第24話
―――一方スーツの女。
深紅の絨毯がひかれた白亜の通路を、部屋の外に控えていた大男と歩いている。
扉からしばらく離れたところで、大男がこらえきれずとばかりに笑いだした。
「いやぁお嬢、あんた舞台役者になれやすぜ。いまのうちに手形でも貰っときやしょうか」
「ゴルディ、キミのジョークは面白くない。ボクはいつ殺されるかと冷や汗ものだったよ」
やれやれと首元を緩めて吐息する。いちおう目上の相手と会うにあたって普段よりぴっちりと着こなしていたせいで息が詰まった。
なにせ相手は自分の上司のようなものだ。自分と同じく魔王の後釜を狙う彼女に、表面上は従う形となっている。それが本来の契約である幸運の妖精については確保どころか片方を死なせてしまうという大失態を抱えての面会。
上を目指すならばいずれは踏み台にしなければならない相手だったとしても、ああして啖呵を切るのはやはりプレッシャーが大きかった。
そんな女の背を大男はぱしんと叩く。
「いやいやお嬢。あの飴ちゃんを前にあんだけ堂々としてられるってんだから大したもんですぜ」
「キミに言われたくないよゴルディ。どこでスレイブが聞いてるか分からないんだから口を慎んでくれ」
恨めし気に睨みつけても大男には笑い飛ばされる。
毎度のことながら真剣味に欠ける大男だが、これで誰よりも頼りになるというのだからなにか間違っているような気がしてくる。
女はため息を吐き、軽く首を回した。
「まあでも、とりあえずこれで白無垢はキャンディ嬢とやりあってくれるだろう」
前を向いた視線は獰猛に閃く。
ドレスの女には最悪の場合と言ったが―――十中八九その最悪が訪れるだろうと彼女は確信していた。なにせ捜索するブラッドは誰もが認める戦闘屋だ。発見すれば確実に戦闘になるうえに、警察という公権力まで持つ彼女の捜索能力は際立っている。
そしてひとたび手を出せば、明確な敵対関係が生まれるのは避けられない。
大男もそれには同意であるらしく、面白そうに頬をゆがめた。
「どうなりやすかね。しょせん暗殺者ってんだから飴ちゃんにぶっ殺されちまうかもしれませんぜ」
「そのときはそのときさ。ボクらが幸運の妖精を手にしてしまえばやりようはある。どうやら彼女まであんなくだらないモノにお熱のようだからね」
心底馬鹿にしたように女は言う。
絢爛(けんらん)なる魔王の傘下どころか噂を聞きつけた他の一派までもがこぞって求める幸運の妖精―――だからこそ彼女やパトロンはそれを求めている。
しかし彼女自身は、実のところその魔法使いとしての価値がほとんど理解できないのだ。なにかしら特殊なのだろうとは分かるが、そんなものは魔法である時点で当たり前のこと。
つい悪しざまにさえなる女に、大男は笑う。
「ずいぶんな言いようじゃねえですかい」
「だってそうじゃないか。未来を意のままにできるというのなら、なぜあんなにも簡単に魔王は死んだ? 白無垢に依頼を出すのに使った金がいくらだと思う? ボクの個人資産すべて、つまりはした金さ。くだらない」
「おいおい。こんどはお嬢が口をつつしむ番ですぜい」
男に言われて女は肩をすくめる。
勢いに任せてまくし立てたことだったが、それは彼女の本心だった。
白無垢に依頼を出したのは他ならない彼女だ。それだけで本当に魔王は死んだ。
だからこそ、彼女はその能力を疑っている。
(とはいえ利用できるのならしない手はない。もしも本当にそれだけの価値がある魔法なら、それはそれだ)
いずれにせよ幸運の妖精は自分が手に入れる。
そんな決意を瞳に宿し、かと思えばふっと大男を見やる。
「ところでゴルディ。あの子は部屋に呼んでおいてくれたかい?」
「仰せの通りにしておきやしたぜ。しかしこんなときにまで女たぁ、お嬢の色食いにゃあ底がねえんですかい」
「大勝負だからこそ英気を養っておくんだよ」
さらっと苦言を聞き流す。なにせ魔王が殺されたその瞬間にさえ情事に励んでいたくらいなのだから、聞く耳などあるわけもない。
「キミは存外に真面目だけれど、たまにはハメを外してもいいんだよ」
「ははっ。遠慮しときやす。そもそもここにいる奴らはだれもかれも好みじゃねえですからね。それにせっかちなのも性に合わねえ」
