第15話

 ちょっとした寄り道を終えて自宅へと戻ったふたり。

 ソファに寝かせたシロを挟んで、セブンスの淹れたコーヒーでホッと一息。

「それにしても、まったく面白いことになったわね」

 スクラップブックをぱらぱらとめくりながら呟くマリー。

 セブンスはコーヒーを一口飲んで、それからそっと肩を抱き寄せる。

「これからどうするつもり?」

「さて、どうしようかしら。ズーからの情報によるわね。上手くいけば『絢爛(けんらん)なる魔王の残党壊滅!』みたいな素敵な見出しを飾れるかもしれないもの」

(さすが魔王というべきかしら。ネタは尽きないわね)

 うふふ♪ と上機嫌に笑うマリー。

 セブンスの活躍の証を収集するという趣味にすっかり目が眩んでいるようだ。没後とはいえ魔王の組織と明確に対立しているというのに危機感というものがまるでない。


 セブンスと出会う前は一般人でしかなかった彼女が、まだどこかフィクションめいた感覚でいることをセブンスは知っていた。その認識と裏腹に、当事者である少女を懐に入れるというのがとても危険なことだとも彼女は分かっている。

 少女を守りながら放浪するにしても、敵をすべて殺すにしても、こうしてのうのうと暮らしていくのは難しくなるだろう。

 けれど。

 そんなマリーを愛おしむように目を細めるセブンスは、彼女の髪に鼻をうずめて。

「そうだね。いつも通り、マリーの思うままにやろう」

 いつものように、そう甘やかす。

 マリーと付き合い始めてからというもの、セブンスはたくさん彼女を甘やかして唯々諾々に従ってきた。明らかに暗殺者がすべきでない自分の名刺(たんけん)を残すという行為も彼女が望んだからしている。

 その結果どんな困難や障害が立ちふさがろうとも、その全てを殺せばいい。

 いままでもそうしてきた。今回もそうするだけのことだ。

(マリーはいまいち危機感っていうものがないから、私が守ってあげないと)

 そんな決意をみなぎらせながら、マリーの目元にくちづけた。

「わぁ。なかよしさんです」

 それを見たシロがなにか嬉しそうに笑う。

 どうやら彼女は目を覚ましていたようで、頭上でらぶらぶと触れ合うふたりを楽しげに見上げていた。

「おはようシロちゃん。よぅく眠れたみたいね」

「はいですっ。……れれ? ここどこです? シロはさっきまでとってもおいしいパイをクロちゃんとたべていたですけど」

「ここは私たちのお家よ。いらっしゃいシロちゃん」

「おうちです? ……あっ! そうだったです……えへへ……シロまちがっちゃいましたです……」

 クロのことを意識してしまったからか、シロはしょんぼりと力なく笑う。

 それをなでて慰めてやりながらマリーは笑いかけた。

「あなたが起きたら一緒にゆっくりお風呂にでも入ろうと思っていたのだけれど、どうかしら」

「おふろです?」

「ええそうよ。少し汚れてしまっているもの、あなた」

 ぱちくりまたたくシロを抱き上げようとするマリー。

 けれどすぐにセブンスがそれを奪い取る。

「マリー。まさか私以外に裸なんて見せるつもりだったの」

「え、ええ。そうだけれど……」

 いままで向けられたことのない剣呑な視線にたじろぐマリー。なぜか不貞を咎められているような気分になりながらも言い訳(?)してみる。

「でも少し大げさよ。シロはこんなに小さいのよ?」

「そんなこと関係ない。マリーの裸を見ていい人は私だけ。シロは私が入れる」

 そう言ってすたすたとバスルームに向かうセブンスに呆気を取られていたマリーだが、しばらくしてなにか妙に気恥しくなって頬を染める。これでもかと甘やかして好き勝手にやらせてくれるセブンスからあんなにも熱烈な嫉妬を向けられるのはとても新鮮なことだった。

(シロさまさまといったところかしら。セブンスったらあんな顔もできるのね)

