俺の体をなんとかできる人物がいるとするなら、彼女の名前が出てくるのは一理あるのかもしれないとも――


「――だめじゃ」


 師匠だった。かつて一時期だけ〈魔導律機構マギステリカ〉に在籍していたことがある師匠は、魔法に対する価値観の違いから袂を分かち、現在でも名前を聞くたびしかめ面になるほどあの組織を毛嫌いしている。


 しかして、最年長の威厳たっぷりに低い声音で待ったをかけた師匠は、


「……だめ!! ぜったいだめ!!」


 あろうことか、次の瞬間にはアトリの膝の上でじたばた暴れる幼女モードになって、


「あのクソボケエルフィを頼るなんて、ぜったいぜったいだぁーめぇーっ!!」


 く、クソボケ?

 ……え、師匠、もしかしてあいつと知り合いなのか? あの倫理観ゆるふわなやべー賢者と? いや、〈魔導律機構マギステリカ〉にいたことがある師匠なら面識があってもおかしくないかもしれないけど、それっていったい何十年前の話だと思って――


 おい! だから頭が追いつかないって!!




 /


「――ふえっぷしょーいっ!」


 その頃くだんの〈魔導律機構マギステリカ〉では、お世辞にも乙女らしからぬだいぶ気合の入った少女のくしゃみが走り抜けていた。


 よくありがちな異世界ファンタジーもの、というにはいささか不釣り合いな、よく言えば近代的で清潔感があり、悪く言えばのっぺりとして無機質な印象を与える乳白色の一室にて、魔法陣型の術式をいくつも空中展開していじくり回している少女が一人。

 少女はすんっと鼻をすすって、


「うー、誰かうちの噂でもしてるのかなぁ? ……ま、うちって大天才美少女だし噂されちゃうのもしょうがないか!」


 などと、随分と自信過剰な独り言を言っている。


 一見は、いかにも『身だしなみに無頓着な研究者』然とした少女である。背中までかかる髪は毛流れが揃わずくしゃっとした上に、あちこちハネまでくっついていて、普段から手入れなどまったく気にしていないマイペースな一面が窺える。のんびりした目つきとルーズな口元、そして裾を引きずりそうなくらいサイズの合っていない皺くちゃな白衣に、わざと両腕の半分までしか袖を通していない姿がそんな印象に拍車をかける。


 しかし根本が白、毛先が翡翠色エメラルドグリーンとグラデーションで変化していく髪の色合いはなかなか神秘的で、俗世を断って魔法を究めんとする求道者といわれればなるほどそういう風にも見えてくる。化粧っ気のない純朴な目鼻立ちは充分に整った器量であるといえ、一応は美少女などと自惚れるだけのことはあるらしい。


 見た目はおよそ十代の半ばで、背丈は平均よりやや低いくらいだろうか。るんたったーるんたったー、と少女はご機嫌な鼻歌を歌いながら、


「んー、今回はどの実験にしよっかなぁ〜……せっかく新鮮な実験台が手に入ったんだし、普段はヤバくてできないのがいいよね! いっぱい殺しても問題ないない~☆」


 倫理観がだいぶゆるふわで物騒な台詞を、まるで夕飯の献立を考えるような調子で口走っている。それと同時に、後方で軽いノックとともにドアが開いた。

 入ってきたのは、きちんとサイズの合った白衣を皺ひとつなく着た〈魔導律機構マギステリカ〉の学者であり、


「エルフィエッテ様、実験台が届きました」

「お、待ってましたぁ!」


 少女――エルフィエッテは展開していた十数の術式を一瞬で消し、ぶかぶかの袖をなびかせながらくるりと振り返って、


「それじゃあ、尊い犠牲となるモルモットくんたちに挨拶くらいはしてあげよっか☆」

「話す価値がある相手とは思えませんが……」

「うん知ってる、うちと話す価値がある人間なんてほとんどいないし。ま、モルモットに身の程をわからせてあげるだけだよ」


 左様で、と学者は短くそう返した。

 エルフィエッテは「ばーん☆」と部屋を飛び出し、両腕を広げ、乳白色に伸びる廊下をまるで幼子のような駆け足で走っていく。やれやれ調子で後を追う学者の姿が曲がり角で見えなくなった頃、エルフィエッテが足を止めたドアのプレートには『第四実験室』と書かれている。