「そう心配しなくとも、どうせしばらくは動かないさ。白無垢といえど万能じゃない。幸運の妖精を隠してボクらの情報を集めるとなるとしばらくは猶予があるはずだ。賭けようか?」
「へっ。スキ好んで白星くれてやるほどお人よしじゃねえですぜ」
「それは残念」
そんなやり取りをしている間にも与えられている自室に着いて、女と大男はそこで別れた。
明かりのついたきらびやかな部屋の中には、天蓋付きのベッドに腰かけてひとりの女性がいる。ひとつまとめの明るいピンクブロンドに品のある白の燕尾服を着こなす、この施設のキャストだった。ここへやってきたときに女が一目ぼれをして、大男に頼んで自室へと呼んだのだ。
彼女はどこか緊張した様子で、女が入るとすぐに立ち上がって迎えた。
「やあ。待たせてしまったかい?」
「いえ、滅相もございません」
手で示して彼女を座らせ、女はジャケットを脱いでその隣に腰かける。すぐにサイドテーブルのワインを開けようとするのを笑って取り上げ、自分でふたつのグラスに琥珀色の液体を注いだ。
「部下には笑われてしまうのだけれど、ボクは若い白が好きでね」
「実は私も、辛いお酒は少し……」
「それはよかった」
女が優しい笑みとともに差し出すグラスは、わずかに頬を染めて受け取られる。
透き通ったふちが重なり、クィンッ、と甲高く鳴り響く。ふたりはそっとワインの香りを楽しみ、甘い酒精に舌を濡らした。
そしてしばらくのんびりとワインを楽しみながらささやかな言葉を交わす。
女の愛撫のような言葉とアルコールが燕尾服の中に熱を生み出して、互いの指先が何気ない動作で触れ合っていく。
「―――今もまだ、不思議です。私はここでは新参者なので。……もっと奇麗な方も、たくさんいましたよね」
ふと、まるでひとりごちるような呟きがこぼれる。
女はそっと笑みを浮かべ、その肩を抱いた。
「そんなことはないさ。キミは魅力的だよ」
「ふふ。そう言ってくださると、とても嬉しいです」
世辞と思ったのか愛想よくにこりと笑うその顎を、女はくいっと持ち上げる。
「嘘じゃないさ。それに―――美しさの本質は容姿じゃない。本当に美しい人というのは、たとえどんなに顔を隠していても匂い立つように分かるんだ。この場所ではキミが誰よりも香しかった」
驚きに見開かれた目が瞬き、嬉しそうに弧を描く。
「支配人のご友人が、あなたのような方だとは思いませんでした」
「あはは。彼女は少し鮮烈すぎるからね」
「うふふ。はい。でも、あなたはハチミツのように甘いお方です」
うっとりとしなだれかかってくる熱っぽい視線に笑みを深め、女はボトルと一緒に置いてある小さなケースを手に取った。それは小型のアタッシュケースのようなもので、ナンバーロックで閉ざされている。
「どうだろう、それなら、もっと溺れてみないかい?」
膝の上でケースを開く。
中に入っているのは、注射器とラバーバンドにピンセット。そして液体の入った茶色のビンとアンプル(※上側を細くした砂時計のような形状のガラス容器。頸部を折って中の液体を吸う)がひとつずつと、脱脂綿の入った透明なケース―――薬品を注入するための、医療者が扱うような器具一式。
わずかに動揺する瞳をのぞき込んで、女は安心させるように肩を撫でた。
「驚かせてしまったかな」
「いえ、でも、こういうものは経験がないので……」
ぎこちない笑みに、女はアンプルを揺らす。
「これはあまり激しいものではなくてね。その辺の質の悪いのとはモノが違う。むしろとても穏やかで……いや。怖がる子に無理にするものでもないね。すまない」
女は残念そうな様子も見せずそっとケースを閉じる。すると彼女は申し訳なさそうに表情を沈ませ、女の手をキュッと握った。
「あの、私……優しくしてもらえるなら、してみたいです」
「無理をしていないかい?」
「はい。……あなたとなら、溺れてみたい」
陶酔する瞳に笑みを深め、女はその目じりにくちづけた。
女は慣れた手つきで注射の準備をする。
ビンに入った消毒用のエタノールに湿らせた脱脂綿でアンプルの頸部を丁寧に消毒すると一息にカットし、手早く注射器で薬品を吸った。
「そんな風にするんですね。まるでお医者様みたい」
