第33話
□■□■
教会から数百メートル離れた地点にある、おんぼろのアパートメント群。
その一室の床をぶち抜いて大男が顔を出す。
「へへっ。お嬢、大丈夫そうですぜ」
「ありがとうゴルディ」
大男に手を引かれて表に登ったスーツの女は服についたほこりを軽く払い、払いきれないことを察して諦めた。
ふたりは白無垢が教会へとやってきてすぐ、教会地下の隠し通路を通ってここまで避難してきていた。もちろん幸運の妖精である少女と、そして白無垢の姿を捉えた映像データを持って。
女は背後を振り向き、通路のはるか向こうにいるはずの自分の敵を見やった。
(セブンス君。ボクはもうキミの名前と姿を知った。……名前よりは番号と呼ぶべきかな。果たしてどんな地獄からやってきたのか―――少し親近感が湧くね)
あの教会で仕掛けたゲームに白無垢が参加した時点で、彼女はすでにあの教会での目的を達している。これから安全な場所へと逃れて、そこでじっくりと次なるゲームを考えるつもりだった。
(なんにせよ、暗殺者であるキミが正体を知られた以上ボクの招待状を拒否することなどできはしない)
かくして女と大男はアパートから路地裏へと出る。
ちょうどそのとき衝撃がわずかに伝わってきて足元を揺らした。砂ぼこりが高らかに舞うのがいくつもの通りの向こうに見える。教会のある方向だった。
「おや。思いの外早かったようだね」
「このザマじゃ女を見捨てでもしねえと助かってやいませんぜ」
「だとしたら無事ということじゃないか。あの白無垢が女のために命を張るというのは少し想像しにくいよ」
「それもそうかもしれやせん」
嘲笑うふたり。
テープを手にした時点で、すでに彼女は今回のゲームに勝利したつもりでいる。
(懐かしい場所だったから最後につい昔話も弾んでしまったけれど、もう二度と語ることもないかな)
女は最後にすこしだけの寂寥(せきりょう)を胸に抱いた。
彼女の運命を決定づけたあの教会。
セブンスへとゲームのルールを教えるつもりが途中から自分語りとなってしまったテープレコーダーは、恐らくすでにがれきの中にあるだろう。それ以前に彼女の魔法により朽ち果てているに違いない。これにて全ては消え去った。
(ボクはもう一度生まれ変わる―――絢爛(けんらん)なる魔王にさえ負けないほどにね)
女は懐から取り出したナイフで、おもむろに親指を傷つける。
そして左の腰にまたたく膨張する輝きを、世界に見せつけるように十字に引き裂いた。
―――それは決別の証。
絢爛なる魔王の傘下から抜け出して彼女自身となるための決意。
「さあゴルディ、行こうか。ボクらの新たなる門出だよ」
「はっはぁ! こいつぁイカした紋章ですぜ!」
膝を叩いて笑いながら、さっそく真似をしようとスーツの前を強引に引きちぎり。
「おいおい。あまりはしたない真似は止めてくれよ」
「固ぇこと言いっこなしですぜ」
そんな女の呆れを笑い飛ばし、腹部に刻まれたタトゥを晒した大男は。
「ッ! 退いてなお嬢ッ!」
その瞬間飛来した短剣たちから守るように女を突き飛ばした。
短剣たちはすべて大男のスーツを切り裂き肌を滑って壁に床にと突き刺さっていく。
肩に担いでいた少女を投げ捨てて、大男は路地の向こうに立つひとりの女を睨みつけた。
「てめぇ……ずいぶんと早えお出ましじゃあねえかよぉ……ッ!」
「まさかこんなに早くやってくるとは。いやはやキミには驚かされるね、セブンス君。キミの女はどうしたんだい?」
大男の獰猛な笑みも女の軽口もセブンスには興味がない。
目の前にあるのはただの物だ。目障りだから殺すだけ。
(男は短剣を滑らせた……とするとあの青は後ろの女か)
青色の中でも短剣は使えたということは、能力の不明な大男とは違って女は殺せる。
そう判断したセブンスは、大男の後ろで軽薄に笑うスーツの女へと問答無用で短剣を投げつけて突貫する。
即座に大男がそれを弾き飛ばす後ろから追撃、いたるところに突き刺さった短剣たちに弾んだ刃が様々な方向から女へと飛来する。
こと殺すことにかけては異才を誇るセブンスの攻勢に、しかし女は動じない。
「あいにくと―――ボクの『頽廃なる藍(ラストブルー)』はそんなに浅くないよ」
女の周囲に発生する球形のドーム。
教会の地下よりもはるかに色濃い藍色は、侵入した短剣をその端から消失させた。
「キミの短剣は魔法であったとしても永久不滅じゃないだろう? であればこの濃度を通過することは不可能だ。人間さえ、これに触れればそれだけで端から風化する」
「大体このオレサマを無視するたぁいいご身分じゃねえかよぉッ!」
向かってくるセブンスへと拳を振り上げる大男。
ぶぅうんッ! と振り下ろされる鉄筋のような腕を掻い潜り、麻袋を拾い上げて速やかに距離を取った。
そして切り裂いた麻袋の中から、気を失ったシロを腕に抱く。安らかに呼吸するちいさな温もりをぎゅうと抱きしめるとその鼓動をたしかに感じ、セブンスはホッと安堵した。
「よかった……シロ……」
そんなふたりを見下ろし、そして大男は高らかに笑った。
「ずいぶん余裕じゃあねえか白無垢よぉ。いいぜ気に入ったッ!」
ずぅっぅんん―――……ッ!
