02.〈魔法使い〉リゼルアルテⅠ
「ウォルカ、大丈夫か!? な、なにが……なにがあったんじゃ!!」
「待て、落ち着いてくれ。話を……」
「また無理をしようとしたんじゃな!? もうやめてくれ、お願いじゃからっ……!!」
聞いちゃいない。顔面蒼白な我が師匠は脇目も振らず床の俺を抱えあげ、胸の中でぎゅっと抱き締める。うーんまだまだ硬――邪念退散。
「このバカ弟子ッ! おぬしは安静にせねばならんと言ったじゃろう!! ああ、や、やっぱりおぬしを一人にするなんてダメだったんじゃ……!」
「師匠」
「き、傷っ……傷は開いてないか!? 待っておれ、すぐシスターを」
「師匠……!」
師匠が小さく震え、そこでようやく俺と目が合った。いや、もちろん最初から俺を見てはいたんだけどな。瞳がどこか虚ろというか、焦点が俺に合っていなかったというか――。
なんか胃の調子が悪くなってきたな。
「ごめん。大丈夫だから、とりあえずベッドに……」
「あ……そ、そうじゃな。ごめん……」
師匠に支えてもらいながら立ち上がり、ベッドに腰掛ける。軽く肩を貸してもらうだけで充分なのだが、師匠は傍から見たら抱きついているようにしか見えない至近距離で懸命に手助けをしてくる。半ば泣きそうな顔をしている。胃が。
我が師匠にして偉大で尊大な大魔法使い、『リゼルアルテ』について。
原作の『リゼルアルテ』に関して、俺が覚えていることはそう多くない。
パーティもろとも即退場となったキャラなので、そもそも描写自体がほとんどされていなかったはずだ。一応〈
一方で彼女に限らず、〈
まあそうやってわくわく読み進めるファンに叩きつけられたのが、あのパーティ全滅凌〇死エンドだったんだけどな! 腐れ外道ダークファンタジーがよぉ……。
なのでここからは、原作を抜きにした『俺』の認識を述べる。
愛称はリゼル。『リゼルアルテ』という只者とは思えない名前が示すとおり、一級の魔法使いであり、俺に魔法のいろはを教えてくれた師匠でもある。
身長は140にも届かず、一見、幼女である。
本人曰く俺よりも年上らしいのだが、乙女心というやつなのか正確な年齢は不詳。花びらの形をあしらった大きな大きな魔女帽子がトレードマークで、裏地に凝らされた星空のような意匠が目を引く。夜を素材にしたのであろう深い藍色のローブは肩がないデザインになっており、短いすみれ色のスカートから惜しげもなく晒された素足とあいまって、『魔女のまねっこをしている子ども』という印象をどうしても拭えないものにしている。瞳は無垢に透き通る金色で、足元まで届きそうなくらい長い銀髪を大きく二つに結い、蝶のようなリボンをいくつもつけて愛らしく彩っている。
性格は、所謂『のじゃロリ』である。
そういう言葉遣いを日頃から好んで使うし、『偉大で尊大な大魔法使い』を自称するとおり、たいそうお調子者で自信家だ。パーティの最年長であることに強いこだわりがあり、事あるたび年上ぶって先輩風を吹かそうとする。大嫌いなのは年上に敬意を払わないやつと、人を見かけで判断するやつと、ピーマンとたまねぎと苦い物。
……というのが、我が師匠の表向きの姿であって。
実際のところ、本当の師匠は俺が知る限りごく普通の女の子だ。年寄りめいた口調を好み年上風を吹かすのは、『偉大で尊大な大魔法使い』としてそれっぽくなるように、少しでも周りからナメられないようにという涙ぐましい努力の結晶なのである。本当の師匠は「なの」「だもん」と普通に女の子らしく喋るし、一人称も「私」だし、メンタルもそこまで強いわけではなくて、落ち込んだり泣いたりも普通にする。
