全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。
雨糸雀
00.
声が聞こえる。
「――いやああああああああッ!? ウォルカ、ウォルカッッ!? し、死んじゃだめ!! 死んじゃだめえええええッ!!」
「あ、ああ……!! あああああ…………ッ!!」
「先輩!? 先輩っ、しっかりし――あぐッ!?」
うるさい。どっちが上でどっちが下かもわからない視界の中で、俺は寝返りを打つように
――少し、意識が飛んでいたようだ。
我が師匠が大声で喚いている。まったく師匠は大袈裟すぎるのだ。普段は尊大な年寄り口調でしゃべるくせして、事あるたび年上ぶって先輩風を吹かすくせして、予想外の事態に直面するとあっという間に取り乱して周りが見えなくなってしまう。こんなの、仲間を庇ってちょっと体を打っただけじゃないか。痛みだってほとんどない。
顔面を、妙にヌルっとした液体が流れていく。
「ぅあ、……ああ、ポーションか。助かる……」
「え? な、なに、言って……ウォルカッ、いったいなにを言っておるのじゃ!? ウォルカ!? やだ、やだやだしっかりしてえッッ!!」
師匠が余計うるさくなった。あれ、ポーションじゃないならなんなんだこの液体。俺は適当に手の甲で顔を拭い、幾分マシになった視界で前を見る。本当に大袈裟すぎる師匠の泣き顔、
――その後ろに、鎌を振りあげる『敵』がいた。
我ながらよく反応できたもんだと思う。稲妻のように起きあがり、師匠の腕を引いて、そのまま自分もろとも全力で後ろに飛んだ――つもりだった。
師匠の腕を力の限り引っ張った時点で、絶望的に体のバランスが崩れた。結果、敵ながら鮮やかに振り抜かれた凶刃に対して、俺がそれ以上できたことはなにもなかった。
「――――ッ!!」
幸い直撃はしなかった。鎌の先端を軽く引っかけられただけで、ほとんど回避できたといっていい。致命傷はもちろん、痛みで倒れるような傷にも程遠い。
――その鎌が、俺の身の丈すら超えるふざけたデカさでなければの話だが。
顔の右を完全にやられた。額から頬へ抜けて、右目ごと一直線に。頭を割られたかと錯覚するような激痛に全身を焼かれて、乱れた体勢のまま為すすべもなく地べたに崩れ落ちた。
師匠が、まるで自分が斬られたかのような悲鳴をあげた。
――〈
すでに踏破されたはずのダンジョン〈ゴウゼル〉、その真の最奥で待ち構えていた本当の主。文字通り、冒険者の命を摘み取る死神。遭遇すれば、Sランクパーティすら壊滅を覚悟して戦いに臨むという超一級の化け物モンスター。
脳内で記憶が氾濫する。噴き出す鮮血のように唐突に理解する。その理解は絶望の姿をしていた。
なぜ。
思い出したから。
気づいてしまったからだ。
(ああ、くそ――)
――俺は、こいつを知っている。
――俺は、この展開を知っている。
――俺たちは、ここで全滅する。
よくある異世界転生かと思って十七年生きてみれば、とんだ大間違いもいいところだった。俺たちはここで死ぬ。もうじき湧いて出てくる魔物の群れに呑み込まれる。俺は八つ裂きにされてまともな死体も残らず、仲間たちは尊厳すら奪われて絶望の中で死んでいく。
これは、そういうストーリーなのだ。
(なんで――今更)
せめてダンジョンに入る前――いや、転移トラップでこの最奥まで飛ばされる前に気づけていれば、迷わず引き返せていたはずだった。
細緻なイラストと無慈悲なストーリーで俺の情緒を狂わせた、腐れ外道ダークファンタジー漫画。
その序盤で端役としてたわいなく散っていった、死ぬために登場したかのようなモブパーティ。
それが俺たちであり、今がまさしくその全滅シーンの真っ只中。
この世界は、余所から転生してきた人間に対しても一切慈悲を持ち合わせていなかったのだ。
気づいた時点で死にかけなんて、詰みではないか。
「い、や……いやじゃ……いやあ……っ」
うわ言のように言う師匠に、震える両腕で拙く抱きかかえられる。俺を引きずって逃げるでもなく、敵から少しでも距離を取るでもなく、ただ目の前で消えかけるものを必死につなぎとめようとするだけの、あまりに無意味で儚い防御反応。
顔を見なくてもわかる、これはもう完全に折れている。師匠って昔から、大人ぶってる割にかなり打たれ弱かったからなあ。不甲斐ない弟子で申し訳ない。
他の仲間たちは。
パーティ近接最強の褐色ボクっ娘重戦士――視界の端でへたり込み、焦点の合わない目で茫然自失に陥っている。ごめん、自分より弱いやつにいきなり庇われて意味わかんないよな。そりゃ茫然とするよな。気がついたら体が動いてたんです許してくれ。
頼みの綱である最年少天才剣士――遠い壁際に打ち飛ばされて、立ち上がるどころか声を絞り出すことすらできないでいる。おいウチのパーティで一番小さな女の子だぞ、あんな子どもを打ち飛ばすとか人の心はねえのか! 魔物にそんなもんあるわけねえよなくそったれが……!
