魔法が解けるその前に - 2
あっという間にそのときはやってきた。
三月になって、JKでいられる時間にもカウントダウンが始まって、私たちは駆り立てられるようにして遊び尽くした。制服ディズニーをして、ユニバにも行って、プリクラも写真もデータの多さでスマホがパンクするんじゃないかってくらいに撮った。それはまるで未来という不安をなんとか掻き消そうとしているようだったけれど、刻一刻と迫るその日は私たちのもとへ容赦なく近づいてきていた。
卒業式はめいいっぱいはしゃいだ。朝の五時から慶の家で髪をセットして、この日のためにクリーニングに出していた制服を着た。もちろんティアラだって忘れない。制服はいつだって最高のドレスで、最強の戦闘服だ。
卒業式のあと、仲のいいグループの
それはもう凄まじい感動の吹き荒れるワンシーンだったのだけれど、みんなが拍手と涙と歓声で祝福するなか、私と慶だけは困ったように顔を見合わせていた。亮さんにお姫様抱っこをされながらせっかくのメイクをぐしゃぐしゃにして泣く茉莉ちゃんはたぶん、全一九七名の卒業生のなかで、一番幸せそうな顔をしていた。
そして卒業式の翌日、私と慶は取ったばかりの免許でレンタカーを借りて、北にある自殺特区を目指して出発した。
ちなみに、行先について私は親に嘘を吐いた。さすがに自殺特区に行ってきますとは口が裂けても言えない。代わり、一応方向だけは同じような仙台に行くことになっている。うちは放任主義が基本なのでそれで問題なかったけれど、慶の家はどうなのだろう。気になりはしたけれど、なんとなく聞けなかった。
心配そうに見送る慶のママに挨拶をして車に乗り込む。運転席には慶。アクセルを踏むとエンジンが悲しげに泣いて、おぼつかないながらも逃げるように、車はゆっくりと走り出してく。
慶は車のスピーカーにスマホを繋ぎ、Spotifyから音楽を流す。少し前に作詞作曲を担当していたギターの子が死んで解散したロックバンド。そういえば慶は好きでよく聞いてたっけなと、曲を口ずさむ慶を眺めながら、小気味よく踊るようなリズムと耳によく馴染むボーカルと慶の歌声に身体を委ねる。
「なんで死んじゃったんだろう」
曲と曲の合間、私はふと溢す。慶は鼻歌をぴたりと止める。
こんな素敵な音楽を作れて、少なくないファンに応援されて、彼女が自殺する理由が一体どこにあったのだろう。もしかすると輝かしい場所からしか感じられない苦しみとか不安みたいなものがあるのかもしれない。きっとそれは私たちがいくら考えても分からないものだけれど、建前上は曲がりなりにもこれから死ぬつもりで車に乗っている私はその死の理由を問わずにはいられなかった。
だけど慶はすぐには答えてくれなくて、私は窓にもたれていた頭を上げて右を見る。慶は真っ直ぐに前を見てハンドルを両手で握っている。少し険しい真剣な表情は、もちろん運転に集中しているのだろうけれど、それとはまったく別の意味で暗くて深い海の奥底に向かって突き進んでいくような、静かで強くて頑なな、そういう意志を感じさせた。
「ここが最高って思ったんじゃないかな」
長い沈黙のあと、あまりに不意に慶が言ったので、私は最初それがついさっきの質問に対する返答だと気付けなかった。
ぼけっとしている私に慶は続ける。
「やり切ったんだよ。走り切ったんだよ。空っぽになるまで全部。自分で死ぬのを選ぶってさ、どうしようもなく生きてるって感じ」
「どうしようもなく生きてる」
私は慶の言葉を繰り返す。何度も噛んで磨り潰し、私の心の栄養になるように、頭のなかでも繰り返す。
「そう、どうしようもなく。あやふやでなんとなくじゃなくて、向き合ってる」
「じゃあ、私たちも?」
「私たちはどうだろうね。でも、そうだったらめっちゃかっこいいよね」
ちょうど信号が赤に変わったタイミング。慶は小さく息を吐いてから左を向いて柔らかく微笑む。
「うん、そうだったらかっこいい」
私は慶の微笑みに向けて頷く。そして同時に心に決める。たぶんなんとなくの友情でここにいてはいけない。私もちゃんと考えないといけない。生きることとか死ぬことのあれこれを。今まで生きてきた一八年とこれから生きるかもしれない何十年のことを。自分なりに考えて、情けなくても拙くても答えを出して、掌にぎゅっと握った何かの確信と一緒に進まなければいけない。生きるにしても、死ぬにしても、そうやって選んだ結果ならばたぶんかけがえのない価値を持つものになる。
