27. 想いⅠ

 拠点に残された〈ならず者ラフィアン〉の荷物の整理や、遺体の処理が終わる頃にはすっかり日が沈んでしまっていた。


 この世界において、街の外で命を落とした冒険者や〈ならず者ラフィアン〉に関しては、極力遺品の回収をした上で『大地に還す』のがおおむね通例となっているらしい。神聖魔法の中にそういった埋葬用の術があって、仏と出くわす機会も多い冒険者のために教会から〈紙片スクロール〉が配布されているのだ。


 最悪は野晒しでも、遺体は魔物が食べて食物連鎖の流れに還ってゆく。ただ魔物の瘴気とやらに当てられて死体がアンデッド化する危険がある他、小鬼ゴブリン大鬼オークなどは装備やアイテムを奪って力をつけてしまうので、埋葬の手段がなくとも遺品の回収だけは行うことが強く推奨されている。実際、冒険者の遺体から装備を奪った魔物によって更に冒険者が――というケースは後を絶たないようだ。


「先の戦いでは守っていただくだけでしたから、わたくしにお任せください!」


 そう屈託なく言って、〈ならず者ラフィアン〉の埋葬はすべてアンゼが引き受けてくれた。二十を超える遺体ともなれば冒険者であっても顔をしかめるのに、普段となにひとつ変わらず振る舞えるアンゼの肝っ玉には恐れ入る。


「彼らが冥府にて罪を償い、再び人として生を受けることを許されたならば。どうかそのときは、彼らに清き魂があらんことを……」

「……そうだな」


 明らかに西洋をモチーフとした世界なのに、輪廻転生らしき概念がさも当然のようにシスターの口から出てくるのはなんちゃってファンタジーらしい。

 だが俺も、そうであればよいと思う。こいつらがルエリィたちにやったことは許すに値しない。しかしそれでも、地獄で未来永劫責め苦を味わい続ければいいとつばする気にはなれなかった。


 かくして、〈天巡る風ウインドミル〉を取り巻く事件はひとまずの終結を迎える。


 ただ――助け出したAランクの少女二人については、精神的な傷が深いためか、無抵抗かつ無気力なままでほとんど会話もできず、精々わかったのはパーティ名が〈森羅巡遊シークロア〉ということだけ。


 そしてシアリィも命に別状こそないものの、ルエリィの呼びかけに応えることはなく、未だ意識を閉ざし続けている。




 /


「ウォルカ、絶対に無茶はダメじゃからなっ……すぐ戻ってくるから、火傷に気をつけるのじゃぞ!」

「ああ。師匠も気をつけて」


 幸いほど近くに泉があったので、俺たちは速やかに野営の準備を始めた。師匠が周囲へ結界を張りに行き、ユリティアとアトリがテントの設営、アンゼは助け出した少女らの介抱をし、ロッシュは〈ならず者ラフィアン〉の狩場で置きっぱなしになっていた馬車の回収と、各々役割分担してテキパキと作業を進めていく。


 俺の担当は、枯れ枝を集めて火起こしと夕飯の下準備である。

 ただ今しがた師匠から口酸っぱく釘を刺されたとおり、俺の作業に関しては少々ひと悶着があった。遺跡で腕を怪我したのが相当なマイナス評価になってしまったらしく、もうなにもしないでじっとしてなさい! とみんなから大反対されてしまったのだ。だ、だからあれは不可抗力でぇ……。


 しかし、みんなに働かせて俺だけ左団扇では居心地も悪い。しかして「それくらいならまあ……」と渋々了承してもらえたのが、火起こしと夕食の支度だったわけだ。


「先輩、お夕飯はわたしも一緒に作りますから! ぜんぶ一人でやろうとしないでくださいね! 待っててくださいっ!」

「あ、ああ」


 ユリティアがアトリと協力し、ものすごい速さでテントをバカスカ組み上げていく。現在俺たちはルエリィとシアリィ、そして助け出した〈森羅巡遊シークロア〉の二人を加えて十人もの大所帯となっているため、テントも持っているだけフル投入して――いや二人とも〈身体強化ストレングス〉使ってない? いくらなんでも手際がよすぎるだろ、もう一張り組み終わってるんだけど。

 俺にこれ以上余計な真似はさせまいという気迫がひしひしと伝わってくる。せ、せめて火起こしだけでもやらせてくれ……!