そして、俺自身はといえば――まったく言葉通りの『血まみれ』というか、血の出ていない部位が見当たらない。先ほど顔を拭った手の甲まで真っ赤だし、……おい左足が千切れかけて骨見えてんじゃねえか! グロいわ! さっきバランス崩した原因これかよふざけんな!
〈
動ける人間が一人もいない。
どう足掻いても、原作通り完全に詰み――
(――そうでも、ないか)
熱くなっていた頭の血が強制的に抜けたからか、俺の思考がかえって冷静になってくる。
そうだ、なにもかも原作通りかといえばそうでもない。
その『原作』を知っている人間がここにいる。俺はこいつの倒し方をかろうじて覚えている。なぜならこいつは、まもなくやってくる原作主人公にその方法であっさりと倒されるのだから。
たしかに、規格外の魔物だ。そんじょそこらの雑魚とは次元が違う。圧倒的な攻撃力と反則的なまでの不死性を持ち、鎌の一撃は直撃すれば問答無用で即死。神話クラスの装備で全身を固めようが、聖女様から神の加護を賜ろうが意味はない。
こいつは、冒険者に絶望の死を与える存在。だから、相手が絶望を抱く前にすんなり殺すような真似はしない。強大な即死スキルを存分に出し惜しみし、不死の肉体をこれでもかと見せつけて、理不尽なまでの実力差で
倒れ伏した俺にトドメを刺す気配もなく、泣き叫ぶ師匠をじっと愉しむように見下ろしているのも、俺たちに少しでも色濃い絶望を味わわせるため。
だが実はひとつだけ、こいつの不死を貫く単純明快な『倒し方』がある。
それさえできるならば、ソロで一方的に片付けるのも容易。『死神』なんて大層な名前の割に、そう大した相手じゃない――このモンスターを見開き込みのたった三ページで撃破した
そして真のボスモンスターであるこいつさえ倒せば、原作で俺たちをなぶり殺しにした魔物の群れが湧くこともなくなる。
「……」
どうせ死ぬのなら、死ぬまで足掻いてから死んでも同じだと思った。
原作で、主人公が負傷した脚を無理やり魔力で動かしたシーンを思い出す。どんな理屈だったかは覚えていないが、この世界で十七年を生きた冒険者なのだ、俺にもこの瞬間くらいやってやれない道理はないだろう。
不思議な感覚だ。頭の中がもやひとつなく澄み渡り、極めて冷徹に、淡々と――腹が立っている。
ふざけるなと思う。こんな後出しの初見殺しで全滅などふざけるのも大概にしろ。なにからなにまであの原作通り、最初から死という結末の上で
それに、
「ごめんね、ごめんねウォルカ、私が、私が、私が――」
――人の頬にボロボロ涙を落とすみっともない師匠を見てしまったら、もう少し命も燃やしたくなるというものだ。
怖くて仕方ないだろう。こんなところで終わるなど思っていなかっただろう。まだやりたいことがたくさんあるだろう。叶えたい夢があるだろう。死にたくないだろう。もっともっと、生きていたいだろう。
俺はとっくの昔に一度死んだ身、この世界に転生したのも人知を超えた不思議な夢みたいなものだと思っている。別に死にたいわけではないけれど、なにかを成して死ねるのならば、きっとそのために転生したのだという気がした。
上等だ。
ちょうど、あの全滅エンドには腹の底から納得が行かなかったんだ。
原作通りのバッドエンドなんて、根こそぎぶっ壊してから死んでやる。
命の使い道が決まった。
尽きかけていた体に力を呼び戻す。師匠の腕を振り解く。魔力の糸で千切れかけた左足を縫合するイメージ、師匠がなにかを叫んだが無視、この期に及んで恐怖など要らない、残るすべての力をこの瞬間に注ぎ込む、一秒で形成、一秒で実行、立ち上がる、立てる、前に出る、ヤツの存在以外すべてを思考から排除、二十秒もてばいい、そこから先はなにも考えない、俺は余裕をかましているでくの坊の懐に踏み込んで、
剣を、
――しかしまあ、人生とはなにがどうなるかわからないものである。
十日後、死に物狂いで全滅エンドを回避した俺はどういうわけか生き延びていて、
「――いやじゃ!! いーやーっ!! もう絶対、なにがあっても絶対に離さないからっ……! ずっと、ずっとずっとずっとずっと一緒だからっ……!!」
「……あのな師匠、」
「もーっ、先輩はなにもしなくていいんですよ? もう無理しなくていいんです、これからはぜーんぶわたしたちに任せてくださいっ」
「いやだから、」
「だめ、じっとしてて。きっと気持ちいいから大丈夫。ボクにおまかせ」
「待ってくれ! いったん話を、ちょ待っ」
そして、パーティはなにやら様子がおかしくなっていた。
体拭くくらい一人でできるわ!
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