第4話:なぜ、人は選択をするのか? ③-1

そのため、学習が遅滞している子供たちがいた場合に十分な学習フォローや難易度の設定が上手くいかず、精神的に追い詰められていく可能性がある。


 特に低学年などの学習導入期における学習挫折や知識差・理解力などが子供の学年が上がっていく度に比例的に広がる懸念があり、子供たちの学習に対する姿勢が失われることや4年生以降になると私立校などを受験し、入学を目指す児童とそのまま近隣の学校に入学する児童に分かれるため、教職員側で授業をコントロールする事が難しくなる可能性や学習内容によっては塾などで先行学習が進んでいることもあり、子供たちの学習進度が個別で異なっていることで“これくらい出来て当たり前”という先入観が子供たちの間で出来てしまわないか心配な部分でもある。


 特に中学生になると小学生までとは異なり、個人選択が尊重される場面も増え、それに伴って責任も重くなることが多い。


その他にも学習科目数なども更に広がり、部活動や地域活動などにも参加するなど子供によっては小学生の時よりも忙しくなる子供も増えていく。


 私は基礎のみを授業で実施し、その他の学習に関しては個別学力に合わせたテキストを用いることや解説データを用いて説明するなど子供たちの“学力向上”よりも“学力定着”に比重を置くことも時には大事な事だと思う。


 その理由として、さまざまな場所で“子供たちの学力が低下している”という話をよく聞く。


 その話の中で“勉強よりも遊びをたくさんやっている”という話もあり、それらを前提として仮定したときに出来る事は多いはずだ。


 例えば、子供たちがスマホなどの電子機器に没頭する可能性があるなら放任するのではなく、何らかの提案をする必要があると感じる。


 なぜなら、子供たちというのは“出来ない”というだけで学習意欲が低下することも多いし、“分からない”というだけで課題を投げ出してしまう事も多い。


 その部分を大人たちがどのように改善するのか、どのような指導法が本人に合っているのかを見極めることも子供たちの学習環境において良くも悪くも課題が見えてくる。


 私が学生の時に担当していた子供たちも“出来ない”と言っていたが、視覚教材や英語などはカタカナ語を使い、子供たちがイメージをしやすい情報を子供たちの脳内に構築し、そこから実音(実際の発音)を認知させることで“出来ない“が”難しい“に変わり、興味・関心を引き出すことが出来るようになっていった。


 つまり、子供たちの“出来ない”は“本当に出来ない”ではなく、“フォローしてください”という自分の中に“選択肢”が欲しいための意思表示だと思うし、“分からない”も“本当に分からない”という子供もいるが、多くは“もう少しで分かりそうだ”という自分の中では頑張って考えて選択したいが、自分の持っている情報だけでは判断できない状態であるということを前提に考えていくと感情的になることは避けられると思う。


 今は教育格差などの学習機会において個人差があり、その個人差をどのようにフォローしていくか、その個人差を活かして何が出来るかを考えていくことも大事だと思う。

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