第10話 メイティン親子会議


「お父様、なぜ黙っていたのですか?」



 王宮での舞踏会から翌日の朝、父の執務室へ直行したレベッカはそう問うと、父は眉間にしわを寄せた。



「レベッカ。それはこちらのセリフだ。まず、私にいうことがあるだろう?」

「うぐっ!」



 執務机に置かれた紙束を見て、レベッカは身をすくませる。


 言わずもがな婚約者トーマスのツケ代が書かれた領収書の控えである。


 父は深いため息と共に、その紙束を一つ一つめくっていく。



「ヒール、ドレス、指輪、ブレスレット、髪飾り……どれも一級品とはさすが商家の生まれだな。お目が高い。しかし、どれもお前の持ち物として見たことがないんだが?」



 見たことがないに決まっている。それら全てはトーマスの遊び相手のクローゼットにしまわれているからだ。父に知られまいと必死に隠していたのに、こんな形で見つかるとは。おまけに父が持つそれは、店舗側が保管する控えである。なぜそんなものが父の手元にあるのか。情報提供者が誰かなんて分かり切っている。なんせ、紙に書かれた店名の中にはノヴァレイン公爵家の傘下があるのだ。


 父はめくった紙束をぱたんと閉じると、小さなため息をこぼした。


「レベッカ。確かに私は家の為にリグ家との婚約を取り決めた。しかし、それは決して目先の利益だけではない。お前の幸せも望んでいるんだよ?」

「お父様…………」

「それはそれとして、メイティン家の娘が男に金を無心されることを良しとするなんて、情けないのを通り越して腹が立って仕方がないよ、レベッカ……」



 逃げ出したい。今すぐに。内心で冷や汗が止まらなかった。


 父の怒りの矛先はトーマスだけでなく、レベッカにも向かっていた。それもそうだろう。レベッカはトーマスにやられたことは、彼女だけでなく家の評価にも傷がつく。周囲の貴族からは足元を見られることになるだろう。



「まったく、ゼノン殿には救われたよ。娘どころか、このままではメイティン家も没落するところだったからね」

「ど、どういうことでしょうか……?」

「シェリーがクレソン侯爵夫人と仲がいいことは知っているね? 今回の社交界シーズンでは招待状も届かなかったし、うちのお茶会に招待しても断られた」

「え……」



 レベッカの母、シェリーはクレソン侯爵夫人と個人的にお茶会をする仲で毎年社交界シーズンは互いに招待状を送り合っていた。毎年あった交流が途絶えたとなれば、理由は簡単だろう。



「ゼノン殿にレベッカへの仲介を頼まれたクレソン侯爵夫人から、昨日の社交界でこう言われたよ。『自らツキを呼び寄せるなんて、さすが商売人だわ。これからも仲良くさせてね』ってね。どう考えても、我が家から手を引く気満々だったんだよ、彼女は」

「そ、そんなっ!」



 昨日、レベッカもクレソン侯爵夫人に会ったが、そんな雰囲気を微塵にも感じさせなかった。あの笑顔の裏でそんなことを考えていたなんて。


 父は苛立ち気に紙束を指で小突いて見せる。



「考えてもみなさい。この紙束に書かれているのは、名だたる名店ばかり。言ってしまえば、貴族の傘下だ。社交界の華である彼女の耳に届かないはずがない。女遊びなんてよくある話だが、仮にも商家の人間が他家でツケを作るなんて、そんな屈辱があるか。誰がそんな家に金を落とす?」



 しかも、その男が当主となるなら、他家との付き合いはなくなるだろう。伯爵家の地位も決して盤石なものではない。最終的には領地ごとリグ家に取り込まれることだって考えられる。



「レベッカ、お前が早く事業を興したいのも分かる。トーマスの兄達も優秀で、彼らの手を借りれば事業もすぐ軌道に乗るだろう。しかし、目先の利益に囚われて、未来を損なうなど商家の恥だ。これはお前の失態だよ」

「ご、ごもっともです……」

「トーマスのヤツにはやられたよ。よほど私には知られたくなかったんだろうな。わざわざ交流のない家の店で買い物など……通りで最近、商談で足元を見られることが多いと思っていたんだ。ここは私の失態でもある」

「お、お父様。では、トーマスとの婚約は……?」

「破談だよ、破談。リグ家からは一切手を引く」



 彼との婚約解消にホッとしつつも、自分の夢がまた遠のいてしまったのが残念だ。家の汚名を雪ぐためにも、尽力を尽くさなければならない。これからのことを考えると気が遠くなる。


 父は汚点とも言える紙束を乱暴にしまうと、背もたれに寄りかかった。



「ところで、昨日ゼノン殿とはどうだった?」



 不意の言葉にレベッカが身を固くすると、父はにやりと笑う。



「婚約を申し込まれたか?」

「……はい」



 甘い雰囲気だったとは言えない婚約の申し出だったが、父親としては喜ばしいことなのだろう。彼は「そうかそうか」と頷いた。



「レベッカ。実のところ、ゼノン殿の生家であるノヴァレイン公爵家からは、まだ正式に打診が来ていない」

「え?」

「一応、まだレベッカは婚約中の身だ。ゼノン殿は婚約解消してから正式に申し込みをさせて欲しいと言っていた」

「あんな盛大に婚約を周囲に匂わせておいてですか?」

「あれはパフォーマンスだよ、パフォーマンス。実に貴族らしいやり方じゃないか。私としては彼の気が変わらないうちにお前を押し付けたいと思っていたんだが、これが少し悩みどころでね」



 父はそう言って、ため息をついた。



「レベッカ、私はね。娘には幸せになってもらいたいんだよ」



 貴族としてではなく、一人の父親の顔をして彼はレベッカに向き合った。



「きっと彼はお前に苦労をさせないだろう。彼の真意はどうであれ、この婚約の申し出は政略的には破格と言えるものだ。しかし、トーマスの件のように、お前を苦しめるものであってはならないと思っている」



 彼は穏やかな笑みを浮かべて言った。



「クレソン侯爵夫人は私がツキを呼び寄せたと言っていたが、これはお前が呼び寄せたものだ。トーマスの一件もある。今回の婚約を受け入れるかどうかは、お前が決めなさい。幸い、ゼノン殿も『急がない』と言っていたしね」



 実に余裕のある紳士的な男じゃないか、と父は苦笑する。レベッカも与えられた猶予に胸を撫で下ろした。



「…………はい」

「ところで、実はクレソン侯爵家からお茶会のお誘いがあるんだ」

「はい?」



 父の手にはクレソン侯爵家の蠟印がされた封筒がこれ見よがしに握られ、彼は父親の顔から貴族の男らしい黒い笑みを浮かべる。



「おまけに他にもたくさんの招待状が来ている。あいにく、私もシェリーも先約で埋まっていてね。名代を立てようと思うんだ」



 名代を立てるとなると誰が出るかなんて決まっている。



「しかし……昨日の今日だし、周囲は一体どんな目を向けてくるだろうね。私はわくわくして仕方がないよ。ねぇ、レベッカ、行く?」



 言外で「行け」と言われ、レベッカは静かに頷いたのだった。


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