 ドアは自動で開いた。中にはやはり白衣に袖を通した〈魔導律機構マギステリカ〉の学者がもう一人いて、エルフィエッテの入室と同時に淀みなく書き物の手を止めると、


「お疲れ様です、エルフィエッテ様」

「おつかれー! モルモットを見に来たよ〜」


 そう広い実験室ではない。壁から壁まで大きく十歩もあれば足りる程度の空間に、謎の赤い液体が入った巨大フラスコ、怪しい魔法陣が描かれた分厚い魔導書、様々な魔物の素材を集めた瓶詰め、その他魔法の研究で使用する各種薬品や実験器具等々が精緻に並べられている。


 しかし、空間はもうひとつあった。

 堅牢な壁と耐衝撃ガラスで仕切られた向こう側に、この部屋四つ分ほどの更なる空間が続いており、そこに等間隔で『実験台』が並べられていた。エルフィエッテはそれらをひと通り眺めると待ちきれない様子で、


「うんうん、どれも活きがよさそう! ちょっと挨拶してくるね~」

「おや、珍しいですね。無用とは思いますが一応、お気をつけて」

「あはっ、それは本当に無用な心配ってやつだね☆」


 学者の一人にそう答え、扉に手をかざして魔力の波長でロックを解除。軽やかなステップでその空間へ足を踏み入れ、開口一番、


「やっほー、はじめまして〈ならず者ラフィアン〉の諸君。ご機嫌いかがかなぁ?」


 実験台とは、すなわち〈ならず者ラフィアン〉であった。

 等間隔で配置された十の椅子に、十の男たちが両手両足を縛られ拘束されていた。頭目と思しき男が歯を剥いて吠える、


「おい、どこだここは! 誰なんだてめえらはっ!?」

「あはっ、元気そうでなによりなにより。実験台は鮮度が命だからね~」

「じっ……実験台だァ!?」


 ただでさえ顔色のよくなかった〈ならず者ラフィアン〉たちが、一層青白くなって口々にざわめき出す。その反応にエルフィエッテはにんまりと笑みを濃くして、


「きみの質問に答えてあげるとぉ……うちがかの大天才美少女! 〈、〈創生の法典〉エルフィエッテ様だよ☆ で、ここはうちの実験室ね~」

「――エル、」

「んぅ? おやおや、ひょっとして名前くらいは聞いたことある感じかなぁ? いやー、よその国の掃き溜め連中にも名が知れてるなんて、さすがうちだなーっ。ま、大天才美少女だし当たり前か!」


 頭目が絶句した理由は、エルフィエッテの自惚れが半分正解で半分はずれといったところだろう。


 無論〈創生の法典〉エルフィエッテの名は、現在世に普及している魔導具の優に半数近くを生み出した天才として国外まで轟いている。しかし同時に、エルフィエッテがはじめて魔導具を発表したのは今から六十年以上を遡る話であり、正体は年老いた聡明なる魔女であろうと国外ではもっぱら噂されていた。


 だというのに目の前でエルフィエッテと名乗った少女は、どんなに高く見積もったって二十にすら見えない。これがなんらかの魔法で作り出された幻影でないとするのなら、果たして彼女が本当に人間なのかどうかも疑わしくなってくる。


 加えるなら言動が無邪気な子どもそのもので、天才の名に見合う英知を持っているようにだって到底見えない。噂で語られる人物像と目の前の光景があまりに乖離しすぎている、ゆえの絶句。


