01.〈冒険者〉ウォルカ
「――ぁぁぁあああああなんでよりにもよってあの漫画の世界なんだ……お陰で危うく
右半分が潰れた視界では、なんの変哲もない教会の天井もなんだか違う世界のように見える。
俺は、油断していたのだろう。
ラノベや漫画でありがちな、剣と魔法の王道ファンタジー世界だと思っていたのだ。
しかし現実は大間違いも大間違い――ここは、俺の前世で少し名が知れていたとあるダークファンタジーの世界だったらしい。
曰く――流行りに乗っかった異世界冒険譚と見せかけて、割と容赦なく人の命が飛ぶ表紙詐欺漫画。
その細緻なイラストに目を奪われ、漫画サイトで何気なくタップしたのがすべてのはじまりだった。
結果、情緒が崩壊した。
理由は、なんというか。
作者の性癖が、ちょっとその。
ダークファンタジーといえば響きはいいが――男なら五体満足で死ぬことはほぼ叶わず、女に至っては魔物に凌〇され
主人公が闇堕ちバーサーカーなのも、納得だった。
あまりの理不尽ぶりに、生まれてはじめてスマホをぶん投げた。作者の正気を何度も疑った。やつは外道だと思った。けれど絵だけは本当に好きだったから読むのをやめることもできなくて、更新されるたび戦々恐々と覗いては、その画力を堪能しつつ情緒を破壊されるという意味不明なループに陥っていた。
ストーリーには深く入り込まず、あくまでイラスト集のように絵だけを楽しむ――俺にとって、あれはそういう類の漫画だった。
絵柄が好みだっただけで、ストーリーも設定も大して細かく覚えていない。まさかそんな微妙な位置づけだった作品の世界に転生してしまうなど想像できるはずもなく、だからここまで気づくのが遅れた。
俺が転生したのは、原作の序盤――主人公が作中最初に足を踏み入れるダンジョンで、あの〈
俺はこのキャラを顔も名前も覚えていない。しかし、パーティの最期として描かれたシーンは網膜に焼きついている。『俺』は生きたまま八つ裂きにされ、仲間の少女たちに至っては女の尊厳すら奪われた挙句無惨にも――
作中屈指の胸糞シーンを思い出してしまった俺は激怒する。野郎は別にいい。だが女の子は幸せになってこそだろうがッ、と。
生き延びられたのは奇跡でしかない。
俺自身、命を拾えるとはまったく思ってもいなかった。よく覚えていないが、あのときの俺は完全な死に物狂いとなっていたはずなのだから。
無論、助かったといっても五体満足なわけはなく、代償として右目と左足を失ってしまった。左足は膝を残してやや下からきれいさっぱり欠損し、右目にも額から頬にかけて、漫画の中でしかお目にかからないような派手な傷跡が残った。
だが悲嘆はしていない。あの状況から仲間を全員守れた上、命まで拾えたのだから、原作の結末を考えればよくやった方だと達成感すら抱いていた。
それで、バッドエンドを回避してめでたしめでたし――となれば、よかったのだが。
現在、俺は非常に困っている。片目片足がなくなった弊害というのも多少はあるけれど、それ以上に。
俺が目を覚ましてからというもの、パーティの様子がなんだかおかしくなってしまっていて、
「うーむ、ここのベッドはひどく固いのぅ……。ウォルカよ、寝苦しくはないか? そうじゃ、明日になったらもっと上等なベッドを用意させよう。安心せい、師匠として弟子に不自由な思いはさせんぞ。わしにぜんぶ任せておけ」
「……師匠」
「うん? なんじゃ?」
「護衛はわかる。けど、別に一緒に寝る必要は」
「――邪魔か?」
「え?」
「わ、わし、邪魔かっ……? あ、あは、そうじゃな、弟子にこんな辛い思いをさせてるようなやつが、一緒にいても、め、目障りじゃよなっ……この期に及んで師匠面なんて、迷惑じゃよなっ……。一緒にいる、資格なんて……」
「待て、いったいなんの話」
「で、でもがんばるからっ!! もう二度とあんなことさせないからっ、今度こそ絶対に守るからっ!! だからお願い、見捨てないでぇ……!!」
