第53話 色戦争-5 蹂躙する■色

 五行五木には忘れていたことがあった。ゴールデンウィークのあの事件の根幹と言ってもいい、大切なことを。

 

 ゴールデンウィークの期間の嵐呼風名にまつわるほとんどすべて。五獣との戦い。白虎との戦闘でともにくぐった死線。そして、最終日のこと。

 

 五木は風名への恋心を確信していた。それでも先に告白したのは彼女だった。陰陽五行(いんよういつゆき)との最終決戦前、風名と剣の加勢を固辞し、向かう五木に彼女は吐露したのだ。

 

 五木は「すべて終わったら」と言い、陰陽五行へ挑み、その結果、風名との時間と思いを忘れてしまった。


 そして思い出した。今。今更だった。

 

 風の衣は散っていた。薙いだ槍は彼女の体の側面――脇腹のあたりを直撃した。穂先で斬られたわけではないことに一縷いちるの希望が残される。


 風名の体は跳ね飛ばされ、その姿は草むらに沈んだ。


「五木君! こっちは任せて」


 黒騎士の声が五木を動揺から引き戻そうとした。それでも風名とアスモデウス、どちらへ集中するべきか思考がまとまらない。


「アスモデウスを、アスモデウスに集中して! じゃないと街が」 


 五木の意識はアスモデウスへと向いた。街を守る。その強い思いと同時に、それ以上の感情がいくつも溢れ出しそうになっていた。

 

 風名を、大切な人を傷つけた悪魔への怒り。それを守ることができなかった自分と、記憶を失い風名を傷つけていた自分への怒り。風名と話がしたい。許されなくてもいい。すべてを取り戻した今、心から謝りたかった。そのためにまずやるべきことは――。

 

 心が黒色に染まっていく。そんな感覚に五木は支配されていった。全身が震える。


 アスモデウスを殺し、終わらせる。殺す。殺す。殺す……。


 全身に顕れる五獣の力。湧き出る力に折れかかっていた心が高揚する。動かなかった体はすでに立ち上がった。


 頭部には青龍の顎。胴体には朱雀の翼。右腕には白虎の爪。左腕には玄武の甲羅。下半身には麒麟の脚。すべての五獣の力をその身に纏っていた。


 蹂躙する五色カラーズ、そう呼ばれる所以ゆえんとなった姿。ああ、こうすればよかったのか、五木は静かに思った。一つ一つ次々に、ではなく一気にすべてを纏えば簡単だった。


 五獣の力をこの形で顕すのは、陰陽五行との戦い以来、二度目である。その時と異なるのは、その纏う装備、すべて真っ黒だということだ。それこそあの時の陰陽五行のようだった。


「ああああああああああああ――」


 叫び、咆哮が勝手に溢れる。


 何かを察したようにアスモデウスの騎龍から、ドラゴンブレスが放たれる。五木は左腕の玄武の甲羅の盾で真っ向から防ぐ。今までと違い上空へと逸らすのではなくすべて受け止める。

 弾かない、反射させない。街を守る、そんな思いはまだ残っているらしかった。

 

 真っ黒な盾は色こそ変わらないが、確かに赤熱し、陽炎を立ち昇らせる。熱い。それでも、前へ。


 ブレスは止まった。真正面から多大なエネルギーを受け止めた盾はもう使い物にならない。次の噴射まで、全速を以てしてアスモデウスへたどり着かねばならない。脚で空を蹴り、翼で羽ばたく。斜め上方向に飛ぶ。


 アスモデウスにはドラゴンブレス以外の中長距離攻撃の手段がない。近づくことは容易だ。

 

 アスモデウスの真上に五木は到達する。

 

 龍はこちらに首を向ける。ブレスの再装填が短く――いや、途中で止めたのだろう。その残り火が口から湧き出ようとしていた。

 

 龍がブレスを放つより先にその息の根を止めなければならない。

 

 再度空を蹴る。翼を畳み、空気抵抗を減らす。

 

