10. 聖女Ⅰ
「――はぁっ!? 〈
聖都〈グランフローゼ〉の中心部には、ウォルカが現在世話になっている〈
それはそうだろう。なぜならこの大聖堂は、聖都の頂点に君臨する四人の聖女――すなわち神の化身が暮らす聖域でもあるのだから。
百を超える敬虔な礼拝者の目を欺き、鼠一匹見逃さない屈強な騎士隊の監視を潜り抜け、最後に聖都随一の武を誇る三人の聖騎士を打ち倒せば、神の化身たちが暮らす聖処に足を踏み入れることができる。
その一室から今しがた、お世辞にも聖女らしからぬ大声が走り抜けていった。
「うおーマジか、こいつの討伐成功とか何年振りだよ。あー、そういや前回は王都の〈
お世辞にも聖女らしからぬ言葉遣いで、一人の少女が半ば興奮しながらとある報告書に目を通している。華奢な体全体をゆったりと覆う荘厳華麗な祭服は、彼女が〈
そんな雪の少女は続けて、ニカリと歯を見せるお世辞にも聖女らしからぬ笑みで、
「しかも討伐したのがAランクパーティって……おいおいウチの冒険者もやるじゃねえか。よーしあとであのクソども煽り返してやろっと。……おい、聞いてたか〈天剣〉」
「はい。驚きました……〈七花法典〉さまの討伐から四年振りですね」
雪の少女の傍らには、もう一人、〈天剣〉と呼ばれた別の少女の姿がある。彼女もまた一点の綻びもない壮麗な祭服をまとっており、ティアラの中心には『剣』を象った紋章。少なくとも雪の少女と比べれば、その佇まいからは聖女の名にふさわしい気品と清らかさが感じられる。
「あんなやつらに様付けなんていらねえよ、なんせウチのAランクでも倒せるような魔物を七人がかりでやっと倒して調子乗ってんだからな」
「〈白亜〉さま、〈摘命者〉は常人に討ち倒せる魔物では……」
「うるせーうるせー、おれは絶対に煽り散らかしてやるからな」
雪の少女――すなわち〈白亜〉と呼ばれた彼女は報告書の続きに目を戻し、
「ふーん、パーティは〈
「ウォルカさまのパーティではないですかっ」
〈天剣〉がいきなり血圧を上げた。「うげ」と途端に面倒くさそうな顔をする〈白亜〉に構わずグイグイと、
「ああウォルカさま、ご無事だったのですね……! よかったです、これなら先日編成した捜索隊は解体してよさそうですね」
「解体もなにも編成してねえよ。おれが目の前で却下しただろうが記憶改ざんされてんのか」
〈白亜〉は盛大にため息、
「ったく……だから言ったろ、おまえは心配しすぎなんだよ。男なんだから別に二週間帰ってこないくらい」
「〈白亜〉さま」
少々うんざりとした〈白亜〉の言葉を、〈天剣〉が強く断ち切った。
〈白亜〉は〈天剣〉を見る。底が見えない悲愴と後悔に濡れた、切り立った崖際のような瞳をしている。
「わたくしは、それで一度ウォルカさまを見殺しにしたのです。……心配するに、決まっているではありませんか」
「……」
〈白亜〉は、今度は小さなため息。
「……おまえも大概こじらせてるよなあ」
「……わたくしはただ、ウォルカさまの旅路の平穏をお祈り申し上げているだけです」
「そのウォルカ様も、夢にも思ってねえだろうさ。まさか自分が、天下に名高き聖女様の御覚えがめでたいなんてよ」
「……」
〈天剣〉が返した微笑は、今にも崩れてしまいそうなくらいに弱々しい。〈白亜〉はこれ以上話しても空気が悪くなるだけだと判断し、
「はいはい、んじゃ帰ってきたら思いっきり祝福してやんな。なんせ〈摘命者〉討伐の大偉業だ、聖都としても褒賞出してやんねえとな。信賞必罰がウチのやり方だし」
「はい! ぜひ聖都全体を挙げて凱旋パレードなど」
「やりすぎなんだよバカ。ほんとそういうとこだぞおまえ」
一瞬で調子を取り戻した〈天剣〉に苦笑して、報告書の更なる続きに目を通していく。
「しかし〈摘命者〉ねえ、こいつらどんだけ危険なダンジョン潜って――」
続くはずだった言葉が、唐突に引っ込んだ。
沈黙、
「〈白亜〉さま?」
「……あーいや、このダンジョンの名前になーんか見覚えあってな。こないだ踏破されたやつじゃなかったっけ?」
「そのようなこと……」
「あ、なんか嫌な予感してきた」
〈白亜〉がやにわに居住まいを正し、やや前のめりで報告書の内容を
「…………、」
一旦顔を離し、「ッスー……」と呻くように細く息を吸う。
また報告書を見る。
また息で呻く。
〈天剣〉が首を傾げる。
「〈白亜〉さま、いかがなされましたか?」
「……なあ、〈天剣〉」
〈白亜〉はとんでもない爆弾を抱え込んでしまったような、まさしく痛恨としか表現のしようがない顔をしていた。
それは報告書の内容ではなく、それを踏まえた上での〈天剣〉に対する表情だった。
「あのな、前置きしとくぞ。この話は冷静に聞いてくれ。マジで冷静に聞いてくれ。いいかマジで言ってるからな」
「? わかりました」
「わかってねえだろおまえ」
「そう仰いましても、わたくしはいつも冷静ですので……」
「あーはいはいそうだよなおめーはそういうやつだよちくしょう」
更に間。〈白亜〉は目元をくしゃくしゃにして「あ~~~~~~」と葛藤し、やがて腹を括ったように――あるいは匙を投げたように――口を開いた。
