第2話 不良娘と不良息子
「はい。では、お言葉に甘えて失礼いたしますね」
顔色も変えずにそう言うと、彼はレベッカの隣に座った。
(え? なにこれ? 夢?)
太陽のように眩しく輝く金髪、海色の瞳、顔立ちは整っておりトーマスを凌ぐほどの美青年である。服装はちょっといいところのお坊ちゃんを装っているが、見る人が見れば貴族の人間だと分かる。周囲のざわつきようから、きっと他の客も彼が貴族だと分かっているだろう。ジョンも表情を硬くしており、「注文は?」とぶっきらぼうに尋ねる。
「そうですね。このお店で一番飲まれている物を。それと小腹が空いているのですが、食事などはありますか?」
彼がそういうと、ジョンは背後にある黒板を無言で指さす。そこには今日のおすすめのメニューやつまみが書かれていた。
「では、本日のおすすめに書かれているものを」
「まいど」
そういって、彼は厨房に姿を消す。普段は厨房いる妻に頼んですぐ戻ってくるはずのジョンが、なかなか戻ってこない。そして、ちょっと顔を出して、ジョンは『酒は何がいいんだ⁉』とハンドサインを送ってきた。お貴族様がやってきたせいでだいぶ混乱しているらしい。レベッカはさっきまでちびちび飲んでいたグラスを飲み干して厨房に向って言った。
「ジョン! エールよ! エール持ってきなさい!」
「あいよー!」
厨房の奥から元気な声が聞こえ、レベッカはため息を漏らした。
(なんで貴族の坊ちゃんが入店してくんのよ! よりにもよって隣とか!)
荒れたレベッカに絡まれたくない常連客はこぞってレベッカから距離をとっていた。カウンター席で空いていたのはレベッカの両隣だけだったのだ。
(一体どこの家の人? 歳は近そうだけど)
貴族にしたって見ない顔だ。レベッカと歳は近そうだが、貴族の子どもは基本的に同じ学校に通う。しかし、彼は学校どころか社交界ですら一度も見かけたことがない。こんな美形は一度見れば忘れないだろう。
ようやくジョッキを持ったジョンが戻ってきた。
「エールだ」
どんとジョッキで置かれたエールをレベッカはいつも通り片手で取ると、青年はぎょっとする。
「何よ?」
「いえ……普段見ない形状の容器で驚いたのと、女性がこんな重たそうなものを片手で持つなんてすごいなと、感嘆いたしまして」
「こんなのフツーよ、フツー」
ジョンが再び厨房へ逃げたのを見送ってから、レベッカは小声で話しかける。
「貴方、貴族のお坊ちゃんでしょ?」
「あ、やっぱりバレてしまいましたか」
茶目っ気のある笑顔を浮かべてそういう彼に、レベッカは呆れてしまう。
「そんないい服を着てたら一発でバレるわよ。それとさっきみたいな適当な注文の仕方したら、悪い店なら一番高い酒を吹っ掛けられるわよ」
「なるほど、勉強になります」
そうしみじみと頷く彼を見るに、結構世間知らずのようだ。
「んで、社交界シーズンで来たついでに社会見学?」
「まあ、そんなところですね。外で一人飲みってどんなものなのかと思いまして」
「好奇心があるのはいいことだけど、変に飲まされて潰れた後、身ぐるみ剥がされて外に放り出されるわよ?」
「いやに具体的ですね? まさか経験がおありで?」
「残念。私はそれを見てきた方よ。ここの店主はいい人だから安心しなさい。帰りの手配とかしてるの?」
「いいえ。こんなことしてるのが知られたら、きっと家人に怒られてしまいますね」
いらずらっ子のように笑いながら、彼はエールに口を付ける。少し表情が変わったのを見ると、普段口にしている物との質の違いに驚いているようだ。
「味じゃなくて喉で楽しむのよ」
そう言ってレベッカはエールを流し込んでいく。
「あ~~~~~~~、このために生きてる……っ!」
「大げさすぎません?」
「うるさいわね。こうでもなくちゃ、やってらんないのよ!」
「レベッカ、他の客に絡むな。迷惑だろ」
ジョンが簡単な肉の料理の他にも皿を持って戻ってくる。料理は隣の彼のものだろう。しかし、もう一つの皿はレベッカの前に置かれた。ナッツをサービスしてくれると言っていたが、彼はそのほかにチーズや干し肉まで用意してくれたらしい。
ジョンに目をやると、『さっきは助かった、食え』とアイコンタクトが送られ、レベッカは静かに頷いた。
