第32話
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崩れ落ちたがれきの山を前に、セブンスはしばし呆然としていた。
しかしすぐに平静を取り戻すと鋭い視線を背後に向ける。
「仕事を受けてもらう。それとも正規の手続きを踏んだほうがいい?」
「―――いんや、構わんよ。問わらば応うがワシの信条じゃからのう」
睨みつけた路地裏からぱからっと現れるのは一頭の白馬。
ぶるるんと身体を振るわせて軽く足元を蹴り、それからズーはセブンスを見つめる。
「こんどおんしにただ働きしてもらうのを報酬にしようかのう」
「なんでもいい。マリーたちはいまどこにいる」
「話早すぎだのう。まあええわい」
ズーは馬面を建物のむこうへと向けた。
「この先数キロメートルといったところかのう。そこに朽ち果てた教会がある。ちんけなギャングの古巣での。どうも奴さんらはそこに小娘たちを運んだようだのう。もともとは孤児院のツラして人身売買に使っておったようで、三階層分の地下迷宮が広がっておる。どうも絢爛(けんらん)なる魔王がこの街に進出するにあたって潰されたらしいが、その縁で知っとったんかの? それか本人がなんぞ関係しとるんか……なんにせよ、いまではただの廃墟となっておったが、迷いなく移動しておったよ」
「そう。恩に着ておく」
「ほう」
ズーが珍しがって声を上げるが、すでにセブンスは駆け出していた。
(本気で腹に据えかねとるのうあやつ。恩に着るなど……あやつの言葉である以上、ワシには金よりよっぽど上等だわい。―――いや、そうか。それに見合うだけの価値があるんだったの、あやつにとっては)
ひゅひゅんと尻尾を振ったズーは、どろりとネズミに姿を変える。
(まあこれでワシの罪悪感もスッキリしたからのう)
セブンスの隠れ家の情報を調べ、スーツの女たちに売った張本人であるズー。
恐らくセブンスがそれを察しているというのを理解しながらも悪びれるつもりはない彼女だったが、なにせそれなりに長い付き合いなので多少の罪悪感があったらしい。
(やーれやれ、情報屋っちゅうのはアコギな商売だわい。こんなんやっとるやつぁクズばかりだの)
ちゅっちゅっちゅ、と小さな笑い声が路地裏に消えて、すぐに気配はなくなった。
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ズーからの情報に従って走っていたセブンスは、やがてひどく廃れた小さな教会へとたどり着く。
シンボルも掲げない胡散臭い教会だ。つる植物が壁を伝い、窓を突き破り、建材のひび割れから室内にまで侵略してと見ていられないようなありさまになっている。
腐り朽ち果てた扉を蹴り飛ばして入っていくと、ほこりだらけでかび臭い空気がむぅわと襲い掛かってくる。天井の漏れ日に舞うきらめきで、一呼吸にもむせそうになった。
セブンスはまず至る所にあった隠しカメラに短剣を投げつけて破壊した。
それから見回すと、立ち並ぶというには足腰の悪いベンチの奥には祭壇のようなものがあって、その上には汚れたボイスレコーダーが落ちている。
赤黒い汚れだ。
ほんのわずかに香る甘さにセブンスは目を細めた。
(―――マリーの血だ)
再生スイッチを入れながら祭壇を蹴り飛ばす。
『ああセブンス、私、ごめんなさいセブンス、私、捕まってしまって』
軽く床を蹴ってたしかめたセブンスは、床の隙間に短剣を突き立て後ろ向きに蹴り飛ばす。すると簡単に床がハッチのように開き、その奥に地下へとつながる石階段が現れた。
『それで、ああこんな、セブンス、セブンス、よく聞いてほしいの。こいつらは、あなたとゲームがしたいなんて言うの』
階段を見つけたとたん、教会を青が包む。
そのとたんパラパラと木くずが落ちるのを見たセブンスはじぃと周囲を見渡した。
『わ、私を制限時間内に助けられるかどうかなんていう、そんな、ああ信じられない。なんて恐ろしいことを考えるのかしら』
それから自分の身体を確かめ、特に異常らしいものがないことを確認すると石階段を駆け下りていった。
『セブンス助けてちょうだい、私、怖くて、きゃっ! やめっ』
マリーの声が途切れ、もがくような呻き声に代わる。