 というわけで、拾った分に加えて一部伸び切った枝も切らせてもらって、ちゃっちゃと火起こしを始める。それっぽく石と枝を組み、炎の魔法で着火。なんだか、〈身体強化ストレングス〉以外の魔法を使うのも随分と久し振りな気がした。


「やあウォルカ。ちゃんと大人しくしているかい?」

「ああ、ロッシュ……」


 火の勢いが安定し、そろそろ調理道具を〈保管庫ストレージ〉から出そうかという頃合いで、馬車を回収し終えたロッシュが心なしか愉快げに戻ってきた。俺は「なにか手伝うか?」と問うてみるも、


「いいや、大丈夫だとも。君はそこで思う存分、見ていることしかできないもどかしさに身悶えしているといい」

「心配しすぎだ……俺も少しくらい、」

「君がシアリィ嬢に襲われたとき、リゼル嬢とアンゼの気持ちはその比ではなかったのだよ」


 ――なにも言えなくなった。

 ロッシュは俺の隣に片足を立てて座り、あくまで微笑を浮かべたまま、


「仲間が殺されるかもしれないのに、すぐ目の前で助けられる距離にいるのに、それでも『黙ってろ』と突き放された気持ちがこれで少しは理解できるかい?」

「……」


 ロッシュの濃い碧眼に見据えられ、気づく。……ああ、そうか。もしかしてあのとき、師匠とアンゼがあんなにも怒ったのは。

 単に、俺が怪我をしたからではなく。シアリィに殺されるかもしれない状況でなお、手を出すなと自分一人で抱え込む真似をしたから――。


「突き放すつもりなどなかったのはわかっているさ。大方、頭より先に体が動いたというんだろう?」

「まあ……」

「身を挺し行動できることは実に美しいとも。だが同時に大きな欠点でもある。考えるより先に、息をするようにああいう選択ができてしまうのはね」


 ……冷静に考えてみれば、そうかもしれない。誤解とはいえ明確な殺意でナイフを振り下ろされて、腕を裂かれて、それでも仲間の助けを拒絶して一人だけでやり通そうとするのは――いや待て。

 よくよく考えれば、? こうして思い返してみると、自分でも到底まともとは言えない判断だった気が――


「まったく、さすがの僕も思ってもいなかったよ。君にあそこまで我が強い一面があったとは」


 ぐうの音も出ねえ……。でもあのときは、俺が言わなきゃって思ったんだよなぁ。どうしてそう思ったのか、と問われれば困ってしまうけれど。ただ、そうしなければ我慢がならなかったというか。


 シアリィが死に物狂いですべてをなげうつ姿に心の底から共感し、同時に、一点の曇りもない澄みきるような怒りを覚えていた。シアリィにではなく、〈ならず者ラフィアン〉にでもなく、ああいう状況を生み出してしまう運命とも呼ぶべき忌まわしき歯車に対して。

 腕を貫くナイフなんて目に入ってもいなくて、痛みもほとんど感じていなかったと思う。

 まるで、〈摘命者グリムリーパー〉と戦ったあのときのように。


 考え込む俺を見て、ロッシュはふっと苦笑する。


「君、冒険者より騎士の方がよっぽど向いてるよ。今からでも遅くはないと思うが、どうだい? 僕が便宜を図ろう」

「いや……遠慮する」


 ロッシュに〈聖導騎士隊クリスナイツ〉へ誘われるのはこれがはじめてではない。こいつも、断られるってわかっててなんで懲りずに誘ってくるんだか。騎士なんていかにも堅苦しそうで俺の性に合わないし、〈聖導教会クリスクレス〉直下の立派な宗教団体でもあるので、その一員となって深入りするのはなんとなく抵抗があるのだ。


 俺の抜刀術も、格式と伝統を重んじる騎士にとっては、非合理的でふざけた剣術にしか見えないだろうしな。実際、ロッシュと手合わせしているときにそういう揶揄が聞こえてきたこともある。言ったやつはなぜかそのあとユリティアと手合わせすることになって、哀れなくらいボッコボコにされていたっけ。


 だが今はそれら以上に、迷わずロッシュの誘いを断るに足る大きな理由があった。


「……俺のパーティ、今、いろいろ普通じゃないだろ。俺がこんな怪我したせいで。だから、みんなには立ち直ってほしいというか……幸せに、なってほしいんだ」


 今回の一件で、自分の目指す先がより明確に、強固なビジョンになったと思う。このクソッタレな世界で、できる限りみんなと一緒にいたいと思う。もう、なにも知らず自由に旅をしていた頃には戻れないけれど。それでも、罪悪感、後悔、失意、挫折、そういう嫌なものをすべて乗り越えて、また心から笑えるようにならなければいけないと。


