断(章)/double2
事務所から帰る途中の幸古は、今更ながら自身の過去を振り返る。
幼少期、この世の地獄に居た。
親の顔なんて覚えていない。実は見たこともないかもしれない。
気がついたら地獄にいた。
そこは人間の秘めている可能性を考えるあまりに、人間を人間と考えない様な場所であった。
そんな地獄の中でも、私は当然の様に落ちこぼれであった。
最後の最後まで生き残れたのは、やっぱり、『彼』のお陰であろう。
常に文句を言いながらも、面倒見が良くて優秀な『彼』。
そんな『彼』を犠牲にし、さらに血を啜ってまでも生きている、こんな生き汚い私にはもちろん存在の価値なんて無い。
行き場も身寄りもないので、地獄から掬い上げてくれた軍に恩を返そうと身を寄せた私に対する虐めも、当然の報いだと思えた。
それに、こんな私が虐められない訳が無い。死ぬべきは私だったのに、『彼』を犠牲にして、存命しているのだから。
しかし虐められて当然と私は考えていたのだが、ある日を境に、私はおかしくなってしまった。
そう、血に塗れたあの日だ。今でも鮮明に覚えている。
昼食に家畜の糞が紛れていたあの日、私は知らぬ間に、私を虐めていた男を切り裂いていた。
周りは清々した、貴方がやらなかったら私がやっていた等とほざいていて、私に寛容的であったが、その日から・・・。
私の夜の記憶がない。
正確に言えば、夜に何もやっていないのに、何かをやってしまっている事が何度もあった。それは私がだらけていた部屋の掃除であったり、酷い時には知らない人に昨日の夜はゴキゲンだったね、なんて言われたりもした。
そんな日々が続き、私は怖くなった。
私という人格が消えてしまうといった類の怖さではない。
誰かの為に使う様に残しているこの命で、また誰かを傷つけてしまうのではないか、という恐怖だ。
それで血の気の多い軍を抜け、ひっそりと暮らそう、ひっそりと息絶えようと、そうしていた矢先に、私はまた朝に血に塗れて起き上がってしまった。
これでは軍を抜ける際に口を利いてくれ、生きているだけで人間には価値があると言ってくれた津代中尉に申し訳が立たない。
今回の事件で、手紙が津代中尉から送られてきた際も、私は怒られるのではないかと思ったが、津代中尉は優しく、手助けまでしてくれた。
それに比べて私は臆病者だ。
死ぬべきなどとほざきながらも、誰かの為に命を使うからと言い訳をして自死すら出来ない。
そんなマヌケも、ひたすらに他者に救われ続けてこんな所まで来てしまった。
もうこんな臆病者ではなく、夜に出てきている、『彼』と同じ能力を使う人格が、私を形成するべきだ。そして、潔く牢屋にぶち込まれ一生を終えればいい。
しかし、そんな私もやっと終われる。
早くも、かの探偵は犯人と接触した様だ。流石は津代中尉が紹介した探偵だ、これで私はやっと、この人生に幕を下ろせる。
どんどんとネガティブな思考に陥っていく。
そんなマイナス思考は進むに連れて次第に考えが纏まらなくなっていっていき、結果として気分が悪くなってきたので手近にある公園のベンチにて休憩する。
手鏡にて確認した自身の顔は、見上げた空よりも真っ青で、自嘲の笑みがこぼれる。
「よっこらしょっと。大丈夫か?顔色悪いけど。救急車呼ぼか?」
ふと、横から声がした。
横を振り向くと、座っていたベンチの空きスペースに、一人の女性が座っていた。
こんなに近くまで人が来ても気付かないとは、どうやら私は相当に参っている様だ。いや、自暴自棄という言葉の方が正しいだろうか。
それにしても、凄く綺麗な女性だ。顔だけでなく四肢も洗練されていて、スポーツマンを連想させる。
「い、いや、大丈夫だ。き、気にしないでくれ」
「なんやなんや。そんなん言われたらもっと気になるやんけ。なんか悩み事か?」
悩み事・・・か。
「・・・た、例えばなんだが、自分の人生が後もうすぐで終わるってなった時に、貴方なら何をする?い、いや、特に真剣に答えなくても良いんだが・・・」
私は何を言っているんだろうか。いくらネガティブだからといって、そんな荒唐無稽なバカらしい話を言葉でアウトプットして、さらに赤の他人に質問までしてしまうとは。反省しろ。
