第17話

 □■□■


 午睡の後、夕食を摂ってまた就寝。

 なんとも怠惰な一日だと幸せそうに笑っていたマリーはいまはぐっすりと眠っている。

 さすがにシロの前でイロイロとしようとは思えないらしく、おやすみのくちづけくらいであっさりと寝てしまった。

 夕食をお腹いっぱいに食べたシロも、ぷすーぷすーと鼻を鳴らしてぐっすりだ。


(さすがに、あまりのんびりともしてはいられないか)

 ふたりの頭を優しくなでていたセブンスは、吐息とともにベッドを抜け出す。

 温もりを求めて抱き合おうとするマリーとシロにクッションを抱かせてやって、玄関へと近づいていく。

 先ほどから気配があった。

 玄関扉の向こう。

 隠すつもりもない足音と、衣服のほこりを払うような音。さらには郵便受けをカパッと開いてみる音まで。

 遊んでいるのか、探っているのか。

 気のせいと断ずるにはあまりにもわざとらしいその気配。

 セブンスは足音も立てず扉に張りつき、まず覗き穴を覗く。

 そこには暗闇があった。

 まるでなにかでふさがれているような―――

 ガウンッ!

「っ!」

 ヂッ!

 とっさに顔を逸らしたセブンスの髪を焼き切り、風切り音が爆走する。

 覗き穴をぶち抜いて打ち込まれた弾丸が対岸の壁にめり込み破片を散らした。

 即座にノブを捻り扉を蹴り飛ばしながら躍り出れば、向けられた銃口から歓迎の号砲が轟いた。

(マリーの安眠を邪魔するつもりか。殺そう)

 冷ややかに研ぎ澄まされた視界に下手人である軍服の女を捉えたセブンスは、轟音を掻い潜り手中に出現させた短剣たちを散弾のようにばらまく。

「カカッ! キサマが白無垢か! 人は見かけによるものだな!」

 階段を飛び降り壁を蹴り、縦横に逃げながらも驚異的な精度で銃弾を放つ女の狂気的な歓声。まるで当然のように自分と白無垢をリンクさせていることにセブンスはやや不快感を覚えた。

(明らかに関係者か)

 風とすれ違うセブンスの脳裏に過る昼間の男。

 そのとき短剣がベレー帽を射抜き、女の側頭部をあらわにする。

 そこにあった膨張する輝きの剃り込みにセブンスは内心舌を打った。

(やっぱり。短剣残しとくべきじゃなかったかな)

 マリーの要望で一本だけ標的に残すようになった短剣だが、そのせいで居所どころか正体さえバレているようだ。依頼でもなかったのだから今回は別に必要なかったかもしれないといまさらになって思う。


 そうでなければもっと楽に処理できたかもしれないなどと思考するのも後回しで、セブンスは女を追ってストリートに飛び出した。

「この至近距離でも当たらんとは!」

 バックステップで距離を取りながら銃弾を装填する女。

 明らかな隙を狙いすまし矢のように飛び掛かるセブンスの接近に、女は勢いよく足を振り上げる。

 たたき落とそうと振るうナイフが、そのつま先の閃きに受け止められる。

(仕込み靴か。鉄板かなにかも入ってそうだ)

 重厚なブーツのつま先から伸びる刃を弾き飛ばし、その隙に構えられた銃口を避けて飛び上がる。足元を通過する弾丸のお返しにと投げつける短剣はあっさりと回避され、女は車の行き来する道路へと身を躍らせた。

 迷いなく突っ込んでくる乗用車とすれ違い、車道の隙間で女は笑う。

「さあ白無垢、お前も来るがいい。小細工でこの私を殺せんことは分かっただろう」

 言葉の合間にも再び通過しようとする車を視線も向けずにかわす女。

 次々に車とすれ違い、そして車道の向こう側へ。

 その光景に違和感を覚えたセブンスは、ふとさらなる違和感に気がつく。

(マリーたちが起きてこない……?)

