最終話 一番欲しかったもの
婚約解消の署名をする日、メイティン家に集まったリグ家の面々が顔をこわばらせた。
「ノヴァレイン殿……なぜ無関係の殿下とクレソン侯爵令嬢がいらっしゃるのでしょうか。彼らは部外者で、今回の件には何も関係ありませんよね……?」
トーマスは声を押さえているが、それには確かな怒りが含まれているのは分かる。
この場にはメイティン家、リグ家の他、ゼノンとイグニス、カローラがいた。彼らの背後には護衛らしき大柄な男とゼノンが用意したであろう法律家もついている。ゼノンや法律家は分かるとして、イグニスとカローラは完全な部外者である。レベッカは事前に彼らが来るとは親から聞かされていたが、その真意は聞かされていない。
「私と貴方は彼女への想いを競うんですよ? みっともなく負けを認めない可能性もあるじゃないですか。それなら公平な立会人が必要でしょう?」
「どこが公平ですか? 殿下は貴方の幼馴染でしょう」
「ええ、そうですよ? 私の、幼馴染です。私が公平な判断も下せない男と共に過ごしていたとでも?」
彼の青い瞳が冷たく光り、レベッカは慌てて間に入った。
「それで、私が貴方達の誠意を選んだら、婚約、もしくは婚約解消ってことでいいのね?」
「ええ、そうです。順番に貴方に贈り物を渡します。どちらを選んでください。分かりましたね、殿下!」
ゼノンが彼に向って言うと、イグニスは疲れた顔で頷いた。
「それで、どっちが選ばれも選ばれなくても、文句は言わない。誓えますか?」
トーマスはイグニスを一瞥する。さすがのトーマスも、王族の前で約束を反故するのは憚られる。しばらく悩んだあと、深く頷いた。
「ああ、いいだろう。誓うさ」
「なら、一番は貴方に譲りますよ」
そう言って彼は下がると、トーマスは自分の使用人に用意していたものを持ってこさせた。
「レベッカ。これをお前に」
トーマスが用意したのは真っ赤な薔薇の花束だった。香りが強い大輪の薔薇にレベッカは顔をしかめそうになった。
「お前の為に四十本の薔薇の花を用意した。お前を最後の女にしたい。ずっと愛していることを誓う」
四十本の薔薇と聞いて、イグニスがぶっと吹き出し、カローラが「まあ」と小さく驚きの声を上げた。この薔薇の意味をこの場にいる皆が知らないはずがない。なぜなら、これはイグニスがカローラにプロポーズをした時に用意した薔薇と同じ数だからだ。そのため、乙女の憧れるプロポーズとして、一時この告白の仕方が大流行した。
が、それは世の乙女の話。レベッカには何も響かなかった。自然に出た舌打ちで、トーマスの顔が引きつった。ぐいぐいと花束を押し付けようとしてくるが、レベッカは無視してゼノンに向いた。
「ゼノン様の番ですよ」
「おや、ずいぶん乗り気ですね」
意外なものを見た目でゼノンが言うと、レベッカはため息をこぼした。
「さっさとこの茶番を終わらせたいの」
「なるほど……やっぱり正攻法では貴方の関心は買えないようだ」
彼はやれやれと肩を竦めたあと、レベッカを真っすぐに見つめる。
「例え、どんなに私が誠実に愛を
「さすが、よく分かってますね」
まだ短い付き合いだが、レベッカが色恋に疎いことは彼も悟っているだろう。そして、レベッカは確信があった。彼は確実にレベッカが首を横に振らせないものを用意していると。
(何をくれるのかしら……王家
頭の中は彼への返答でいっぱいだったレベッカは、気づかなかった。一瞬彼の眉がぴくりと動いたことに。
「ええ、なので貴方を幸せにするために、私が実行したことを語りたいと思います」
「…………ん?」
予想外な展開にレベッカも含めた周囲が内心で首を傾げる中、構わずゼノンは続けた。
「実は新しい事業を始めようと思って、最近、ワイナリーを買収したんですよね」
「んんん?」
「ほら、お酒って貴族から庶民まで
なぜ彼がこんな話をしているのか、誰も分からなかった。今、この場はレベッカへの想いを競う場であり、事業やお酒の話をする場でない。
「それでですね。私、貴族層向けと庶民層向けの味も価格の相場も分かるオーナーを探しているんですよ」
しかし、レベッカだけは彼の真意をくみ取ることが出来た。
「え、うそ……まさか……」
