カモフラージュ
しーちゃん
カモフラージュ
パリーンと何かが割れる音。そんな音に耳を塞ぎながら布団に潜り込み必死に目をつぶった。
朝起きて、リビングに行くと、父さんがコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。母さんは俺に気がつくと少しよそよそしく「朝ごはん食べる?」と聞いてきた。「いらねぇ」とだけ言い家を出た。朝から大学に向かう俺の気持ちとは反して空は雲ひとつも無い晴天。春休みを前に大学の忙しさはピークを迎えていた。「千秋おはよ!」と声をかけられ視線を上げる。「あぁ。おはよ弥生。」弥生は何処かのお姫様ような可愛い女の子。「千秋、論文かけた?」「さすがに、今回はやった。」「お!偉いね!」と少し馬鹿にしてる弥生を他所に俺は気持ちを悟られないように必至だ。大学に向かう足取りが少しだけ軽くなった。俺は単純だなと思いながら弥生の隣を歩く。「お!お前ら相変わらず仲良いな」と友達の裕也が声をかけてきた。「朝からうるせぇよ」とあしらうと、「仲良いよ!羨ましい?」と笑いながら言う弥生。そんな彼女から目が離せなくなる。すると「あ、おはよ!」「朝から元気だな」と2人の声がした。友達の愛と拓海だ。クラスという目に見えるグループがない大学では、友達は固定されがちだ。俺は基本この4人とつるんでいた。自分で言うのは可笑しいのかもしれないが、俺らのグループはカナリ目立つ。理由はいろいろあるが弥生に拓海とモテるメンバーがいるからが大きい。あいにく、朝一の授業は俺だけ違ったのでお昼にカフェで落ち合うことにして皆と別れた。1人になるととても静かなもので、いつも感じる気持ち悪い視線は少し減る。おじいちゃん先生が講義をする中しっかり聞いている生徒は何人いるのかと周りを見回す。時々、ホワイトボードに書くためにマイクを置き、そのままマイクを持たず話してしまう先生をボーとみつつ俺の頭はお昼ご飯何食べるかしか考えていなかった。
家に帰ってからは会話はない。両親と仲良く話せる年頃でもないが、なんとなく距離を置いてしまう。おそらく向こうも何処となく気まづいのだろう。家の中は静まり返っている。キッチンに飲み物を取りにいくとリビングの机に置いてある資料が目に止まった。苛立ちと不安が襲う。「あ!千秋!ごめんね。これは、なんでもないの」と母さんが入ってきた。慌てながら資料を片付けている。「別に気にしてない。」それだけ言い部屋に戻った。母さんが悩んでることは分かっている。分かっているけど、自分に出来ることが思いつかない。自分が上手く立ち回れたら、きっともっと仲のいい家族で居られたのかもしれない。そう思うと悔しくて泣きたくなる。
深夜また、父さんと母さんが喧嘩している。
「貴方は何も分かってない!分かろうとしてないじゃない!」母さんの泣き叫ぶ声が聞こえた。ここで俺が喧嘩を止めに入れば何か変わるのか?いや、きっと火に油だろう。全ての会話までは聞き取れない。でも喧嘩の理由ははっきりと分かってしまうから苦しい。
タイミングとは本当に奇妙なモノで、1つ嫌なことがあると積み重なって嫌なことはやってくる。
つまりは、就活が始まるのだ。「千秋どこ受けるか決めた?」不意に弥生に聞かれ言葉に詰まる。「まだ決まってないけど、弥生は?」そう聞くと「心理カウンセラーとか興味あるんだけどね。」と弥生は目線を逸らした。「いいじゃん。弥生人の話聞くの上手だし、向いてそう。」本心だった。弥生はいつも相談を良く受けている。「そう言って貰えるのは嬉しい。でも、きっと私は普通にOLとかしちゃうんだろうなって思う」どことなくハッキリとしない弥生に疑問を覚える。「それにカウンセラーになるには資格もいるし、色々大変かなって思って」と笑って見せる弥生は悲しそうに見えた。周りにいる人たちを見て思う。皆が皆やりたい仕事をしてる訳じゃないんだろうな。なら、皆はどうやって今の仕事を選んだのだろうか。そもそも、こんな自分を受け入れてくれるところはあるのだろうか。漠然とした不安と共に、想像がつかない『将来』に恐怖さえ覚えた。
家に帰ると母さんが何かを読んでいる。どこか見覚えがある本。母さんが俺に気がついたのか本の冊子を見せる。「これ、懐かしいでしょう。掃除してたら出てきたのよ。」それは小学6年生の時に書いた作文が乗っている文集だった。テーマは『将来の自分へ』だった。何を書いたかなんて全く覚えていない。「ごめんね。私、貴方を理解してるつもりで出来てなかったのね。」と作文を渡してきた。「貴方は貴方らしくありなさい。」そう言って母さんはリビングを後にした。
それから数ヶ月。
