第7話 得体のしれない男


 初めて王宮の客室に通されたレベッカは、部屋に並べられた豪華な調度品の数々に目を張る。ソファに腰を下ろしたゼノンとレベッカ達に侍女たちが紅茶やらお茶菓子などあれこれ用意し終えると、部屋の隅に待機した。王宮でこんな待遇を受けるとは思ってなかったレベッカは、ぼんやりと出された紅茶を見つめる。



(これは……伯爵令嬢が通されていい部屋ではないのでは……?)

「どうしたんですか、そんな呆然として?」



 さすが公爵家の息子は、慣れているようで寛いだ様子で紅茶に口をつけていた。



「もしかして、お酒の方が良かったですか?」

「紅茶で結構です」



 レベッカはそう言って、出されたクッキーを口にする。サクサクとした触感とほんのりとバターの風味が口の中で溶けていく。



(美味しい! さすが王宮!)



 まがりにも伯爵令嬢だ。おいしい物はそれなりに食べているが、やはり質が違う。クッキー以外にも色々食べてみたいものだ。


 次はどのお菓子を食べようか悩んでいると、隣から抑えた笑い声が聞こえてくる。怪訝な顔で見やれば、そこには穏やかなゼノンの顔があった。



「なんですか?」

「いえ、あまりにも真剣な顔でお菓子を選んでいるのが面白くて、つい。お菓子が好きなんですか?」

「それもありますが、味を覚えているんです。商売人の家ですから、いいお菓子の味も覚えなくてはやっていけません」

「そうでしたね。こちらのチョコレートも美味しいですよ。紅茶にも合うと思います」

「あら、ありがとうございま……っ!」



 ゼノンが口元までチョコレートを運び、にっこりと笑いかけてきた。



「はい、レベッカ。あーん」

「じ、自分で食べます!」

「そう遠慮しないで。あ、敬語もやめていいですよ。その方があなたらしいです」



 にこにこしながらチョコレートを近づける手は止めない。さすがに出会ったばかりの相手にこんなことをされるのは恥ずかしいし、ましてや侍女達が控えている前だ。こればかりはレベッカの矜持が許さない。しかし、どう断ればいいのか。彼は頭も口も回る。このままだと流れされてしまう可能性もあった。


 どうしたものかと急速で思考を巡らせていると、「ゼノン様」と侍女が呼びかけた。



「ご歓談中のところ申し訳ありません。イグニス殿下がこちらに……」

「お楽しみ中なので断ってください」



 えらく食い気味にゼノンが答えるが、戸惑う侍女の背後から二人の男女が現れた。



「断るな、この腹黒が」



 そう悪態をついて部屋に入ってきたのは、長い金髪を一つに括り、切れ長の目をした青年。この国の貴族であるなら知らない者はいないだろう。この国の第二王子、イグニス殿下だ。その隣にいる女性は、彼の婚約者、カローラ・クレソン侯爵令嬢。あのクレソン侯爵夫人の娘だ。何度かお茶会で顔を合わせたことがある。


 思わず表情をこわばらせたレベッカとは違い、ゼノンは笑顔のまま舌打ちをする。



「何か御用ですか?」

「本当に失礼な奴だな。人をあれだけコキ使って目的の女を手に入れといて、紹介もなしか? カローラはともかく、オレは初対面なのだが?」



 不機嫌そうにイグニスがいうと、ゼノンはわざとらしく咳ばらいした。



「…………殿下、こちらはメイティン伯爵令嬢です。レベッカ、殿。知ってますよね? はい、終了。さあ、帰った帰った」



 まるで羽虫を払うような仕草し、イグニスが眉間に皺を寄せる。



「お~ま~え~なぁ!」

「まあまあイグニス様、よろしいではありませんか。ようやく、ゼノン様に良いお相手が見つかったのですから。しかし、少し意外でした。まさかレベッカ様をお選びになるなんて」