「レベッカ……」
声が震えるレベッカに、ゼノンは笑顔で一枚の紙とベルベットが貼られた小さな箱を取り出す。
その紙はワイナリーの雇用契約書。そして小さな箱には宝石がついた指輪が入っていた。
「永久就職、しませんか?」
「します!」
「「待てぇえええええええええええええええええええええええ!」」
待ったを入れたのは他でもないトーマスとイグニスだった。
「ノヴァレイン、貴様ァ! それは買収だろ!」
「政略結婚と何が違うんですか~?」
「コイツ~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
ふてぶてしくもの言うゼノンの姿はいっそう清々しい。たしかに彼がした行為は買収そのものだったが、利益絡みの婚約なんて貴族では普通のことで、何も後ろめたいことはないし、恥じ入ることでもなかった。
「おい、レベッカ嬢! お前もそれでいいのか⁉」
建前とは言え、イグニスは公平な判断を下すために来ている。この茶番のような状況を黙って見ているわけにはいかない。レベッカに問いただせば、彼女は感激して目を潤ませ、赤くなった頬を手で押さえていた。
「殿下……私、人生で一番嬉しい瞬間かもしれません。胸のドキドキが、止まりません……!」
「嘘だろ、お前⁉」
正攻法をかなぐり捨て、彼女の関心を買うことだけ専念した男の戦略勝ちだった。
「ふ、ふざけるなよ、レベッカ!」
トーマスが唸るような声で言い、拳を握った。
「こっちは真剣にお前と向き合うと決めたのに! 世間の女の理想のプロポーズしたっていうのに、結局お前は酒か! 見損なったぞ!」
「は? 見損なったって何よ! 私は私が喜ぶものを用意しろっていったのよ!」
そう、レベッカは別にプロポーズをしろとは言っていない。本当に自分のことを考えて贈り物を用意してくれるなら、中身なんて何でも良かった。何より、彼はレベッカが酒好きであることを知っていたはずだ。
「それなのに万人の女が喜ぶものを用意してどうするの⁉ 貴方が安酒の一杯や二杯奢ってくれれば、それだけで私は見直したわよ! 貴方のそういう『女はこれ』っていう安直な考えが本当に嫌い!」
「なっ……!」
真正面から振られて、トーマスは膝から崩れ落ちた。
「うーん、これは私にも刺さるなぁ……まあ、同情はしませんが、私は私で肝に銘じておきましょうか……」
苦い顔をしてぼやきながらゼノンはトーマスの肩を叩いた。
「さて、正式に振られたことですし、私からも贈り物を上げますね! ノーマン卿、お願いします」
彼がそう言って呼び出したのは、イグニスの後ろに控えていたひょろっと背の高い優しげな
「ご拝命いただきました。法律家をしております、ブレンダン・ノーマンと申します。この度の婚約解消の手続きで立会人として務めさせていただきます」
そう言って深々と頭を下げたのは大柄な熊のような男だった。てっきりひょろっとしている方が法律家だと思っていたレベッカは、ゼノンを見上げると、彼はこっそり教えてくれる。
「ひょろっとしてる方はフレデリック・ノーマン卿。殿下の侍従です。そして熊みたいな体格の方が彼の兄。王宮で法務に所属しています」
ブレンダンは丁寧にレベッカとトーマスに頭を下げると、鞄から紙の束を取り出して説明を始める。
「まず、婚約解消にあたって、今回、トーマス・リグに過失があり、リグ家はメイティン家に賠償金を払うこと」
それは後ろにいたリグ家の面々が静かに頷いていた。そして、互いの当主が書類に署名をすると、ブレンダンは書類を確認して頷く。そして、新たな書類を取り出した時、リグ家の表情が硬くなった。
「トーマス・リグ。貴方に逮捕状が出ています。そのため拘束します」
「はぁ⁉」
「はーい、大人しくしてくださいね~」
ブレンダンの弟、フレデリックがトーマスを拘束する。
「レベッカ・メイティンの名を使って、メイティン家の資産を横領した。これは立派な犯罪行為だ」
「横領⁉ オレはメイティン家に婿入りする予定だったんだぞ!」
トーマスが声を上げるとブレンダンは眉を吊り上げた。
「正式に婿養子として手続きをしていない上に、メイティン伯爵は貴方に家の資産を使えるような権利を与えていない。話は牢で聞こう」