 十人の中の誰かが、震える声で問うた。


「てめえ、俺たちをどうするつもりだ……」

「ん? 逆に訊くけど、どうするって思ってるのかなぁ?」


 エルフィエッテはわざとらしく小首を傾げ、あくまで笑顔を絶やさずに、


「王都の将来有望な冒険者パーティを三つも手にかけて、男を皆殺し、女を散々なぶった挙句に売り飛ばそうとしたわる~いやつらに待ってる末路はなーんだ?」

「っ……」


 これはエルフィエッテも知る由のないことであるが、この〈ならず者ラフィアン〉の連中は、先日ウォルカたちが討ったスタッフィオ一味と出所を同じくする異国の集団である。スタッフィオらとは別のルートでこの国に侵入し、王都郊外の街々で冒険者をターゲットに似たような悪事を働いていた。


 ただスタッフィオらと比べるといささか犯行が目立ちすぎたため、王都の騎士団である〈王下騎士団ロイヤルナイツ〉が動いてあえなく全員捕縛と相成ったわけだ。


 エルフィエッテの目の前に並んでいるのは、その三分の一である。

 残り三分の二もそれぞれ別の〈七花法典セブンズ〉の下へ送られ、もはや万策尽きて処断の時を待つばかりとなっている。


「でもね、うちはこれでも感謝してるんだよぉ?」


 エルフィエッテは言う。無邪気なままで、


「きみらみたいなどうしようもないクズがいてくれるお陰で、ちょっと表沙汰にはできないあーんな実験やこーんな実験ができるんだからねっ。ありがとね、死ぬまで弄り倒せる最高のモルモットくん!」


 あくまで明るく、あくまで裏表なく、


「あ、これでもきみらは運がよかったんだよ? きみらの何人かが三席くんのところに連れてかれてるんだけど、そいつらきっと、生まれたことを本気で後悔しながら死ぬと思うな~。『悪人は己が犯した罪のすべてを最期の瞬間まで悔い改めながら死ぬべきだ』ってのがあの正義オバケの考えだからねぇ。お~こわいこわい」


 まるで、これから楽しい遊びへ招待してあげるかのように、


「うちは慈悲深くて優しいからそんなひどいことはしないよ! 無駄なところが出ないように、髪の一本から爪のひとかけらまでぜーんぶ有効活用してあげる!」

「ふっ……ふざけんなッ!!」


 ここまで言われれば、エルフィエッテがなにをしようとしているのかは学の浅い〈ならず者ラフィアン〉でも理解できた。正気を取り戻した頭目が叫ぶ、


「さっきから実験台だのモルモットだのッ……なんの権利があってそんなことしようとしてる!?」

「じゃあきみらは、いったいなんの権利があって冒険者の子たちを襲ったのかなぁ。ねえ、教えてよ。なんの権利?」


 二の句も継げない。


「それに、うちは権利なら持ってるんだな~これが。うちらが黒っていえば白も黒になるし、白っていえば黒でも白にできる――それが最高意思決定機関〈七花法典セブンズ〉だからね」

「――、」

「まあつまり、うちの言うことには誰も逆らえないのだ☆」


 茶目っ気のあるポーズを取りながら、エルフィエッテは最後まで笑っていた。

 笑って、言うのだ。


「――どうせゴミみたいな命なんだし、世界の発展にちょっとでも役立ててあげるうちって優しいよね?」


 ――そこから先の〈ならず者ラフィアン〉の言葉は、人語の形を保っているとはいえなかった。

 怒号、怨嗟、懺悔、恐怖、絶望、あらゆる負の叫びが意味をなさずに渦巻く坩堝るつぼの中で、


「あはっ、もぉーほんとに元気なんだから~。……よし決めた! じゃあ最初の実験はぁ――」


 エルフィエッテただ一人だけが、心の底から楽しそうに笑い続けていた。


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