「そうやなぁ。私やったら好きな事好きなだけやって、最後には楽しかったって言って寝るやろなぁ。まあいつも通りなんやけどな」
その人は私の質問に真面目に答える。しかしその答えは、私には全くこれっぽっちも真似できない物であった。
「す、凄いポジティブなんだな。わ、私には出来ない事だ。き、きっと良い人生を送れてるんだろうな。あ、あなたが輝いて見えるよ」
「良い人生なんて送れとらんで。実は昨日リストラされたしな」
「え?」
「なんや、頭回らんで使えへん奴やとか、やる気ないんちゃうかとか言われたなぁ。まあ実際にそんなやりたいことでも無かったし、全部事実やからしゃあないけど」
「そ、そんな事があって、なんでそんなポジティブなんだ?」
「んー、せやなー。ちょっと昔の話するとな、私もめちゃくちゃネガティブでな、子
供ながらに自殺したいとか考えとったわ。ホンマにガキやったなーって思うわ」
「じ、自殺・・・」
「そう、自殺。一回ほんまにやってその時の傷、まだ腕に残ってんねん。ほれ、これ」
女性は服の袖をまくって、左腕を見せる。
そこには大きく十字に伸びる切り傷があった。この傷では確かに、出血で死に至る事も出来るだろう。
「今更ながらに思うと、別に自殺したかったんやなくて、クソ親父の気を引きたかったんやなーって思う。でも笑えるのが、その傷で病院に運ばれた時も親父は顔色一つ変えんかった。もうそこで私は色んな物が嫌いになってしまったんや」
女性は先ほど話した、人生の終末計画とは全く乖離した内容の過去を語る。
親族の居ない私には分からないが、家族からの断絶・拒絶とは、一体どれ程の悲壮が積み重なれば起こり得るのだろうか。
「そ、そんな状態からどうやってポジティブになれたんだ?」
「なんや、簡単な話やで。言うなら男やな」
「お、男!?」
や、やはりあれだろうか。一つ屋根の下でホニャララ・・・?
「まあ、別に性的な話ちゃうで。言うなら私より、もっと根暗なやつに励まされたんや。別に励ますのが上手かったとかとちゃうで?むしろ私より四歳も年上やのに、メチャクチャ下手くそでなぁ。なんか悩んでるのがアホらしくなってしまったんや。でもそいつのおかげで私は生きる道を見つけたし、死んだ母さんの付けてくれた大切な名前も嫌いにならんで済んだ」
励まされたから、か・・・。
「わ、私はそんな風に開き直ってポジティブにはなれない。わ、私は・・・多くの命を踏みにじって生きてきたから。す、救われるべきじゃ無いんだ」
そう、もはや他人がどうこうのレベルでは無いのだ。
私にはれっきとした罪がある。
「そうやろか?結局は、自分の気分次第やと思うで?救われるなんて話はよく分からんけど、人間なんて助け助けられで成立しとる。それで助けられて素直に喜ばれへんのは、単純に自分に自信がないからや」
「そ、そんなの当たり前だ!わ、私は!」
人殺しなのだから。その言葉を私は伝える事が出来なかった。
これ以上周りに迷惑をかける訳にはいかない。
「うぉ!声でかいな!でもちょっとは顔色良くなったな。ほな、お暇するわ。あんまり油売ってたら、昨日雇い直してくれた雇い主に怒られるからな」
そう言いベンチから立ち上がる女性。
そのまま歩き去るかと思いきや少し歩いた後に振り返り、こちらを指差し、少し複雑な表情を浮かべながら話し始める。
「ええか、救われる事に違和感を覚えんな。人は皆んな、平等に救われる機会が在るべきや。そこから変われるかどうかは、自分のモチベ次第や。・・・っかーー私も下手やなぁー、誰かさんのこと言われへんわ。ほな、またどっかでな」
今度こそ、こちらを振り向かずに歩き去っていく女性。
幸古はそんな背中を、見えなくなるまでただ呆然と眺めるしか無かった。
「モ、モチベって・・・」
ようやく相手の言葉を飲み込み、つい口からこぼれた言葉に反応する者は既に居なかった。
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