 ぱたぱたと赤くなった頬を冷ます。

 ひとり残されたソファーはなにか座り心地が悪い。

 ソファーの上で膝を抱えて、どうにも落ち着かなくてごろごろ転がる。

 かと思えばぴたりと止まって、水音の聴こえてくるバスルームの方に視線を向けた。

(……というか、それを言うならセブンスだってシロに裸を見せるのよね。たしかになんだかシャクだわ。それってとっても仲良しみたいじゃない。これは後で私もセブンスといっぱいお風呂に入らなきゃいけないわね。そうよ、これはおしおきしないといけないわよね。昨日入ったけどそんなの知らないわ。いつもより念入りに洗いっこしてあげるんだから)

「もぉー、セブンスって悪い暗殺者さんだわ。うふふ」

 によによと笑いながらまた転がるマリー。

 その脳内は、お風呂でセブンスを可愛がるバラ色の妄想でいっぱいだった。


 一方バスルーム。

 お風呂文化にこだわりのあるマリーが探したこのアパートは、この辺りでは珍しく浴槽のついたユニットバスになっている。浴槽に湯を張りながら、セブンスはシロを素っ裸にして浴室に連れ込んだ。

 目を白黒させる彼女を椅子に座らせ、さっさとシャワーで濡らす。

 透明な髪が水に溶けてきらきら煌(きらめ)くのが、セブンスには少しまぶしく思えた。

「うぅぅ……しみるです……」

「我慢して」

 肌が水を弾くたび擦れた痕が痛々しく残るシロはそれだけでも痛みを訴えるが、セブンスは取り合わない。弱めの水圧で全身を濡らしているだけなのだから、それ以上どうしようもないのだ。


 もっともしばらくすればシロも慣れて。

「あぅぅ~」

 と心地よさそうにとろける。

 その頃には流れる湯も血色を増して、固まった血液もいい具合に溶けている。

 果実のような香が浴室を満たして、セブンスのまなじりは少しだけ緩んだ。

(やっぱりこの子……いい匂いがする)

 誘われるようにそっと触れた血の塊がぬるりとほどける。

 それを指先に感じたセブンスは、シロの肌を指の腹でくりくりとこすり洗っていく。

 日々訓練を絶やさず鍛え上げているセブンスだが、その指はしなやかで繊細だ。普段から短剣を握っているのに豆のひとつもなく、あるのは至上の技巧だけ。

「んんっ、にゃっ、ふぃっ」

 そんな指で肌をさすられるのは当然心地よい。けれど、少女の幼い神経はそれをくすぐったいと受け取るようだ。わずかに悦の混じる、ささやかな鳴き声が水音に混ざる。

 痛みを与えないようにとやわらかく洗ってやるセブンスだが、少女がうねうねと身を捩らせるので傷を痛めないようにと神経を使った。

「動かないで」

「く、くすぐったいですっ、」

「動かれると洗いにくい」

「んぃっ、で、ぇもぉっ、はにゅっ、ぅ、」

 言われたところでくすぐったいのは簡単に我慢できない。それどころか意識するとむしろ気になってしまうようで、少女の身体はくねくねり。

 しかたがないので、セブンスは彼女の身体をぎゅっと抱きしめた。

「動かないで。じっとしてれば、綺麗にしてあげるから」

「んぅっ、、はい、ですぅっ、う」

 ぎゅっとすがるようにセブンスの腕を抱きしめるシロ。

 少しは洗いやすくなったと、セブンスは少女の肌を指で丹念に清めていく。


 やがて少女の身体から血の染みがなくなったところで、セブンスはシロと湯船につかる。

 つい昨日も久々にマリーとのお風呂をのんびりゆっくり堪能したばかりで、なんとなくそれが不思議に思えた。そもそも普段から湯船につかるという習慣はなく、入るときはだいたいマリーとたっぷり触れ合いたいようなときだ。

 それがいまは見も知らぬ少女と浸かっている。

 どうしてだろうと思って、けれどその思いもあっさりと湯に溶けていく。

(ああ……そう……マリーがお風呂って言ったから……私はどっちでもよかったんだけど)

 ぼんやりとそんなことを考えながら、セブンスは少女との湯を楽しむのだった。




「あぁ……気持ちいいわ、セブンス……」

 冷ややかなセブンスの手にほおずりするマリー。

 うっとりと蕩けた眼差しを見下ろしながら、セブンスは愛しい人を優しくなでた。

 シロの後でセブンスと一緒にお風呂に入ったマリーは、のんびりしすぎたせいですっかりのぼせてしまっていた。

 ひと眠りしたからか元気が有り余っているらしいシロは足をプラプラさせながらソファに座っていて、いっしょになって頭をなでている。

 そんなふたつの安らぎを受け取りながらマリーはそっと吐息する。

(やっぱりお風呂はたまにでいいわ……楽しかったけれど)

