第5話 自己推薦

 何を言っているんだ、この男は。公爵家の人間が、下町で一人酒していた女を嫁にとるなんてとんでもない話だ。しかし、彼は笑顔で言葉を続ける。



「経営知識があって、働き者で、貴方の家と同格かそれ以上の家柄の男が理想でしょう? 酒場の店主から聞きました。こう見えて家の店舗経営を手伝っていた時期もあります」

「待って、一度冷静になりましょう!」

「いたって冷静です。酒場の店主が言うように、貴方以上にイイ女は他にいないと思うんですよね。あのクズの言動を我慢するような忍耐力もありますし」



 彼はしみじみと言うが、考え直してもらいたい。この申し出は破格も破格。しかし、身に余る利益は己を滅ぼしかねない。



「そ、そのっ! まず私は、婿養子を探してるのよ!」

「ちょうどいいじゃないですか。私は次男坊ですし、家は兄が継ぎます。爵位を得ても伯爵位なので、喜んで婿養子になりますよ」

「下町で一人酒する寂しい不良娘ですが⁉」

「なら、今度から一緒に飲みましょう。いくらでも付き合います」

「えーっと、その、両親は⁉ それに周囲だっていきなり他の男性に乗り換えたら、変な噂が立つわ!」

「貴方の両親はもちろんですが、実はそれ以上に私の両親が大喜びしてまして」

「ど、どういうこと……?」



 公爵家の男だ。縁談なんて腐るほど飛び込んでくるだろう。ましてやこの顔だ。商売人気質な伯爵家の娘よりも良家の令嬢を連れ添っていた方がお似合いである。



「私、縁談を蹴りに蹴りまくって、親から逃げるように留学を決めたんですよね。それで卒業して帰国したら、両親にまた縁談を押し付けられたんです。もう腹が立ったので、今度は世界一周してくるって言ったら、とうとう親が泣き出しまして『この際だから、いつどこの誰でもいいから最終的に結婚してくれればいい。だから家に帰ってきてくれ』って。ちなみに貴方と会う前日の話です」

「どうなってるのよ、公爵家は!」

「それに周囲に関してですが……まあ、そろそろいいでしょう」



 彼はそう言うと、自分の腕をレベッカに差し出す。エスコートをするということだが、こっちは婚約者がいる立場なのだ。戸惑っていると、ゼノンは優しく微笑んだ。



「大丈夫です、レベッカ。私を信じてください。悪いようにはなりません」

「ほ、本当?」

「ええ。できれば、仲睦まじく見えるようにがっつり腕を絡めていただけると助かります」

「え……こ、こう?」



 がっつりと言われても言葉通りに受け取るわけにもいかず、少し遠慮がちに彼の腕をとると、ゼノンは少し声を落とした。



「うーん、これじゃ信憑性しんぴょうせいに欠けますね」

「し、信憑性……?」

「レベッカ、ちょっと失礼しますね」



 ゼノンはそういうと、ゆっくりと顔を近づける。突然のことに慌てて身を引こうとしたが、腕をしっかりと掴まれているせいで逃げることもできなかった。こつんと二人の額が重なる。鼻先が触れそうな距離に思わず呼吸を止めてしまうと、彼はにっと笑った。



「レベッカ、顔が赤いですよ?」

「な、な、なっ!」



 ゼノンが離れ、レベッカは熱くなった頬に触れる。どうしてくれるんだ。こんな顔では人前に出られない。



「うん。これでいいですね。ほら、レベッカ行きますよ」

「え、ちょ⁉」



 扇で顔を隠し、少し俯きながら会場に戻る。すると会場の客人達の視線が一斉にこちらに向いた気がした。



「ねぇ、あの方ってノヴァレイン公爵家のゼノン様では?」

「まあ、あの方が? 留学から帰ってらしたのね。でも、隣にいる方は?」

(ひえぇ~~~~っ! さっそく言われてる!)



 さらに顔を俯かせると、ゼノンがレベッカに耳打ちをした。



「大丈夫です。ほら、顔を上げて」

「む、無理! 無理よ」

「夜な夜な酒場で男の肝を潰していた女の名が廃りますよ?」

「それとこれとで何が関係するのよ!」



 別の意味で顔を赤くしたレベッカが顔を上げると、ゼノンが「本当に可愛い人ですね」と声を押さえて笑った。


 それを見た周囲が一瞬ざわつくのが分かる。



「見ました⁉ あの女嫌いで有名なゼノン様が女性を連れているだけでなく笑っていらっしゃるわ!」

「まあ、あのゼノン様にとうとう春が!」

「でも、一緒にいるのはメイティン伯爵家のご令嬢では……?」

(やばっ!)



