斑井 幸子
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O県・某包丁の街の南部に、その事務所はあった。
外観は見るからに普通の事務所であるが、看板も立っていなければ、扉にその事務所の名前すら書かれていない。
特別な仕事をしているらしいので当然ともいえるが、これでは怪しくてまともに依頼が入らないのではないかと思った。
「さて・・・少し早めに着いてしまったようだな。時間まで待つ事にしよう」
時計を見ると時間は午前八時を指していた。依頼人である自分が約束した時間、午前八時半より三十分も早く到着してしまった。
この街は道が入り組んでいるとの事前情報を得ていた。なので遅刻を防ぐために、予定時間の二時間前に最寄の駅に到着していたが、どうやら早過ぎた様だ。
「次は一時間四十分前に最寄の駅に着くようにしよう」
仕方ないので事務所の隣の、まだ開店していない工具屋のシャッターに寄りかかり待つことにした。
しかし待つことは嫌いじゃない。待つ間は何もしなくてもいいから、何かを行って周りに迷惑をかける事が無い。それに私は今現在一人という所も評価出来る。周りに迷惑をかけようがない。
そんなネガティブな思考で、精神統一を行いつつ周りを見渡すと、そこらかしこに飲食店やらが並んでいる。
日曜日なので普段ならば、朝まで飲んでいた酔っ払いや、このそこそこ大きな街に遊びに来る若者が居そうなものだが、今は人っ子一人見当たらない。
それもこの街で起きている、連続殺人事件のせいであろう。
二件目の殺人が起きてから報道規制を解除された連続殺人事件は、最近ではニュースでも新聞でもその話題で持ちきりである。
今まで実際に死んだ数は、報道によると四人。それだけなら車の暴走事故などの方が死亡人数が多いが、この連続殺人の異常性は数ではなく、その殺され方に現れていた。
四肢が、いや体のすべての部位という部位がバラバラにされ、その中の一部分がなくなっているのだ。
人間を解体するというのはとてつもなく重労働であり、普通の包丁などでは人間の骨を簡単に切ることはとてもできないし、時間がかかる。
それにも関わらず、深夜とはいえ路上で人をバラバラにするなんて時間のかかる事を、既に四回も成功させておいて、目撃者は零であった。
もちろん一度目の事件が起きてから警察は常に夜間のパトロールを行っているにも関わらずだ。
だがそれだけでは運のいい異常者の殺人で片が付くが、それだけではなく解体方法が異常、いや不明なのであった。何故不明かというと、解体された部位の切り口が綺麗過ぎるのだ。
日本刀の達人ですら、人体をそこまで綺麗に切ることは難しいとされており、それが動く人間ともなれば、それは不可能のレベルに近いとのことであった。
それでいて犯人は、現場に証拠になるようなものはまったく残さずに犯行を行っているので、凶器がどのような物なのかすらわからない。
このような事態に当然警察は対応できず、今も大掛かりな捜査体制を敷いているが未だ収穫はない状態である。
そして今回、私がこの事務所に来たのもその事件絡みであるのだ。
あの夜の恐怖は忘れられない。未だに頭の後ろにこびりついてはがれずに、焦りとともにそれはどんどん大きくなっている。
そんな折、ちょうど良いタイミングで手を差し伸べてくれた人がいた。それは軍に所属していた時に知り合い、お世話になった津代中尉という人であった。
私が軍にいた当時から色々と面倒を見てもらっていて、親のいない私の退役した後の面倒まで見てくれている。今の私の親代わりのような人であった。私がただのフリーターとして生きていけるのも、津代中尉による援助が大きい。
そして今回、困っている私にタイミングよく便りが来たのも、彼が私のことを気にかけてくれている証拠なのであろう。そして力になってくれるだろうと、手をまわしてこの事務所を紹介してくれたのであった。
どうやら今回のような行き過ぎた、異常とも言ってもいいような事件の専門家らしく、相当腕がたつらしい。
「っと、そろそろ時間だ」
きっちり午前八時三十分。その時間に彼女は事務所の扉の横にあるチャイムを鳴らした。
すると待ち構えていたのかすぐに扉が開き、なぜかメイド服を着た、美しい少女とも女性とも言える人物が出てきた。
