第23話
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時限の魔王が治める国で最大の娯楽施設―――その支配人室。
金糸の縫い込まれた豪華なカーペットが敷き詰められたその場所で、重厚なチェアに腰かけたドレスの女がグレースーツの女と向かい合っていた。
「―――かの永遠の勝利者が秘蔵した、未来を意のままに操るとさえ噂される魔法使い……空席の玉座への道標とも呼べる少女たち。―――あなたはどうやら『幸運の妖精』の価値を十分に理解していないようね」
月夜のような縦巻き髪を揺らし、ドレスの視線がスーツを射抜く。
悪びれるでもなく肩をすくめたスーツの耳元を通過していく風切り音。わずかに裂けた耳介からしたたる血液をハンカチで拭って彼女は苦笑した。
「あなたがそれほどまでに執着するとは少々意外ですね。少し大げさではありませんかレディ・キャンディ」
「御託はけっこう。あなたはワタクシの望みに応えられなかった。ワタクシが絢爛(けんらん)なる主(あるじ)に成り代わった後にあなたを重用してさしあげる必要はなくなったと、そういうことでよろしいかしら」
「その判断は尚早でしょう」
鋭い視線に即答し、スーツは飄々(ひょうひょう)と反論する。
「確かに一匹はすでに死にました。けれど逆に言えば、あの事故を利用することでボクらの手から逃れるほどの幸運の持ち主はまだ生きているということ。―――あなたの仰る幸運の妖精の価値はまだ完全には損なわれてはいないはずだ」
それは詭弁に過ぎない。
しかしその詭弁にも一理あると判断したドレスに視線で続きを促され、スーツは笑みを深める。
「そもそもボクは約束を違えるつもりなど毛頭ありませんよ。アレの容姿は極めて目立つ。身元を発見するのはそう難しい話ではない。……それに、アレに逃げられたことで思いがけない幸運が降ってわいたのですよ」
そう言って彼女は懐に手を差し入れる。ドレスの視線が警戒に細まるのに冗談めかして片手をあげながら、取り出した短剣を手の中でくるりと回した。
「コレ……ではありませんが、短剣を使う暗殺者をご存じでしょう、レディ」
「それがなにか」
冷ややかに問うドレスにスーツは口角をつり上げ、道化のように仰々しいしぐさで短剣を向ける。
「妖精を保護しているのは、他ならないかの暗殺者―――白無垢なのですよ」
ドレスの眉が弾むのを見て取ったスーツは上機嫌に言葉を続けていく。
「魔王陛下を殺した暗殺者……我らにとってはにっくき仇です。それがいま、我々の手の届く場所にいるということ。これを幸運と呼ばずしてなんと呼びましょうか」
ドレスはスーツの言葉をゆっくりと吟味するように目を細め、そしてひとつ吐息する。
「……仮にそれが真実だとして、暗殺者たる者がのうのうとこの街に居座るとでも?」
「その点はご安心を。ボクの部下がすでに追跡を始めています。彼女もまたプロですから、必ずや白無垢の所在を明らかにするでしょう。―――かの白無垢を討ち果たしたとなれば、妖精などという不確かな存在よりもはるかに箔がつくというものではありませんか」
ドレスは指を組み合わせて背もたれると、変わらず冷ややかな視線でにらみつける。
「最悪の場合でも、このワタクシと白無垢をぶつけようというわけですか」
「まさか。もっとも、ここがこの街で最も輝かしい場所であるのは間違いありませんがね」
悪びれもせずにスーツは笑った。
もしも下手に関わることで白無垢の怒りを買ったとしても、膨張する輝きをしるべとするのならこの街では必ずドレスの一派に行き当たる。それが分かるからこそ彼女は悠々と笑みを浮かべ、ドレスは目を閉じ思索を巡らせた。
「―――いいでしょう」
やがてドレスは目を開き、槍のように鋭い視線でスーツを貫く。
「そのかわり、引き続きあなた方にはワタクシとは別で幸運の妖精の確保に動いていただきます。ワタクシは最悪の場合に備え、ここで白無垢を待ち受けましょう」
「もちろん。約束は守りますよ、レディ・キャンディ」
暗に戦力を貸さないと告げられても、スーツは気にした様子なく大げさにうなずいて見せる。それから彼女は身をひるがえし。
「では、お互いに幸運があらんことを」
そんな軽薄な言葉を告げて、あっさりと部屋を出て行った。
スーツの去っていった部屋で、ドレスの女はひとつ吐息する。
あなたを魔王にしてみせると豪語して自分を売り込んできたスーツの女。はじめからその裏の野心を隠しもしないからこそ懐に入れた。最終的にすべてを奪い取ってやろうという魂胆があるのなら逆に、すべてを手にするまでは使える駒だからだ。
(あのような小娘に出し抜かれるような下策を打つつもりはないけれど……)
女はすぅと目を細め、先ほどのやり取りを反芻する。
「―――お嬢様」
そのそばに、どこからともなく燕尾服(えんびふく)の老紳士が降り立つ。その視線はひととき扉の向こうの背中を剣呑に睨みつけ、それから女へと向けられた。
