この度、酔い潰した男と婚約することになりまして
こふる/すずきこふる
第1話 飲んだくれ伯爵令嬢
「もうやってられるか、コノヤロウ!」
客が賑わう酒場のカウンターで、ジョッキを叩きつけるように置く女性がいた。長い金髪の高い位置で括り、顔立ちがはっきりしているおかげで薄く化粧を施しているだけでも華やかに見える。酒で頬はほんのりと朱に染まり、本来であれば色香を漂わせる美女だっただろう。しかし、その目は完全に据わっており、誰一人として隣に座ろうという者はいなかった。
「レベッカのヤツ、今日はずいぶんと荒れてるじゃねぇか」
「例の婚約者がまたやらかしたらしいぜ?」
「またかよ……さっさと婚約解消しちまえばいいのに」
酒場の常連客が話している声は、店の賑わいに紛れたおかげで彼女の耳には聞こえていない。
それ以上に彼女、レベッカ・メイティンの頭は自分の婚約者のことで頭がいっぱいだった。
(あ~、もうっ! ほっんと腹立つ! あのクズ!)
ジョッキを片手に内心で暴言を吐いているが、こう見えても彼女は伯爵家のご令嬢。そんな彼女が身分を隠して下町の酒場で飲んだくれているのにはわけがある。レベッカは数か月前に貴族の学校を卒業したばかりだ。女子生徒は卒業後に嫁いでいるのがほとんどだが、彼女は婚約者がいるにも関わらず結婚していない。それはひとえに婚約者のせいであった。
彼女の婚約者、トーマス・リグはメイティン家と同じく伯爵家で三男坊だった。レベッカの家は商売人の家系で、互いに商品開発や流通に精通しているおり、結び付きを強める為に婚約した。いわゆる政略的婚約である。しかし、トーマスは親兄弟たちに甘やかされて育った。おまけに顔立ちもよく、女たらし。学生時代では数えきれないほどの女性と浮名を流していた。
さすがに女遊びも学生までだろうと高を括っていたが、彼の女遊びは今も続き、結婚を先延ばしにされていた。それに加えてレベッカの名前を使って、他所でツケまでこさえている始末。婿養子になるくせに金ばかり使って家の仕事を覚えない婚約者に苛立っていた。婚約者のツケを父親に知られるわけにはいかず、支払いはレベッカの私的財産でどうにかしている。
(もう~! なんであんなのと結婚しなくちゃいけないの⁉ アイツのお兄様達はまともな紳士なのに!)
真っ当な兄の下で育ったくせになぜ、あんな問題児になってしまったのか。ただただ疑問である。婚約解消をしたいが、関係が壊滅的なのはトーマスだけで、リグ伯爵家を継ぐ予定の長兄、そして家を出て別事業と興している次兄とは良い関係を築けている。何度か彼の兄達に相談をしているが、トーマスは一向に話を聞かない。いっそう兄のどちらかに乗り換えられないかと思っても彼らはすでに既婚者だった。
(新しい事業でワインを作ってみたくて計画を立てているのに、これじゃアイツのツケの支払いで何もできないわ!)