「うおおお待て待てなに言ってんだ待ってくれ泣くな話を」
合法のじゃロリな我が師匠――リゼルアルテも、
「それでは先輩、お手伝いできることがあったらなんでも言ってください!」
「いや、そこまで気を遣わなくても……」
「いえ、先輩は安静にしないといけないんですっ。なにもしなくて大丈夫ですから、ぜんぶわたしに任せてください!」
「ぜんぶってな」
「ぜんぶは、ぜんぶですっ」
「……ん?」
「なにか必要なものはありますか? 持ってくるのでなんでも言ってくださいっ。どんなに小さなものでも大丈夫です、だって先輩の安全が一番大事ですから。お食事は毎日わたしが作ってきますので、食べたいものがあったら教えてくださいね。それと、行きたいところがあったら必ずわたしたちの誰かを呼ぶこと。車椅子は一人で使っちゃダメですよっ。ちゃんと後ろで押す人がいないと危ないって、シスターさんが言ってましたから。これからは、どんなときでも必ず誰かが先輩の傍にいます。みんなで話をしてそうしようって決めたんです。先輩を支えられるように。なにがあっても、今度こそ先輩を守れるようにって。だから遠慮しないで、いっぱいわたしたちを頼ってくださいっ。先輩はいつもお一人で頑張ろうとするから、すごく心配なんです。もう絶対に、先輩に辛い思いをさせたりしません。二度とあんな無茶はさせません。先輩はなにもしないで、ゆっくり体を休めていいんです。わたしたちにぜんぶ、ぜーんぶ任せてください。これからはずっとわたしたちが」
「待て待て待て待て待て」
はわわ撫子なパーティ最年少剣士――ユリティアも、
「ウォルカ。このあたりの魔物、ほとんど狩り尽くしてきた」
「……すまん、よく聞こえなかった。今なんて?」
「? このあたりの魔物、ほとんど狩り尽くしてきた。これでしばらく安全」
「……」
「ボクも、ちょっとは安心」
「やりすぎだろうが……」
「……ボクは、キミを守れなかった。守られて、ひどい怪我をさせた。それはボクたちの神様がなによりも嫌う罪だって、おばばから何度も教わってきた。仲間の傷は部族の傷、命を救われた恩は命で返す――それが掟。だからボクは、髪の一本、骨の一片、血の一滴、魂の一切まで、すべてをキミに捧げる。キミのために死のうって……そう決めたの」
「……………………」
褐色ボクっ娘な重戦士――アトリも、みんな言うことやることが微妙に、いや明らかに重くなっている気がして――。
考えてみれば、たしかに。仲間が死の淵を彷徨った挙句重い後遺症まで残ったとなれば、無事だった側は果たしてどんな思いを抱くだろう。危険な魔物がはびこる異世界だからこそ、守ってやれなかったことへの強い罪悪感や、「自分がこうしていれば」という重い後悔を、仲間ならば抱いたっておかしくはないわけで。
仮に守られたのが俺の方だったら、きっと俺は己の無力を心の底から悔いたと思う。
つまり仲間たちも同じなのだ。どうやら俺が彼岸を彷徨っている間に、彼女たちはそのあたりを思いっきりこじらせてしまったらしく。
当然、俺の胃はメンタル重量オーバーでギュルギュルねじ切れた。
繰り返しになるが、俺は前世から続く筋金入りのハッピーエンド至上主義者である。女の子の瞳から生気が消えるような展開など断固お断りなのである。アニメや漫画で見るだけでもダメだったのに、当事者なんぞなろうものなら俺の瞳からも生気が消える。
大事な仲間と認めてもらえていたのは嬉しい。だがこのままではいけない。
ここはダークファンタジーの世界である。作者が腐れ外道の。俺はそのことに気づいてしまった。しかしこの世界の『俺』が紛れもなく十七年を生きた俺自身なのは事実であり、みんなが何者にも代えられない大切な仲間なのも変わらない。
パーティ病み堕ちエンドなんて、冗談ではない。
なにがなんでも、みんなを立ち直らせねばならない。
そう考えれば、これから為すべきことは明白だった。
こんな病み堕ち展開、俺は断じて認めねえからな……!
