第8話 8月5日-5 黒の襲撃

 風名かぜなの登校方法は徒歩である。自転車での通学も考えたが、歩く方が性に合っていた。自転車ならば当然運転に注意しなければならない。他の事、例えば今やっているようにスマホで何かを調べたりするのはご法度だろう。歩きスマホである。それもあまり褒められたものではないが、調べ物の最中である。


 画面を見ていない。五木いつきのことを考えていた。ゴールデンウィークの事件を経て、彼はある記憶を失っている。本人はすっかり忘れているうえに、その事実を知らない。

 何がきっかけで記憶を取り戻すかわからない。些細なことでも試していた。

 多少攻撃的に見えるだろう五木への接し方もその一環だが、記憶が戻る兆しはない。


 異能を持つ人間は基本的に警戒心が強い。前々から知っていた剣にはそんな警戒を抱くことも無用だった。対して、ゴールデンウィークまでその異能をベールに包まれていた五木を風名は警戒した。


 どこからもノーマーク、情報皆無。得体の知れない正体不明の少年。異能を知らない。そんな五木の異能を、本性を知りたいと風名は思った。なんとかして引き出そうと、あえて厳しく接した。


 友人から五木が気になっているのでは、と指摘された時には否定したものだ。だって単なる好奇心しかなかったのだから。


 それがいつ変わったのか、風名にさえわからない。


 気配を感じた。

 

 調べもののため手にしていたスマートフォンは思考に耽っているうちに画面が暗転していた。

 ロックを解除し、チャットアプリを起動する。

 

 フリック入力で「追跡者あり」と、二名に送信。そもそも両名に刺客が迫っているのかはわからないが、念のため。


 魔力を練る。

 風で身の回りを包み、自らの防護とする。この一連の魔法を相手に気取られることないよう、詠唱せずに行う。


 風の衣の構築を待っていたかのように、バレーボール大の火の玉が迫りつつあった。それも一つではなく十を超える数だ。炎の明かりが迫り光を強くした。


 もう少しというところで、炎は消えた。風名の体、衣服に火を落とすこともなく、熱すらも感じなかった。


 やはり襲撃しゅうげきか。昨夜の狼と無関係ではあるまい。刺客の正体についてはおおむね推測通りだろう。


「魔力を感知させないなんて、若いのにいい技持ってるじゃない」

「へえ、おねえさんも魔法使いかぁ」


 女性の声に対し、振り返らずに風名は言った。

 改めて向き直ると、相手は黒いフード付きローブを着た人物だった。その物言いから、自分より年上だろうと風名は当たりを付ける。


 火の玉に込められた魔力の量はごく少ないものだったが、それでも風名には魔法の産物であることは感知された。相手もおそらく無詠唱で魔法を使ったのだろう。


「私は黒騎士」

「……色の騎士団コロル・エクェス?」


 その名乗り、騎士を名乗った。ならば自身の推測は当たっていた。つまり、昨日の狼の正体は――。


「そう。知ってるんだ」


 思考は遮られる。黒騎士は自らの所属を看破かんぱされても大して驚いた様子を見せない。


「ちょっと待ってねメール打つから」


 黒騎士の思惑を測りかねた。奇襲を仕掛けてきたと思えばすぐに姿を現し、メールを打ち始める。手には黒いガラケー。その指さばきはとても速い。


 仲間でも呼んでいるのではないか、そう思い、ガラケー目掛けて風を放つ。ラピドゥス・ウェントゥス。速い風。音を超えない速度の小さな風の刃。

 不可視の刃は黒騎士の手から十数センチのところで燃えた。


「あなたも無詠唱?」


 訊くまでもなかったが、風名は訊いた。手練れであることは間違いない。騎士団のいわゆる色持ちである。


「そっちこそ。安心して、仲間を呼ぶわけじゃないから、ただの報告」


 黒騎士は画面から目を離さず言った。


「報告?」

「あなたは及第点ってこと」


 メールを送信したのか、黒騎士はガラケーを閉じ、黒装束のポケットにしまう。


「あなた、昨日の狼と関係あるの?」

「時間もあることだし、お話ししましょうか」


 質問には答えず、黒騎士は右手を上げ指さす。公園がある。指は四阿あずまやに向いていた。

 四阿の下には四人掛けのテーブルと椅子がある。


「立ち話じゃなんだからってこと?」


 思わず笑いそうになる。いきなり攻撃してきたとは思えない提案だった。


「いいじゃない。あなたならわかるでしょ。私に戦闘の意思はないって」


 その通りだ。同じ魔法使いならなんとなくではあるが敵意殺意の有無を判断できる。事件について手がかりがないことも手伝って、話をした方が得策だという思惑も持っていた。自分の推測の答え合わせもできるだろう。


「わかった」


 本当に小さな公園だった。庭付き一戸建てが建ちそうな敷地に四阿とブランコ、滑り台しかない。


 道もなく、短く揃えられた草むらの上を歩いた。四阿に到着すると、お互いに向かい合って座る。


 黒騎士は黒いフードを外す。金色の髪が揺れる。

 金髪碧眼へきがんの少女。とはいえ対峙したときにわかったように背は風名より高い。ゲームや物語のエルフがそのまま出てきたような風貌。それでもその顔つきは自分よりも年下なのではないかと思うくらいだ。


