第五話③ 戦争はたった二枚の紙切れで


 邪神アガトクは北極の地で一人、待ちぼうけていた。


「……何故来ない? 約束の時間はとうの昔に過ぎておるぞ? おいマツリ。聞こえているんだろう? さっさとコーシを連れてこい」

『そ、それが。昨日からコーシの姿がどこにもないのだ……』

「いないだと? そんな訳なかろう。とっとと連れてこい」

『目下全力で探しているのだぁぁぁっ! あの馬鹿は何処に行ったのだぁぁぁっ!?!?!?』

「フン」


 マツリとの通話が切れたが、アガトクは不満気に鼻を鳴らすばかりであった。いつもマツリに連れられてやってくる、背の低いチャラチャラしたあの男の姿を、一昨日から見ていない。

 昨日は本体との同期作業があった為にコーシを呼ばなかったのだが、コーシの存在を伝えるとよい暇つぶしができると本体も喜んでいた。だからこそ、今日はコーシを呼んで本体と謁見させようと目論んでいたのだが。


「まさか実家訪問の前にバックレられるとはな。男はいざとなると腰が引ける生き物なのだったか? 全く、仕方のない奴だ。まあ、良かろう。何処にいるのかまでは知らないが、この惑星から出ていないことだけは確かだ。いっそのこと我が直々に世界を回って探し出してやるのも一興……ん?」


 今後の流れを考えてアガトクの目に、一つの飛行船スカイシップが映る。


「なんだ、もう見つけてきたのか? 全く、手間のかかる……」

「失礼します。アガトク様」

「誰だお前は?」


 しかし飛行船スカイシップから降りてきたのは、ジャスティンであった。七三分けの生真面目系イケメンの顔を見ても、アガトクは首を捻るばかりである。


「……マツリ様の補佐役、ジャスティンと申します」

「知らんな。何の用だ? 我は今からやることがある。邪魔をするな」


 マツリと共に挨拶に来た筈なのに、アガトクはジャスティンのことを全く覚えていなかった。興味がなかったからである。

 まさか覚えられてすらいなかったとは思ってなかったジャスティンは少し腰が引けるも、そのまま言葉を続けていく。


「アガトク様宛てに手紙が来ております。お納めを」

「は? 手紙? なんだそれは?」


 やがてジャスティンが取り出したのは、一つの巻物であった。それをアガトクが受け取ると、「では、これで。失礼しました」とジャスティンはさっさと飛行船スカイシップに乗って帰ってしまう。

 取り残されたアガトクは、再び首を傾げながら巻物を開く。するとのその中には、こんな内容が書かれていた。


『拝啓、唾棄すべき邪悪なる存在へ

 コーシさんは私が預かっております。貴女は北の極地で、自分の分身とでも踊っていなさい。一人で分身作って遊ぶとか、孤独を極めるとそうなるのですね、お可哀そうに……ぷぷぷっ。コーシさんは私が幸せにしますので、一人遊びを楽しんでいてください、ボッチ。

 セイカより』

「…………」


 段々と、書かれた文字を読み進めていく度に段々とアガトクの額には青筋が浮かんできていた。

 やがて北の大地の上空に暴風が吹き荒れ、雷雲も現れる。雷がそこかしこに落ち始めた中、アガトクは手に持っていた巻物を紅の炎にて、無言のままに消し炭にした。


「……我をここまでコケにした阿呆は貴様が初めてだ、超越者セイカ」


 彼女の持つ透き通るような綺麗な声は今、地響きかと聞き間違う程の低音へと変貌している。荒れ模様になっていた空に続いて、大地も割れ始めた。ひび割れた大地から赤いマグマが顔を覗かせている。


「加えて我のコーシを奪うとは。ハハハッ! 良かろうッ! 久しぶりに気が昂るのを感じるわッ! たかだか超越者の分際で……このアガトクを本気にさせたなァァァッ!!!」


 アガトクの激高と共に、地面からマグマが垂直に噴出した。立ち上ったマグマは天に届く勢いで上へと昇っていき、周囲を赤く照らしている。

 やがて彼女の周囲には、眷属である炎の精が無数に出現し始めた。人の形をしていたり、獣の形をしていたりで規則性はないが、そのどれもが自身の炎を激しく燃え上がらせている。更には荒れ狂う上空の一部には、巨大な紅の炎の塊が垣間見えた。まるで彼女の怒りに呼応するかのように。