面接会場に向かう。緊張と不安で足取りが重い。面接官が3人座っていて手元にこちらの履歴書を持っている。面接官が顔を少し顰めた。「齋藤千秋です。本日はよろしくお願いします」そう言い席に座る。彼らの質問にしっかり答える。練習通りというか、マニュアル通りに面接は進んだ。「最後の質問になるのですが、齋藤さんは今の自分をどう思いますか?」どう答えようか必死に考える。心拍数が上がり不安感が襲う中、声を振り絞りこたえる。「私は周りから見るときっと変わった人と思われるかも知れません。母親は貴方らしくありなさいと言ってくれましたが、きっと理解できない人も多いと思います。でも、私と同じ境遇の方に寄り添い、他の人にはない視野や経験を持っている事を誇りに思っています。今の時代だからではなく、いつの時代も経験に勝てるものは無いと思います。だからこそ、今は怖がらず恥ずかしがらず言えます。私は体は確かに女ですが、男性の心でこれからも歩んでいきたいです。」話終わった俺は面接官を直視出来ない。怖がらずと言いながらも、本当は怖い。「大変だっただろうね。」とぽつり呟き頷く彼ら。「今日の面接は以上になります。お疲れ様でした。」そういい面接は終わった。
数日してメールが届いた。結果は『不採用』。現実世界はドラマのような奇跡は起きない。そんなに上手くは行かない。分かってはいるのにお前はダメだと烙印を押された気がして苦しくなる。「千秋?大丈夫?」その声で我に返る。今は弥生とレポートをしようとカフェに来ていたのだ。「あ。うん。就活ってなかなか上手くいかないな。こんな自分じゃな。」そう言うと弥生は少し悲しそうな顔をする。「大丈夫だよ!千秋は考え方しっかりしてるし、絶対上手くいく!」励ましてくれる彼女を他所に焦りや不安が募っていく。「弥生はどうなの?」そう聞くと「んー。微妙かな。どこ受けていいのか分からない感じ。」「そっか。お互い難しいな。」と言うと弥生は真面目な顔で言う。「そうだね。でも、千秋は千秋らしくいて欲しいと思う。」そう彼女が言う。そんな彼女をみて俺は気がついたら叫んでいた。「お前に何が分かるんだよ!こっちの気持ちなんて分かるわけねぇよ!」驚き怯える弥生を見て途端に冷静になる。何をやってるんだ。こんな事言いたいわけじゃない。「ごめん。今日帰るわ。本当ごめん。」それだけ言い残しカフェを後にした。弥生の気持ちがその場しのぎの言葉じゃないのは分かっている。分かっているからこそ辛かった。俺は『俺』を受け入れたいのに、周りは受け入れてはくれない。弥生も、ホントの事を知るときっと離れていくと思うと怖くて、誰にも言えない。あんなに面接では堂々と話したのに、友達や家族には言えない。臆病な自分。そんな事を考えながら歩く。家に着くと、母さんと父さんがリビングに座っている。母さんが俺に気がつくと「おかえり。少し話があるの。いいかしら?」と俺を呼ぶ。改まった空気に落ち着かない。「就活はどうなんだ?」と父さんが言う。「まぁ。始まったばかりだし。まだまだって感じだけど」そこで言葉に詰まる。「そうか。」そう一言もらし、また重たい沈黙。「お父さんとね沢山話し合ったの。それでね、これ。」と母さんが何枚かのパンフレットを手渡した。『性てんかん治療』と留学のパンフレットだった。困惑している俺を前に「強制じゃない。お前がしたいようにすればいい。こんな道もあるという事だけ伝えたかっただけだ。」と言い父さんは自室に戻ってしまった。「何が1番いいのか私達には分からないの。だって貴方の気持ち次第だから。でもね、どんな貴方でも私達には貴方が、千秋が大切なの。それだけは覚えておいて。」母さんは少し切なそうに笑う。「ありがとう。考えてみる。」部屋に戻り声を押し殺し泣いた。
それから目まぐるしく日々がすぎる。着々と準備を進め俺は今空港にいる。留学すると言った時の弥生たちの反応は今思えば面白く感じるほど驚いていた。「じゃ、行くわ。」そう皆に伝えると「元気でな!」「連絡ちゃんとしてよ?」と口々に言ってくる。弥生は黙ったままだ。「なぁ。弥生。あの時は本当に怒鳴ってごめん。」そう言うと目に涙をいっぱい溜めた弥生が俺を見る。「私、カウンセラー目指すことにした。」涙で弱々しく見てる彼女の言葉はとても強かった。「お互い頑張ろうな。」そう言う。「うん!あのね、私知ってたよ。千秋のこと。」そう気まずそうに言う。「いつか話してくれるの待ってたんだけど、、、ね。」「ごめん。言えなくて。怖かったんだ。俺、弥生のこと好きだからさ」そう言うと、「サヨナラに告白はずるい。どんな千秋でも千秋だからね。私の大切な人だから。」そう言い彼女は笑う。「またね」「またな」俺らは別々の道を歩き始める。
これから先なんて何があるか分からない。分からないから怖い。でも、守りたいものや強い思いがあればきっと戦える。俺が俺を必要とし俺として歩いていく。それだけでいい。
今の俺に手紙を書いた過去の自分に手紙を書いてみよう。手紙の答えを書いてみよう。
『貴方は今の自分が好きですか?』
カモフラージュ しーちゃん @Mototochigami
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