「え、まって……」
フレデリックが外で待ち構えていた騎士達にトーマスを引き渡す。トーマスがこちらを睨んでいたが、正直レベッカは驚いている。まさかここまで大事になっているとは思いもしなかった。しかし、トーマスの家族や、自分の家族を見るともう事前に決まっていたことだったのだろう。
(もしかして、一朝一夕で婚約解消できなかったのって、この準備のため⁉)
連れて行かれたトーマスを見送った後、ぽんとレベッカの肩を叩いたのはゼノンだった。
「私と婚約、してくれるんですよね?」
あの時、勢いのまま返事をしたが、女に二言はない。
「ええ、私の欲しいものをくれたし、人生で一番嬉しい贈り物でした」
「何言ってるんですか、これが一番なんて言わせませんよ?」
ゼノンはそういうと、レベッカの手を取った。
「私は貴方を幸せにするって約束したんですから、これで満足されたら困ります。まあ、そのために貴方の身も心も全て私がもらいますけどね」
「ゼノン様、恥ずかしくないんですかその言葉……」
「私は貴方が好きなので。何一つ恥ずかしくありません」
きっぱりと言い切った彼に、レベッカの口から乾いた笑い声が漏れ出た。
それにゼノンはむっとした表情をする。
「信じてませんね……」
「せめて、どこが好きなのか理由を話してください」
「………………」
彼は無言でレベッカから顔を逸らした。
「ちょっと、なぜ顔を逸らしたんですか?」
「いや……その……えーっと……」
彼はしどろもどろになって、隠すように手を顔に当てた。彼の耳が若干赤くなっている気がする。
「恥ずかしいんですか?」
「いや……ほら……本心を口にするのも、こう本人に伝えるのも……違うじゃないですか」
「へぇ、恥ずかしげもなく私の身も心もって言ってたのに、ゼノン様は私に本心を口にするのも
「………………レベッカ?」
ゼノンがレベッカの両肩に手を置くと、真剣な顔で言った。
「私を煽ったことを後悔させてやりますよ?」
「分かりました。それで、私のどこが好きなんですか?」
言っていることは恐ろしいが、脅しではないのがありありと伝わってくるせいか、レベッカも強気で構えた。すると、彼はしばらく間を開けてゆっくりと口を開いた。
「………………ところ」
「え?」
レベッカが聞き返すと、ゼノンが再び口を開いた。
「私の性格が悪いってことをよく分かっているところです」
「どういうことですか⁉」
「周囲は私にどんな評価をしているか、御存じですか?」
「えー……女嫌いで……優秀で……美男子?」
風の噂で聞いた程度の評価だ。レベッカにとって彼と出会うまでゼノン・ノヴァレインという存在は
「ええ、そうです。それで、貴方の私への印象は?」
「えーっと、冷静で利己的で……性格が悪い」
「そういうことですよ」
容赦ないレベッカの言葉に、ゼノンは大きく頷いた。
「出会った時から貴方は私の本質を見てくれている。周囲が私に求めるのは、常に完璧で簡単に寄りかかる存在でしたから。そういう所を私に求めず、それでいて私に向き合ってくれる貴方が……その……好き、です。だから、身分も容姿も、能力も関係なく、ただただ貴方の隣にありたい」
ゼノンが最後、懇願するように呟くと、みるみると顔が赤くなっていく。こちらを見る目も柔らかく、穏やかな口調で紡がれた言葉に、とんと胸の奥を叩かれたような気がした。
「ゼノン様……」
「はい」
「私、今生まれて初めて男性を可愛いと思いました」
「⁉」
真っ赤な顔のままぎょっと目を見開くゼノンがおかしく、レベッカが笑ってしまう。
「ゼノン様もそういう顔をされるんですね。なんか安心しました」
「…………ええ、存外私も凡人なんですよ。貴方のことで悩んだり、恥ずかしがったりするくらいには」
ゼノンはそう言って、レベッカの手を取った。
「レベッカ、こんな凡人ですが、私と婚約してくれませんか?」
「はい」
この度、酔い潰した男と婚約することになりました。
この度、酔い潰した男と婚約することになりまして こふる/すずきこふる @kofuru-01
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