第16話
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コーヒーの匂いに隠れてつんっとスパイスの香るストリート沿いのカフェ。
ラブラブの新婚婦々により経営されるそのカフェの、こじゃれた店内にひとりの客がいる。軍服のようなコートを羽織り、頭に乗せたベレー帽から三つ編みのブルーグレーを揺らす女だ。
「おいウェイトレス」
「は~い♪」
呼べばやってくるエプロン姿の店員。
女は葉巻を灰皿に置いてテーブルをとんと叩く。
「この料理の腕に賛辞をくれてやりたい。オーナーを呼べ」
「かしこまりました~♪」
「……愉快な奴だ」
「よく言われます~♪」
店員は軽やかにくるくるしてカウンターの向こうに去っていく。
カカと笑った女はイスに背をもたれ、満足げに腹を撫でた。
「―――やあどうも。ワタシがこの店のオーナのパリスです。なにやらステキな言葉をいただけるようで。喜び勇んでやってきてしまいました」
にこやかに笑って手を差し出すのは、スラッとした長身のブロンドの女性。
ウェイトレスが去って行ったすぐ後にやってきた店主パリスは、少し息を乱して頬を上気させている。
どれだけ急いでいたのかと、女はその手を取りながら愉快気に笑った。
「カカッ。ここはいい店だ。気に入ったよ」
「ほっほう。それはまた素敵なお言葉です。いやはや、そんなに褒められてもコーヒーくらいしか出せませんな」
どこからともなく差し出される一杯のコーヒー。
芳醇な香りに混ざるスパイスの刺激に女は目を細める。
「ほう。悪いなパリス」
「今後とも当店をごひいきに」
妙に様になるウィンクを決めるパリスに、女はまた笑い。
「―――それはキサマの心持ち次第だな」
そして射抜くような視線を向ける。
笑みがぴくりと動くパリスだが、あくまでも冗談めかして肩をすくめる。
「これはおっかない。コーヒーはお嫌いだったかな」
「ここに子供を連れた女の二人組が来たはずだ。知っているか」
問いかける女の懐から警察手帳がちらりと覗く。警察の制服を着た不愛想な視線は睨みつけるように鋭い。
パリスはまた笑みを揺るがし、ゆるりと開いたまぶたの奥から訝しむ視線を向けた。
「ワタシは私服警官というやつでな。重要なことなのだ。ぜひとも答えてくれ」
「あはは。私服警官っていうのはずいぶんおしゃれさんなんだね」
「無駄口は結構だ」
軽口をぴしゃりと切り捨てられ、パリスは苦笑する。
「悪いけれど、ワタシは普段キッチンにいるんだ。時間をくれればウェイトレスたちから話を聞いておくけれど」
ごまかそうとするパリスを、女は笑う。
「カカッ。おいおいパリスよ。キサマみすみす常連客を逃すのか」
「どういうことかな?」
パリスの問いかけへの返答は。
「星ひとつ減点だ」
―――脛を打ち抜く、獰猛(どうもう)な鉛の咆哮だった。
「がっ、ぁ……ッ!」
「そうだな。この店は料理は美味いしサービスもいいが、店主のジョークが笑えない。あとは星ひとつといったところか」
銃身の長いリボルバーの拳銃を手に、うずくまるパリスをやはり愉快気に見下ろす女。
厳めしいブーツに包まれたすらりと長い足を組み変え、彼女は再度問いかける。
「キサマが女どもと親しくしているのはすでに知っている。きょうもわざわざキッチンから顔を見せていたらしいな」
「ぐ、こ、こんなことをして……、?」
パリスはふと、周囲があまりにも平然としていることに気がついた。
高らかに鳴った銃声と、実際に撃たれ肉体だったものをまき散らしたパリス。そのふたつがその場にあるとはとても信じられないほどに、カフェの中は穏やかな騒がしさしかない。
「これは、……いったい」
「あいにくとキサマの問いかけを許した覚えはない。答えろ」
「……は、はは。まいったな。彼女たちはワタシの常連でね。だけどそれだけさ。お客様のことを簡単に口にできないのは当然のことだろう? こんな乱暴をしなくたっていいのに」
脂汗を浮かべながらも笑ってみせるパリス。
一介のカフェのマスターだとは思えないほどの強靭な精神力だった。
