第一.五章/病院の回想

 有里玲は病院で何日をも過ごした。それは彼女にとって、退屈な時間だった。

 いつもぼんやりと眠りに就き、起きればつまらなそうに、病院の窓を覗く。

 代わり映えのしない外の景色を見る、それもこれも全て、生まれながらに持った病気のせいだ。

 平凡な毎日をただ重なることを、有里はただ退屈に思いながら、自分自身のことを俯瞰して眺めた。


 有里玲は物心ついた時には既に病院が家になっていることを覚えている。

 現代医学を用いても治らないやまいを有里玲は患っていたから。そのせいで病院から出られないことと、自身に儲けられた寿命が限りなくせばまったせいで、有里は誰にであろうと心を閉ざしていた。

 その有里玲を構成する全ての記憶が、今でも忘れることができないトラウマだった。

「すぐ死ねる。何も取り柄のない私には、限りない幸福なのだろうか」



 一冊の本を手に取る、慣れたようにページを捲る。

 それは病院に有里玲へと送られる、文庫本だ。

「父はいつも、文庫本を私に贈る」

 有里玲の寂しさを紛らすように、一冊、適当に選んだような本を渡したのが、有里玲が読書を始めるキッカケだった。


 十人十色の楽しい、泣ける、と言うような小説、『人の心を動かす一冊』には『面白くない、つまらない』なんて感情、いや感想を言って罵った。

 変な話、最初から。私は小説に触れた当時から捻れていた。その過程の中で、誰も和解してくれるような人なんて居やしなかったから、その想いは私と一緒に胸の奥に沈殿し続けて、いつかそんな感情も忘れて、とうとう不感になってしまった。

「...からっぽだ」

 何も知らない。何も持っていない。

 助けを有するしかないのに、誰からも助けて貰おうとしない人間。無力で何も無し得ない人間。

「きっと、笑えない人間だ。私は」

 私は知らぬ間に掛けていた布団を、強く握っていた。

 


 有里玲は、主治医と面談をした。メディカルセンターの面談室。

 主治医は玲と相対したり、モニターを覗いたりと、忙しくしている。

「初めて外に出るんだよね?」

 他愛ない挨拶を最初にして、

 主治医はその次に、当たり前風に装って、聞いた。

「外に出て、楽しみなことある?」

「......」有里は何も言わない。

「...楽しみなこと」それに対して、主治医が気難しそうな顔をしながら、呟いた。その時はモニターを見るのをやめ、有里玲の目を見て、返答を待っていた。

 一方、有里の頭の中にはプツリと、夢の中で起きた事象が横切った。

「それは分かりません」

 返答の意味合いか、有里が目を伏せるように言った。その表情は相も変わらず、同じ絵面だ。

「...それは、困ったな」医者は窮屈そうに、頭を軽く掻いた。その後の沈黙が、妙に二人とも薄ら寒かった。

「取り敢えず、学校にも行けるようになるから」

 そう言って、書類を持って、机に立ててトントンと揺する、主治医が早くも、書類の片付けを始めた。

「終わりですか」それに気づいた有里は、椅子を数歩分、後ろに退いた。

 そして主治医は一言「うん」とだけ。

 それだけで。その何気ないやり取りが終わって、二人がおもむろに立ち上がり、面談室の照明は落ちた。

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