第4話 お願いごと


 バルコニーは中庭へ行き来ができるようになっており、二人は中庭へ降りた。

 生垣に隠れるようにして二人は向き合うと、ゼノンは嬉しそうに口を開く。



「やあ、レベッカ。あの日以来ですね。元気でしたか?」

「なんで話しかけてきてるの⁉ 普通話しかけないでしょう⁉ ねぇ⁉」



 外面をかなぐり捨て、掴みかかりそうな勢いでレベッカは問いただす。彼は酒場でのレベッカを知っている。今更体裁を取り繕う必要はないだろう。そんなレベッカに彼はやれやれと肩をすくめた。



「なんでって……貴方には借りを作りっぱなしでしたから。お金だって結局貴方に支払っていただきましたし、宿まで手配いただいたので」

「社会見学だと思って奢られてなさいって! というか、どうやって私だって調べたのよ!」

「調べていませんよ。宿まで送ってくれた貴方の使用人に聞きました」

「……は?」

。お礼をしたいと家の紋章を見せたら、しっかりと教えてくれましたよ」

「まさか……起きてたの⁉」



 てっきり酔いつぶれたのかと思っていたのに。なぜそんなことをしたんだ、この男は。



「一人酒しているくらいですし、相当な訳アリに見えたので。このまま酔い潰れたフリをしたらどうするのかなーと思って社会見学していました。金払いもいいし、見ず知らずの男の為に宿も手配するし。色んな意味で驚きましたよ」



 それを聞いてレベッカは言葉を失いかけた。金持ちの道楽(社会見学)とはいえ、普通そこまでするのか。こちらの反応を見てくすくすと笑っている彼が憎たらしくて仕方がない。



「な、なんてバカなことをしてるのよ……っ! で、でもうちの使用人は何も言っていなかったわよ!」

「そりゃ、本人には黙っておくように言いましたから。でも、貴方の御両親は御存じですよ。ちゃんとご挨拶に伺いましたから」

「いつ⁉」

「あの日から一週間後ですかね?」



 あの日から一週間後といえば、レベッカが父親の名代で出かけていた日だ。父が急に用事ができたと言っていたのは、彼が来たからだったのだろう。言われてみれば、あの時はやけに家のみんなが落ち着いてなかった気がする。



「貴方は私との出会いを秘密にして欲しいということだったので、適当に話を作らせていただきました」

「…………口裏を合わせたいからどんな作り話か聞いてもいいかしら?」

「馬車が立ち往生していたことを助けていただいたといいました。おまけに宿まで手配していただき、宿までとはいえ公爵家の人間が安い馬車に乗るなんて格好がつかないし、未婚の男女が同乗するわけにもいかないから、紋章を外して馬車を私に譲り、自分は馬車を捕まえて帰ったと。貴方のお父様は『娘ならやりかねん』って言ってましたよ」



 言い訳にしては不自然すぎるが、実の父が納得するのも解せない。一体、父は自分の娘をなんだと思っているのだ。確かに下町の酒場で一人酒を決め込む不良娘ではあるが。



「本当にお父様は貴方の話を信じたの……?」

「どちらかといえば、私達の馴れ初めより別の話の方へ意識が飛んだっていった方がいいですかね?」

「どういうこと……?」

「聞きましたよ。貴方の婚約者、トーマス・リグでしたっけ? とんでもないクズですね。女遊びの上に、人の金まで勝手に使っていくとか。普通じゃ考えられません」

「ちょ、どこで聞いたの⁉」



 酒場では盛大に愚痴っていたが、お金のことに関しては慎重に扱い、トーマスの兄弟以外には相談したことがない。特にツケに関しては、絶対に父に知られたくなかった。いくら政略結婚でも烈火のごとく怒り狂うに決まっている。そうなれば、せっかくビジネスパートナーとして築いてきた彼の兄達と関係が途絶えてしまう。ただでさえ滞っている酒製造の事業が、さらに遠のくことになるのだ。



「酒場の店主からもそうですけど……社交界では結構有名な話みたいですよ。リグ家のクズ三男坊。どうやら彼の家族はあのクズ息子を貴方に押し付けたいようですけど、結婚に抵抗しているのはクズ本人だけとか」



 予想以上に婚約者のクズ具合が社交界中で知られていたことにレベッカは頭が痛くなる。これからどうやって社交界を生き抜こう。



(というか、この人。綺麗な顔して他人の婚約者をクズクズ言い過ぎじゃない?)

「とまぁそんな感じで、あなたのお父様にクズの話をさせていただきました」

「はぁっ⁉ お父様にあのクズの話を言ったの⁉」

「ええ。女癖の悪さは知っていたみたいですが、ツケの件は聞いていなかったみたいで。ウチで扱ってる店にもツケがあったので証拠に領収書の控えを見せたら、火が噴いたようにお怒りでしたよ」

「当たり前でしょ⁉ なんでそんなことしたの⁉」



 なぜ他家の人間が人のお家事情に首を突っ込んでくるのだ。破談になって困るのはレベッカだ。これを余計なお節介と言わずしてなんという。


 しかし、彼は怪訝な顔をレベッカに向けた。



「別に言ったっていいでしょ? 例えあんなクズとの婚約が破談になっても、貴方は痛くもかゆくもないはずです。貴方のお父様もお母様も婚約解消に大賛成でしたし、仲介を頼んだクレソン侯爵夫人もそれはもう喜んで引き受けてくれましたよ。あの子もようやくって」

「それは両親にとってでしょ⁉ それにクレソン侯爵夫人も…………ん?」



 さっき彼はクレソン侯爵夫人が良縁に恵まれたと言っていなかったかだろうか。彼女が仲介した相手は自分なので、あの子とは自分のことだろう。しかし、良縁とはなんだろうか。


 表情に出ていたのだろう。彼の笑みが深くなる。



「あれ? もしかして忘れてしまいました? 貴方が勝ったら、お願い事を聞いてあげるって約束」

「それは酒場でのことを秘密にするってことに……」

「酒代に宿代、おまけに馬車まで出してくれたのに、それだけじゃおつりでますよ。だから、もう一つくらいお願い事を聞いてもいいと思うんですよね」


 にやりと彼の口元が持ち上がる。


「あの時、貴方は言いましたよね? 幸せになりたいって」

「え…………?」


 ゼノンは片膝をつき、レベッカの手を取った。



「私があなたを全力で幸せにします。あのクズを捨てて私と婚約しましょう」

「え……えぇええええええええええええええええええっ⁉」


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