私はあまりにも整った顔と変わった服装に、少しだけ面くらいつつも、事前に用意しておいた言葉を話す。
「す、すいません。七加瀬さんという方に会いに来ました。ま、斑井幸古という名の者ですが。こ、ここで間違いないでしょうか」
いつもの対人恐怖心から来る、言語のドモリが出てしまった。反省。
しかし事前に聞いていた、ここの主である人物の名前は口に出せたぞ。偉い。
すると女性は、
「ええ間違いありませんよ。七加瀬特別事件相談事務所へようこそ!」
と元気よく答える。
私と年齢もさして変わらないだろうにこの違い。悲しい。
その女性に通された玄関と部屋が直結しているオフィスには、なぜかトレーニングジムで置かれているような、筋力トレーニングマシンが並んでいた。
しかしそんな中で、一つだけ際立っている、部屋のど真ん中に置かれたガラス張りの机の正面、革張りのソファに一人の男が気だるそうに座っていた。
真っ黒のスーツを着崩したその男の年齢は二十台半ば程であろうか。
強引に解かした寝癖や顔立ちから、少し幼く見えない事も無いが、何も捉えていないかの様な、胡乱な目つきがその幼さを打ち消していた。
そしてその男が座っているソファの対面にあたる、同じく革張りのソファにメイド服を着た女性に案内される。
「ようこそ。七加瀬特別事件相談事務所へ。私が所長の七加瀬と申します。あなたが津代中尉という、軍の方の紹介で依頼に来られた方ですか?」
机にこれ見よがしに乗っている所長と書かれた黒曜石の置物に目をやりつつ、一度は腰かけたソファから立ち上がり、男に頭を下げながら答える。
「は、はい。津代中尉の紹介で参りました、斑井幸古と申します。こ、今回はこちらの依頼に応じて頂けるようで、誠に有難うございます」
そんな私の言葉に七加瀬という男は露骨に苦手そうな表情を浮かべる。
「そういう堅苦しいのは抜きにしましょう。それに敬語はいりませんよ。こちらは仕事を請ける側で、それ相応のお金もすでに前金としてお支払いになられているはずです。だよな有利」
何故か少しバツが悪そうな顔をしつつ、有利と呼ばれたメイド服の少女は答える。
「はい、ばっちりもらっていますよ。ちゃんと振り込まれているのを確認しています」
「だったら斑井さんはもう大事なお客様です。こちらに気を使ってもらう必要はありません。まあ限度というものも、もちろんございますが」
男なりのプロ精神というものだろうか、終始気だるげな体勢を取っているので少し台無しではあるが、仕事に向き合う誠意は感じられた。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて敬語や気遣いは抜きにしようかな」
そうして椅子に腰掛けるが、気だるげでやる気のなく見える相手の体勢への反抗心から、できるだけ姿勢良く椅子に腰掛けることに努める。
そうした行為に特に反応もなく、七加瀬は自分の顎を弄りながら口を開く。
「それで今回はどのようなご用件でこの事務所に?」
そう尋ねてくる七加瀬。少しの間をおいて、この奇妙で猟奇的な殺人事件に、この人達を巻き込む決心をし、そして答えた。
「た、単刀直入に言うと、わ、私は最近世間を騒がせている殺人鬼に狙われているかもしれないんだよ」
私の決心した表情とは対称的に、七加瀬はぼけっとした顔でこう答えた。
「なに?殺人鬼?」
説明が下手だったようだ。伝わっていない。反省。
落ち込んでいると、メイド服の少女はすかさずこの事務所の主にカバーを入れる。
「最近S市で起こっている連続殺人事件のことですよ」
「ん?この辺りで最近そんなん起きてるのか?」
「はい。人体バラバラ殺人事件で、七加瀬さんの大好きなネットニュースでも取り上げられてましたよ。名前は確か、“八つ裂きジャック“でしたかね?」
「ああ、そういえばオカルトニュースで見た気がするな」
「申し遅れました、私は交月有利と申します。この事務所で秘書のようなものをやっています。で、殺人事件の犯人に狙われているとは、一体どのような経緯があったのですか?」
どうやら交月という女性の方が殺人事件に詳しいようなので、交月が私との会話の受け答えを行うようだ。
「そ、それが・・・私は一度、その八つ裂きジャックに襲われているんだ」
すると交月は驚いたようなそぶりを見せる。
