第3話:なぜ、人は選択をするのか? ③
しかし、これらに“絶対”や“必ず”という確約された状態になっているという保証はどこにもなく、場合によっては幼少期に体験した記憶が辛い経験として成長段階でも脳内に保持されることで本人が人間不信や対人恐怖症などの精神的に追い詰められた状態になり、普段どおりに日常生活を送っていても突然フラッシュバックしてしまう、自分にされた事が目の前で起きると身体が固まってしまうなどの精神的な反応が突然襲うことで生活に支障が出るほど本人の心身に支障を来し、関係構築が困難な状態に陥る可能性がある。
実際に私も幼少期から今までの辛い体験や経験の記憶が脳に残っていることもあり、今でも無意識のうちにフラッシュバックが起きる事やパニック状態になる事もあるのだから、1度の心の傷が完全に癒えるというのは本人が努力をしたとしても“奇跡”に近い事だと思う。
こういう体験・経験をしている子供たちの中には「僕の・私のクラスのお友達が選べると良いのに」と言っている子供もいて、その理由が「また1人になってしまうかもしれない」や「安心して学校に行きたいから」など多種多様な理由がある。
ただ、これらの選択は幼少期から繰り返されてきているが、実際に影響が出始めるのは小学校3年生以降とも言われているため、小学校入学時の段階でここまで深刻になっている場合は子供の選択の仕方を注視しなくてはいけない可能性も出てくる。
そして、小学校に入学すると個人で選択することが入学以前よりも増えるため、選択の習慣がついていない子や基準が明確になっていない子は混乱しやすい傾向にもある。
その理由として、“自己判断できる環境の定着”と“自己判断における他者からの尊重など本人の意思でどの程度判断する習慣がついていて、第三者との意思疎通が出来るようになっているかが新たな経験から成長に繋げるきっかけを作ることに繋がっていくからだ。
今は自己判断力が幼少期から備わっている子供は多くない。
なぜなら、多くの子供たちは“お父さんの言うことを聞いてください”や“お母さんの言うことを聞いてください”・“先生の言うことを聞いてください”など大人が言っている事に従って判断する指導や大人が正しいという先入観を植え付けてしまっている場合が多く、自分で判断をしたとしても大人が子供の判断を遮る形で自分の意見を通してしまうなど大人優位の関係構築が目立つ。
そのような環境では子供自身に自己肯定感や自尊心が芽生えない可能性があり、十分な自己判断力は育たないと思うし、社会においては大人の方が経験値は高いため、大人の判断が正しいと思い込むことで自分の判断ではなく、両親や先生など大人の価値観や判断が中心になりかねない。
ただ、大人の知見で子供の判断力を育てる事やその環境で必要な判断をいきなり子供にさせることは子供が精神発達していく段階や判断基準形成の際において個人差が生まれることを理解しておかなくてはいけない。
しかしながら、日本においては“相対評価”が定常化しており、判断基準も“年齢相対”や“学年相対”など相手に対して“こうでなくてはいけない”という先入観を先行させる形で他者を評価する傾向があり、学校等も“決められたカリキュラムをこれくらいこなせているから、この学年の学習内容はこのくらい出来ている”という判断をする。
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