酒好きが高じてワイン販売に興味が出たレベッカは、学生の頃から経営や製造の知識を学び、資金を集めていた。ブドウ畑作りにしたってワインの製造にしたって準備に時間もお金もかかる。それが婚約者のせいで一向に進んでいない。
初めは庶民が嗜む酒がどんなものか知る為に、身分を隠して下町に足を運んでいたが、ストレスが溜まりに溜まった今では顔なじみになるほど飲んでいた。
「今日はずいぶんと飲むペースが速いな。少しは水でも挿みな」
酒場の店主、ジョンがグラスに水を注ぐ。
「私にとっちゃ、酒も水みたいなものよ」
「おうおう、肝臓の強くて羨ましいこった」
レベッカはグラスに注がれた水を一気に仰ぐ。その令嬢とは思えない飲み方のおかげで、周囲にはそこそこいいところの商家の娘で通じてしまっている。正直、商家の娘が一人酒をするとは思えないが、そこはレベッカの金払いの良さが幸いしたのだろう。
「あ~、生き返るわ~……もう一杯、よろしく」
「へいへい。それで、噂の婚約者様は何をしでかしてくれたんだ?」
「今日は違うわ。アイツの遊び相手が彼女ヅラして突っかかってきたのよ。『貴方、彼からプレゼントも贈られたことがないんですって? お可哀そうに~! おほほほほっ!』ってね……!」
世間では社交界シーズンを迎えようとしている。多くの貴族が王都に集まり、その準備をしているのだ。すでに準備を終えていたレベッカは、王都の市場視察に出かけていた時、最悪にもトーマスの遊び相手と遭遇してしまった。
トーマスは見てくれはいいが、実は彼より身分の高い女性からは相手にされない。彼もそれを分かっているし、何か問題があっても困る。そのため言い逃れがしやすく、遊んで捨てても大丈夫な相手を選んでいた。今日突っかかってきた女も然りである。彼女は男爵令嬢だが、父は好色と有名で子沢山。自分の娘は相手の年齢問わず嫁がせているらしい。つまり良縁がなければ、どこぞの金持ちの老人の妾になる未来なのである。
男爵家の令嬢に伯爵家の男は上々の相手だろう。おまけに婚約者であるレベッカとトーマスの仲は冷めきっている。そこに自分が割り込めばいい。その女はたまたまレベッカを見つけて、追いかけてきて「正妻の座は譲って上げてもよろしくてよ」と言っていたのだ。
(何がプレゼントよ……あんたの首にぶら下がってるものから足の先に至るまで全部私の財布から出てんだっつーの。自分は捨てられないっていうその自信はどこから来てんのよ……!)
レベッカのグラスを握る力が強くなるのを見て、ジョンが「うわっ」と顔を青くする。
「鬼みてぇな顔しやがって。そんな男、さっさと捨てちまえよ? そんで新しい婿さん探せばいいだろ」
「それができれば苦労しないわよ! 私より若い子がジャンジャン売り出されていく中、条件に合う男が見つかると思う⁉ 経営知識があって、働き者で、うちと同格か、それ以上の家!」
「商家で働き者ならいくらでもいそうだけど、お前の家と同格かそれ以上か……お前、ウチでアホみたいに飲んで帰るし、その上、金払い良いもんな。……そうなると貴族様くらいしか見合う相手いないんじゃねぇの?」
(その貴族様の中でもいないのよ!)
そう叫びたいのを抑えて、レベッカは新たに注がれた水を飲み干すとジョンに突き返した。
「酒よ、酒! 酒を飲ませなさい! 飲んでないとやっていけないわ!」
「お前、さっきからずっと飲んでばっかじゃん」
「酒場で酒を飲んで何が悪いのよ!」
「はいはい。ナッツでもサービスしてやるから機嫌直しな」
「ありがとう、さすが私の婚約者よりいい男は違うわね」
「底辺と比べられても嬉しくねぇよ」
そう言って、彼は厨房にいる自分の妻に注文を頼んでいた。やはりいい男はすでに結婚しているものである。
(お酒の事業が上手く行ったら、ジョンのお店に試飲用のボトルを置いてもらえないかしら……まあ、それよりまずは事業を興すところから始めないと……)
グラスに入った酒をちびちびと飲み始めると、隣に誰かがやってくる気配を感じた。
「すみません、お隣よろしいでしょうか?」
「は? 座りたいなら勝手に座りなさいよ」
レベッカがやさグレ気味に目をやると、そこには柔和な笑みを浮かべた青年が立っていた。貴族令嬢の自分も目を張る上質な生地を使った衣服、気を遣った身だしなみ、そして礼儀正しい佇まい。どこからどう見てもちょっと下町に遊びに来た貴族のお坊ちゃまがそこにいた。
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