女の価値
居酒屋のある繁華な通りから少し歩き、人通りの少ない静かな道を入る。
できるだけシンプルで嫌味のないホテルがいいと思った。だからと言って何が変わるわけでもないのだが。
部屋へ入ると同時に、古賀くんは荷物を雑に床へ放ると、私を胸へぐいと抱き寄せた。
長い指が、どこかもどかしげに、執拗に私の髪や腕の手触りを味わう。
両頬を掻き寄せるかのようにぐっと上向けられ、熱を持った唇を重ねられた。
味も、臭いも。ほんの僅かも逃すまいとする彼の本能を、全身にありありと感じる。
いつもの大人びて穏やかな古賀くんからは想像できない、余裕のない彼。
「姐さん、指輪、外してくれませんか」
唇を離し、耳元で彼が苦しげに囁く。
「え……」
「それが目の前で光っているのは、耐えられません」
「——……」
私は言われるまま、左手の薬指からマリッジリングを抜き、ベッドサイドのテーブルへ置く。
その途端、彼のしなやかな長い腕が、私をベッドへ激しく押し倒した。
私の、女としての価値。
これまでもう長い間、そんなものは諦めていた。
望んでも妊娠できず、ただ年齢だけがどんどん加わり、家の中の沈黙は日に日に重くなり——一日一日、自分の心身がみすぼらしく
そんな苦痛から、逃れたい。
枯れてしまいそうなこの肺に、一ミリグラムでも酸素を送り込みたい。
居酒屋のテーブルで古賀くんの視線を受け止めながら、私はそんな強烈な欲求に抗い難く絡みつかれた。
また何か、間違えたんじゃないか。
何か、とてつもなく大きな勘違いをしていない?
だって、若い輝きの真っ只中にいるこんな男から、こんふうに激しく求められているなんて——信じられない。
情けなく年を経た自分の体を、こんなにも上等な男の前に晒そうなんて、自分の馬鹿な決断が信じられない。
「……待って、古賀くん。ちょっと待って。
私みたいなおばさん抱いたりして、後で死ぬほど後悔することになるかもしれない。やめればよかったって」
今更のように、声が小さく上擦る。
私の首筋に強く顔を埋め、彼は小さく笑った。
「あなたには、わからないでしょう。
決してこちらを向く筈のないひとが、自分の腕の中にいる。
この瞬間が、男にとってどれほど幸せか。
ぶっちゃけ、男の一生でこれ以上の瞬間はありません」
もどかしげに麻のシャツのボタンを外され、我を忘れたような彼の熱い唇が鎖骨をなぞる。
あまりにも素っ気ない色柄のブラジャーの、背中のホックが緩むのを感じる。
もう随分遠ざかっていた甘い刺激に、身体の奥から抑え難い疼きが溢れ出る。自分でも驚く程に。
「——……あ」
自分の中の女が、強烈に悶える。
何もかもが、激しい流れに呑まれていく。
自分を貪る男のその逞しく張った肩に、無我夢中で両腕を回す。
女の価値。
随分と上から目線なその言葉は、一体何なんだろう。
いつしかそんな呪いの言葉に閉じ込められ、勝手に干涸びかけていた今までの自分が、間違っていたんじゃないか。
抑えようもなく喉から溢れる喘ぎを噛み殺すことさえせず、私はふとそんなことを思った。
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