「斑井さん、よく逃げられましたね。ニュースを見る限り、八つ裂きジャックは能力持ちであるはずです」
能力持ち・・・そんな言葉が出る。
能力とかの話をしても馬鹿にされない相手なんだ。嬉しい。だからこそ、この事務所を恩人である津代中尉は紹介してくれたんだろうけど。
「わ、私は元軍人なので。そ、それにちょっとした能力を持っていて。そ、それで何とか逃げおおせたんだ。よ、夜で街灯もなくて顔がはっきり見れるような状況ではなかったけど、顔を覚えられたかもしれなくて。だ、だから依頼したんだ」
交月は納得したように頷く。
「ほ、ほんとにちょっとした能力なんだ。み、見ててくれ」
卓上に置いてあったティッシュペーパーを一枚取り、それを丸める。投げたティッシュペーパーが九十度空中で曲がる様子をイメージする。そしてティッシュペーパーを実際に右手で投げる。
これが能力を使用する為のルーティンである。他の能力持ちはどうなのかは知らないが。
そうして投げられたティッシュペーパーは実際に九十度空中で曲がって見せたが、地面に到達する前に、白く発光し消滅してしまった。
またこれだ、嫌になる。
能力はこの世界に認められていない。よって能力持ちが実際に能力で世界に影響を及ぼすと、能力を使った人物は異物としてこの世界から排除されてしまう。それを避ける為に能力持ちは、自分の身代わりとして消えてくれる、スケープゴートになる物を経由して能力を発動するのだ。
私の能力は自分が発射した飛行物の軌道を変える能力。スケープゴートは投げた物が担ってくれるのだが、軌道を変えたはいいものの、その飛行物はすぐに消えてしまうのだ。
ああ、トラッシュエスパー。きっと今回も対した能力じゃ無いなと言われるのだろう。
そう思い、次の言葉を待っていると
「めっちゃいい能力じゃないか、何がちょっとした能力だよ。俺も欲しかったなー」
事前に行っていた予想に反して、七加瀬が羨ましそうな声を上げる。
「ちょっと七加瀬さん、どんどん素に戻っていってますよ。仕事モードに戻って下さい」
今までギリギリで保たれていたのであろう七加瀬の真面目モードが完全に解けてしまったようで、それを咎める交月。しかし、七加瀬は全く意に介さずに、目を輝かせながらこちらに身を乗り出してくる。
「いや、だってメチャクチャいい能力じゃ無いか。認識消滅を回避する為のスケープゴートが直接能力発生に関与するってのは、能力の出力を上げすぎて、自分自身が消滅してしまうって事も回避しやすいし、そもそもスケープゴートが用意不可能な死んでる能力とかとは比べもんにならんぞ」
そう七加瀬は早口でまくしたてる。過去の反応との違いに困惑する。何故評価されているのだ。
「ま、曲げたら直ぐに消えてしまうのに?」
「消えるまでのタイムラグで当てればいいし、弾速が上がれば上がるほどその距離は伸びるんじゃないか?要検証ではあるだろうが。まあどちらにしろ、とてもいい能力だ」
「そ、そんなこと言われたの初めてだ。いつも使えないって言われてたのに」
「そいつらは能力がなんたるかを分かっていない。気にする必要はない」
「あ、有難う」
ここまで人に褒められるなんて初めてだ。惚れそう。
「で、どうやって八つ裂きジャックをその能力で追い払ったんだ?」
そこが一番重要だと言わんばかりに、鼻息を荒くして詰め寄ってくる七加瀬。
これまでの人生で経験が無い程に、異性との顔の距離が近いので胸が弾む。しかし今から七加瀬に伝えなければならない言葉に対する罪悪感も同じく胸に登ってくる。
「そ、それが何も覚えて無いんだ。き、気付いたら殺人鬼が居なくなっていて」
そういうと、七加瀬は明らかにテンションが下がった。今迄の興奮はどこえやら、椅子に深く座り、薄い顎髭をいじっている。
能力持ちのバトル、好きなのだろうか。申し訳ない気分になってしまう。
興味が突然薄れてしまった七加瀬の代わりに、七加瀬の後ろで立って話を聞いていた交月がたずねてきた。
「それでは今回の依頼は斑井さんの警護という形でよろしいですか?」
交月の質問は事前に予測していた。
警護、もしくは護衛。襲われた人間が真っ先に考える依頼内容であろう。しかしそれでは、私にとっては駄目なのだ。
「い、いや警護は必要ない。そ、それよりも犯人を捜して捕まえてくれたならそれでいい。私を警護するよりも、全力で犯人を捜してもらったほうが、おそらく効率はいいだろう。と、とにかく早く犯人を見つけて欲しいんだ」