「――それまで、このパーティを離れる気はねえよ」


 ロッシュが呆れた目をしていた。


「……君、そういうことはちゃんと口に出して伝えてやった方がいいと思うがねえ」

「……いや、それは……は、恥ずかしい」


 クソデカため息、


「このヘタレめ」


 うるせえ! こちとらおまえみたいなコミュ強の陽キャじゃねえんだよ! 女の子相手に「幸せになってほしい」とかさらりと言えてたまるか!


「おまえだから言えるんだよ」

「……ふうん? 本心をさらけ出せるのは僕の前だけということかい? 友として、それはそれで悪い気はしないがね」


 ロッシュは満更でもなさそうに目を細めて、立ち上がり、


「だが、君はもう少し自分の心を口に出してみてもいいんじゃないかい? どうせ君、あの子たちと腹を割った話もほとんどしたことがないんだろう?」

「……」

「言葉にしなくても伝わる、なんていうのは幻想さ。相手が女性ならなおのことね。数多くのマドモアゼルと親交を持つこの僕が断言しよう」


 ……そいつはまあ、随分と説得力があることで。


「では、僕は馬を休ませてくるよ」


 背中越しで手を振って、ロッシュが馬車の方向へ歩き去っていく。まともなことを言っているのにどこかキザったらしいその背中を見送って、俺は煌々燃える焚き火の赤と、ぱちぱち小気味よく枝が爆ぜる音に意識を傾ける。


 腹を割った話、か。

 たしかに、そうするべきなのかもしれない。『息をするようにああいう選択ができてしまう』――さすがに、自覚しておいて黙ったままはないよな。じゃないと、これからもなにかあるたび自分勝手なことを繰り返して、性懲りもなく師匠たちに迷惑ばかりかけてしまう。


 俺にあんなにも我が強い一面があったというのは、指摘されてみると正直俺でも意外だった。自覚していなかっただけで、前々からそうだったのだろうか。あるいはこれも原作知識を思い出して、この世界の見え方が変わってしまった弊害なのだろうか。


 なんにせよ――師匠たちには、ちゃんと謝らないとな。




 /


 その後は、テントをひと通り張り終えて戻ってきたユリティアに夕食の支度をバトンタッチする。

 ロッシュにああもはっきり指摘されてしまったら、なんでもいいから手伝わせてくれと駄々をこねるのも身勝手な気がして、今日はもう素直にみんなを頼ろうと思った。


「その……楽しみにしてる」

「はわ――あ、はいっ! 腕によりをかけて作りますね!」


 すべて任せてもらえるとは思っていなかったのか、ユリティアは少し面食らった様子だったが、すぐにやる気いっぱいで調理を開始した。張り切りすぎて食材を捌く手がブレて見える。この子まさか、抜刀術を料理に応用して……?


「アトリー、湯を沸かすから手伝ってくれんかー?」

「ん」


 泉の近くでは師匠がアトリを呼んで、湯浴みのための水を火にかける準備を進めている。

 畔に組み上げられた一番大きなテントの中に、三~四人はまとめて入れそうな陶器製の風呂釜が出現している。ウチは四人全員が野宿でも風呂に入りたい派であるため、前にパーティの稼ぎ三ヶ月分の大金をはたいて買い付けたものだ。〈装具化アクセサライズ〉の術式が刻まれており、〈保管庫ストレージ〉の容量を食わず持ち運べるという優れモノである。


 こうして冒険者として慣れ親しんだ光景を眺めていると、ひとつの事件が終結したのだということを強く実感させられる。

 早くみんなで腹ごしらえをして、熱いくらいのお湯で汚れを落として、そうすればルエリィたちをゆっくり休ませてやれるだろう――そう、俺はすべて終わった気で呑気に考えていた。



 ――〈森羅巡遊シークロア〉の二人が、突然決壊したように慟哭を始めるまでは。



 ……いったい、なにが原因だったんだろうな。手早く野営の準備を進める俺たちの姿に、もう二度と会えない場所へ行ってしまった仲間の幻影が重なったのだろうか。それとも〈ならず者ラフィアン〉の暴行から自身を守るために閉ざしていた心が、偶然このタイミングで自然氷解して、押し込めていた感情が一気にあふれ出してしまったのだろうか。


