第9話 第二王子と公爵家次男坊


 レベッカをエスコートしていたゼノンは、ロータリーで馬車を待っていた。公爵家の紋章を付けた馬車が目の前に停まり、ゼノンの手を借りて彼女が馬車に乗ったところで「では、私はここで」と微笑んだ。てっきり自分も同乗すると思ったのだろう。面食らった顔をする彼女にゼノンは内心で苦笑する。自分だって一緒に帰れるならそうしたい。



「一緒に乗らないの?」

「一応、未婚の男女ですし、今日は遠慮しておきます。両陛下にもご挨拶をしなくてはなりません」



 今回、ゼノンは両陛下に舞踏会の場を借りて、口説きたい女性がいると相談した。彼女の周囲の外堀を埋めたとしても、あのクズ婚約者は納得しないだろう。なので、ゼノンが彼女を囲っていると社交界に知らしめることにした。そうすれば、あのクズ婚約者の肩身がさらに狭くなるし、彼女を手に入れた暁には「とうとう婚約者に捨てられた憐れなクズ男」の出来上がりである。しかし、社交界初日は新たな紳士淑女の門出を祝うための一大行事だ。王宮という神聖な場所で、勝手な振る舞いをするわけにはいかなかった。両陛下はイグニスの性格を矯正したという大きな借りがある。そして略奪愛だとしてもゼノンの手腕なら大事にはならないだろうと許可が下りた。おまけに注目の的になった後、二人で休めるように客室まで手配してくれた。ここまで手を借りておいて挨拶もなしに帰るわけにはいかない。



(それに積極的に攻めましたからね……最後は一歩引くのも手でしょう)



 彼女の気を引くためにそんな打算もあったというのに、レベッカはホッとした表情を浮かべている。こういう思い通りにいかない部分も、なかなか好ましい一因である。


 ゼノンは彼女の手の甲に唇と落とすと、にっこりと笑ってみせた。



「また近いうちに貴方を口説きに行きますね」

「ホント何言ってるのよ、貴方は」



 ゼノンの言葉を本気にしないというより本気にしたくないという感情が顔に出ていた。自分の腹黒さを知られているので、きっと何か裏があると思っているのだろう。今はそう思ってくれていても全然かまわなかった。



「では、よい夢をレベッカ」

「ありがとう。そちらもね」



 名残惜しさを感じながらも彼女の手を放し、馬車のドアを閉める。馬車が発車し、見えなくなるとゼノンは再び会場へ足を向ける。ここからレベッカが今住んでいる屋敷までそれほど時間はかからない。彼女を送り届けた馬車が戻ってくるまで時間を潰そう。そう考えていると、イグニスが壁に背を付けて待っていた。顔を貸せと言わんばかりに、視線を送ってくる。彼の傍にはカローラの姿は見えない。男同士の話があるのだろう。ゼノンは肩を竦めてからイグニスの後をついて行った。彼らが向かった先は、さきほどまでゼノン達がいた客室だった。



「それでまだ何か用ですか?」

「あのお前が、女に興味を持つなんて珍しいからな。メイティン嬢のどこがよかったのか知りたくてな」



 彼はケーキスタンドに並べられたマドレーヌを口に運ぶ。



「まさか、他の女と違ってなびかない所にかれたとか?」



 人を小馬鹿にした言い方に、ゼノンは大きなため息を漏らした。



「いいですか、殿下。世の中にはですね、なびかない女にも二種類の女がいるんですよ」

「…………は?」


 まさかそう切り替えされると思ってなかったのか、聞き返してきたイグニスにゼノンは言った。


「まず、プライドが高くて自分は男にモテるという自信があるお高くとまった女。もしくは強がりですね。案外こういう女はチョロくてですね。しばらくおだててやった後、さっと身を引くと、躍起になって追いかけてくるんですよ。『あんなに私に夢中だったのに、なんで!』ってね。まるで殿下みたいですよね」

「おい」

「そしてもう一方の靡かない女ですが、異性として男に興味がない女です。彼女はまさに後者ですね」



 ゼノンは家柄も容姿も女性にひどく好まれる。


 しかし、酒場で初めて出会った時、レベッカはゼノンがどこかの貴族の息子だと分かっても、貴族の令嬢らしく持てはやしたり、色目を使うことはなかった。それほどころかゼノンを世間知らずだと思って世話を焼くお人よしである。



「私が『あのクズを捨てて私と婚約しましょう』って言ったら、彼女はなんて言ったと思います? 一度冷静になれって言ったんですよ、この私に向かって」



 まさか人生で初めて口説いた女性に、冷静さを問われることになるとは思ってもいなかった。実に面白い。



「こういう女性は、ある種『平等』なんですよ。無関心ともいいますけど。それに加えて彼女は公爵家の肩書にも飛びつかなかった。真っすぐに私自身を見てぶつかってきてくれる。だから、ちょっと嬉しかったんですよね。一人の人間として見られているみたいで」



