第一章/転校生

 


 二度、海岸の夢を見た後、僕はもう、その続きを全く見れなくなっていた。

 そして今日もいつも通りの平凡な日常を迎えた。



 黒い材木で造られた廊下。

 積み上げてを繰り返して出来た、木造の校舎。

 最初の頃は綺麗な学校だなとか思ったけれど、最早、慣れた学校という名目だ。

 歩きながら窓を眺めれば、白の陽光に照らされた、緑色の庭を眺める事ができる、それは非日常の演出のようだが、やっぱり見飽きた光景だ。

(...退屈な日常) 

「え?」

 僕は不意にあることに気付いて、立ち止まる。

 廊下の先に消えて行く、とある女生徒。

 見慣れた場所に唯一。居る筈のない、そこに居たとすると、異様な人物が居た。

 けれどきっと違う。それは単なる勘違いだ。

 昨晩の夢に酷似した少女を現実で見た。なんて事ある訳ない。

 一向に脳裏から離れない。その少女が階段へと、廊下の死角に消えてしまった光景を。

 追ってみようか。なんて考えたけれど。それを実行するほどに、大胆には成れなかった。

「まだ夢を見ているのか」

  この空間はそもそも現実なのか。

 ...これもまた、明晰夢の中なのだろうか。

 夢で見たものが、今、現実リアルに存在すると実感した時、僕はその現実が、昨晩見ていた夢の続きなのではないかと、疑い始めていた。

(それも馬鹿馬鹿しい。それじゃ、まるで蝴蝶の夢だ)

 僕にとっての現実は蝶の夢ではないし、本当の僕は、佐野悠斗の夢を見る蝶でもない。

 僕は魚にも蝶にもなっていない。ちゃんとした、意識の中で動く。現実と夢の区別がつかないのは、ごく当たり前の日常を送る上でおかしい。夢はあくまで幻想に過ぎないから。

(非日常なんて求めながらも、僕は日常が壊れることを知ったら、どう思うつもりなんだ)

 僕は冷静を装いつつも、グッと拳に力を込めた。

「よっす!悠斗!HR《ホームルーム》までもう少しだぞ!!!」


 

 教師が、教卓に置かれていた出席簿を、掌を使って、パタンと叩く。

「静かに」その教師の一言で、かしがましいクラスルームに、一時の静寂が訪れた。

 教師の名前は坂本宗土さかもとしゅうど

 いかにもな体育会系といった、ガタイの良い男教師だ。クラスのやつらは、坂本と話す時、肩を張る。

 普段は無口であるが故に、話す時は大事な用件がある時だけなのだけれど、それが一体なんなのか。僕や石田、真白には心当たりがあった。

「転校生だ」石田は呟く。

 真白は死んだ魚のような目で黒板を見ている。

「!?」

 転校生が扉を通ると同時に、静寂に包まれていた筈の、教室の様相が、一気に騒がしくなる。白か黄色か分からない、歓声に似た声が教室一帯を包み込んだ。

「静かにー」

有里玲ありさとれい。一年間が目安だろうか。我が校に移籍する形になった」

「よろしくお願いします」転校生がお辞儀をする。

「......」

 ...その子の容姿が夢と酷似した、いや、それは夢に則った、外見をした女生徒じょせいとだった。

(夢、じゃないよな)

 幸薄そうな表情でただ、ぼんやりとしている。有里さんは、夢の中で見た女の子と瓜二つなのだけれど、それと打って変わって、眠そうで、危なげだった。

「......」

 表情が乏しい、というよりずっと無表情に見える気がする。

「え?」 

 有里さんと目が合ったような気がした。

 けれどすぐ様、僕を通り過ぎて教師の指し示した席に向かった。そのまま、木の椅子に腰掛けて、窓枠に映る空をボーっとして、眺めた。

 ...なんて言うか、とても話しかけづらい。

 休み時間とか、直接話しかけてみたいけれど。

「めっちゃ、幸薄そう...」「でも顔良くね?」「有里さん、か」教室の中、僕の耳にヒソヒソと周囲の生徒が会話する声が立ち込んでいた。

 隣の席に居る石田が、態々わざわざ僕の肩を叩く。石田は、お察し通りの発言を僕に打ち明けた。

「転校生の子、可愛くね?」

「なんなんだ。石田」

 すぐ前が桐生だから、良かったものの、坂本に無駄話がバレたら、怒られるかもしれないだろ。

「だからさ。お前ガン見してんじゃん。...有里サンのこと」

「なっ...!?」

 そんなことない。想定外の事案に、思わず叫びそうになった。

 思わず席から立ち上がったけど、坂本に気づかれる前に、急いで座った。

(前の席が桐生さんじゃなかったら、ヤバかっただろ)