 どうあれ、みんなで腹ごしらえなどと言っていられる状況ではなくなってしまった。

 男の俺にできることなどなにもなく、延々繰り返される自責と謝罪の叫びを……ただ背中で聞くだけだった。


「……キツいな」

「……ああ。こういうとき、男というのは無力だね」


 本当はみんなでゆっくり焚き火を囲むはずだったのに、今ここにいるのは俺とロッシュだけだ。完成直前だった夕食の鍋が火から外され、夜の冷えた地面に少しずつ熱を奪われている。戦利品ドロップで手に入れた肉を惜しまず使ったちょっぴり豪勢なメニューも、あの二人にはただ辛いだけだったのかもしれない。


 今は感情のまますべて吐き出した方がいいと、二人はアンゼが泉近くのテントまで連れて行った。ルエリィも――カインとロイドのことをつられて思い出してしまったのか、ユリティアと一緒に席を外した。師匠とアトリも向こうに行って、今は沸けたばかりの湯を運んでやっているのがわかる。


 最初と比べればいくらか落ち着いたものの、それでも〈森羅巡遊シークロア〉の嗚咽がまだかすかに耳まで届く。


 ごめんなさい。なにもできなくてごめんなさい。私のせいで。なにも悪くなかったのに。私を守ろうとしてくれたのに。私が人質に取られたから。ごめんなさい。ごめんなさい。


 ――死ぬなら、私が死ねばよかったのに。


「…………」


 吐く息が憤りで熱を持っている。


 俺は、なにをすべて終わったなどと。

 なにを、これでゆっくり休ませてやれるなどと。


 こんなものが、ハッピーエンドであるはずがないのに。

 男が全員死に、女だけが残された。その結果だけ見れば、原作で描かれた数々の結末バッドエンドとなんら大差ないではないか――。


「……ロッシュ。悪い、少し頭を冷やしてきていいか?」

「……」


 ロッシュは目を伏せ、数秒考える素振りを見せてから、吐息して。


「あまり、遠くへ行くんじゃあないよ」

「……ああ」


 俺は立ち上がり、みんなのテントとは真逆の森へ歩き出す。

 いなくなったとバレたら、師匠たちにまた心配されてしまうかもしれない。けれどロッシュが上手く話を合わせてくれるだろうし、今はとにかく一人になりたかった。顔ににじみ出てくるこの感情を見られてしまう方が、余計に心配をかけてしまう気がした。


 臓腑が、煮えるようだった。




 /


 ウォルカが席を外してから五分ほど経って、最初に戻ってきたのはアトリだった。ロッシュは焚き火に細い枝を一本焚べ、


「やあ、アトリ嬢。向こうの様子は?」

「だいぶ落ち着いた。今はアンゼが――」


 さすがウォルカを想う少女の一人だけあって、アトリはこの場の違和感に一発で気づいたようだった。周囲を見回し、息を詰めるように目をすがめて、


「――ウォルカは?」

「うむ、ウォルカなら……」


 二秒だけ考え、ロッシュは包み隠さず正直に答えた。


「少し、そのあたりを歩いてくると言ってね。向こうに」

「――、」


 ロッシュが指差した森の奥を見て、アトリは表情こそ変えなかったが、即座になんらかの判断を下してテントへ引き返した。ほどなくアンゼとリゼルの短い驚きの声が聞こえ、バタバタと余裕のない足音が近づいてきて、


「……ロッシュ! ウォルカを一人で行かせたのか!?」


 まっさきに駆けつけたのは、やはりというべきか、ウォルカにもっとも強く執着しているであろう小さな魔法使いだった。その相貌から軽く血の気が失せて見えるのは、決して青白い月明かりのせいだけではあるまい。

 騒ぎは更に大きくなる。すぐに足をもつれさせながらアンゼが追いつき、アトリがユリティアを連れて戻ってくる。


「せ、先輩っ!? 先輩が、いなくなったんですか!?」

「ロッシュさま、ウォルカさまはどこに……!?」


 口数の少ないアトリが、極めて端的に「ウォルカがいなくなった」とだけ伝えたのがありありと見て取れた。まったく、とロッシュは心の中で嘆息する。ちょっと姿が見えなくなっただけでこの慌てよう――ウォルカのやつめ、どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。