 彼女は一目でゼノンをいい家柄の出身だと見抜いていたはずだ。それなのに『なんでも願いごとを聞く』という賭けにも彼女は『二人で飲んだことを言わないで』と実に無欲な頼みごとをしてきた。確かに一令嬢が下町で一人酒していたことを知られたら外聞が悪いが、もっと別の頼み事もできたはずだ。それこそ、婚約者を乗り換えるとか。飲み潰れたふりをしたゼノンに対して、宿を手配し、二人分の勘定を済ませた時は笑ってしまった。実に優しい女性である。こういう女性をゼノンは求めていた。



 レベッカは異性に対して興味が薄くても、きっと情の深い女性だろう。丁寧に落とし込んでいけば、いずれ異性としてゼノンだけに意識を向けてくれるはずだ。



「いいですね。恋がこんな面白いものとは思いませんでしたよ」



 心の底からじわじわと這いあがってくる感情に、自然と口元が持ち上がる。


 目の前にいたイグニスが不気味なものを見るような目をこちらに向けていた。



「なんですか?」

「いや、なんでもない」



 イグニスはそう言って、甘ったるいチョコレートを口に運ぶ。彼は甘い物が好きだが、考え事があると、とびきり甘い物を食べる癖がある。実に隠し事が苦手な男だ。



「気になることがあるなら、早めに言っておくことをお勧めしますよ?」

「本当に何でもない。……ただ、お前が伯爵家の婿養子に入るとなると、頼りになる右腕がいなくなるのが惜しくてな」



 イグニスの兄は身体が弱い。そのため、次期国王の有力候補はイグニスとされている。人並みの実力しかない彼には、ゼノンのような有能な人材が必要である。実際に公爵家の次男坊だったゼノンは彼の側近に適任とされていた。もし、メイティン伯爵家に婿養子になれば、必然と領地経営の他に商売などの仕事をすることになるだろう。家の仕事をしながら側近の仕事をこなすなんて普通はできない。いや、少なくともゼノンは余裕でこなせるが、やりたくないだけである。彼が何か血迷った行動をした時、たまに背中を蹴っ飛ばすくらいならやってもいい。



「ついこの間まで留学していたのにまだ言ってるんですか? そろそろ、私離れをしてください。こんな大きな子どもの世話なんてしたくないので」

「ああ。分かってるよ」



 昔はともかく、今の彼は実力が人並みでも人望がある。なんだかんだいって愛される男だ。かくいう自分もなんだかんだいって彼に世話を焼いているのは、そういうことだろう。



(まったく。それなりに優秀な人材ならいるだろうに)



 自分が留学を決めたのは縁談から逃げるためでもあったが、イグニスを自分から引き離すことも理由の一つだ。自分のような人間に頼り切ってしまえば、イグニスは何も考えなくなってしまう。彼には人を見る目を養い、自分で考えて付き合いを学ばなければならない。陛下はお目付け役として置きたかっただろうが、その完璧さ故に人材も環境も整い過ぎていてはイグニスの成長を止めかねない。留学中、ゼノンは長年イグニスの傍についていた侍従と協力し、彼の成長を見守った。そして、出来上がったのが『ひねくれ系愛され王子、イグニス殿下』である。


 実に彼らしかった。


 長期休みに帰省した時は彼の側近候補達とともにお茶会をしたこともある。あの時、夏だというのに彼らが凍えるような顔で席についていたのが面白くてたまらなかった。婚約者のカローラ嬢に義務ではなく一人の女性として告白する時なんて、周囲が温かく見守るほど彼は愛されている。


 今の彼にゼノンは必要ない。あとは彼自身が精神的にゼノンから卒業できればいいだけである。とはいえ、彼とも長い付き合いだ。ゼノンも寂しい気持ちがないわけではない。



「安心してください。私がいなくても貴方は立派な王になります。私が保証しますよ」

「…………ゼノン」

「でなかったら、ここまで教育してきた意味がなくなりますからねぇ……ええ?」

「…………ああ、お前はそういうやつだったな」



 イグニスは長いため息をつくと、ソファの背もたれに寄りかかった。



「そうそう、カローラがお前の恋を応援するってよ」

「ふふ。彼女はクレソン侯爵夫人に似て恋愛話が大好きですからね」

「今度お茶会を開くんだってさ」

「…………へぇ、彼女が」



 どうやら、今日のゼノンとレベッカの関係を裏付ける工作をしてくれるようだ。実にありがたい。さすが、クレソン夫人の娘である。



「殿下、恋の駆け引きって楽しいですね」

「人海戦術の間違いじゃないのか? いてっ!」



 ゼノンは容赦なく彼の膝を引っ叩いた。


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