猿轡でもされたのだろう。
かと思えば別の女の咳払いが聴こえてくる。
『やあ。初めまして』
聞こえてくる声に聴き覚えはない。
だからセブンスはボイスレコーダーをバラバラに切り裂いた。
敵の思惑もなにもどうでもよかった。
愛する人を害そうとする敵は死ぬだけだ。
ズーから聞いた限りの情報では、この教会の地下は三階層からなる。
後ろ暗い目的で使われていたらしくやや複雑な構造をしているようだったが、セブンスからしてみればさほど珍しいことでもない。
全域をくまなく殺し尽くせばおのずとマリーとシロに行き当たる。
セブンスはそう考えた。
走っていると、盛大な破砕音とともに振動が駆け巡る。周囲の壁が破片を散らす中、恐らく教会が崩れたのだろうとセブンスは予想していた。
(この青が建物の崩壊を進めている? なんとなく服にも違和感がある、かもしれない。物質を朽ちさせるような能力か……この地下も崩れそうだ)
現にいまも、ついさっきの衝撃で入った亀裂が少しずつ侵略していくのがセブンスには分かった。
制限時間とはそういうことなのだろうと納得し、やがて階段の途中にあった扉をくぐって地下一階へ。
扉の向こうは通路になっているようで、またいくつかの扉に繋がっている。
待ち構えていた人影たちだった死体を適当にどかして扉を開いていくと、ふたつは通路に、他は小部屋に続いていた。
小部屋に隠し通路のようなものも見当たらず、セブンスは死体を生みながら適当に選んだ通路を進んでいく。
さらにいくつかの通路と扉を通過していくと、干乾びた死体の散乱する通路へとたどり着く。そこは階段に繋がる最初の通路だった。
セブンスは地下二階を目指してまた階段を降りていく。
階段を辛うじて照らしていた明かりは、すっかり故障してしまったのかすでに機能を失っている。走るとそれだけでわずかに欠けるほどに足元も崩壊が進んでいた。天上から落ちる欠片も、パラパラとしたものだったのがいまはときおり拳ほどの石ころが降るようになっていた。
(マリーやシロが怪我してないかな……)
セブンスはそんな心配に胸をざわつかせ、一心に先を目指した。
やがてたどり着いた地下二階。
一階と同じように通路が続いていて、セブンスは同じように足跡代わりの死体を残して突き進んでいく。
いくつかの通路を通過すると、セブンスは一風変わった部屋に到達した。
構造的にはダイニングキッチンのような部屋だ。
中央付近の台と、角のひとつを占める壁沿いの作業台。
けれどその部屋は、おぞましいほどの汚臭に包まれていた。
生臭いような、鉄臭いような、獣臭いような、なにかが腐ったような、香ばしいような、一呼吸で吐き気を催す悪臭だ。
そのうえ部屋中が赤や黒のどろどろやぎとぎとによって汚れている。セブンスがやってきたことでそれは少し増えたが、それが微々たるものでしかないほどにこびりついている。
そもそも中央の台にはとても食卓にあるべきでない枷がついており、作業台には調理器具どころか錆びついた工具のようなものが千切れかけの鎖に吊り下がっていた。
明らかに非人道の気配が漂うその場所だったが、セブンスの興味はひとかけらもそこにはなかった。
部屋にはセブンスの入ってきた方と別でもう一つ扉があって。
彼女は惹かれるようにその扉の向こう―――さらに階下へと続く階段を進んでいく。
背後でなにか大きなものが崩れ落ちるような音がしたが、セブンスは気にしなかった。
その先に待つのは重厚な鉄の扉。
(―――ここだ)
とくに理由はなく、確信した。
マリーはここにいる。
けれど扉を開くのをわずかに躊躇(ちゅうちょ)した。
扉の向こうから漂う魔術の気配が理由ではない。
彼女にはなにか、嫌な予感があった。
胸がざわつくような、心臓を短剣がなでるような、そんな感覚。それは今日、アパートを出るときから―――もしかすると、もっと以前から感じていたものだった。
脳裏にひらめく、これまでの五つの失敗。
(大丈夫……マリーはきっと、大丈夫だ……)
自分に言い聞かせるように念じながら、セブンスは勢いよく扉を開いた―――
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