信号が青に変わって、慶はまた前を向いた。車がまた走り出す。間もなく高速道路に乗って、私たちが踏み出した暫定的片道切符の旅は加速していく。
私はまだ空っぽの掌をぎゅっと握って、大きく息を吸い込んだ。時間の止まった音楽にもう一度身体を委ね、声を重ねる。
もはやカラオケじゃん、と慶が呆れるくらいの全力で歌い続けた結果、私は出発前にコンビニで買っていたリプトンのミルクティーを早々に飲み干すことになった。それでも歌うのを止めなかったので喉はからからだったし、おまけにがぶ飲みしたのが紅茶とくればトイレも近くなる。私たちはやむを得ず、予定にはなかったサービスエリアに立ち寄って休憩することになった。
慶は「だから言ったのに」と私の愚行を嘆いてはいたけれど、慣れない運転にはやっぱり相当な神経を使うのだろう。運転席から飛び降りるや両手を上に挙げて、めいいっぱいに伸びをしていた。
「そろそろ交代しよっか?」
「いやいや、千明ってば運転へたっぴじゃん。あれじゃ、目的地に着く前に死んじゃうよ」
一緒に合宿に行ったので私の運転の腕前を知っている慶は本気で嫌そうな顔で眉を顰める。私はそれがなんだか面白くって、込み上げる笑いを抑えきれない。お腹を抱えて咽るように笑う私に、慶はさらに不満そうな顔をした。
「え、何がそんなにおかしいのー。だいじょぶそ?」
「だって、死んじゃうよって言うから。これ、死のうねって旅なのに」
「どこでどうやって死ぬかが大事なんだよ。高速の交通事故でぺしゃんこなんて絶対嫌。めっちゃ痛そうだし」
「えー、死ぬのなんてどれも痛かったり苦しかったりしそうじゃん」
「まあそうかもだけどー、でもなんていうかさ、劇的にいきたいじゃん、そこは」
「そういうものかなぁ」
「そういうものだよ」
私たちはそんな話をしながら連れ添ってトイレの列に並んで、喫煙所の隣りの自販機でジュースを買った。それからペットボトルを片手にフードコートやお土産屋さんを見て歩く。ご当地ゆるキャラのキーホルダーや地域限定のハローキティのグッズなんかを眺めたりしながら楽しげに歩く慶の後ろで、私はついさっき慶が言っていたことを考えていた。
劇的な死、とは何だろう。
交通事故は絶対嫌で、人気バンドのリーダーの自殺はかっこいい。なら私たちが今ぼんやりと計画している自殺は?
もしくは老衰や病死はどうだろう。戦争で銃弾に倒れるのはどうだろう。そもそも慶の言うことが的を射ているならば自殺にも大きく二種類ある。苦しみから解放されるための自殺と生を全うした結果として選ばれる能動的な自殺。どれも違うのは分かるけれど、本質的に何がどう違うのかいまいち分からないから、もちろん何が劇的で何がそうじゃないかなんてことはなおさら分からない。
まあ劇的かどうかはともかく、全ての死は終わりだ。あるいは別れと言い換えてもいいかもしれない。家族や友達やその他大勢の大切だったり大切じゃなかったりする人から離れることだ。
いいや、やっぱ言い換えちゃいけないのかも。どこまでいっても死は死。終わりや別れなんて言葉でぼやかすんじゃなく、センセーショナルなそれ自体を考えてみる必要があるのかもしれない。
そこまで考えて、考えようとする前よりもさらによく分からなくなって、まるで真っ暗な森のなかに放り出されたような気分になった。そうして私はふとあることに気付く。いや、ほんとはもっと前から知っていたのかもしれないけれど、ずっと知らないふりをしていたことなんだろう。
死ぬこと。それは普段まるで私とは関係ないような顔をしているけれど、実際は私が生きる日常のその延長線上に――いいや、もっと気軽に、自殺も他殺も事故死だって、あらゆるバリエーションの死ぬことが毎日のあちこちに転がっている。
そう思ったら、急に死という言葉が現実味を帯びてきた。ざらりとした、気持ちいいような寒気のするような感触が胸の奥のほうで産声を上げる。それはあっという間に私の全身へと広がっていくようで、私は甘すぎた炭酸飲料のボトルをぎゅっと握る。
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