第11話 一人歩きする噂話
社交界シーズンでは夜会だけでなく、昼間に行われるお茶会も多くある。普段、仲のいい知人を誘って開かれるものとは違い、常に政治的な思惑が陰に潜んでいると考えていい。今回のお茶会の話題は、第二王子イグニスとカローラの婚姻の話である。
カローラはイグニス殿下と二歳差でまだ学生の身分で、早くても一年後に婚姻を控えている。彼らは政略的婚約であったが、互いに想い合っていることは周知の事実で、昨年イグニス殿下が彼女に告白したという話は社交界でも大きな話題になった。今年の社交界では、二人の祝典の準備に一役買いたい貴族達のアピール合戦、または情報戦が始まるとレベッカは思っていた。
しかし、母の名代で何件かお茶会に参加していたレベッカは、何一つ情報を得ることはできなかった。
「メイティン嬢、こちらは私の母のご友人の~」
「レベッカ様、こちらは父のご友人の娘の~」
「メイティン嬢、紹介させていただきたい方がいまして。こちらは仕事で~」
社交界初日の舞踏会でゼノンが貴族達にたっぷり話題提供をしてくれたおかげで、レベッカは身動きができなかったのだ。クレソン侯爵夫人のお茶会を前日に控えた今日、レベッカが訪れていたのは、父の仕事で世話になっている子爵家のお茶会だ。母の知人とはまた違う人脈のお茶会はレベッカをひどく
(あー、人が多い! 人の顔が覚えきれない! メモを取らせて!)
次から次へと人を紹介されて、表情筋がつりそうになる。普段は会った相手の顔を忘れないように陰でメモを取るレベッカだが、その暇すらなかった。父の閻魔帳に載る(最近の商談で足元を見てきた)貴族からの紹介された人物は特に忘れないでおきたい。
(というか、みんな手のひら返すの早すぎるでしょ。どれだけ将来を期待されてたのよ、アイツ!)
父曰く、留学から久々に帰ってきた公爵家の次男坊、ゼノンは第二王子イグニスの側近候補の中でも筆頭ともいえる人物だったらしい。しかし、彼は数多の婚約を蹴り飛ばし、主人であるはずのイグニスを国に残して留学を決め、さらには長期休みでもなかなか社交の場に現れない神出鬼没で有名な男だったようだ。どちらかと言えば彼の兄の方が話題に上がることが多かったので、次男は歳が離れていると勘違いするほど彼の印象が薄かった。ましてやレベッカは学校に入学するまで国外にいることの方が多かったのだ。
彼とまだ正式な婚約を結んでないとしても、あれだけ盛大に関係を匂わせていれば、今のうちにお近づきになりたいのも当然だ。
特に問題なのは年頃の娘がいる貴族の目である。レベッカに対する敵意が隠しきれていない。彼が留学先の学校を卒業し、帰国したおりには自分の娘を売り込む気だったのだろう。参加する淑女達の中には在学中にレベッカを陰で笑っていた令嬢達もおり、彼女達から送られる視線も殺気に満ちている。彼女達のことだ。女遊びの激しい婚約者を持つレベッカが、いきなり一流貴族の子息に見初められ、話題になったのが気に食わないのだろう。
(何かされる前にとっとと退場しよう……)
父親からは「ゼノン殿との関係について断定的な答えをするな。曖昧に濁して適当にやり過ごしてこい」と厳命を受けている。正式な婚約の打診をされていない為、どっちに転んでもいいようにという配慮かと思ったが、父の考えは違う。一部の貴族達の話題がゼノンとレベッカに集中している今、貴族達は情報を欲しさに繋がりを求めてくる。それが公爵家の次男坊のこととなればなおのことだ。簡単に餌を与えてしまえば、あっという間に話が広がり、興味を失くした者はさっさと去っていき、欲しい繋がりも持てなくなる。悪いものも寄ってくることになるが、それはこちらで選別すればいい。
(仕事に有益な情報は得られなかったけど、繋がりたい家と知り合えたし、さっさと退散退散)
明日はクレソン侯爵家でのお茶会がある。今日以上にゼノンの話を振られるに違いない。主催との挨拶も済んでいることだし、明日の為に身も心も休ませよう。
「あら、レベッカ様ではないですか」
わざとらしい呼び止め方にレベッカは内心でため息をつきながら振り返ると、その懐かしい顔ぶれに声を低くする。
「ごきげんよう、卒業式以来ですね。リリアンヌ様」
取り巻きを引きつれて現れたのは、癖の強い白金の髪に深い緑色瞳を持つ美女、リリアンヌ。レベッカの同級生だ。子爵家の令嬢でかなりの美貌を持つ彼女だが、只今絶賛婚活中である。というのも、彼女は高望みして家柄や容姿を理由に男性を袖にしていた。そろそろ周囲の男性から「お高くとまった女」と認知され始めていることに気付いてないのだろうか。
