第31話 8月19日-2 File01 五行の兄弟

 夏の暑い気温は続いたが、雨が降っている。つい五分くらい前に振り始めた雨はしとしと、というオノマトペがしっくりくる程度の雨量だった。

 そんな天気でも毎日部室には顔を出さねばならないことを鬱陶うっとうしく思いながらも五行五木は部室にいた。雨が降る前に到着してよかった。折り畳み傘は鞄に入っている。


 ここ最近は街が壊滅するという予知夢もあるので、出席義務がなくても出席はするだろう。特に何の事件もない日々が続いて、予知夢は間違いだったとなればいいのにと思う。


 隣に座っている風名はラップトップのキーを叩いている。部室へ入ってきたときはぎょっとしたような表情をしていたが、午後四時という時間に人がいたのに驚いたのだろう。


 髪が少し濡れている。雨に濡れたか、ラケットケースを持っているから、テニス部に出てシャワーでも浴びてきたのだろうか。その姿を想像して少し落ち着かない気持ちに五木はなった。


「ほらこれ、これがカイム」


 キーを叩いていた風名が五木に示したのはWikipediaのページだった。鳥のコスプレをしたおじさんの絵が載っている。


「……確かにこんな風体ふうていだったが、もっとイケメンの青年だったぞ」


 カイムという悪魔の名誉のために五木はイメージを修正しようとした。もっともそのカイムの話もろくに聞かず、速度に任せて上下に真っ二つにしたのは五木だ。


「やっと一体ってところだけど……あんまり強くなさそうというか」


 確かにマルコシアスの分身を除くと初めて悪魔を倒したことになる。悪魔を殺す事に躊躇ためらいはなく、後悔も生じなかった。


「確かにな、一撃だったし」

「それでも、得体の知れない相手に突っ込んでいくのはやめてよね。どんな厄介な力を持っているのかわからないのが悪魔なんだから」


 二日前、それこそ五木がカイムを両断し、風名の危機に駆け付けた(飛んでもいった)日から、なんだか態度が柔らかくなっているように五木は感じた。心なしか物理的距離も近い。

 

 鎌時燈籠かまときとうろう曰く、白群高校十二大美人の風名にしてみれは、自分は歯牙にもかけられていないのだろうと五木は思っている。それはそれとして好きな子が近くにいるのは落ち着かない。しかも、今日は斜向はすむかいではなく隣に座っている。

 

 そんな状況に二日前、抱きしめられたこととその感触を思い出して顔が熱くなった。

 

「仲良さげなところに大変失礼するぞ」

 

 その声に反応して五木は少し風名から離れ、その方向を見やる。

 

「なんだ青龍か」

「おう、小娘、久しぶりじゃのう」

 

 青龍は五木を無視した。

 

「あら? 青龍。どうしたの?」

 

 親しげに話しかける風名、五木は違和感を持つ。風名と青龍は親しかっただろうか。

 

「いやいや、ちょうど刀の小僧がおらぬゆえ、確認したいことがあってのう」

 

 青龍は相変わらず尊大な物言いだ。ほかの五獣の為に補足しておくが、みんながみんなここまで偉そうに話すわけではない。同じくらいに偉そうなのは一人称がオレの白虎くらいのものだろう。

 

「お主今、失礼なことを考えたな」

「まさか」

「で、何の用?」


 口論をものともせずに気安い調子で風名は促した。


「わらわはもう見ておれぬ。小娘、わらわから持ち掛けた約束を反故にすることを許せよ」


 そう言って、青龍は五木を見る。風名の顔に赤みがさしている。


「青龍……? ちょ――」

「前の事件、わらわたちのじゃな、それを読んでほしい」

「……特にやることもないし別にいいが、長いぞ?」

「概要だけでよい」


 そう言われて五木は席を立つと書棚へ向かう。今のところ何も記録されていないファイルが多いが、そのうちの一つを手に取ると再び着席する。その背表紙の文字は『File01 五行のきょうだい』。読めと言った青龍の意図はわからない。


 風名は青龍に遮られてからは口を開かなかった。


 確かに青龍の言った通り、事件の内容が一ページにまとめられた資料もある。五木はこれを読むことにした。



「えっと、四月二十九日。ゴールデンウィークの初日。五行五木のきょうだい、雅金あかね瑛土えいと速水はやみ火威かいが消える。翌三十日、五行五木が捜索を開始するも成果なし。自宅近くで白い虎、白虎に襲われるも、逃走に成功」


 二人の反応はない。


「月が変わって、五月一日。青龍と接触、きょうだい消失の原因を教えられる。同日夜、紅緋べにひ小学校のグラウンドで五行火威・朱雀と戦闘し、回収。火威の意識は戻らなかった」