「...桐生きりゅうが身長高くて良かったな」

 渇いた笑いを含んだような石田の声に俺は思わず、石田を睨み付けた。

「そんなあからさまに怒んなって」両手で僕に手を合わせて、軽薄そうな態度の石田が謝罪をしてくる。

「後で」そう言って僕は、前に向き直した。

 その後、授業が始まって、刻々と一日の半分が過ぎていった。そのまま、僕は屋上で、石田と昼食を摂ることになった。

 温かい缶コーヒーが片手に置いてあるのを眺めながら、僕はフェンスにもたれ掛かる。

「...悪かったって。自販機で缶コーヒー奢ったし、許してくれよな...」

 僕と同じく、石田がフェンスにもたれ掛かる。教師が居ないから、学ランのボタン全てを開けていて、風で、解放された学ランが揺れている。

「気になったってんなら、仕方ないと思うよ」

「...なんで見てたの?」そっと僕に向けて呟いた。

「やっぱり、石田は図太いな」

 ...声を忍ばせようと、大に挙げたとしても、聞いてくることは恐らく一緒だ。僕は、石田に少し話してみようかと思った。

「昔、どっかで有里さんと似てる人、見たことがあって」

「あんな美人は何処にでも居るもんじゃないな」

「その。...『どこで出会ったか』とか話さないけど、会った時からずっと、危なっかしげなんだ」

「もし有里さんが、その危なっかしげな人なんだったら、話していいのか、迷ってる」

 有里さんはもしかしたら、心の深いところで、人生をとっくに諦めてるのかもしれない。僕はそんな有里さんに呑気に話しかけていいのか、心の内のどこかで迷っていた。

「う〜ん」


「石田アドバイス。聞くだけ聞いてみたらどうだ?」

「え?」

 思わずドキッとした。

「誰かに言われなくても、お前は自分で決めるだろうから、敢えて!...俺の意見を言ってみたけど」

「友達なんてさ、少し目を離した隙に、糸も容易く関係が擦り切れて行く、俺はその『関係』を守ることに大切な物は『ずっと繋がってるって分かること』そう思っている」

「豆な連絡が大事。...友達のお前にこう言うのも、少しばかり変だけどさ」


 妙に『アドバイス』とかネタっぽい癖して、冗談と捉えて笑えばいいのか、お礼を言うべきか、さっぱり分からなかった。というかふざけないで、真剣に向き合ってくれて、自分自身、石田にビビってる。

「それから...やっぱりあんな美人、何処にでも居るもんじゃないから」

 ......。

「...石田」お前ってやつは。



「ねぇ、二人とも、ちょっといい?」

「え?」

僕のものでも、石田の発したものでもない、不意の第三者の声に石田は、つい最近に聞いたことがある声に僕は、思わず同時に声を上げた。

「あれ?転校生の子?」

 石田の口を追うように、視点が動く。声の方向を向く。

 あの女生徒は間違いなく、有里さんだ。

「俺は別に気にしないよ」(転校生と知り合いってマジなのかよ...)

「というか。...俺の方は邪魔になったりする?」

「いいえ。私はその人に、聞きたいことがあるだけで...」

 僕へと有里さんの瞳が向く。

 聞きたいこと?

「僕に、ですか?」

「うん」

「間違いとかじゃなくて...?」

 有里さんは端麗な顔を強張らせた。食い気味にこちらを見た。

「うん!」

「何処かで。...会ったことない?」

 有里さんは真剣な眼差しで聞いた。

 『会ったことない?』って聞かれて、僕もまた食い気味に返した。

「夢で!」

 その一言は容易に伝わった。有里さんは驚くように目を開けていた。

「やっぱり!溺れてた子だよね」

 次の瞬間。石田が凄まじいくらいの笑いを噛み殺しながら腹を抱えてる、けど、石田を流し目にして、サラッと見送る。さっき良い事を言った筈の石田は完全に空気だった...。

 そして、それと裏腹に、有里さんの方へ向いてしまう。

 夢に出てきたあの子は、現実にこうやって実在していたことに、僕は思わず目を見開いてしまう。

「沈んでたのが、正しいのかな?」

「...有里さんってやっぱり、あの子だったんだ」

「...変な夢だったよね」

 変な夢。今思えば、僕と有里さんはなんであの夢を見ていたのか、共有していたのかは、さっぱり分からないけれど。


 

 晩ご飯の時間に気付く頃。僕は自室の机に大きく倒れ込んで、今日起こったことの追及に時間を奪われていた。

「有里さんと友達、か」

 転校生の子と一日で友達になることなんて少し驚くけど。それでも有里さんと友達に成れたことは、やっぱり嬉しいな。

 そして、僕はあろうことか、その日の夜、有里さんを口説く方法...。いや、有里さんと話す口実を考えていた。

 けれど、僕の話術の中から手探りしても、口説き文句的なものは、全く思いつかなかった。

 有里さんに校舎案内を誘うくらいしか、思いつかない。

 学校案内とか言って。

 けれども、本当は、有里さんについて、もっと知りたい。これが恋という感情に似ていることは僕も薄々気付いていた。

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