 朗らかな笑みを浮かべるカローラと目が合い、レベッカが立ち上がって慌てて礼をする。



「イグニス殿下にご挨拶を申し上げます。メイティン伯爵家のレベッカと申します。カローラ様に置かれましては、お母様のクレソン夫人にはいつもお世話になっております!」

「ああ、非公式の場だ。そう固くなるな」

「ええ、そうです。いつも通りになさってください」



 そう言って、イグニスは向かい側のソファに腰を下ろし、カローラもその隣に座る。



「自己紹介する必要はないだろうが、イグニスだ。そこの性悪男とは幼馴染でな。ようやくコイツが思う『イイ女』を見つけたというから顔を見に来た次第だ」



 呆れた様子のイグニスに向かって、ゼノンは笑顔を浮かべる。



「ずいぶん上から目線ですね、誰に口を利いているんですか?」

「お前が偉そうなんだろうが! こちとら腐っても王族だからな!」

「ふ~ん、偉そう……ね?」



 ゼノンが意味深長にそう口にすると、イグニスの肩が小さく震えたのが分かった。



「七歳の時、木登りして降りられなくなったのを助けてあげたのは誰でしたっけ?」

「ぐっ! それは子どもの頃の話だろ」

「学生時代、外国語の試験が上手くいかなくて、長期休みの度に試験範囲の山を張って、練習問題まで作って採点してあげたのは?」

「おい……」

「カローラ嬢を射止めるのに根回しして、プロポーズの演出も手伝って、最後の最後でしり込みする貴方のケツを蹴っ飛ばしたのは?」

「やめろ!」

「やめろ?」



 ゼノンの笑みが深くなる。とうとう何も言えなくなったイグニスがレベッカに目を向けた。



「分かっただろう。コイツはこういう男なんだ。コイツに目を付けられたからには覚悟しておけ!」



 ゼノンの優秀さが分かる一方、イグニスの失態が露見する事態になってしまい、彼がなんだか可哀そうに見える。



「そういえば、殿下。あの時……」

「あー、分かった! 全面的にオレが悪かった! 謝る!」

「誠意が足りない。やり直し」

「……す、すみませんでした」

「よろしい」



 ゼノンとイグニスのやり取りを見て、カローラがころころと笑う。



「ゼノン様がイグニス様のお友達で良かったです。イグニス様はゼノン様には頭が上がりませんから」

「ええ、この高慢ちきを更生させる為に、どれだけ時間と手間をかけたか。不仲になったら言ってください。叱りつけに行きますから」



 レベッカは彼らの関係をよく知らないが、どうやら身分以上に上下関係がはっきりしている仲のようだ。たしか、イグニス殿下はゼノンの一つ上のはず。年下にここまで頭が上がらないほど、彼に助けてもらっていたのだろう。まるで友人というよりも、恐妻と尻に敷かれる夫のような関係図である。



「頼もしいですわ。レベッカ様、ゼノン様ほど頼もしい殿方はいません。ご安心くださいませ」

「は、はぁ……」



 頼もしいを飛び越えて恐怖すら覚える男にどう安心しろと。生返事をするレベッカの手をゼノンが手を包み込むように握って、顔を近づける。



「私に何か不満でも?」

「近い! 顔が近い!」

「おっと、失礼。でも、そういう男に不慣れな所がこう……からかいたくなる」



 ぞくりとするような甘い声にレベッカが硬直すると、その空気を壊す大きなため息が聞こえてきた。



「人前だぞ。まったく……」



 イグニスはそう言って、紅茶を手に取った。



「それで? 一応聞いておくが、お前はゼノンと婚約する気なのか?」

「え、そ、それは…………」



 言い淀むレベッカの代わりにゼノンが呆れたような声で言った。



「無粋なことを聞かないでください。私達は出会ったばかりなんですから、そう簡単に答えを出せるわけないでしょう? 女心が分かってないですね」



 それに同調するようにカローラが力強く頷く。



「そうですわ。これからじっくり仲を深めていけばいいのです。それにまだ正式に婚約解消をされていないのでしょう?」

「え、そうなんですか⁉」



 レベッカの両親とトーマスの家族の様子からすでに婚約解消済みなのかと思っていた。ゼノンが肩を竦めたところを見るに、カローラの言った通りなのだろう。



「私の力を以てしてでも、さすがに一朝一夕というわけにはいかなくてですね。実に不甲斐ない話です」



 事務的手続きの関係だろうか。もしかしたら、本人達の同意もなしには進められなかったのかもしれない。完全に外堀を埋められていないことに安堵を覚える。



(正直、政略結婚でもちょっと頷きづらいわ……彼との縁談は)

「しかし、実のところ正式に婚約解消されるまでに時間があって、良かったと思うところもあるんですよね」

「え?」



 驚くレベッカに向かって、ゼノンは不敵な笑みを浮かべて言った。



「やっぱり幸せにしたいと思う女性には、私のことを好きになってもらいたいですしね。むしろ、貴方を落とす時間があってよかった」



 普通の令嬢であれば、彼の言葉にどきりとしてしまうだろう。しかし、彼の正体を知ってしまったレベッカは、ぞくりと背筋が震えた。今の彼は裏社会の親玉に見える。トーマスという前例がある今、実はゼノンに騙されているのではないか、もしくは女性避けに使われているのではないかと勘くぐってしまう自分がいた。


 そんなレベッカの心情を察してか、イグニスは言う。



「レベッカ嬢、コイツを振るなら今だぞ。コイツは優良物件に見せかけた事故物件だ」

「私も自分がいい男だとは思っていないので、否定はしません」



 彼は自分できっぱりと言い切った後、「でも……」と言葉を繋げた。



「……さっきの言葉は間違いなく本心から出たものですから」



 どこか熱のこもった眼差しで見つめられ、レベッカが目を張ると、「まあ!」とカローラが声を上げた。



「さあ、イグニス様! 私達お邪魔虫はさっさと退散しなくては!」



 目をきらきらと輝かせた彼女はイグニスの膝を叩くが、ゼノンが首を振った。



「いえ、私達も帰りましょう。この後も二人きりというのもレベッカが落ち着かないでしょうし」



 ゼノンがそう言って立ち上がり、レベッカに手を差し伸べる。先ほどの視線に一瞬ドギマギしてしまった自分に動揺して、その手を取るが迷ってしまう。恐る恐る彼を見上げれば、感情が読めない笑顔を向けられていた。なぜかそれにホッとして、レベッカは彼の手を取った

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