「キミの身体におかしなものを入れたくはないからね」
「まあ。うふふ。怖がっていたのがバカらしく思えてきました」
「そんなことはないさ。実際、あまりいいイメージがあるものでもない」
二の腕を露出させるくらいに袖をまくって、その真ん中あたりにバンドを巻く。
「さあ、ボクの腕を強く握ってごらん。手形がつくくらいに。遠慮をしてはいけないよ」
「はい」
大人しく従った彼女にぎゅっと片腕を握られながら、女は刺入部位をまた消毒する。怒張した血管へと向かう針先を見つめるわずかな緊張を、くちづけで解きほぐしながら針を静脈に刺入した。
とろりと目尻を緩めてキスを堪能している間にラバーバンドも外れ、薬液を注入し終えた注射器がすっと抜けていく。
「さ、おしまいだよ。すぐによくなるからね」
「ぁ……いつの間に……気が付きませんでした」
「ふふ。ずいぶん夢中になってくれたみたいだね」
もろもろの道具をテーブルに置いて、女は彼女をそっと胸に抱く。
うるうるとうるんだ瞳が見上げて、熱い色香が女に触れた。
「……あの、無礼なお願いをしても、いいですか?」
「もちろん。なんだい?」
「お名前を……お名前を、教えてください。秘密にしますから、どうか今だけ、あなたの名前を呼ばせてください」
「なんだ。そんなことかい。もちろんだよ。キミに隠し事なんて必要ない」
笑った女は、小さな耳に唇を触れて、聞き漏らしのないようにと耳元でささやく。
「ボクの名は、ヴィクトリア―――ヴィクトリア=ブライトネス」
「ぶら、い……と……? …………ま…………お、さ…………―――
「ふふ。そうだよ。まあ、血縁はないけれどね」
急速に力を失う女体を抱き留めながら、女は笑った。
―――絢爛(けんらん)なる魔王が義娘、ヴィクトリア=ブライトネス。
それが彼女の正体であると知る生きた人間は、腹心である大男くらいのものだ。
なにせ下手に名乗れば、今のように自分のことをそっちのけで姓に惹かれてしまう。
(やっぱり魔王陛下の名は大きすぎる。隠しておくに越したことはないな)
先ほどまで生きていた新鮮な死体をベッドに横たえながら、女は思った。
(けれどいつかは、その名さえ届かない高みに立ってみせる)
それこそが彼女の行動理念。
かつて絢爛(けんらん)なる魔王という存在を知った瞬間に、それが彼女の生きる理由となった。
だからその場で魔王の義娘という立ち位置を勝ち取った。そうすることで自らの力を育む土台を得た。そして更なる力を求めて魔王を殺した。そうすることで動乱を引き起こし、頂点を失い浮遊する権力、財力、武力―――あらゆる力を奪い取ろうとしている。
(―――とはいえ今は、野心は忘れるとしよう)
なにせすっかり愛してしまった女性と床を共にしようというのだ、他ごとを考えるのは無礼なことと心得ていた。
「さて。ボクにキミの姿を見せておくれ」
女が丁寧に服を脱がしてやると、その美しく鍛えられた裸体があらわになる。場合によっては荒事もこなすこの施設のキャストというだけのことはあって、指を触れると心地よい弾力を返してくれる。
「そう嘆かなくとも、キミはちゃんと魅力的だよ」
優しく肌を撫でていた女の手が、柔らかな膨らみのはざまをゆるりと圧す。心臓の対極、堅牢な骨の牢獄に封ぜられた宝石の臓器―――魔臓。溶かすように魔力を浸透させれば、肌を透けて柔らかなきらめきが脈を打った。
「ふふ。思った通りだ」
快晴のような澄み渡る黄色に目を細め、脈動の中央にくちづけた。
「そういえば、キミの名前はなんといったかな。聞きそびれてしまったね」
なめらかなミルクキャンディのような頬を撫でながら、自らもシャツのボタンを外していく。
―――瞬くように青が部屋を染めた。
「ああ、決めたよ」
一瞬で元通りになった色の中、女は頬を染めながら柔らかなシタイに体を重ねる。
立ち上る芳香から、柑橘の瑞々しい酸味と甘さを感じられた。
「キミの名は、シトラスだ」
うっとりと笑って、くちづける。
柔らかくほぐれた唇は、冷ややかに女を受け入れた。
「たっぷりと可愛がってあげるからね」
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