第5話:なぜ、人は選択をするのか? ⑤

 これは小さな事だとは思うが、子供たちからすると新たな側面に気が付くことや大人から提案をされることで子供自身の小さな気付きにも繋がっていく事になる。


 今は子供と大人の距離が以前に比べるとかなり近くなっており、子供たちが大人から情報を得やすくなっている。


 だからこそ、子供たちの成長のためには段階的学習方針や課題選択の自由など自分が出来る事からスタート出来る体制を構築することも1つの子供たちに対する選択肢に繋がるかもしれない。


 そして、それらの方針や選択に大人がフォローする形で子供たちの知識構築や子供たちの関心・意欲や興味・知識を引き出すために必要な手段を考えることも子供たちが選択しやすい環境に置くために必要な事だろう。


 私は何事も“Give to Give”で成り立つと思っていて、その部分においてどのように教育段階で子供たちに習得させるか、子供たちがどのように学ぶ機会を作るかが今の課題だと思う。


 また、現在は子供たちが選択したことに対して大人から抑圧をかけられてしまう立場であり、子供たちの自由をきちんと確約することには至っていない。


 この部分をどのように子供たちとの折り合いをつけるか、どのように子供たちの主張をどのように大人が受け止めるのかを真剣に考えていく必要があると思う。


 なぜなら、現在は虐待や暴力を受けたとしても児童相談所などが一時保護や強制保護を命じないと保護出来ないし、いじめや嫌がらせなどを受けたとしても守れる場所は自宅だけなのだが、子供によっては家にも居場所がない子供や家族に迷惑をかけたくないという理由で別の場所を求める子供など難しい個人選択を迫られることも十分に考えられるのだ。


 このような状況を変えるためにも子供たちが自分たちの出来る選択を最大限に活かすことが出来るように特例法や必要な場合には家庭分離も視野に入れながら子供たちが生きやすい選択をしながら“生きる”という“希望”を見出せるように社会を大人も子供も尊重出来る社会を多角的な視点から形成していくことで子供たちが他者に流されない自己選択の基礎を構築する事が出来て、そこから自己選択に対する責任と相互理解に基づく双方の意思共有や個別の意見共有など自らの視点を社会的観点から自己観点について分析してみることで、自分の価値観と社会の価値観を対比することが可能となり、子供たちが成長していく上で必要な判断や規範を見つけて、“他者からの気付き”や“気付きから学びの転換”など子供が成長する過程で“自分”という存在が“社会”という場所で活躍するために必要な知識や見識などを得られることで、自分を確立出来るようになっていく。


 しかし、現状はまだかなり難しい展開を強いられることが多いような印象がある。


 特に学習面で後れを取り始めている子供たちにおいては目の前に課されている学習課題に対してネガティブなイメージを持ってしまう、問題に取り組む事を諦めてしまうなど自分が出来る事と出来ない事を区別出来ていて、そこから自分に対して得なのか?損なのか?といった損得勘定が芽生え始める。

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