 そのまま勢いに任せ、白虎の爪を龍の脳天に突き立てる。口からあふれたブレスの弱い残り火が、その鎧を少し焼く。些細なものでなにも支障はない。


「くっそまじか!」


 龍から降りたアスモデウスは槍を掲げ、叫んだ。その声は騎龍を屠られた怒りと驚きに満ちていた。

 

 改めて対峙する。その六つの眼は五木をじっと見据えている。


「我は七つの内、色欲を司り、七十二の軍団を率いる序列三十二番の王、アスモデウス!」


 悪魔は武人らしく名乗りを上げた。この戦場で唯一立っている悪魔はこのアスモデウスだけだ。


 その三つの口からは怒りを示すように赤い炎が覗いていた。


 五木は名乗らない。名乗ることができない。ただ殺す。必ず殺すという意思で動いていた。言葉はすべて意味不明な音となって口から零れる。


 雄叫びを上げるアスモデウス。それに呼応して五木も雄叫びを上げた。


 リーチの長い槍での先制、その長柄ながえを生かした大振りの薙ぎ払い。玄武の左手鎧についた盾で受ける。いや受け流す。まともに受けては腕ごと持っていかれかねない危惧が働く。ただ流した。


 堅固な盾ではあるものの、衝撃を殺すものではない。リーチの長い武器相手には、オートで飛び出る蛇も届かない。決定打を入れるには近付くしかない。

 

 五木は一気に近付き、右手――白虎の爪を振りかぶる。その一撃は槍の柄の半ばくらいに食い込み止められた。


 些細ささい拮抗きっこう。アスモデウスはガチョウの脚、その爪で五木の足元を狙う。麒麟に守られた脚にそれはただの打撃に過ぎない。気を逸らせばいいだけの一撃。

 本命は尾の蛇だ。全身装備の隙間を狙う。肉にその毒牙を突き立てれば終わりだ。


 理性を欠き、本能、センスで戦闘を行う殺戮機と化した五木にそれは届かない。ブレスを受けた時の熱がまだ残る玄武の盾でその蛇の頭を砕いた。


 苦痛に顔を歪めるアスモデウス。もはや言葉を発する余裕もない。


 玄武の盾による殴打がある以上この状態は拮抗とは言えない。アスモデウスは槍を一度手放し、左足を軸に五木の側面目掛け、蹴りを出す。右腕に槍の重さすべてが乗せられた五木は右側にバランスを崩した。


 蹴りを五木に当てる気はない。すべては槍を白虎の爪から引き抜くためだ。

 目論見通りアスモデウスは槍を蹴ると爪は離れ、槍を再び手に戻す。そのまま一気に後退した。

 

 仕切り直しとなるも、すでにアスモデウスの武器は傷付き、蛇頭の尾も失った。


 同時に動く二人、白虎の爪に止められるのを危惧したアスモデウスは刺突による攻撃へ切り替える。


 五木は盾で殴りつけるようにして槍を防ぎ近付いていった。


「まさか、ここまでとはな」


 すでにアスモデウスは力の差を感じていた。獣のように振るわれる五獣の力にやっとのことで太刀打ちしている。


 五木はその右手の形を手刀にしていた。セーレの体を貫いた抜き手を放とうとしている。ここまで近付かれては、槍の出る幕はない。アスモデウスの胴を五指の爪が貫いていた。

 

 六つの眼はすべて五木に向けられ、そのうち人間の眼だけが、痛みに見開かれていた。


「何度も死んでるが、死の絶頂に勝る者はねえなぁ」


 アスモデウス、その表情は快楽に酔いしれる者のそれだった。足掻くことも、報復もせず、ただ死を受け入れようとしている。ただの怒りしか持たない五木が応じることはない。


「なんだよ……何も言わねえのか。つまら……ねえな」


 その体は光に変わった。傍らの龍のむくろも同じく消えた。眩いばかりの光が散っていった。

 

 敵は消えた。同時に黒い感情も消えた。いやな感情だった。自分にここまでの悪意があることを五木は初めて知った。

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