家では肴に干し肉は出ないので、こういうところでしか食べられない。普段は小さくちぎって食べる所だが、やさグレた女らしく一枚のまま噛み千切った。
「あー、美味しい……」
「相変わらず商家の娘とは思えねぇ食い方だな」
「ほっといて」
こちらはストレス発散しに来ているのだ。堅苦しい食べ方はしたくない。
ジャンは呆れた様子を見せたあと、すぐに隣の彼に目をやる。
「そこのは、料理の味はどうだ?」
「はい。美味しいです」
出されたのは、焼いた肉に塩をかけ、簡単に野菜を添えられたもの。すでにサイコロ上に切られており、食べやすくなっている。ぱくぱくと口に運んでいるのを見ると、だいぶ空腹だったのだろう。
レベッカの後ろの席でわっと声がわいた。振り向くと酔っぱらった男がジョッキを持って立っている。
「がはははっ! 肝試しはオレの勝ちだ!」
彼が座るテーブルでは、突っ伏して寝ている男がおり、どうやら飲み潰れてしまったらしい。
「ったく、アイツら、やけに飲んでると思ったら……!」
ジョンが向こうのテーブルに行き、潰れた男を起こして運んでいく。ジョッキに口をつけていた青年が、不思議そうな顔でそれを見ていた。
「肝試し?」
酒場で肝試しなんておかしな話だが、これは単なる言葉遊びだ。レベッカは噛んでいた干し肉を飲み込んで言った。
「あら、坊や。酒場の肝試しは初めて?」
「なんですか、いきなりお姉さんぶった口調で」
「ジョークよ、ジョーク。酒場の肝試しは、単なる飲み比べよ。言葉遊びで『度胸を試す』肝試しじゃなくて、『肝臓を試す』肝試しってわけ」
「へぇ……飲み比べて何があるんですか?」
貴族の坊ちゃんには分からない遊びだろう。そもそも、大量にアルコールを摂取すると危険が伴うため、絶対にやってはいけない飲み方だ。貴族が酒の飲みすぎで死んだなんて醜聞も良いところ。
「単にみんな飲みたいだけよ。それで先に潰れた方が勘定を持つって感じね。社会見学にやってみる? 私と」
「ご冗談を。私より先に飲んでいたでしょう? こう見えて私、強い方なんです」
青年が不敵に笑って見せ、妙にイラッとしたレベッカはジョッキに残ったエールを流し込み、ジョッキをカウンターに乱暴に置いた。
「あら……この私を一体誰だと思ってるの?」
「え?」
「夜な夜な酒場に現れて、野郎を酒でぶっ潰す肝潰しの女とは私のことよ! さあ、笑いたきゃ笑いなさい!」
「不本意だったらそう言っていいんですよ。すでに酔っていませんか?」
「この程度で酔ってたら、こんな呼ばれ方してないわよ! 貴方が勝ったらここの酒代は私が払ってあげる」
「女性に払わせるのは、ちょっと」
「社会の先輩からの奢りだと思ってなさい」
彼は面食らったような顔をしたあと、苦笑する。
「は、はぁ……そうですね。先に飲んでいるハンデがありますし。貴方が勝ったら、なんでもお願いごとを聞いてあげます」
「あら、大きく出たわね。後悔しても知らないわよ」
「望むところです。ルールは多く飲んだ方が勝ちですか?」
「別に早く多く飲む必要はないわ。ただ最後まで楽しく喋って楽しく飲んだ人が勝ちよ」
「え? 飲み比べなんですよね?」
「自分で社会見学って言ってたでしょ。まずは雰囲気で楽しんでればいいのよ。酒の飲み過ぎで死なれたら馬鹿らしくてたまらないわ。お酒は無理なく楽しく飲む!」
「矛盾してる……」
「細かいことは気にしない!」
レベッカは彼がエールを飲み終えたのを見計らってから新しいものを注文する。ジョンが厨房にいなくなったのを見て、レベッカは小声で彼に言った。
「潰れる前に言っておくけど、私が勝ったら二人で飲んだことを誰にも言わないでくれない?」
「どうしてですか?」
「ここだけの話なんだけど、こう見えて私、貴族令嬢なの。一令嬢が下町で一人酒なんて外聞が悪いでしょ?」
「とんだ不良娘じゃないですか」
「お互い様でしょ?」
「ふふ、そうですね」
エールが届き、二人がジョッキを手に取る。
「それで合図はなんですか? 『よーいどん』とか?」
「はぁ? 何言ってんの?」
レベッカはそう言うと、持っていたジョッキを彼のジョッキに軽く合わせた。
「かんぱーいっ! でしょ?」
レベッカの言葉に彼は豆鉄砲を食らったような顔をしてから、くすりと笑った。
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