「待った、落ち着いて。少し歩きに行っただけさ。ここで座っていても、なにもできない無力を味わうだけだろう?」

「っ……」

「リゼル嬢、君なら〈探り波プローヴ〉ですぐ居場所が掴めるし、近くに魔物がいないともわかるはずだ。慌てる必要はないとも」


 ロッシュとて、ウォルカを行かせる前に〈探り波プローヴ〉で周囲の探査は行ったし、その結果魔物の気配がないとわかったからこそ了承したのだ。そもそも魔物がいたところで、このあたりに出没する小鬼ゴブリン魔狼バンディット程度、ウォルカなら考え事をしながらでも容易く斬り捨ててしまうだろう。

 彼女らも、理屈でそこまではわかっているはずだ。


「そ、……そう、じゃな。慌てなくていい、慌てなくていい……なにも、心配なんて……」


 リゼルの言葉はロッシュへ答えるというより、自分へ必死に言い聞かせるかのようだった。

 そうして次第に落ち着きを取り戻そうとしていたリゼルの表情が――しかし、突然に崩れた。


「ぅ、あ――――い、いや……いやじゃっ……」


 声が震え、瞳が揺れ動いて、リゼルは己の体を恐怖で抱きかかえる。……彼女はきっと、思い出してしまったのだろう。〈摘命者グリムリーパー〉の悪夢を。そしてシアリィに腕を貫かれ、あわや殺されそうになっている彼をただ見ていることしかできなかったあのときを。


「ウォルカを一人にするなんて、ぜ、絶対に、だめじゃ……っ!!」


 走り出す。もはやロッシュなどはじめからいなかったかのように、ただウォルカの気配がある方向だけを見据えて。ユリティアとアトリが迷わずそのあとを追い、最後にアンゼが、


「ロッシュさま、わたくしもっ――」

「……ああ、行っておいで」

「申し訳ありません。少しの間、お願いします……!」


 もちろん引き留めることはいくらでもできたが、あえてロッシュはそうしなかった。こうなったらなったで別に構わなかった。あの男はいい加減、自分の本心を仲間に打ち明けることを少しは覚えるべきだ。

 まったくもって、お互いがお互いを強く想っているはずなのに、致命的に噛み合っていないというか。ある意味では、奇跡的に噛み合いすぎているというか。


 そのときルエリィが、テントの影から躊躇いがちに顔を覗かせた。


「あ、あの、なにかあったのですか……?」

「おや、ルエリィ嬢。いやなに、本当に世話の焼ける子たちだと思ってねぇ」


 やっぱりあの男は僕を見習うべきだね! とロッシュは前髪を優雅に払って。


「さて、少しの間僕と君だけだ。あの二人の様子を教えてくれないかい? いくら美しいこの僕でも――いや、美しいからこそ! まだ近づかない方がいいだろうからねっ!」

「は、はいなのです……?」


 このあとめちゃくちゃフォローした。




 /


 夜の森をあてどなく歩く。戻る際の目印となる焚き火の明かりは、木々の闇に紛れてもう随分と前に見えなくなった。師匠が張ってくれた結界の外まで出てきてしまってもいるだろう。まっすぐ歩いてきただけではあるが、これ以上離れるのは危ないと思い、足を止める。


 ここまで来れば、大丈夫だろうか。

 空を見上げる。鬱蒼と茂る森の遥か天空に、憎たらしいほど幻想的な夜空が見える。彼方天上の綺羅星にとっては、地上のことなどなにひとつ知ったことではないだろう。


 俺は前を見て、適当な太さの木を一本見繕う。

 別になんでもよかった。


「ッ――――!!」


 呼吸をひとつだけ置いて、俺はその木めがけ全力で拳を振り抜いた。


 静寂の夜の森に、鈍い破砕の音が響き渡る。〈身体強化ストレングス〉はほとんど使わなかった。純粋な腕力だけで打ちつけた拳は幹の表面を砕くに留まり、俺へくぐもった痛みを伝えながら止まった。


「…………」


 今度はゆっくり時間をかけて、長く大きく呼吸をする。砕けた破片で拳がほんのわずかに切れ、皮膚へじわりと血がにじむのを感じる。だがこの熱さのお陰で、煮えたぎる感情をまだ理性的に抑え込むことができていた。

