第34話

 即座に薙ぎ払う足に飛びのいていくセブンスを見送り、大男は哄笑をあげる。

「こいつぁすげぇ! よく気づいたなぁおいッ! このオレの『虚絶(リジェクション)』の弱点によぉッ!」

 そんな彼を無視して上階を目指そうとするセブンスに、大男は体勢を低く身をかがめた。

(感動モンだぜこいつはよッ! オレも本気でやってやろうって気になるぜなぁおいッ!)

 彼の魔法『虚絶(リジェクション)』は自分に接触する力をゼロ以下へと変換する魔法。

 ゼロの力は彼の身を脅かすことがなく、そしてマイナスの力は接触する物自体へと返っていく。

 常時発動するゼロへの変換を防御に、一時的にのみ発動できるマイナスを攻撃にと使用する―――すなわちあらゆる物理攻撃を無効化し反射し増幅する魔法。

 ただ、地面を蹴ったときの反発がなくては跳躍や走行はまともに行えない。だからこそ普段から彼の足の裏は部分的に魔法の効果を解除されており、その点でセブンスの狙いは適切だったと言える。

 しかし。

「褒めてやるぜ白無垢ッ! このオレサマの弱点をよくもまあ見つけたもんだなおいッ! だがよだがよだがよッ! んな弱点よぉッ! この完全無欠のゴルディ様が置いとくわけねえだろぉがよおぉおぉおおッッッッ!」

 彼はその弱点を当然に知っている。

 女が彼を傍らに置く理由は、そのガサツで粗暴な態度と裏腹の、誠実な戦闘力があるからこそ。あと趣向ゆえに貞操の危険がない。

(ぶちかますぜぇぇえええ…………ッ!)

 大男は大きく足を振り上げ、そして全力で足元を蹴り抜く。

 インパクトの瞬間から軸足に生ずる接触力―――すなわち摩擦力さえもゼロへと変換することで蹴りの勢いすべては推進力へと転換される。繊細な魔法コントロールによりなされる妙技、けれどその結果はいたって単純だ。

 すなわち百キロは優に超す巨体のほぼ理想条件下における超速等速直線運動。

 亜音速にまで迫る肉弾が、暴風をかき鳴らし疾駆する―――ッ!

 ギュオウッ! と迫る大男への対処など回避以外はあり得ない。それも何かしてくると警戒してなお紙一重を強いられるほどの圧倒的速度。

 セブンスがそれをすんでのところで回避すれば、大男は勢い余って客室に突っ込み、派手に壁をぶち破ってがれきにまみれていく。

(けッ! お嬢の力でずいぶん脆くなってやがるか)

 そうでなければ壁もまた滑走路となるのだが、これではそうもいかず男は舌を打つ。

 もちろん彼はがれきなどものともしない。

 彼にかかる力はゼロへと書き換えられ、がれきは障害物を避けて滑り落ちるばかり。 

 そしてマイナスの力で邪魔なガレキを弾丸としてまき散らした大男は、ひと蹴りで床に亀裂を走らせながらセブンスを睨みつけた。

「どぅぅうらぁああおおおおお!!!!」

 刹那、地面を蹴り砕く猛烈な勢いでふたたび滑走する。

 それを飛び越え、セブンスは崩れゆく足元を駆け抜けて階段へと。床をぶち抜く大男がまき散らす破片を短剣で弾きながらさらに上階へ。

 女の青と大男の大暴れによってアパートメントの崩壊が進む中、セブンスは天井へと短剣をまき散らし、崩壊に乗じて天井をくりぬく。

「なっ」

 降ってくる女へと投擲した短剣たちが。

「―――なんてね」

 急速に収束した藍色に阻まれ消失する。

 そのまま床を通過して落ちていく女と入れ替わりに跳び上がる大男。

 まき散らされる花瓶やガレキの破片を掻い潜りながら、壁から露出していた電線を大男の足にかける。そのとたん掴んでいられないほどの勢いで引き寄せられ、たたきつけられそうになった壁に着地、たまらず手を放すと逃れるように屋上へ。

 崩れ落ちるアパートから飛び出せば滑走の勢いで射出されてくる巨体を空中で蹴りつけ、自らの身体を反対のアパートメントへと吹き飛ばす。

 壁に着地するなり衝撃が行き届かない間に跳び出しアスファルトへ落下。シロを抱いたままゴロゴロと転がって衝撃を殺し、即座に体勢を立て直した眼前に直立でクレーターを作る大男。