「この日まで、誰にも伝えず行動しておったな?」

「ああ、……確かそうだった」


 この頃の五木は本当に異常なのかどうかもわからず、自らの判断と青龍の導きで動いていた。

 二人が口を挟む様子もなかったので、話を続けることにした。


「二日、午前に五木が不可解部に出席し、事件が部員二人にも発覚。本格的に調査を開始。帰宅途中に白虎の襲撃を受け、五木と剣、二名で応戦するも五木が白虎の爪により重傷を負うなど苦戦。麒麟きりんの救出により死者なし。麒麟は自らくだり、五行瑛土救出。麒麟の力で五木は回復」

「あれは強かったのう」


 青龍が口を挟む。龍と虎、その関係性に何か思うところがあるのだろうか。確かに麒麟が乱入しなければ危なかった。


「……続けよ」


 少しの沈黙、青龍は次を促した。


「三日、午前十時ごろ中央図書館の屋上にて、五木が白虎・雅金と交戦。白虎・雅金敗走。午後十七時ごろ、自宅近くにて再戦し、白虎・雅金回収」


 白虎相手にはとても苦戦したものだ。素早く、音を立てない動きに、鋭い爪、牙。他の五獣の中でもずば抜けた狩猟者だった。

 風名が少し眉をひそめた。何か相違があっただろうか。何も言われなかったのでさらに続ける。


「四日、水場を中心に探していた剣が玄武げんぶ速水はやみ綺麗滝きれいだきにて発見。五木、剣の二名が交戦し回収。きょうだいは全員救出されたものの意識は戻らなかった。夜、五木、五獣と話す。黒幕陰陽五行いんよういつゆきの存在が明らかになる」


 姿を現さず、陰陽五行は暗躍した。決着をつける前日までその存在を隠し通していた。その名前も対峙するまで知ることはなかったくらいに徹底していた。


「五日、陰陽五行から不可解部へ手紙が届き、同日十九時に逸見原球場へ来るよう指示。五木、陰陽五行と交戦。勝利するも、陰陽五行により一帯がなくなる危機に陥る。五木によりそれは回避される。五木、帰宅後玄関で眠り、翌朝、目覚めたきょうだいに起こされる。きょうだいの記憶は改竄かいざんされ、ゴールデンウィークの出来事は何か別の記憶にすり替えられていた」


 一ページにまとめられた事件『File01 五行のきょうだい』の主な顛末は五木が読み上げた通りだった。次のページには詳細と共に、その場所などの写真がファイリングされている。


「のうお主、読み上げんでもいいから、詳細にも一度目を通してくれないかの」


 五木は言われるがまま資料を読んだ。風名は黙ってその様子を見ている。


「なあ青龍これにどういう意味が――」

「ねえ、五木。どうしてこの資料には、の?」


 意図を図りかねた五木の言葉を、ついに口を開いた風名が遮った。青龍は目を閉じている。


「まさか、そんなわけないだろ? たった三人しかいない不可解部なんだからフルメンバーで働くに決まってる」


 五木は再び資料に目を落とす。躍起やっきになって風名という二文字を探した。確かに部員二名、などの記述はあるものの、風名が事件において何をしていたのかが全く書かれていない。思い出そうとするも、何も思い浮かばない。まさか、本当に……。次第に焦慮しょうりょが満たされていった。


「気づいたか。お主はその事件におけるこの小娘――を抹消されている」

 青龍は淡々と、いや、少し辛そうに告げた。その辛さはどこに向けられているのだろう。記憶を失った五木にか、忘れられた風名に対してなのか。きっとどちらもなのだろう。かつて人によって神へと祭り上げられた青龍は時に憎悪を向けることはあっても人を愛した。


 だから、片方――五木は傷付かないよう、記憶の話を封じた。

 それに次第に耐えられなくなっていく風名の様子を察し、明かすことにしたといったところだろう。


「ごめん」


 その謝罪はあまりに白々しく、自分自身に響いた。第一、何を忘れているのかすら知らない。自分がつらくなった時に口をついた薄っぺらい謝罪。


「……一回割り切ったこと。青龍が蒸し返すから」


 困ったように笑いながら風名は言った。


「莫迦をいえ小娘、この三か月、わらわも黙っておるのが辛かった。それだけよ」


 事件の最中に風名との間に何かがあっただろうことは五木にも推し量ることができた。それを五木に漏らさぬよう、事件以前と変わらずの態度で風名はうまく接していた。

 今思えば五木が言った覚えのないことを彼女は知っていたりしたが、それも関連があったということらしい。


「風名、僕はどうすればいい?」

「ただ、これだけ知っておいて。怒ってないから」


 尋ねた五木の眼をじっとみつめて風名は優しく答えた。その目には涙が少し浮かんでいる。これ以上聞くなとさかんに訴えているような、そんな表情。

 彼女がそんな顔をしている原因は自らにあることは五木でも分かった。一体何を忘れているのか、思い出そうとしたが無駄だった。

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