第52話 色戦争-4 色欲の王
焼かれた草に少しの血の匂い。五木が大きく息を吸うとそんな匂いが鼻腔を満たした。
セーレを倒すのに手傷を追うことはなかった。五獣の力の限界はいつ来るかわからないが、まだ戦える。山の上から見下ろすアスモデウス、どれほどの力を持つかはわからない。
「五木君、どれくらい足しになるかはわからないけど補助魔法をかけるから」
黒騎士がそう言うと途端に体が軽くなった。感じないだけで確かに疲労していたらしい。
「ありがとな。じゃあ僕は行くから」
「戦闘に集中して、一度だけなら防げるから」
朱雀の胴鎧、その翼を展開する。一息にアスモデウスの前へ出る。
龍の上から見下ろす六つの目、三頭に鳥の下半身。その異形は王という称号にふさわしい威圧感を放っていた。
「一人だけか、俺を楽しませてくれよ」
三つの口が動く。龍は羽ばたき、正面から五木へ向かってきた。
「……誰のせいだよ」
すでに全身顕現を一度行った。何度できるか五木にはわからない。それでもアスモデウスを倒せば終わりだ。出し惜しみはしない。
朱雀の全身顕現、ハウンスカルの西洋鎧。風名を助けに行った際、飛行に使った形態。その能力は高速飛行だけではない。任意で全身に炎を纏う。炎の衣に西洋鎧。玄武には劣るがこれもそれなりの防御性能だ。
「わが同胞にも似たようなものがおるな。貴殿は不死には見えぬが」
振われたアスモデウスの旗槍は熱に負けなかった。悪魔、それも王の武器だ。それなりということだろう。金属が激しくぶつかる音がし、鎧越しに衝撃を受け体が飛んだ。ダメージは多くないが、何度も食らうのは勘弁したい。
起き上がり、柳葉刀を構える。これだけはどの五獣の全身顕現を使っていても出すことができる武器だった。朱雀には槍があるが、五木にはうまく扱うことができない。刃物使いである剣にそのうち教えてもらわねばならない。
そんなことを考えているうちにアスモデウスは再び接近してきた。刀で受ける。真上からの攻撃は予想以上に重い。それでも受けられないほどではない。弾き、その懐へ飛び込む。今度はその騎龍が前足を上げ、爪を繰り出す。炎に怯む様子はない。後退し、避ける。今度は槍が真上から降りてくる。
槍をかわす。これでは龍の上のアスモデウスに近付くこともままならない。
「
「っ、うるさい」
五木は飛翔する。下の龍が厄介なら上から攻める。アスモデウスの周りを飛ぶ。龍はその動きについてこれないらしく。全く動く気配を見せない。
龍の視線が外れた時を見計らい、空を蹴り、アスモデウスへ近づく。捉えた。そう思った瞬間に視界が急に変化した。振るわれたアスモデウスの槍は五木を横から叩く。落ち、地面を転がるも、五木はすぐに立ち上がる。
朱雀の鎧もひしゃげ、翼も折れた。全身顕現が解け、五木はその場に膝をついた。
「五木君!」
黒騎士が施した補助魔法が切れたらしい。信じられないほどに疲労していたようだった。
「もう一度頼む!」
黒騎士は
「誰かが戻ってくるまででいい!」
戻ってくる保証はない。それでも五木はこう言った。途端に体が軽くなる。あとどれだけ戦えるかを考えるのはやめた。
朱雀の全身顕現が通じない以上、他のも同じだろう。唯一通用するとすれば、
五獣の長所それぞれを頭、胴、右腕、左腕、下半身に顕し、全身を覆う。それはあの時にしかできなかった。それでも試すしかない。
あの時の姿をイメージする。頭は青龍の
頭に青龍の顎を模した兜が顕れる。続いて朱雀の胴鎧。同時に二つ。ここまではいつもやっている通りだ。
右腕、白虎の爪。成功。あと二つだ。そう思った瞬間にイメージが揺らぐ。高めていた集中力が霧散し始める。
体から五獣の装備は消えた。
「変身の時間は終わりかい?」
真ん中の人間の頭がにやついて言った。
「待っていてくれたのか。……悪役の鑑だな」
強がりを言った。もはや力を使うことはできない。五木の軽口にアスモデウスは首を傾けた。意味は通じていないらしい。