「惜しかったねセブンス君。けれど―――」

 その向こうで、藍をまとった女がなにかを言う。

 けれどセブンスの意識は腕の中のシロに向いていた。

「んゅ……」

 気を失っていたシロがゆるりと目を開く。

 それを笑みで迎えたセブンスは、優しく彼女の頭をなでた。

「ごめんねシロ。起こしちゃったね」

「あぅ……くろ……?」

「ふふ。うん。助けにきたよ」

「よそ見たぁ余裕だなてめぇッ!」

 滑走してくる大男とすれ違いながらセブンスは女へと向かう。

 大男は即座に地面を蹴り飛ばして方向転換、アパートメントの壁を勢いよく滑ってセブンスへと背後から飛び掛かった。

「ごめんね。ちょっぴり騒がしいから、もう少し寝ていてね」

 シロのまぶたをそっと下ろしてやりながら、背後から迫る大男を掻い潜る。

「ぅん……がんばるです……くろちゃん……」

「ふふ。ありがとう」

「はっはぁ! 同士討ち狙いってかぁ!?」

「いいプランだけれど、考えが甘いよセブンス君」

 壮絶な勢いで女へと突撃していく大男だが、直前で地面を蹴り飛ばして藍色を飛び越えた。

「刮目したかよ白無垢ぅッ!」

 地面を砕き散らして振り向いた大男が、再度の滑走でセブンスへと迫る。

 セブンスは足元のマンホールの縁に数本の短剣を重ねて突き込み、思い切り後ろに蹴り飛ばすことで短剣を砕きながらも蓋を浮かせる。浮いた部分を思い切り蹴り上げて大男の顔面に弾き飛ばしながら、彼女はそのままぽかりと空いた穴を通って下水道へと。

 汚水を雨水でブレンドするという最低のカクテルバーは鼻の曲がるような匂いがして、腕の中のシロが眉根をひそめて寝苦しそうにする。セブンスは布を口元まで持ち上げてやりながら、突き立てたナイフを伝って下水道を進んでいった。


「逃げようってかてめぇよぉッ!」

 下水をものともせずに飛び降りてくる大男。スーツのズボンを破り去ったことで流水すらをも跳ねのけて滑走する彼は、そのまま天井にぶら下がるセブンスへと勢いよく飛び掛かった。

 同時に、セブンスもまた大男へととびかかる。

「ぉ、あ?」

 その首の下あたりに垂直に足をかけ、天井に突き刺した短剣で弾き飛ばされないようにと身を支える。体表を滑ることなく上半身の動きを妨げる足によって大男は身体を傾げさせ、セブンスとすれ違った勢いのまま吹き飛んでいく。


(なんだ、こいつなにを考え…………ッ!)

 セブンスの行動の意味を理解した瞬間。

 大男は汚水の中へと着水する。


 ―――… . 。 ゜。o Oそして身体は水底へ。


 とっさに這い上がろうともがくが、浮力も底からの摩擦も水をかくことによる推進力も―――周囲からの力を得られない身体はただただ滑るばかり。

(これが狙いかてめぇッ! このオレサマの『虚絶(リジェクション)』には水中も空中もねえッ! 解除しねぇ限り立ち上がれねえことをやつは見透かしてやがるッ! だが甘ぇッ!)

 大男は慎重に両手を水底に触れると、手のひらと臀部あたりの魔法だけを解除して上体を起こし、ぶはっ、と大きく息を吸い込んだ。

「ぁがっ」


 その口腔を通過し、口内から脊椎を貫通した短剣が大男の首から突き出す。


(やっぱり中は効果範囲外だったか)

 もしも体内まで力を無効化するのなら、異物の存在を感知できず溺れた時点で肺に汚水が流入して窒息死、とまではいかずとももっと苦痛があっただろう。

 そもそも声を出している時点で疑うべきだったと、セブンスは少し反省した。


(―――ん? ふふ、シロったら布食べてる)

 いつの間にかずれていたおくるみの布をもぐゅもぐゅと食むシロに、セブンスはほっこりと笑む。

 一応流されていく大男に短剣を投げて確実に息の根を止めてから、セブンスは汚臭に満ちた下水道から地上へと上がった。

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