状況は分からずとも親しい相手を信じ、当然に護ろうとする善性までも持っている。
そのどれもを面白がって女は口角を上げる。
「いいだろう。それくらいで信じておいてやる」
「それはよかった。いやはや、なにを隠そうワタシは嘘が苦手でね。妻にもそういうところが素敵だと言われているんだよ」
「カカッ、そうか。いや失敬した。その足の治療費はこちらが持とう」
「それはありがたい。なにせきょうオープンしたてなものだから」
ふらつきながらも気丈に立ち上がるパリス。
女は拳銃を懐にしまおうとして、ふと視線を転じる。
「パリス? どこへいってしまったの?」
そこにいたのは、栗色の髪をウェーブさせた女性。パリスと並べてみたくなる美形だ。
カフェの真ん中にいるパリスに、視線を通過させたのにも関わらず気がつく様子がなくきょろきょろしている。
痛みと出血でただでさえ青白くなっているパリスの顔からさらに血の気が失せた。
それを見て取った女の口角が吊り上がる。
「ほぅ。あれがキサマの妻か、パリス。美女カップルとはなんとも羨ましいものだな」
「っ、あ、ああ。こんなワタシにはもったいない自慢の妻さ」
「そうかそうか」
カカッと笑い、すぃと銃口がパリスの妻へと向けられる。
「なにをするッ!」
とたんに表情を怒りで満たして掴みかかろうとするパリスを女の視線が射止めた。
「―――一応だ。これは一応の確認というやつだ、パリス」
「妻にそんなものを向けるな……ッ!」
「安心しろ。減点はもうないはずだろう? キサマは正直にすべてを明かした。だがなパリスよ。もしかすると―――そう、うっかり忘れていることでもあるかもしれないだろう?」
「そんなことはない! だから、ッ! やめろッ! やめてくれッ!」
女の指が引き金に触れる。
悲鳴を上げるパリスに構わず、ゆっくりと引き金を―――
「しゃ、写真があるッ!」
「カカッ」
振り下ろされる撃鉄を親指で食い止め、ゆっくりと下ろす。
それをじっくり見せつけてやった女は、それからパリスに視線を向けた。
「もちろんジョークだともパリス。手本を見せてやっただけだ。だがよく思い出してくれたな。ワタシは嬉しいぞ」
女の差し出す手に、懐から取り出した一枚の写真を震える手で渡す。
そこに映るのはパリスと女ふたり。
一人はたおやかなライトブラウンの明るく笑う女。
そしてもう一人は―――黒髪に赤い瞳を持つ作り物のような笑みを浮かべる女。
「ふむ。いいだろう。協力感謝する」
「もういいだろう! 妻からその物騒なものを退けてくれッ!」
「もちろんだともパリス」
「なっ、……、ぇ……」
あっさりとパリスの心臓を撃ち抜いた女は拳銃を懐にしまう。
「心苦しいが、注文忘れでもうひとつ減点だ。ではな」
一息にコーヒーを飲み干し、女は席を立った。
「外に行ってしまったの?」
パリスの妻が、生き物でなくなりつつある頭を踏みつけて、転びそうになりながら女の脇をすれ違っていく。そしてストリートに出てきょろきょろと見回すが、当然そこに探し人はいない。そんな彼女を不思議がる店員も、床に倒れて血の池を広げていく肉を踏みつけにしていく。
女はそれらを気にした様子もなく、会計もせず店を去った。
通りを歩きながら、取り出した写真を改めて眺める。
(このどちらかが、あの白無垢か)
この辺りでは珍しい黒髪に目が惹かれる。十中八九これが白無垢に違いないと、女のカンがそう告げていた。
(絢爛(けんらん)殺しの暗殺者……魔王陛下の仇か。幸運の妖精とやらもずいぶんと面白いモノを引き込んだものだ)
写真をしまい、ベレー帽を軽くはたいてかぶり直す。
刈り上げの右側頭に剃り込まれた膨張する輝きの印がひととき白日に晒されるが、それを目にする者はいなかった。
(キサマの血色に染まったこの身を、魔王陛下への手向けとしよう)
獰猛な笑みが路地に消える。
―――ほどなくして、とある一軒のカフェに甲高い悲鳴が響き渡った。
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