〈
年上ぶった言動とは裏腹に、本当は等身大で繊細な子なのだ。
――ではそんな繊細な彼女にとって、俺が死にかけて片目片足を失ってしまった現実はどう映っているのか。
顔中の血の気が引き、小さな指先がカタカタと震える有様を見れば、その答えは一目瞭然だった。
「ほ、本当に、大丈夫なんじゃなっ……? どこか痛めてはないか? 少しでも体に違和感があったら、我慢しないでちゃんと教えてくれっ……これ以上おぬしになにかあったら、わ、わ、私っ」
俺の胃がキリキリ悲鳴をあげた。
「本当に大丈夫だ。心配かけて悪い」
こういうときに気の利いたフォローのひとつでもできればよいのだが、生憎俺にそんな社交スキルはない上、『ウォルカ』として生を受けてからはなぜか口下手に拍車がかかってしまっている。表情筋が凝り固まっていて、四六時中ほとんど無愛想な顔をしている。
このコミュ障めぇ……。
「いったいどうしたんじゃ? 水か? それとも腹でも減ったか? 必要なものは、ぜんぶわしが取ってくるから……」
「いや……」
俺は答えに迷う。ちょっと散歩に行こうとしてました――と正直に答えたら、「安静にしておれこのバカ弟子っ!!」と大目玉を食らう気がする。かといって、寝ぼけてベッドから落ちたなんて言い訳もこの歳では通用しないだろう。
茶を濁すのは無理だと判断し、俺は正直に事実を答える。
「……左足が、まだあるような気がしてな」
「――……」
「つい、いつも通り立ち上がろうとしてしまった。それだけさ」
え、なに言ってんのこいつ……と冷ややかな目をされるかもしれないが、背に腹は代えられない。ここでもっとも優先しなければならないのは、目下キリキリねじれ始めている俺の胃である。師匠の精神に負担をかけてしまうくらいなら、白けた反応をされる方が何倍もマシだった。
そのはずだったのだが、
「――そう……じゃ、な。左足がなくなったなんて、そんなの、信じられるわけっ…………」
「え、」
「それに、み、右目だって……! すまぬ、すまぬウォルカぁ……っ!」
俺の胃はもうおしまいかもしれない。
「師匠が謝ることじゃない」
「どうしてじゃ……!? ウォルカは、悲しくないのか!? その傷では、もう、剣だって……!」
涙ながらに問われ、どうなんだろう、といっとき考える。たしかにこの歳で片目片足を失うのは残酷なことなのだろうが、不思議と冷静な心境なんだよな。
それはきっと、
「元より、生き残れるとは思っていなかったからな」
「――――――ぇ、」
「仲間を守れたし、命も拾えた。今はただ、そのことに安堵してるよ」
なまじっか原作のストーリーがわかっているから、本来あそこで死ぬ運命だったと知っているから、勝って生き残れただけで充分すぎると感じてしまうのだろう。死地を乗り越えたあとの、夢見心地のようなものなのかもしれない。
だからほら、そんな深刻に受け止める必要は皆無で
「……ぇ? ぇ、ぁ――――ご、ごめっ…………ごめんなさい……! ごめんなさいっ……!! わ、私が、私があんな依頼受けたから……!! 私、なんにもできなくて、なんの役にも立てなくて、ウォルカが、ウォルカだけがこんなぁぁ……っ!!」
「お、おい……」
なんでだよ!! 泣くなよ!! みんな生き残れてよかったじゃん、俺の片目片足程度で済んだならぜんぜんマシじゃん!! ほんとだったらそれはもう惨たらしい全滅エンドだったんやぞ!!