ちなみに学生時代もいい男が捕まらず自尊心を保つためか「親に決められた婚約で女遊びの激しい婚約者持つより、自分で探せて良かった」とレベッカを嘲笑っていた女でもある。
これから言われる言葉が容易に想像つき、レベッカの心は一気に冷めた。
「聞きましたわ。なんでも馬車が立ち往生して困っているノヴァレイン公爵家のご子息をお助けしたとか。レベッカ様の優しさに見初められたんですってね。本当に羨ましいことだわ。婚約者がいらっしゃるのに」
やけに最後を強調して突っかかってくる。レベッカは表情を崩さずに問う。
「あら、何が言いたいのかしら?」
「いえいえ、なんでもありませんわ。でも……レベッカ様は商家である伯爵家のご令嬢ですもの。機を逃さない女性だとお見受けします。それに、あの婚約者を持つのですから、きっと男性の扱いはお手の物でしょうし」
(へぇ、私を奔放な女に仕立てようって考えね)
なんて浅はかな女だ。少なくともこの社交の場ではレベッカの方が爵位は上。おまけに彼女は自分の失言に気付いていない。
「まるでおっしゃる意味がわかりません。私は立ち往生している馬車をお見掛けしたので、ご助力したまでです」
「でも、その程度の優しさで惚れるものかしら? 馴れ初めについて噂を耳にしましたが、貴方があの方を誘惑していたようにも聞こえましたわ」
「まあ、リリアンヌ様ったら。まさかあのノヴァレイン公爵家の御子息が女性にだらしがないとおっしゃるの⁉」
大仰に驚いてみせると、周囲の目がさっとリリアンヌ様に向いた。そこで彼女はようやく自分の失態に気付いたようだ。一体その発言がどれだけ危ういかを。
「たかが伯爵令嬢なんて、袖にされるに決まっているのに。あの方を女性の誘いに簡単に乗ってしまうような方だと言いたいんですね」
「そ、そこまで言ってませんわ!」
「でも、確かに私があの方を誘惑したって……私はただ困っている方に手を差し伸べただけなのに……曲解だわ」
「ち、ちが!」
彼女はレベッカを陥れようとして、公爵家に喧嘩を売るような発言をした。勘のいい貴族なら社交界で流れるゼノンとレベッカの話が根回しによって広がっていると気づいているだろう。なんせ話題を積極的に広めたのは社交界の華であるクレソン侯爵夫人なのだ。
「では、なんとおっしゃりたかったのですか?」
隠しきれていない悪意を対処できないほど、レベッカは間抜けではない。口先だけの安い女とは違うのだ。
逃れられない周囲の目とレベッカの言葉によって、リリアンヌは悔し気に口元を歪ませる。
「わ、私はっ! 王宮の舞踏会を機にあの方がさらにレベッカ様を惚れ込んだって聞いただけですわ! 良かったですわね! ずいぶんと熱のこもった愛を捧げてくれる殿方に巡り合えて! お幸せに!」
そう捨て台詞を吐いていってリリアンヌをレベッカは呆然と見送った。
(あの日を機にゼノンがさらに私に惚れ込んだ?)
ただの嫌味だったのだろうか。しかし、思いもよらない周囲の言葉がレベッカの耳に届いた。
「クレソン侯爵夫人の言う通り、ノヴァレイン公爵家の御子息はずいぶん純情をこじらせてるらしいな」
「そりゃ、そうだろ。略奪になるわけだし。メイティン伯爵令嬢をあの様子を見れば、それだけ慎重に扱ってるって分かるしな。きっとすぐには婚約の申し込みなんてできないんだろう」
(は⁉)
あのゼノンが純情をこじらせている? 婚約の申し込みができない? 周囲は何を言っているんだ。ゼノンは純情なんて微塵に感じさせない腹黒だし、正式なものではないとはいえ、彼は再会してすぐに婚約を申し込んできたぞ。
「メイティン伯爵令嬢が実に健気ですわ。よほどあの婚約者に苦労をさせられたのでしょうね」
「そうに決まってます。でなければ今頃、公爵家の御子息に見初められたって有頂天になっているはずだもの。きっと殿方に良い印象を抱けず、あの方の好意を素直に受け止められないのだわ」
(え⁉)
確かに彼の好意を素直に受け止めていないが、それはトーマスよりもゼノンの腹黒さのせいである。トーマスの顔面のおかげでそれなりに美形は見慣れているし、公爵家という家柄はあまりにも恐れ多い。彼に声を掛けられたからと言って調子に乗れるはずもない。
本来こういった態度も好意的に見られないことが多い社交界で、こんなにも好印象に映ることなんてありえない。
(い、一体、この数日間に何があったの~~~~~~~~っ⁉)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます