第29話 閑話3.婚約
「ここに、カラン・タンビュライトとローズマリー・アンブローシアの婚約を認める」
厳かに告げる司祭が台座に羊皮紙を乗せる。
そこへ、タンビュライト公爵がサインを行い、次にアンブローシア伯爵が続く。
一族の婚約の決定権は当主にあり、カランとローズマリーがいくら望んでも両家の当主が了承しなければ婚約は成立しない。
婚約が成った場合、余程の事が無い限りは結婚に至る。
ルチルのように婚約破棄となるパターンは稀の稀で、婚約を決定した両家の面子もあり、婚約後は粛々と結婚に向けて進めていく。
習慣として婚約成立後はお互いの親睦を深め、問題ないかを確かめる期間が置かれる。
あくまで習慣であり、お飾りではあるのだが……。
そもそも、婚約に至るまでお互いに会ったこともない、ということはまずない。
シルバークリムゾン王国には隣国というものがなく、結婚するとすれば全て国内の誰かであるからだ。
王国は広大ではあるものの、王都に住まぬ貴族でも年に数度王都を訪問する義務がある。
公爵と伯爵が羽ペンを動かす姿を後ろから眺めていたローズマリーはにいいと口角をあげた。
その顔は天真爛漫で天使のような笑顔を浮かべると評判の彼女に似つかわしくないものだった。
これが本来の彼女である。だが、本当の彼女の内側を知る者は誰もいない。家族でさえも。
表情に出ることがあっても、誰も見ていないことを念入りに確認することを怠らないローズマリーである。
いつもなら自室以外で本来の顔を見せることはないのだが、この時ばかりは違った。
父様がいくら姉様を溺愛していたとしても、カラン様とマリーの結婚を認めないわけはないわ。
王家にも連なる公爵家と婚姻を結ぶことが、家のためにどれほどのものになるのか父様はよおく分かっていらっしゃるもの。
タンビュライト公爵としては、他の家の令嬢と婚約をしても痛手ではないわ。だけど、アンブローシア伯爵家にとってはそうではないものね。
父様は姉様ではなくわたしに感謝しているわ。あははは。
だって、わたしがカラン様と相思相愛になっていなければ、一度ご破算になったアンブローシア伯爵家との婚約がまとまるなんてことがなかったんだもの。
うふふ。笑いが止まらない。
口元を隠し笑う。目の端に涙が浮かんできたところをカランに見られてしまったローズマリー。
しかし、彼女はパッといつもの天使の微笑みを浮かべてカランに目線を送る。
「嬉し過ぎて、涙が浮かんできました」と。
彼は正確に彼女の意図を汲み取ったようでぎゅっと唇を噛みしめ、感慨深げに頷くのだった。
そんな婚姻の様子を赤毛の騎士を控えさせた銀色の長い髪を後ろで括った青年が見つめている。
青年の目が鋭く光ったことをこの場の誰も知らない。
◇◇◇
「確信したよ。悪意だね」
王国菜園で優雅に紅茶を口にしたギベオンが一人呟く。
独り言のつもりであったのだが、クッキーを詰め込めるだけ口に詰め込んだヘリオドールが反応する。
口の中のクッキーを盛大に飛ばしながら。
「何がなんだ? 兄様」
「聞こえていたんだね。ルチルの調査のことさ」
「ルチルの? 分かったのか。さすが兄様だ!」
「いえ、原因は不明なままだよ。だけど、彼女の様子から確信したという話だよ」
「彼女って誰だ? ルチル?」
「ルチルのことを調べているのだから、ルチルではないよ。彼女の妹のことさ」
「そうなのか! 俺は妹じゃなくルチルをもらってやるんだ!」
話の意図がまるで伝わっていない弟にため息をつくのではなく、微笑ましい気持ちになるギベオン。
どうか彼はこのまま真っ直ぐに育って欲しい、と頭の中で思いながら。
ギベオンが呼び鈴を鳴らす。
チリンチリンと澄んだ音が響き、侍従がパタパタと誰かを呼び行く。
やって来たのは赤毛の騎士レオだった。
「お呼びでございますか? ギベオン王子」
「うん。何度もすまないね」
「かけてくれ」と指で示したギベオンに対し、一礼してから彼の対面に腰かけるレオ。
「食うか」とヘリオドールがクッキー缶をレオに向けるが、彼は固辞していた。
「いえ。お呼び出しされたということは何か分かったのですか?」
「新しい事実はないよ。ただ、ローズマリーが一服盛っただろう」
「魔女の秘薬ですよね。効能はお聞きした通りですよね?」
「そうだね。魔女の秘薬は一時的に魔力を空にするが、空にすることによって魔力の器が広がったり、魔力回復量が高まったりすることがある」
「はい。悪い物ではない。事実、エミリーはすぐに元に戻りましたし、過去に秘薬を飲んだ者も同じく回復しております」
「うん。ローズマリーが姉のことを想い、貴重な秘薬をコッソリ食事に混ぜたと推測していた。だが、異なる」
「実は秘薬ではなく……ということですか?」
レオにはギベオンの意図がまるで分らず、戸惑うばかり。
一方でギベオンはいつもの調子で淡々と言葉を続ける。
「いや、秘薬は変わらない。ローズマリーの意図が善意ではなく悪意から実行に移したということだよ。まさか、ルチルの魔力が元に戻らないと思ってはいなかっただろうけどね」
「悪意……ですが。俄かに信じられません。彼女は姉のことをいたく慕っていたはずです」
「そうだろうか。僕は確信したよ。婚約の席に同席させてもらってね。彼女から発されたオーラは、聞き及んでいた彼女の人となりとまるで異なる」
「まさか……」
ルチル、ローズマリー双方と縁が深いレオでさえこれか。
ギベオンはローズマリーの擬態能力に感心する。しかし、結果はどうであれルチルに悪意を持って薬を盛った事実は変わらない。
とすれば、何のために薬を盛ったのかもすぐに想像がつく。
だが、魔女の秘薬を盛ったとしてもどうとでも言い訳ができる。
どうしたものか。
ギベオンは再び思考の海に沈むのであった。
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