「そのウォルカ様な、あー…………大怪我して片目と片足なくなっ」
「――――――――は?」
「ヒエ」
「――なあ〈天剣〉、おまえの気持ちはわかるよ。こんなの居ても立ってもいられないよな、今すぐ飛んでいきたいくらいだよな。でもさ、だからってマジで秒で飛び出そうとするやつ普通いねえだろっておれは思うわけ。ほらおれらって好き勝手に聖都から出られる立場じゃないしさ、そこそこ遠いんだから行くならしっかり荷物も準備しなきゃだろ? メシとか着替えとかちゃんとしないと、せっかくウォルカ様と会えても恥かくだろ? だから一旦落ち着いてくれおいほんと頼むから行くならせめてお勤めのスケジュール調整だけでもさせてくれなあマジでいきなり抜けられんのは困るんだっておれらのスケジュールぜんぶぶっ壊れるんだってうおおおおおちくしょおおおおお誰かこいつを止めろおおおおおぉぉぉっ!!」
その日、大聖堂の聖処は普段よりだいぶ騒がしかったという。
二日前の出来事である。
/
「どう? 違和感はないかしら」
「ある。気持ち悪い」
「ふふ、その義足をつけた人はみんなそう言うわ。我慢なさい、この小さな街で用意できる義足はそれくらいよ」
リハビリを始めた。
リハビリというからには歩く練習であり、歩く練習というからには、俺の左足にはめる義足ができあがったということだった。なので早速教会のリハビリ部屋を借り、老シスターの説明を受けながら装着してみたのだが――
うん、ひどいなこれ。
まず見てくれ。『断端』――切断して残った足の部分をそう呼ぶらしい――を突っ込む
まあ見てくれはいいのだ。問題は、断端への装着方法。
スライムである。
……スライム、である。
ソケットの中がスライムの素材でコーティングされていて、魔力を当てることで肌に吸着する仕組みらしいのだ。そんなので大丈夫なのかと最初は大いに疑ったが、実際やってみればなるほどその吸着力はすさまじく、少なくとも足を軽く持ち上げるだけならまったく外れる気配がなかった。
とはいえ、スライムである。
スライムなのである。
なにが言いたいのかといえば――めちゃくちゃニュルニュルしているのである。
「うおぉ……」
「ウォ、ウォルカ? 大丈夫か?」
「あ、ああ。でもこれは……慣れるまで時間がかかりそうだ」
よほど渋い顔をしていたらしく、師匠が早くも過保護モードになりかけている。ただ義足をつけるだけで心配させていたらこの先始まらないので、いかんいかんと表情を引き締める。
「ほらリゼルさん、邪魔になっちゃいますからこっちで座ってましょう?」
「ん。リゼルは心配性」
「うう。だってぇ……」
リハビリ部屋にはユリティアとアトリも集まっている。みんなの前でお披露目するほど大したものでもないと思うのだが、師匠の子守りをしてくれるのはありがたかった。
やっぱりこうして見るとウチのパーティ、優しくてしっかり者のユリティアが長女で、いつも落ち着いているアトリが次女、そして幼女感の拭えない師匠が末っ子という構図が一番ぴったりな気がする。師匠が聞いたら間違いなくぷんすか怒るだろうけど……。
「もちろん、ただ変な趣味でそんな素材を使ってるわけじゃないのよ」
さておき、老シスターの説明に戻って曰く。
義足において決して無視できない問題のひとつに、断端への負荷というのがあるらしい。要は、歩くたびに断端と義足がぶつかる、擦れる、圧迫されるなどすると、痛みやむくみの原因になってしまうとか。……自分の足に合っていない靴を履くと、靴擦れするようなイメージだろうか?
スライム義足は、そういった断端への負荷をあらゆる面で軽減してくれる。肌にぴったり吸着するため足を動かしてもズレが起こらないし、ソケットとの間で緩衝材の役割を果たしてくれるから負荷も分散される。装着方法も、足を突っ込む、ベルトを締める、魔力を当てるというたった三ステップであり、日常生活で必要なときだけつけて、あとは外しておくという使い方もしやすい。
「でも、あくまで日常生活用よ。これでまた冒険ができるとは思わないでね」
反面、スライムで吸着しているとはいえ結局のところはただ足を突っ込んでいるだけなので、走ったり跳んだりといった激しい運動は推奨されない。義足自体もスライムの吸着力を上回らないよう軽い素材で作られており、他のタイプと比べれば壊れやすいそうだ。
あと、ニュルニュルが気持ち悪い。
……とても、気持ち悪い。
まあ背に腹は代えられない。自分で歩けるようにならなければ社会復帰など夢のまた夢、いつまで経ってもみんなを幸せな未来に後押しできるはずもないのだから。このニュルニュルに慣れることが第一歩なら、喜んでやってやろうじゃないか。
「ウォルカ……」
「大丈夫だ。いつまでも寝てられないからな」
心配で心配でたまらないらしい師匠の頭を、ぽんぽんと優しく叩いて。
およそ二週間以上ぶりに、俺は誰の支えも借りず自分の力だけで立ち上がるのだった。
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