「あのような礼も弁(わきま)えぬ小娘の妄言にお付き合いなさるのですか」
「かまうことはないわ。スレイブ、盛大なおもてなしの準備をなさい」
「御意(ぎょい)に」
女に命じられれば老紳士に拒否はない。どんなことを思っていようと、老紳士にとって女の言葉は絶対だ。
(敬愛するお嬢様に無礼な態度をとったあの小娘はジグソーパズルのピースのようにバラバラに切り取って廃棄物の袋に捨ててしまいたいところではありますが……差し出がましい真似は控えましょう)
そんな気持ちをグッとおさえこむ優秀な使用人は、それからふと疑問を抱いて問いかける。
「しかしお嬢様。聞いたところによるとお客様は暗殺者であるとか。あまり派手なもてなしはお気に召していただけないのでは?」
老紳士の問いかけに。
「問題ないわ。正面からお迎えして差し上げるのよ」
女はふっとわずかな笑みを浮かべ、脇に置いていたいくつかの新聞記事を差し出した。
それらはどれも無条件で一面を飾るような物騒な記事たち。大規模な殺人事件、何者かの襲撃を受けた軍事基地、一夜明けたときには無人になっていた魔王の居城―――
老紳士は、疑問符を浮かべて顔を上げる。
「これはいったい」
女は笑みを深め記事たちを引き寄せた。
「これらすべては、白無垢の仕業なのよ」
「……それはまた。恐ろしい話でございますな」
そう言いながらも興味深げに瞳を光らす老紳士。
女はうっとりした様子で紙面をなぞり、とん、と指で叩いた。
「白無垢という名は確かにここ最近売れ出したものだけれど、それ以前から『短剣使い』は存在していたのよ。といっても彼は傭兵であったり、彼女はシリアルキラーや強盗だったりと整合性の取れない噂ばかりだったけれど―――短剣を操る何者かが存在していたという噂は共通している」
まるで愛する人について語るように、女はその殺人者を語る。
彼女はその存在を以前から知っていた。ほかの誰よりも知り尽くしているという自負があった。白無垢という名が知られるにつれて優越感を覚えていたほどだ。先ほど名前が上がったときなど、よく声をあげなかったものだと女自身でさえ思ってしまう。
それは確かに、愛とさえ呼べるものだった。
彼女は願っていた。
(ああ―――殺し(あいし)合ってみたい)
それが彼であっても彼女であっても関係はない。
女にとって重要なのは、それが最強とさえ呼ばれる殺し屋であるということ。
(命という人間の最大価値……それを想い合う一瞬こそが至上の愛というもの)
彼女はこれまでにも人を愛したことはあった。
けれど悲しいかな、彼女の愛はいつも叶わない。
だからこそ焦がれた。
(ワタクシの愛を、受け止めてくださるかもしれないお方……もしかしたらもう、ワタクシのことを狙(おも)っていらっしゃるのかしら)
そう思えば、胸のときめきは痛みを生むほどで。
―――だから分かる。
「その記事では詳細は省かれているけれど、『短剣使い』はもともと盛大なパーティがお好きなのよ」
多数の記事を調べると、その顛末のほとんどが全滅で締めくくられている。
目撃情報があいまいなのは、単純な話―――目撃者がすべて死んでいるから。
それが暗殺という形に変化したのは白無垢となってからのことだ。
視線が閃き、記事の向こうのだれかを射抜く。
「いらっしゃるはずだわ。エントランスホールから堂々と。飛び切りの花束を持ってね」
女の断言に、老紳士は笑う。
「ほっほ。お嬢様がそのように浮足立っていらっしゃる姿を拝見するのは久方ぶりでございますな」
「そうだったかしら」
ぱ、と広げた扇子で口元を覆う女。
けれど扇子越しにも分かるほどその頬はつり上がっている。
そんなご主人様を前にして、使用人はふと紙面を見下ろした。
(お嬢様が望まれるのならば、このスレイブはただご意思に従うのみ―――だが)
柔らかなほほえみに隠された細まった目の奥で、彼は獰猛に瞳を光らせる。
(我が敬愛にして親愛にして最愛なるお嬢様のお相手としてふさわしいかどうか、存分に試させていただくといたしましょう)
感情の昂ぶりに、指先が関節を異常に駆動させ左右の瞳がぎょるると蠢いた。
けれどすぐさま何事もなかったかのようなすまし顔となって姿勢を正す。
「ではお嬢様。早速ご準備に取り掛からせていただきます」
「朝日の昇るまでには仕上げなさい。万が一にもお待たせするようなことはなしよ」
「御意に」
恭しい礼をした老紳士が部屋を出ていく。
残された女はチェアに背を預け小さく笑う。
「あなたには感謝するわ。幸運の妖精だけでなく、素敵なお方とのご縁まで運んでくれたのですから」
うっとりと瞳を潤ませ、ほう、と吐息する女。
まるで恋する乙女のように、彼女は己に届く刃を待ち焦がれた。
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