 こぼれた。



「――ああ、くそ。本当に……嫌になるな」



 こんなものが、ハッピーエンドであってたまるか。


 ああ、たしかに女は全員助かったさ。だが逆を言えば、男は全員死んだのだ。カインもロイドも、〈森羅巡遊シークロア〉の男たちも、遺体を弔ってやることすら叶わなかった。命を捨てる覚悟で仲間を守ろうとして、けれど守れずに絶望の中で死んでいったのだ。


 生き残った女だって、命が助かったというだけで決して無事ではない。大切な仲間を喪い、おぞましい暴力を振るわれ、喉を引き裂くように慟哭したあの姿を無事といえるわけがない。シアリィが未だ目を覚まさないのは身も心もとっくに限界を超えていたからだし、ルエリィだって姉のためだったとはいえ、悪党の言いなりになってしまった自分を一生責め続けることになるだろう。

 本当の意味で無事だった者は、誰一人いないのだ。


「……なんでどこの世界も、人間ってのは、こうなんだ」


 人の歴史とは、すなわち争いの歴史だと説く者がいる。

 なんの危険も苦しみもない完全な楽園に住まう生命は、やがて子孫をつなぐ能力すら失って死滅する――なにかの研究結果だったか、根も葉もない都市伝説だったか、前世でそんな話を小耳に挟んだことがある。生命が命をつなぎ続けるためには、苦しみが必要なのだ。そう考えれば、食物連鎖の頂点で命を脅かす天敵もいなかった地球の人間が、人間同士で争うようになってしまったのは必然だったのかもしれない。


 だがこの世界は違うだろう。魔物という、すべての人類に共通する恐ろしい敵がいるだろう。人間が命をつなぎ続けるためには、魔物と戦わなければいけない。同族争いなんてしてる場合じゃないだろうが。


 そう考えてしまう俺は、傲慢なのだろうか。


「神様なんて、いるわけがない。いてたまるかっ……」


 原作知識を思い出してしまった俺にとって、この世界の『神』とはすなわちあの外道作者の名を意味している。たとえ、バッドエンド嫌いをこじらせたが故の荒唐無稽な妄想だとしても――あの作者が俺たちを天から見下ろしているかもしれないなど、考えただけでもぞっとする。


 だから、神などいない方がマシだと思う。

 敬虔なシスターであるアンゼに聞かれたら、失望されるだろうか。しかし教会では神が天から人々を見守っているなどともっぱらの御高説だが、見守った結果がこれならお笑いではないか。『なにもせず傍観している』の間違いじゃないのか。


 それでも神がいるというのなら、今すぐ降りてきてルエリィたちを救ってみせろ。


 そう、心の底から思わずにおれない。


「……」


 原作主人公のことを、思い出す。

 たしか単行本の巻数がいくらか進んだあたりで、主人公の過去に触れる回想編があったっけ。あれも相当エグい話だった記憶がある。目の前で家族を喰われ、目の前で仲間を殺され、目の前で故郷を滅ぼされて、たとえ生きる理由が魔物への憎悪だったとしても――あの主人公は、前だけを向いて進み続けていた。


 本当に、すごいと思う。

 俺は、見ず知らずの女の子が数人悲惨な目に遭っただけでこのザマだ。すべてを喪って、それでも誰かを守ろうと足掻き続けていた主人公が――漫画で見ていた頃より何倍も、何十倍もカッコよく思えた。


「……このくらいで凹んでちゃ、笑われるな」


「おまえが今やるべきなのは、俯いて足を止めることなのか?」――そう言われてしまいそうだ。


 息で笑い、木の幹に打ちつけたままになっていた拳を抜く。俺が仰ぎ見るべきは、あの主人公の背中だ。どんな逆境でも決して折れることのない、不撓不屈の心。無尽に叩き上げられた鋼のごとき精神。

 ハッピーエンドを目指しておいて、目指す本人が下を向いていてはなにも始まらないのだから。


「師匠も、ユリティアも、アトリも、アンゼも。……みんな、幸せにならなきゃダメなんだ。絶対に」


 こんな世界でも、こんな世界だからこそせめて、俺の傍にいてくれている彼女たちだけはどんなことがあっても無事でいてほしい。どうか幸せになってほしい。そうでなければ死んでも死にきれない。


「俺は……この命はきっと、そのために――」


 前世で読んでいた漫画の中という、こんなわけのわからない転生をした理由。序盤で呆気なく散ったモブキャラの命を借り受けた意味。そんなの知ったこっちゃあないけれど、事実俺が『俺』であるならば――大団円ハッピーエンド以外、なにも要らない。