 再び扇で顔を隠すと、ゼノンがまたちょっかいをかけてくる。



「ほら、レベッカ嬢。もっと顔を見せてください」

「お、おたわむれはおよしになって……」



 令嬢らしい口調に戻し、笑顔を作ろうとするが、自分が上手く笑えているか定かでない。とにかくこの場から逃げたい。今すぐに。



「でも、メイティン令嬢はご婚約されているのでは?」

「ああ、あの有名な方とですね」

「さきほどクレソン侯爵夫人から聞いたのですが、あのゼノン様から仲介を依頼されたのですとか!」

「まあ!」

「私も聞きましたわ。以前、ゼノン様の馬車が立ち往生してしまって、メイティン令嬢に助けていただいたんですって! ゼノン様がその優しさに惚れこんだそうよ」

「素敵! 正直、あの婚約者ではあんまりですもの。例え略奪愛でも、ゼノン様には頑張っていただきたいですわ!」

(あれ、どういうこと……?)



 醜聞しゅうぶんまみれになるかと思いきや、意外にも受け入れられている。それにこの馴れ初めはさきほど自分が聞いたばかりなのに、なぜ周りが知っているんだ。


 耳を澄ませると、どうやらその話の中心には、仲介に入ったクレソン侯爵夫人がいた。彼女は社交界でも情報通で有名人である。そんな人物が話を振れば、たちまち周囲に広がっていくだろう。特に女性は人の恋愛話が大好きなのだ。


 彼が中庭にレベッカを連れ出したのは単に酒場の話をするわけでも、ただ婚約を申し出るだけでもない。クレソン侯爵夫人が話を広める為でもあった。そして、顔を赤くしたレベッカが彼と共に戻ってくればきっとクレソン侯爵が話していたことに信憑性が増す。さらに言えば、レベッカの婚約者は女癖が悪くて有名なトーマスだ。十分に彼から乗り換える可能性はある。例え、レベッカとゼノンの間に本当に愛がなくても、女性嫌いの公爵子息がとうとう恋をし、クズ男から彼女を略奪したという話題性の富んだ構図が出来上がるのである。


 隣にいたゼノンが「これは事前に根回しをした甲斐がありましたね」と楽し気に呟いた。


 そして戸惑うレベッカにゼノンがそっと耳打ちをする。



「いいですか、レベッカ。これが上流階級の根回しと外堀を埋めるということです」

(上流階級こわっ!)



 もちろん、レベッカも貴族であるが、こんな高度な情報戦をしたことはない。これは公爵家と侯爵家の人脈があってこそ成り立つことなのだ。



「さて、それでは最後の仕上げです」

「仕上げ?」

「はい」



 ゼノンはそういうと、レベッカの手の甲に軽く口付ける。



「レベッカ嬢。私と踊ってくれませんか?」

「は、はい」



 もう逃げ場はない。そう覚悟をしたレベッカはゼノンと共にダンスホールの中心に移動したのだった。


 このダンスは会場の紳士淑女たちの話題を爆速でさらう出来事になった。どうやらゼノンが縁談を蹴り続けていたことは一部で有名であるらしく、そのゼノンが自ら仲介を頼み、ダンスを踊っていることに注目が走った。



「ねぇ、ゼノン様……両親は知っててもリグ家は……」



 ダンス中、トーマスの兄達やその両親達もこちらを見ていた。これはとんでもない裏切りになるのではないだろうかと、レベッカは密かに怯えていた。



「ああ、それも大丈夫です。とっくに根回しは済んでますから」



 ダンスが終わって戻ると、レベッカの両親とトーマスの家族が二人の下に集まってくる。



「レベッカ嬢、素敵な相手に恵まれてよかった」

「ああ、本当に。正直、愚弟に貴方は勿体なさすぎると思ってたんだ」



 そう言ったのはトーマスの兄達。そしてその後ろには顔を引きつらせているトーマスの両親がいた。



「愚息と婚約を解消してもこのまま良好な関係を築いて欲しいとこちらは考えている」

「ええ、そうですわ。トーマスはともかく、上の二人とは仲良くしていただいていますし」



 その四人の背景には「頼む! トーマスは捨て置くから関係は絶たないでくれ!」という必死さが滲み出ていた。



(いつの間にここまで根回ししたの⁉ というか、婚約解消は確定なの⁉)



 別の意味でゼノンが怖くなってきた。自分の知らないところで一体何が起きているんだ。混乱するレベッカの前に父が割って入ってくる。



「まあまあ、リグ家の皆さん。こんなところで話すことでもないでしょう。これからのことは、あとでたっぷり話しましょう。そう、たっぷりと……」



 やけに最後の語気が強い。どうやら父はかなりお怒りらしい。混沌化する祝福ムードに一人事情を知らないレベッカは戸惑いが隠せなかった。


 否、事情を知らない人物はいた。



「レベッカ! どういうことだ!」


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