第37話 8月20日-  戦争の準備

 暗い部屋の机に向かう人物がいた。裸電球、それだけが照明の召喚士の部屋だ。本日はベッドで横になっていないらしい。


「どうして教えてくれなかったの」

「悪魔は聞かれないことには答えません。それに知って、あなたはどうしましたか?」


 召喚士と虚空――アスモデウスは互いに冷静な調子で話をしていた。それでも召喚士からは多少の怒りの色は感じられる。


 悪魔が欠片になるまで死滅したときのことを召喚士は知らなかった。今まで失ったのはマルコシアスの分身体だけだった。

 八月十七日、嵐呼風名をおどすときに、邪魔が入らないよう配置した悪魔、カイムは一撃で五行五木に殺された。

 それはすぐに分かった。しばらくして、横になっていたところに多量の光の粒が降り注いだ。暗い部屋には美しい光景だった。体に入った時、召喚士は気が付いた。ああ、これはカイムだ、と。同時に涙が零れた。それぞれの悪魔と会話したことは多くないが、何とも言えない喪失感を味わった。


 途端に体調が良くなり、立って歩くことができるくらいまで回復した。おかしいと思い、アスモデウスを問い詰めた。死んだ悪魔のエネルギーは主たる自分に還ってくることを知った。


「別に、どうもしない。この街を焼いたら、いつかカイムを復活させる」

「お優しいこって。その時は私も頼めるかな」

「黙って、うるさい」


 それきりアスモデウスは何も言わなくなった。召喚士に対していつものふざけた態度をとることはできないと判断したのだろうか。


 静かになった。作業に戻るとしよう。召喚士は机の上に指を這わせる。


 悪魔召喚にはいくつかのプロセスを踏まねばならない。まずは悪魔が送ってきた、毛やら爪を用意する。任意の悪魔と会話し、送ってもらう必要がある。たまに承諾しない者もいるらしいが、応じなかった悪魔はいない。


 話は逸れるが、このどこにいるのかわからない悪魔と会話できるというのが召喚士の能力の一つだ。つまり、物さえ用意できれば悪魔召喚は誰にでもできる。従うどうかは別として。


 逸美原をおびやかそうとしている召喚士は『ゴエティア』という書物に記載されている悪魔のみと会話ができる。


 話を召喚に戻そう。


 次に召喚士の血を悪魔の一部に付着させる。これでパスが通じる。パスがつながると、強制的に召喚士の好きなタイミングで会話に呼び出すことが可能になる。アスモデウスが今この状態だ。


 そして魔法陣を描く。『ゴエティア』の召喚士の場合は円を描き、その中に七芒星を一筆で。その中心に血の付いた悪魔の一部を置く。


 最後に、悪魔の名前を呼べばいい。それでやっと、悪魔はその姿を魔法陣に顕現させる。


 それで召喚は可能だ。ルーズな性格の悪魔だと体の一部を送ってくるのに時間がかかることはある。それさえクリアすれば簡単だと召喚士は思う。強いて言うなら、召喚場所が魔法陣の座標だという点が扱いにくい。


 このプロセスをあらかじめ行っておく方法はある。回復したエネルギーを使い、今はその作業を行っている。


 通常の召喚と同じ手順を行う。ただし魔法陣の上に悪魔の体の一部を置くところまで。そこに水晶を一つ置く。

 大きさは親指の爪くらいでいいが、インクルージョン内包物の少ないものが望ましい。

 悪魔の名を呼ぶと魔法陣が消え、水晶の中に悪魔が格納される。これを悪魔の名を呼びながら投げることにより、素早い召喚を可能にする。


 既に二体分を終えていた。体調に変化はない。もう少し続ける。


「主よ。此度は召喚に預かり、恐悦至――」

「ヒャーァ、堅苦しいのはなしだ。主、主! 久しぶりだなぁ」


 二つの新しい声が加わった。騒がしいことこの上ない。悪魔たちに慕われる理由が召喚士にはいまいちわからなかった。力が強いから、なのだろうか。


「待って、今忙しいの」

承知仕しょうちつかまつりました。ほれいったん切りたまえ、野獣」

「ヒャーァ、うるさいね堅物は。……わかったよ」


 気配が消えたのはわかった。


 人間のようにいろいろな性格の悪魔がいる。姿形が違うだけで、何が違うのだろう。人を食べる存在、その一点が忌避される理由なのはわかっている。


 悪魔たちはお互いに罵り合っているように見えても根本での仲は悪くない。悪魔らしいと言えば悪魔らしい。悪魔に対して、天邪鬼と言っても許されるだろうか。召喚士は一人笑みを浮かべた。


 やはり体が楽だと思考の巡りが良い。ネガティブ思考は鳴りを潜める。最後に楽しい感情で笑ったのはいつだったろうか。


 作業の手を止め、五行五木を思い出す。彼は善人だ。本人は否定するだろうが、強い。力の話ではない、心の話。


 八月九日、不可解部の部室前での邂逅。あの程度のおどしで手を引くとは思えなかったが、話をしてみたいと思い、召喚士は自ら足を運んだ。ほかの二人、嵐呼風名と刀刃剣に比べ、五行五木は知名度はあるものの、どのような人物かという情報は少ない。


 五木の言葉。確か「僕の手の届く範囲で罪なき人を殺す事は許さない。そして君――あなたも死なせない」だったか。この科白せりふをどんな顔をして言っていたのだろう。その顔を見ることができなかったのは残念だった。それでもどんな顔をしていたかは想像ができた。


 召喚士は五木の顔を知っている。あの日、召喚士が後ろから近づいたのは、万が一にでもこちらの顔が見られてしまえば、正体に辿り着かれると思ったからだ。


 あの一言で大体どんな人間かはわかったつもりだ。偽善でああ言ったのではない。心から思っている。そこへ向かおうとする意志は感じられた。ただ、彼には計画がない。召喚士を救うという抽象的な目的はあれど、どの方法を用いるかという具体的な計画はないだろう。召喚士は分析した。


 騎士団に捕まれば、エネルギーを使い果たし、死するまで閉じ込められてしまう末路だ。騎士団から逃げ続けても死ぬ。人を殺せば騎士団に追われて死ぬ。死しか待っていない。だから召喚士は人を殺そうとしている。それも、しばらく飢えなくてもいいように多量に。四百四十四人を殺しの噂はとっくに信じていない。生きるためにスイッチを切り替えた。


 その時、あの五行五木は、色の騎士団コロル・エクエスは、どんな顔をするだろう。誰かを、召喚士を憎むだろうか。善人が善性を捨てる瞬間を見てみたいと召喚士は思った。逆にそれでも挫けない様も見たかった。


 召喚士は自らの指先に刃を走らせた。微かな笑みを浮かべながら悪魔の一部に血を降らせた。

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