/
――と、断固決意したところまではよかったのだが。
「……暇だ」
片目片足を失った重傷者がすぐさま行動を起こせるはずもなく、ベッドの上でひたすら暇な入院生活を余儀なくされていた。
実際のところ、俺が〈
気がついたら教会のベッドの上で寝ていて、日数にして優に十日が経過していた。死にかけの状態から文字通りの死に物狂いとなって戦ったせいで、俺の体は記憶すら放棄してしまっていたようだ。本当によく生き延びたもんである。
〈
そういえばあの主人公、基本的には感情のぶっ壊れたバーサーカーだけど、過去の経験から魔物絡みでは絶対に人を見捨てないって設定があったっけ。魔物を滅ぼすことしか興味がない狂戦士は、次の獲物を求めてすでに街を発ったとのこと。
いつか、礼を言える日が来るだろうか。
さて、この世界の俺――すなわち冒険者『ウォルカ』について。
原作で俺の記憶に残っている描写はなにひとつない。名前が明かされていたかどうか定かでないし、それどころかセリフのひとつすらなく退場した完全なモブだった可能性もある。ダークファンタジーという世界観を際立たせるために、最初から死なせる目的で生み出されたキャラクターだったのだろう。
顔はマズくない。むしろいい。目つきが鋭くていかんせん無愛想ではあるものの、いいか悪いかでいえばいい。
そもそも、この世界はどこもかしこも美男美女ぞろいである。以前は「異世界すごいなあ」くらいにしか考えていなかったが、ここが漫画の中の世界であると気づいた今となっては、さもありなん。あの漫画、豚みたいに丸々太った性悪貴族すら見ようによってはイケメンだったし、モブキャラの作り込みも丁寧だったからなあ。どうやら『ウォルカ』もそうだったようだ。
弱冠十七歳ながら少年らしい幼さをほとんど捨て去り、いっちょまえに精悍な男の顔つきとなりつつある。背丈もまあまあ恵まれた方で、同年代で俺より背が高い人にはあまり会った記憶がない。跳ねが目立つ
性格は……まああれだ。この世界に『コミュ障』という概念が存在しなくて大いに助かっている、とだけ。
Aランクパーティ〈
あとはそう、パーティのメンバーが俺を除いて全員女の子という、案外ハーレム主人公みたいなポジションにいることとか。
もちろん、原作で本当にハーレムだったわけはない。あえて女の子に偏ったパーティを壊滅させることで、ダークな世界観を凄惨に演出しようとあの外道作者が企んだせいなのだろう。女の子だけのパーティは少し不自然だから、適当に男を一人入れて八つ裂きにしておくか、くらいの。
『ウォルカ』とは、本当にその程度のキャラクターだったのだ。
もっとも、だからどうしたという話ではある。
『ウォルカ』が原作でどんなキャラクターだったかは重要ではない。たとえどんなキャラクターだったとしても、この世界で十七年を生きている俺であることに変わりはない。ここにいるのは『俺』であり、『ウォルカ』ではない。
あのとき死ぬはずだった
「――ふあ、」
それにしても――本当に暇である。
怪我人だから仕方ないとはいえ、目覚めてからずっとベッドの上ではさすがに気も滅入ってくる。このファンタジー世界にテレビやスマホのような娯楽品があるわけもなく、病室で寝たきりというのはひたすら暇であった。
現在俺は、ダンジョンからほど近い街の教会に重傷患者として収容されている。
〈
冒険者にとっては、戦いで傷を負うたびお世話になる第二の家ともいえる。この国で単に『教会』といえば、それは〈
……よし、散歩でもしてくるか。
傷はすでに塞がっているし、病室から一歩も出るなと言いつけられているわけでもない。寝たきりでは体も凝り固まってしまうから、これは必要な運動なのである。
欲をいえば筋トレもしたいところだが、なにぶん師匠がなあ……。
そんなことを考えながらベッドから降りようとして、
「ぐほあっ」
コケた。ちょっとバランスを崩したとかめまいがしたとかではなく、棒を倒すようにどたーんと脇腹から転倒した。
おいおいなんだなんだと一瞬大いに驚いたが、
「……ああ、そうか。左足……」
なくなったんでしたね。すっかり忘れてた。
言い訳をしたい。不思議なことに、現在俺には左足がなくなったという実感がほとんどないのだ。感傷に浸っているわけではなく、現実から目を背けているのでもなく、事実として、左足が今でもちゃんとくっついているという感覚がたしかにある。
それゆえ考え事などをしていると、つい今まで通りに体を動かそうとしてしまい――ご覧の有様だ。
部屋に誰もいなくてよかった。仲間たちに見られでもしたら赤っ恥だし、血相変えて心配されそうだからな。ハッピーエンド至上主義者として、彼女たちの精神にこれ以上余計な負担をかけるわけには
「――ウォルカッッ!!」
さながら大切な家族を人質に取られたような剣幕で、銀髪の少女が病室に飛び込んできた。
一言で言えば、『魔女』である。
嘘みたいに大きな魔女の三角帽を被って、夜を閉じ込めたようなローブに膝より短いスカートという活発そうな出で立ち。百三十ちょっとしかない背丈で一見子どものコスプレにも見えるけれど、くすみのない銀髪と金の瞳の輝きはどこか常人離れしていて、原作で即退場させられたモブキャラとは思えない――
「――」
「……あー、待った。これはその、少し転んだだけでだな、」
とりあえず。
顔面蒼白になっていく我が師匠にどう言い訳したものかと、俺は床にぶっ倒れたまま考え込むのだった。
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