 銃撃と覗き穴の破壊音、おまけに女のやかましい声まであるというのに、マリーどころか周辺の部屋からもまったく反応というものがない。なんなら平然と戦闘していたというのにのんびりと歩道を歩く者もいる。

(まるで、私に気がついていないみたいに)

 そうと気がついてしまえば単純だ。

 目の前の女が、何らかの魔法を使っている。

「気がついたか白無垢! 最強の暗殺者というのも案外鈍いな!」

 煩わしげに軍服を脱ぎ棄て女は告げる。

 張り付く布地に押さえつけられた胸の右側に装着されたホルスターと、腰のナイフたちが晒された。

「ワタシの『朱色の迷彩(ルージュ・トゥ・ルーズ)』は集団を当然のものとする魔法。ひとたび集団として加わったものは銃撃戦を奏でようがヘッドライトに身を晒そうが当然のこととして解釈される!」

 言葉とともに通行人のひとりを撃ち抜く。

 当たり前に足を射抜かれ絶叫とともに倒れ伏すそれに、しかし他の通行人は気がつきもしない。

「つまりキサマとワタシの戦争を邪魔する者はいないということだ! 素晴らしいとは思わないかッ!」

 哄笑を上げる女に一言も応えることなく、セブンスは車道へと身を投じた。

(マリーたちが聞いてないならいいや。気が変わる前にさっさと殺そう)

 狙うは短期決着。

 獰猛な笑みを浮かべて車道に飛び込んでくる女と、道路の真ん中で衝突する。

 銃という距離に秀でた獲物を手にしながら易々と徒手圏内にまで接近を許すにやけ面に短剣を振るう。

 女が身体を逸らす瞬間に短剣を投げ、その瞬間に再度握ることで持ち手の先端へと手をスライドさせて刃程を延長。がくんとひざを折った女の三つ編みを切り落としながらも上向く銃口から身を逸らし、眼前を通過する弾丸を目視する。

 振り抜かず握り直した短剣の、振り下ろす一撃を女は抜き出したナイフで受け止めると勢いよく蹴り上げた。

「温いぞ白無垢ッ!」

 女の両足と突っ込んでくるタクシーに飛びのいて、タクシー後部座席の窓をぶち抜いてくる風圧を頬にかすめる。

 その隙に通過しようとする車に飛び乗る女を追ってセブンスも車上を渡る。

「カカッ! まだまだこんなものではないだろうッ!」

 飛び掛かって振るう短剣は受け止められ、お返しと閃く刃を掻い潜る。

 幾度となく振るわれる刃が空を切る切るすれ違い、ついには衝突し、果てには金属音が乱舞する。

 分が悪いと見て取った女が車を飛び移ろうとするのに合わせて追従し、向けられる銃口を打ち下ろす。即座に銃声を貫く刺突は発砲の衝撃で振り上げる拳銃に弾かれた。

 移動先の車上から転がり落ちていく女を飛び越えながら投げつける短剣たちは車道のアスファルトに突き立ち、女はサイドミラーを掴んで引かれていく。

(この状況に慣れてるのか。車を手段のひとつとして使う……やったことないな、私は)

 着地とともに女を追って駆け出すセブンスに。

「このワタシが近接戦闘で脅威を感じるのは久方ぶりだぞ白無垢」

 車上によじ登った女は銃口を向けてカカと笑う。

 セブンスはやはり無言。自動車に追いつくと足先に生じさせた短剣でタイヤを切り裂き銃撃をかわして飛びのく。

「物騒なやつめ!」

 スリップする車から飛び降りる女へと届く短剣の嵐。

 カッと目を見開くと続けざまの三連射で短剣を弾き散らし、生じた隙を突き抜けてセブンスと交差する。

 セブンスの振るう短剣は掻い潜られ、女からの返礼は弾かれる。

 すれ違い、即座に振り返った両者の振るう刃がかみ合う寸前にセブンスは短剣を消滅させ、空振る女の喉元を一息に掻っ切った。

「ぐぁ……ッ!」

(浅いか)

 気道にさえ届かない軽い感触。さらに踏み込もうとするのを狙う回し蹴りに身をそらし、追撃する二足目を腕で受け止めるがわずかに蹴飛ばされ骨が軋む。

「カカッ! いいぞ白無垢ッ!」

 ナイフを手放した女が目にもとまらぬ早業で空中に浮かす銃弾。

 スピンをかけられまっすぐにセブンスを向いたその背に指先を突きつけ、魔術によって生じさせた爆ぜるような衝撃によって雷管に点火。薬莢(やっきょう)を爆発させながら放たれる弾丸がセブンスの頬に一筋の擦過傷を作り飛び去って行く。

「お返しだ!」

 顔をかばった腕を、散った薬莢(やっきょう)にズタズタにされながらも哄笑を上げる女。

 すでに身を翻して逃げ出しているその背を眺め、セブンスは無理に傾いだ体勢を整えながら頬に触れる。

(魔術も使うのか、コレ)