 ……うん、そうだ。そうだな。今日は本当に嫌なことばかりの一日だったけれど、少なくとも自分を見つめ直すいい機会にはなった。


 というか、さっきからぶつぶつと独り言を言いすぎだな。どうも俺は、頭の中がぐちゃぐちゃになるとつい口から言葉があふれてしまうタチらしい。でも、実際こうすると考えを上手く整理できるのである。誰かに聞かれたら、ただのイタい人だが。


 ……そろそろ戻るか。ロッシュが上手いこと誤魔化してくれているとは思うが、きっと師匠たちも心配して――



「――ウォルカっ!」

「……!」



 心臓が口から飛び出るかと思った。

 師匠だった。ユリティアだった。アトリだった。アンゼだった。

 俺が後ろを振り返ると、ちょうど森の中を息せき切って追いかけてきたような恰好で――みんなが、そこにいた。


 …………ちょ、ちょっと待った。いつからだ。みんないつからそこにいたんだ? おい嘘だろぜんぜん気づかなかったんだけど……!


 血の気を失った頭の中がぐるぐる渦を巻き始める。マズい。マズすぎる。とりあえずこの状況を冷静に分析すると――嫌なことがあったので木を殴ったりぶつぶつ独り言を言ったりしていたら、いつの間にか後ろにみんながいた。一部始終見られたし聞かれたかもしれない。


 どこからどう見ても、完全にイタい人である。恥ずかしすぎて死にそう。


 いや本当に恥ずかしすぎる……。いくらなんでもタイミングが悪すぎるだろうが! とにかくなんとか誤魔化さなければ――そう俺が必死に頭をひねろうとすると、師匠が少し大股で俺の目の前までやってきて、


「もぉーウォルカっ、こんなところでなにをやっておるのじゃ! 心配かけるでないっ」


 両手を腰に当て、頬を膨らませてぷんすかと怒る師匠は、どこからどう見ても普段通りの師匠だった。


 ――もしかして、見られてなかった? ……そうか、見られてなかったのか。師匠たちはたった今ここに駆けつけたばかりで、俺がなにをしていたのかは一切見ていなかったし、聞こえてもいなかったということか。

 あ、危ねえ……胃がぺしゃんこに潰れるかと思ったぞ。俺は冷静にポーカーフェイスを装いながら、


「みんな、悪い。少し風に当たってた……」

「わしの結界の外まで出てきてしまっておるではないかっ。ウォルカのばか!」


 続けてアンゼが師匠の隣に立ち、こちらもいつも通り慈愛に満ちた微笑みを咲かせて、


「ウォルカさま、あのお二方は落ち着かれました。もう心配ございませんよ」


 更にユリティアとアトリが、


「戻りましょう? せっかくのお夕飯が冷めちゃいます」

「ボク、おなかすいた」


 ユリティアもいつも通り可憐な声音で、アトリもいつも通り感情が薄い目元をしていて。


 ……本当に、見られてなかったってことでいいんだよな?

 俺には、もはやその可能性に縋るしか道がない。仲間のイタい姿にドン引きし、「み、見なかったことにした方がいいよね。ごめんなさい……」「わ、私はぜんぜん気にしないですから……」と巨大な腫れ物を扱うような痛々しい同情。これからどんな顔で付き合っていけばいいのか戸惑いながらも、懸命に普段通り接しようとする気まずい優しさ。師匠たちからそんな感情を向けられたら泣くぞ俺は。



 ――冷静に考えれば、なにも気づいていないなどありえないのに。



 俺は木に全力で拳を打ちつけた。それなりに大きな破砕の音が響き渡った。師匠たちが本当にたったいま駆けつけたばかりで、俺がなにをやっていたのか一切見ていなかったとしても。見ていなかったのなら尚更、「さっきの音はなんだったんだ」と絶対に追及されるはずなのだ。

 このときの俺は、そんな単純なことにも気づかなかった。


「ほれ、戻るぞ!」

「あ、ああ」


 そして差し出された師匠の手を取った瞬間――と、想像以上に強い力で握り返されて。




 ずっと―――――――― ずぅっと、いっしょだからね?




 師匠の唇が、そんな風に動いたのだと。

 いつもと変わらないみんなの表情が、計り知れないほど重い覚悟によって形作られていたのだと。


 俺は、やはり気づけなかった。

 なにも見られていなかったのだととにかく信じたい一心がバイアスを生み出し、それ以上の思考に踏み込めなかったのである。

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