「ごめんなさい……!! ごめんねっ……!!」
「し、師匠? 師匠ー……」
泣き出してしまった幼女を優しく慰めるなど、俺には天地がひっくり返っても無理だ。
結局師匠がひとしきり泣き腫らすまで、俺はねじれる胃痛を耐え忍ぶしかできなかった。
胃が。胃があああ。
/
遡ることおよそ十日前、ウォルカの命を捨てた戦いが終わり、暁空が新たな一日のはじまりを告げる頃――
「……一命は取り留めました。ですが、――左足は切断。右目も、二度と光を映すことはないでしょう」
〈
きっと大丈夫だと思っていたのだ。教会が誇る数々の神聖魔法なら、ウォルカの傷を癒すことが絶対にできるはずだと。教会に駆け込んで優に半日、一滴の水もいっときの睡眠も摂らぬまま、吐き気すら覚えながら祈り続けて――なのに美しい夜明けが運んできたのは、リゼルを奈落の底へ叩き落とすような結末だった。
「そん……な、」
ユリティアの声音が、今にも壊れてしまいそうに震えている。
「どう、して、治療は」
「処置は、すべて上手く行ったわ。……上手く行ってこれなの」
老シスターの声にも、そうすることしかできなかった無力への沈痛がにじんでいる。
「命をつなぐだけで精一杯だった。……無茶をしたわね」
老シスターは言う、
「この子の左足は……千切れかけてからも、きっと、魔力を使って無理やり動かしたのね。いったいどうやったのか見当もつかないけれど、やっていい魔法の使い方でなかったのはたしか。傷口が焼け爛れたようになって、骨も――ひどいものだったわ」
「――、」
「たしかに神聖魔法なら、切断された四肢をつなげられる場合もある。――傷口の損傷が、極めて少ない場合だけね。この子の傷は、到底その範疇ではなかったの」
老シスターの言葉が、がらんどうになったリゼルの頭の中で無意味に反響している。
「右目も……傷が深すぎたわ。よほど大きな刃物で斬られたのでしょう。本当に見えなくなってしまったかは、目覚めてみなければわからないけれど……」
そこから先の言葉を、老シスターは呑み込んだ。これ以上希望は持たない方がいい、きっと辛くなるだけだから――そういう言外の忠告だった。
「この歳まで長くシスターをやっているとね、治療が間に合うかどうかはひと目でなんとなくわかるようになるの。……なんとかなった今だから言うけれど、あの子は――最初、ああ、これはもう間に合わないだろうと思ったのよ。それほどの傷だった」
「……、」
「助かっただけでも奇跡だわ。今は、そのことを喜んであげて」
無理だ。喜べるはずがない。今の話を聞いて喜ぶ方がどうかしている。
だってウォルカは、幼い頃からずっと剣とともに生きてきたような人間で。生まれてこのかた剣を振るしか能がないと、自分で認めてしまうくらいの剣術バカで。
そんな彼から、右目を、左足を奪ってしまったら、
それは、たとえ命が助かっても、もう、
「――!!」
最初に折れたのは、アトリだった。突きつけられた現実が理解できず、すべてに背を向け、子どもが逃げ惑うように教会を飛び出していった。
事実それは、逃避だったのだろう。異国の出身である彼女は境遇も特殊で、仲間を守ることに異様ともいえる執着を持っていた。そんな彼女にとって、守るどころか逆に守られた挙句、片目片足を失う瀕死の傷まで負わせてしまったとなれば、襲いかかる絶望は並大抵ではなかったはずだ。
「あ……! リ、リゼルさん、」
ユリティアが追うべきか逡巡している。あくまでパーティの役割から考えれば、立ち上がるべきだったのはリゼルだろう。どんなに辛くとも気丈に振る舞い、リーダーとして仲間を支えなければいけなかった。
けれどリゼルは、動けなかった。体に力が入らなかった。
「……彼女は私に任せて。追うなら、あなたが行ってあげなさい」
結局、老シスターに促されてユリティアがアトリのあとを追った。
リゼルは最後まで、顔を上げることもできなかった。上から老シスターの少し厳しい声、
「まったく。……あなた、さしずめ純粋な人間じゃないわね。子どもに見えるけど、きっと一番の年長者なんでしょう? ならあなたがしゃんとしないでどうするの。あの子の方がよっぽど気を強く持ってるじゃない」
本当にそうだった。この教会に駆け込んでから現在まで、リゼルもアトリも満足に口を利くことすらできなくて、シスターとの応対はほとんどすべてユリティアがやってくれていた。パーティで一番幼い女の子なのに、リゼルとは比べ物にならないほど立派だと思う。
情けない。あの子だって、きっと泣きたいくらい辛いはずなのに。
「病室に、案内しましょうか。明日でも、構わないけれど」
「……」
にじんでいた涙を拭い、リゼルは顔をあげた。
覚悟を決めたわけではない。こんな現実を受け止められるわけがない。いまウォルカの姿を見たら、きっと今度こそリゼルは泣いてしまうだろう。
それでも、ウォルカを一人にしたくなかった。
傍にいなければ、彼がどこかへ消えてしまうような気がして怖かったのだ。
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