それに、もしかしたら顔を見られてないかもしれない。と付け足した。
でも、と口を開きかけた交月を手で遮り七加瀬が答える。
「分かった。全力で犯人を捕まえる努力をしよう」
「あ、有難う」
交月は少し不満そうな顔をしているが見なかったことにしよう。私のエゴに付き合って貰っている事に、少し罪悪感。
「それで襲われた場所はどこなんだ?ついでに時間も大体で良いから、わかれば教えてくれ」
「ひ、一駅離れた中街駅の周辺に私の家があるんだが。そ、その近くのスーパーマーケットAAAの付近の交差点だ。じ、時間は深夜の二十五時頃だったはずだ」
「犯人の特徴は何か覚えてるか?」
「そ、それが、気が動転していたのか、何も覚えてないんだ」
またもや交月が何か言いたそうな顔をしているが、それを無視し七加瀬は続ける。
「分かった。それと直ぐに繋がる電話番号も教えてくれないか?」
すぐに繋がる電話番号ときたか。もしやそれは、いわゆるケータイ電話という奴だろうか。
「す、すまないが、ケータイ電話は持っていないんだ。で、電子機器は苦手で。い、家の電話もその・・・壊れてしまっていて使えないんだ」
その話を聞き、七加瀬は不思議そうな顔をする。
「だったらどうやってうちの事務所を紹介してもらったんだ?」
「そ、そんなの手紙に決まっているだろう。て、手紙はいいぞ、手書きだから感情も伝わるし、人のぬくもりも感じるんだ」
「そ、そうか。こだわりがあるのは良い事だな」
軍にいた際は気の知れた人物など居らず、すぐに連絡を取る為のケータイ電話を所持する必要もなかったので全く気にならなかったが、どうやら外の人間からすると、それが異常に感じるのだろうか。
問題は退役した後も、その異常を察知してくれる程に親しい相手など、作れていない事であるのだが。
「じゃあ、住所を教えてくれないか?もし用事があれば、こちらからそっちに行くこともあるかも知れん」
七加瀬は少し頭を抱えながら、譲歩案を出してきた。
「わ、分かった。じゅ、住所はO県S市中街231の2だ」
そういうと素早く交月がメモを取る。これがメイドか。凄い。
「は、初めてメイドという物を見たんだが、凄いな。い、いや、変な意味じゃなくて。た、単に良いと思っただけなんだが」
中々お目にかかれる物では無いので、興奮してつい思った事を言ってしまった。反省。
そうすると交月は深く頭を下げ、正にこれこそがメイドと言った様な、礼儀正しいポーズを取る。
しかし、主人であろう七加瀬は俯いて顔を赤くしている。何故だ。
「いやいや、ダメだ爆笑しそうになってしまった。有利のこれはコスプレで、メイドとかそういった物じゃ全然無いぞ」
「そ、そうなのか?」
「ああ、先週まではチャイナ服着て、語尾にアルって付けてたよな?メイドも雰囲気だけはそれっぽいけど、作法とかはさっきから見てたけどダメダメだぞ」
「お恥ずかしい限りですアル」
「ばははははっ。辞めろ有利。仕事中だぞ」
交月のボケに七加瀬が笑い転げる。仲の良い夫婦漫才とはこう言った物を指すのだろうか。
「な、仲が良いんだな」
「付き合いは長いからな」
半笑いで七加瀬が返してくる。
とても楽しそうな二人を見て、この事件に巻き込んでしまった事を後悔する。今からでも依頼を取り下げるべきだろうか。そもそも、この事件は私が・・・
「さて、話が脱線したな。それじゃあ、うちの事務所の総力を挙げてこの事件の解決を目指す。取り敢えず今日の捜査の結果を伝えるのと、安否確認の為に、また明日にこの事務所に来て貰っていいか?」
悩んでいる内に話が進んでしまった。もう・・・戻れない。
「わ、分かった。そ、それじゃあ伺おう。な、何時位にここに来れば良いだろうか」
「そうだな、午後二時位で良いだろうか」
「だ、大丈夫だ」
「最後に何か気になる事とかは無いか?」
そう念押ししてくる七加瀬。それに対して事務所を訪れてから、これだけは聞いておこうと思っていた事を聞いた。
「な、なんでこんなに筋トレ器具が置いてあるんだ?」
「俺の趣味だ」
心底どうでも良い理由であった。解散。
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