第12話 大賢者

「ま、迷っちゃった……」


 しばらくは順調に進んでいたんだ。だけど、蔦の化け物に追いかけられちゃって、元伯爵令嬢らしく木登りしてどこかに行くのを待ってたの。

 そうしたら、蔦が足元まで迫って来て、隣の木に飛び移って、また蔦が……を繰り返してね。それで、蔦の化け物がやっと諦めてくれた。

 だけど、必死で逃げていたからどこにいるのか全く分からなくなっちゃったというわけなのよ……。

 

「木から木へ飛び移るなんて……なかなかやるじゃない私」


 完全に空元気で親指を立て「よし」と振舞う。(もちろん誰も見ていない)

 ところがどっこい、足元にズズズズという嫌な音が。

 

「きゃ、きゃああ。まだ諦めてなかったのー」


 ウネウネと動く蔦が脚をからめとろうとしてくる。

 慌ててその場で跳躍し枝に捕まってよじ登った。し、しつこすぎない?

 古代種の鉢を置いて行けば確実に振り切ることはできるけど、それはダメ。魔力を失った私ではもう二度と、古代種を芽吹かせることはできないのだから。

 遥かな古代に栄えていたという新緑の木は王国内では絶滅しており、かつての姿を文献から想像することしかできない状況なのよ。

 だから、この古代種を失えば、もう二度と見ることはできない。

 大賢者様がいたく好んだという古代種は成長すると大木になると言う。なによりせっかく芽吹いてくれて、ギベオン王子から託された古代種を放置して帰るなんて「緑の魔女」としても「私個人」としても看過できないわ。

 

 枝にぶら下がってブランコのように後ろへ勢いをつけ、手を離す。

 隣の木の枝へ手を伸ばし、掴む。

 ふう。うまく行った。毎回毎回綱渡り……枝を掴むまではドキドキが半端ないよ。

 ボキッ。

 嫌な音がした。

 

「ま、待って」


 懇願虚しく音がますます大きくなり。根元から枝が折れてく。

 蔦も私を捉えようと伸びてきているし、ど、どうしよう。

 幹に張り付いて。

 

 ボキキキキ! 

 

「きゃ、きゃああ!」


 お、落ちるうう!

 ところが、蔦が私の右腕に絡みつき落下が止まる。

 その瞬間、グイグイと引っ張られ、足場もなくまるで抵抗できない私は成すがままになってしまう。

 ダ、ダメ。古代種が。

 蔦が私を背中から木の幹へ叩きつけようとしてきたものだから、私の背中ごと鉢がダメージを受けちゃう。

 

『何てことをするんだ!』


 頭の中に声が響き、風の刃が蔦を切り飛ばす。

 支えが無くなった私はそのまま落下。

 ところが、地面に激突する直前、フワリと体が浮き衝撃などまるでなくお尻が地面についた。

 

「な、何が……」


 急激な状況変化に頭がついていけてないけど、こんな近くまで来ていたなんて。

 なんと、蔦の化け物と私の距離は僅か10メートルのところにまで迫っていた。 

 覚悟を決めオートクロスボウガンを構える。 

 シュルシュル。

 多数の蔦が上下左右から私を絡めとろうと襲い掛かって来る。

 バシュ! バシュ!

 再びの風の刃が横凪に奔り、蔦の化け物は斜めに斬れズウウンと地面に転がった。

 

「た、助かった……?」


 緊張の糸が切れた私はへなへなと体から力が抜ける。

 ペタンと太ももを地面につけて座り込み、オートクロスボウガンを胸に抱えるようにして大きく息を吐く。


『ツリーピングバインのやつ。どれほど貴重で大切で崇高で、かけがいのないものか分かっているのか?』


 また声が頭の中に響く。

 音として聞こえていないのに、男の子の声というのはどうなっているんだろう?

 声の感じからしてレオくらいではなくギベオン王子くらいかな?

 ぼーっとしてたらダメ。助けてもらったのだから、不思議に思う前に口を動かさなきゃ。

 

「ありがとうございます。おっしゃる通り、命はかけがいのないものです」

『命……? あ、そうだな。それも大事だな』


 何だか話が通じていないような……。

 戸惑っていると――。

 すとん。音も立てずに枝の上から男が降り立った。

 ボロボロの灰色のローブをまとった黒目黒髪で歳の頃は二十代半ばといったところ。予想通りギベオン王子くらいの歳の頃だったわ。

 なんだかちょっと嬉しい。

 黒目黒髪は珍しいけど、この人から「凄い人」が持つ独特のオーラは感じ取れなかった。

 なんというかどこにでもいる普通の人? みたいなそんな感じがする。

 でも、こんな危ない森の中にいる人だから只者じゃないことは確かだよね。

 

「私……私はルチル・アンブローシアと申します。助けてくださりありがとうございました」


 立ち上がって深々と礼をしようとしたら男が「待て」と声を出す。

 今度は肉声で、頭の中じゃなくしっかりとした音として聞こえてきたわ。

 

「落ちたらどうするんだ。もっと丁寧に扱えよ。全く」

「落ちるとは?」

「元の姿勢に戻ってくれ。危なっかしくて見てられない」

「は、はい……」


 言われた通り、ペタンとその場で座り込む。あ、男の人の前だから、スカートにスカーフを乗せなきゃ。

 持ってなかったので、手ぬぐいをスカートに被せた。

 微妙な沈黙が流れる。

 耐えきれなくなった私は彼に尋ねてみたの。

 

「あなたが新緑の大賢者様ですか?」

「そんな大層なもんじゃねえ。ずっと森で暮らしている」

「や、やはり! 大賢者様、折り入ってあなた様にお願いしたいことがございます!」

「ま、待て。だから……」


 何か言おうとした彼はパタリと倒れこんでしまう。


「大賢者様!」


 彼に駆け寄り、額に触れ……あれ、すり抜けちゃった。

 と思ったら、彼の姿が搔き消えて薄灰色のもふもふした動物がうつ伏せに倒れ込んでいたの。

 大きさは中型犬より小さいくらいかな。

 賢者様のペット?

 抱き起こすと大きな黒い鼻がキュートなもふもふさんだった。

 

「ユ、ユーカリ……」


 うわごとのように呟いたのは確かにこのもふもふさんだ!


「あ、あなた、お喋りできるの?」

「ユ……カリを……い、一枚、も、もらえる、か」

「ユカリ? それって何か分からないよ。大賢者様なら分かるのかな……」

「そ、それ……背負っている、それ、ユーカリ」

「え、古代種を? 一枚って、葉っぱが食べたいの?」

「そ、そうだ……さっきの魔法で、もう限界が……」

「さ、食べて」

 

 命に勝る者は無し! 葉は水を与えればそのうち生えてくるわ!

 背負ったまま、後ろ手で古代種の葉を一枚摘まんで、もふもふさんの口元に持っていく。

 

「もしゃ……」


 カッとまんまるの瞳を見開くもふもふさん。

 心なしか脱力した体に力が戻った気がする。

 まだまだ本調子には通そう。余程お腹が減っていたのかな? もふもふさんはとっても軽い。

 猫と同じくらいかそれより軽いかも。


「元気になった……?」

「何とか、な。それにしても若木の葉があるとは」

「ちょっと待ってね、もふもふさん」

「もふもふさん? せめて種族名で呼んでくれよ」


 もふもふさんをそっと地面に降ろし、きつく縛り付けたロープをほどく。

 鉢を落とさないように地面につけて、緩んだロープを引っかけないようにして鉢を体の前に回す。

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