「終わりか。面白くなかったな。音に聞いていた五獣の力もこの程度か」
「また変なあだ名か?」
「あだ名? それは知らないけどな」
変なあだ名が増えずに済んで五木はほっとした。すぐにそんな状況ではないことを思い出す。五木がエネルギー切れとなっていても、アスモデウスは槍を下げることはなかった。
文字通り絶体絶命。ドラゴンブレスを放たれれば街が。いや、まだ黒騎士がいる。白騎士の言っていた通り一発は防いでくれるだろう。それならよかった。
さらに体が重くなった。立っているのさえ辛い。黒騎士が付与した補助魔法の効果が切れたらしい。アスモデウスはゆっくりと近付いてくる。龍に跨り、槍を構えて。
ブレスを撃つ前に邪魔者を排除しようという算段か、五木は冷静に考えた。予知夢を覆すことはできなかった。もはやその結末を見届けることはできない。きょうだいたちを逃がしておいてよかった。五行五木は立ち尽くした姿勢のまま、そっと目を閉じた。
ささやかな流れを感じた。以前も同じ感覚を感じた。それを思い出せず、死ぬときはここまで穏やかな風が吹くのかと五木は考えた。
いや違う。この感覚は以前にも感じた。逸美原神社で風名を探したときの魔力の流れ。ということは近くにいるのだろうか。今の状況ならば逃げてほしいと五木は思った。
目を開いた。こちらへ歩いてくるアスモデウスの左手側から風名が近付いていた。右手は胸元――ペンダントの先を握っている。その握りしめた手からは緑色の光が漏れていた。
五メートルほどの竜巻が現れる。それはいつの間に巻き上げたのだろうか、砂塵を纏い、その向こうは全く見えないほどだった。
「風! ……いや固有魔法か! 面白い、しかも使い手は見目麗しい少女ではないか!」
アスモデウスは歓喜したように言った。色欲を司るに相応しく、好色らしき発言を漏らす。
その竜巻へ向かって一振り、槍を薙いだ。それだけで竜巻は霧散し、砂塵をまき散らすと消えた。
「嘘っ……」
「オリジナルよりはかなり弱いらしいな。それで、次は何を見せてくれる?」
愕然とし、目を見開いた風名をアスモデウスは無慈悲なまなざしで見下ろす。すでに五木から興味が外れているようだった。風名の方へ向かおうとしている。
五木の体は動かない。風名が悪魔へ挑むのを黙って見ていることしかできない。
迫るアスモデウスに対して風名は空中を走り始める。重力を感じさせない動きだった。これも魔法なのだろう。動きも早い。
走りながら両手を動かしている。見えない風に何かしているらしい。見えない階段を上っているようだった。龍に乗ったアスモデウスより遥かに高い位置にいる。
「これで、どう?」
見えない何かを頭上からアスモデウスに投げつける。それはアスモデウスの目の前でその体を飲み込むほどの爆発を起こした。響く音に耳がしばし聞こえなくなる。
「これはなかなか効いた」
ところどころ焦げている、龍の羽。それにアスモデウスは守られていた。龍とアスモデウスは平気な顔をしている。
風名は爆発の最中に、地上へ降りていた。力を失ったかのようにその場にへたり込む。砂嵐に空中走行、そして爆発。五木も見たことがない大技を使ったのだ。その消耗は激しかったに違いない。
見たことがない。そこに思い至り。五木は違和感を覚えた。あの空中を美しく舞う彼女を、五木は
途端、痛みに襲われる。頭が割れるようだった。
風名へ向かって悠然と進んでいくアスモデウスを止めなければならない。あまりの痛みに声は出ない。
すでにアスモデウスは風名を槍の届く範囲に収めていた。
片手でバッティングをするような動作だった。アスモデウスのその動きは細かくゆっくりにと見えた、それでも確かに動いていた。
「風名、逃げろ」
やっと漏れた五木の声は振るわれた槍の音で掻き消された。
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