 思い出すと、また少しくらくらしてしまう。マクラにしているセブンスの膝をすりすりと弄びながら目を閉じた。

「少し眠るわね。私」

「おやすみなさい」

「おやすみなさいセブンス。愛してるわ」

 そう言って身体の力を抜くマリーの額にくちづけを触れて。

 セブンスは、いつものようにささやく。

「愛してるよマリー。―――死がふたりを別かつまで。ずっと、愛してる」

 いつもの言葉を受け取って、マリーはぐっすり眠りに就いた。


「……きれいです」

 ぼぅ、と呟くシロ。

 なでなでされながら見上げてくる視線に、セブンスは誇らしげに頷く。

「うん。マリーは綺麗(きれい)だよ」

「あ、えと。ちがうです、ちがくないですけど!」

 否定した瞬間に冷え切ったセブンスに慌てて首を振る。くるくると目を回したシロはえーとえーとと悩みながらも言葉を続けた。

「ことばです。いまの、えっと」

「……『死がふたりを別かつまで』?」

「です! シロはそれがだいすきになったです!」

 ぺかーと笑うシロに、セブンスはそっと目を細める。シロの頭をなでてやりながら、窓の方に視線を向けた。

「お気に入りの言葉、かな」

「たからものです?」

「うーん……たからものはマリーの方かな。マリーとの思い出が宝物で、それをたくさん作れますようにっていうおまじない」

 マリーのことを語るだけでやわらかく微笑むセブンス。

 それを見たシロも嬉しそうに笑う。

「えへへ。たからものはとってもだいじです」

 楽しげなシロに、セブンスはなんの気なしに問いかける。

「あなたにも、宝物はある?」

 問いかけに、シロは目を見開いて。

「―――はいです!」

 蕾(つぼみ)が花開くように鮮やかな笑みを浮かべる。

 それからすこしだけ目を伏せて、恥じらうように宝物を明かす。

「シロのたからものは、クロちゃんです。……えへへ」

「そう」

 それはなんとなく予想できた言葉だった。

 わずかなためらいを舌に感じつつも、セブンスは問いかける。

「……クロのことは、悲しくない?」

「かなしい、です?」

 きょとんとして首をかしげるシロ。

 まるで突拍子もないことを言われたというような反応にセブンスは興味が湧いた。

 うろうろと視線をさまよわせたシロは、それから不器用に笑う。

「えへへ。ちょこっとだけさびしいですけど、かなしくないです」

「どうして?」

「やくそくしたからです」

「約束、って?」

 問いかければ、シロはきゅっと手を胸に抱いて身体を丸める。

 大切な宝物を握り締めるように、優しくも、強烈な力で。

「クロちゃんとシロは、ふたりでずっとシアワセです」

 しずくが零れて、少女の宝物を濡らす。

 見上げた表情は、笑みを浮かべようとして、上手くいかないで、引きつっている。

「クロちゃんはミライがみえるですから、それってホントです。ふたりっていってくれたです。クロちゃんもいっしょです。シロは、シロはだから、」

 ぽろぽろと涙を流すシロの言葉。

 感情ではなく理性の言葉だと思い込むような淡々とした口調。

 セブンスに語りながら、自分自身に言い聞かせるように。

「―――そっか」

 セブンスはそれだけ応えて、シロを自分の膝へと誘う。

 マリーの頭と触れないように気をつけて寝かせてやると、見上げる視線を手の平でふさいだ。そして唇でしずくをさらい、しみ込んだ熱を優しく吸う。

「えへ、へ」

 笑おうとする口元が歪み、下唇をぎゅうと噛んだ。

 慰めの言葉も、励ましの言葉も、セブンスは口にしなかった。

 ただ髪をひとすくい持ち上げ、そっとくちづける。

「おやすみ」

「……おやすみ、です」

 そうしてシロは眠りに就いた。

 眠る少女の表情は穏やかで。きっと夢のなかでクロといっしょにいるのだろう、ときおり嬉しそうに笑ったり、恥ずかし気に身をよじったりする。

(……この子は、きっと、守ってあげよう)

 彼女の手を握ってやりながら、セブンスはそんなことを思った。

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