足踏みひとつで地鳴りを起こし、獰猛な犬歯をギラリと閃かす。両手を殴るようにかち合わせ、そして咆哮のごとく己を謡う―――ッ!
「オレぁショタコンッッッ! 名はゴルディッ!」
「君のフェティシズムから名乗るクセだけは本当に理解できない」
女の言葉には耳を貸さず歯を噛み鳴らし、瞳をらんらんと輝かす大男はすでに臨戦態勢をとっていた。
「悪いが女相手だと手加減できねぇからよ! せいぜい嬢ちゃんもろともぶっ潰されねえように気ぃ付けやがれッッッ!!!」
大男が振り回す腕を掻い潜りながら片手間に短剣を沿わせるが、刃はすべてその体表を滑り通じない。
(肌が押されている感じもない。鉄をなでているみたいだ)
「はッ! やっぱてめえただのナイフ使いだな! だとしたらこのオレの敵じゃねえッ!」
ぶぅんと振り回される丸太のような足を飛び越える。壁を蹴り飛ばし頭上から短剣を降らせるがそれらはすべて大男の身体を滑るように弾かれて落ちていった。
「無駄だっつってんだろぉがよッ!」
ぶん回される腕を掻い潜り距離を取ったセブンスへと、女が呆れた様子で声をかける。
「ボクたちがわざわざキミをゲームに招待するのは、キミがあまりにも不利すぎるからなんだよセブンス君。キミは最強の暗殺者かもしれないけれど、その魔法は直接対決にはあまり向いていないようじゃないか」
女は近くに突き刺さった短剣の方へと歩き、それを飲み込み消し去っていく。
路地裏に散らばるごみやほこり、建物のそばに積み重なった室外機まで、彼女の藍に飲まれればあっさり風と化し散った。
女の視線が、大男の攻撃を掻い潜るセブンスを射抜く。
「―――けれど、けれどだセブンス君。ボクの顔を見られたからには、あいにくとキミを生かしておけなくなった。睡眠リズムは大事だろう? ―――夜安心して眠れるように、キミにはここで死んでもらおう」
女が傍にあった建物のレンガ壁を通過していく。
それと同時に大男が足元を革靴ごと蹴り砕き、蜘蛛の巣状に砕けた足元にセブンスはわずかに足を取られる。その隙を狙ってぐわと襲い掛かる平手を蹴り飛ばし、くるくると回転しながら窓を突き破り同じく中へ。
(いまの地面を割った攻撃は明らかに普通の力じゃない。あれも魔法の一環だとしたら―――自分に触れた力を任意で増減させている?)
腕の中のシロを大事に守り、勢いを殺して着地するのはアパートの一室。建物内から聴こえる足音を聞き洩らさぬよう扉を蹴り飛ばして外へ。
その瞬間建物を青色が覆う。
とっさに身構えるが、身体への影響は感じられない。
(広いほど薄いのか。いまなら不意を打てば殺せる)
『やはり追ってきたねセブンス君、いいだろう鬼ごっこで遊ぼうか』
「はっはぁ! 影が薄いと悲しくなっちまうぜなあおいッ!」
頭上の足音と声に狙いを済ます横から、ドア枠を突っ切って突撃してくる大男。
掻い潜りながら振るう蹴りは痛みを感じるほど炸裂しているにもかかわらず体表を滑り、追撃の拳に飛びのきながらまき散らす短剣もやはり肌を滑る。
しかしセブンスには、男の胸板に垂直に当たった短剣がわずかな間だけ突き立っているように見えていた。かと思えばそれはわずかな身じろぎで体表を滑り落下していく。
(受け止められた。ゴールネットに刺さるサッカーボールみたいに―――前進しながら止まっていた。だから逸れるとまた動き出した?)
セブンスには少しずつ大男の魔法の性質が見えてきていた。
女を追って階段を登りながら、追走する大男へと短剣をまき散らす。
「追って逃げてと忙しいなぁおいッ!」
短剣をぬるりとすり抜けながら引き千切った手すりが飛んでくる。
飛び越えながらも二階へ、即座に真上へと向けて短剣を投擲する。四連でまったく同じ場所に飛翔した短剣は先頭の短剣の柄を押し込みそのまま三階へ突き抜けた。
「おっと! キミはとんでもないことをするね!」
カーペットもろともに靴の先を切るだけにとどまった短剣に驚きの声を上げながら、女がさらに上階へと逃れる音がする。
「余裕ぶっこいてんじゃねえぞオラァッ!」
とてつもない勢いで襲い掛かる大男の股の下を掻い潜り、ぐるりと体を傾げながらその足の裏へとナイフを振るう。
もしも他の部位と同じように加わった力が滑って行ってしまうような状態だとしたら、地面を蹴って推進力を得る(はしる)などということができるわけがない。だからこそ走行中の足の裏は局所的に効果が切れていると予測したセブンスの攻撃は―――しかしあっさりとすり抜ける。
(対処されるか)
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