「これでも飲酒はできる歳だから」


 風名の疑問に気が付いたのか、黒騎士は笑ってそう言った。若く見られることに慣れているのだろう。

 確かに上背は西洋人の成人女性のそれだ。そしてその西洋人然とした顔から発せられる言語は流暢な日本語であることも風名を驚かせた。


「本題に」


 そう言って黒騎士が取り出したのは天秤てんびんだった。装飾はない。ただ素材が分からないくらいに黒い。


「マギア・リーブラ。えっと、魔法の天秤。嘘を看破する」


「黒騎士の天秤……」


 ふと漏らした風名の言葉に黒騎士は黙って頷いた。

 黒騎士は片側に白い羽をそっと乗せる。当然羽の方に天秤は傾く。


「私は男」


 天秤の何も乗っていない方が下がった。


「話した言葉に嘘があれば羽は持ち上がる。嘘は羽よりも重いらしくてね」


 この場で話すことに偽りはないという意思表示だろう。同時に風名の逃げ道をもふさいだ。互いに嘘がけない状況を黒騎士は作り出した。


「あの狼について見当はついてる?」

「ええ、少しは」


 天秤は羽の方へ傾く。こちとら大した情報は持っていない。あるのは推測だけだ。それならば存分にこの訳知り顔の黒騎士を利用してやろう。


「あれが悪魔、それもソロモンのものだということも?」

「マルコシアス、でしょ」


 すぐに切り込む。回りくどいのはなしだ。

 

「直接見ていないのにわかるのね」


 黒騎士は感心したように言った。「狼 悪魔」の検索でトップにWikipediaが出てきただけだったが、そのことは黙っておく。直接見ていないことは言っていないはずだが、なにかからくりがあるのだろう。


「ほとんど当て推量。とりあえず名前を出してみただけ。それと、騎士団が来ているから、確信した。これは、召喚士案件?」

「その通り。悪魔を使役する召喚士が騎士団の敵の一つだから」


 天秤は傾いたままだ。ここまで嘘はない。


「ジョルジュ・ランベールはご存じ?」

「あの予知夢よちむの? 彼も騎士団なの?」

「協力者ね。その予知夢の彼のおかげで私たちはここへ来た」


 ジョルジュ・ランベール。フランスの特殊魔法使い。魔法の才能は普通だが、彼の最大の魔法は夢の中で十全に発揮される。


 人呼んで予知夢のランベール。


 彼の見る予知夢が実際に起こる確率は九割を超える。そしてその予知夢は人間の行動次第で変えることができる。

 外れたとみなされているものはすべて誰かが変えるという意思を以って介入し、結果を変えたものだ。


「どんな夢?」

「それは明日まとめて話す。明日の午後四時、あなたたちの部室に行く。待っててね」


 悪戯っぽく笑って見せる表情は飲酒できる大人がするには歳不相応にみえるが、その顔にはとても似合っている。初心な男や、あのお人よしの五木あたりは騙されてしまいそうだとさえ、風名は思った。


「嵐呼家は最近どう? お姉さんは元気?」


 黒騎士はもう本題の話をする気はなさそうだった。急に姉の話をされて驚いた。


 姉は行方不明になっている。


「うちは、良くも悪くも普通。姉は……」

「お姉さんのことはまだわからない。そうでしょ。私も探してる」


 答えに困った風名に黒騎士は言った。その口から姉の話題が出るとは予想もしていなかった。


「ヒカタは私の学友でね。親友、だったと私は思っている」


 ヒカタ。嵐呼日方ひかた、確かに姉の名だ。ふと姉の話によく出てくる名前があったことを思い出した。それが黒騎士なのだろうか。


「あなたは――」

「名前は言わないで。今は黒騎士、だからね」


 風名の言葉をさえぎる。寂しげな表情を浮かべる黒騎士はおそらく姉のよく話していた人物に違いない。姉のことについて尋ねたい衝動しょうどうられたが、その感情は抑え込んだ。

 

 おそらく黒騎士も姉を捜しているのだろう。ただ、何かを知っているようには見えない。


「……お話はここまで。あ、最後にもう一個質問。五行五木君は風名ちゃんにとって特別な存在?」


 童のように悪戯っぽい笑顔で黒騎士は言った。


 風が強く吹いた。天秤の羽は空へと舞い上がり、薄闇うすやみの中に呑まれて消えた。


「五木はただの仲間。あとちゃんはいらない」


 風名はゴールデンウィークのことを思い出しながらもそう答えた。これは嘘だ。だから羽を風で飛ばした。


 飛んで消えた羽が乗っていた方の天秤が浮き上がったのを見たのは黒騎士だけだった。


 嵐呼風名にとって五行五木は特別な存在。そんなことは自分自身が一番知っている。天秤を見るまでもない。


「だいぶ今回の件から話が逸れたね。これだけ教える。ここに危機が迫っている。明日、必ず待っていて」


 黒騎士は立ち上がりそう言った。


「ええ、納得のいく説明をお願い」


 続いて風名も立ち上がる。


 風名が欧州の飲酒可能年齢に思い至り、黒騎士は油断ならない女性だと思うのは少し後の話だ。

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