 ただでさえ母数がすくない中で、適性がなければ使用できない魔術までもを使える魔法使いは希少な存在だ。

 そもそも『魔力があるから効果を発揮する』魔法と『魔力を消費して効果を発揮する』魔術は相性が悪い。これまで幾度となく魔法使いを殺してきたセブンスでさえ、その両立をしてのける相手とは数えられるほどしか戦闘経験がない。

(怪我したのは久々だな。マリーとご飯作ったとき以来だ)

 だからなんということもなく、セブンスは女を追っていく。

 と。

「おい危ねえだろッ!」

 パッパー! と鳴り響くクラクションに目を細め、その瞬間無意識にかがんだ頭上を弾丸が通過していく。

(―――車が私にクラクションを鳴らしたということは、いま私は入ってない?)

 さきほどまでは女とセブンスがひとつの集団だったから車は反応しなかったと、女は自慢げにそう言っていた。しかしいまは、車は自分を意識するが自分は女を意識できないでいる。

(なんだ、そこまでのバカじゃないのか)

 背後から放たれる弾丸を手の平に乗せた短剣の腹に当てて逸らし、突き出される大型ナイフを弾き上げる。そしてがら空きになった女の横腹を蹴り飛ばそうとするが腕を差し込まれ受け止められる。

「ぐ……ッ!」 

 呻き声を追って駆け出そうとして、接近していた乗用車に当然ひかれる。

(……? いや、べつにおかしなことじゃないか)

 車体の上を転がって勢いを殺すも多少のダメージを受けながら、ボンネットを弾き飛ばすように飛びのくセブンス。

 空中を狙う銃弾は当然弾き飛ばし、空中できりもみしながらも条件反射で短剣たちを投げた。

 すたっと着地したセブンスが視線を向けると、歩道に逃げた女が右手に持つ拳銃にまで血を滴らせて笑っていた。爆ぜた薬莢の分と蹴りに秘めていた短剣の分でかなりのダメージになっているようだ。

「くっ、くくく……素晴らしいぞ白無垢。当然であるほどに戦闘が染みついている。分かるぞ、キサマはワタシの同類だ」

 無駄口を叩きながら、やってきた車に飛び乗る。

 次々やってくる車を渡り継いでいる彼女をセブンスはふと見落とした。

(なくなった訳じゃないのは分かる……けど、ぱっと見だとムリか)

 まるで石ころの山の中から目当ての石ころを見つけるような感覚。

 車の上を移動する彼女は当然の存在なので、ひとつひとつの車を意識して見てもそこにいることに気がつくことができない。

 そうしている間にも当然といった様子で飛び込んでくる車は特別なことではなかったが、それでも理性で感覚を捻じ伏せて進路を避ける。

(それにさっきから、私に気がつかない車を私もおかしいと思えていない。私を含む集団と含まない集団のふたつがあるんだ。それとももしかしたら、アレを含む集団を合わせて三つか)


 ―――セブンスの睨むとおり、女の魔法『朱色の迷彩(ルージュ・トゥ・ルーズ)』には集団が多数あれる。


 セブンスと適当な通行人を対象とした集団。

 車道を行く車の運転手を対象とした集団。

 そして女と適当な通行人を対象とした集団。


 同じ集団に属する者同士は互いを正常に認識するが、それ以外は他の集団がなにをしても当然としか思えない。

 車でひこうが、逆にひかれようが、それは当然のことなので違和感を抱けない。

 そして女だけがその影響を一切受けないですべてを正常に認識できる。

 それはつまり、思うがままに気配を消失させられるということ。

 木の中に木を隠すように、人の中に人を隠す。

 朱に交わった赤色はもはや他と区別さえできない。

 それこそが『朱色の迷彩(ルージュ・トゥ・ルーズ)』という魔法。

 有効範囲が広くはないためやってくる運転手や通行人を次々に集団に取り込む忙しなさこそあるものの、そのマメな努力を絶やさなければ強力無比な魔法だ。


(その点、さすがは白無垢というべきか。全力で行使しても即応してくるとはな)

 女はセブンスが対応するまでに最低でも四肢のひとつくらいは獲れるつもりでいた。けれど結果は、むしろ自分が腕の一本をやられるというさんさんたる有様だ。

 それでもまだ銃は握れる。

 冷え切って感覚のなくなりつつある指先を、そのまま硬直させてしまえとばかりに強くしめてグリップを握った。

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