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッ!!!」


 邪神は笑う。可笑しくておかしくて笑う。笑いながら、アガトクは怒っていた。初めて、本気で、怒っていた。



「……もう少し、待ちましょう」


 一方。南極の大地で超越者であるセイカは、庭のベンチで彼を待っていた。約束の時間はとっくに過ぎているというのに、未だに靴に細工して身長を底上げしているあの小さい男の子は、彼女の前に姿を現さない。

 最初の内こそ、少しの遅刻だろうとそんなに気にしていなかったセイカだったが、やがて一時間も経つ頃には不安が募ってきていた。


「まさか、すっぽかされた……? ううん、コーシさんがそんなことする筈ないわ。いけない、私ったら。彼のこと、ちゃんと信じてあげないと……っ!?」


 すると、彼女が住んでいるドーム内に入って来るものがあった。飛行船スカイシップである。それに気づいたセイカは急いで各システムを起動させ、ドームの内側にある監視カメラ等を全て飛行船スカイシップへと向ける。


「メインカメラにてスキャン開始。人間と思われる熱原体、八名。その全ての生体スキャン……完了。コーシさんのDNAと一致する男性型人間体、該当、なし」


 こめかみに人差し指を当てつつ、網膜に映し出されたスキャン結果を見てセイカはガッカリした。飛行船スカイシップは来たが、その中にコーシは乗っていなかったのだ。

 しかしお客はお客である。一応対応するか、と彼女は重い腰を上げた。


「突然すみません。私、マツリ様の補佐役であるジャスティンと申します」

「あら、これはどうもご丁寧に。私はセイカと申します。初めまして」

「……以前も挨拶には来たんですけどね」


 やってきた飛行船スカイシップから出てきたのは、ジャスティンであった。その他の乗組員たちは飛行船スカイシップ内におり、彼以外にセイカと対面している影はない。

 セイカにすら覚えられていなかったことにやり場のない憤りを感じつつ、ジャスティンはまた彼女に向かって巻物を差し出した。


「セイカ様宛てにお手紙です。どうぞ、お納めください」

「ご丁寧にどうも……手紙?」


 そしてセイカに巻物を渡したジャスティンは、一緒に乗ってきたバイダに手招きされて、さっさと飛行船スカイシップに乗り込んで帰ってしまった。残されたセイカはなんだったのかと首を傾げつつも、手の持った巻物を見やる。


「もしかして、コーシさんからっ!?」


 やがて一つの仮説にたどり着いた彼女。来ないコーシといきなり来たこの手紙。これには何か関連性があるに違いないと、急いで中身を拝見する。

 しかし彼女の期待に反して、手紙の内容は以下のようなものであった。


『コーシは我のものだ。残念だったなぁ、セイカよ。所詮は番に先立たれた残り物。貴様なんぞにコーシは似合わぬわ。コーシは我とともに永劫を生きる。一人寂しく余生を送るのが、貴様にはお似合いというやつだな。我らのラブラブな生活でも見ながら、永遠にコーシの影を追っているがよい。ハーッハッハッハッハッハッハッハッ!!!

 アガトク』

「…………」


 段々と、書かれた文字を読み進めていく度に段々とセイカの額には青筋が浮かんできていた。


「……起動なさい、【無慈悲なる軍隊ゼロ・トレランス】」


 彼女が一言そう呟いたその瞬間。ドーム内の地面が一斉に捲り上がり、地下から円盤型空宙両用ドローン、WVワンダーフォーゲルが次から次へと発艦を始めた。

 出てくるのは何もWVワンダーフォーゲルだけではない。続けて現れたのは、四足歩行の巨大な象のような形をした全地形対応型装甲歩行ドローン、EAエレファント・アトラス。鼻先にレーザー光線銃が搭載されたそれが、少なく見積もっても数百体はいる。


 それと同時に彼女が住んでいたドーム自体が変形を始める。バッキンガム宮殿にしか見えなかった居住区域を内側へとたたみつつ地面からその姿を徐々にせり上がっていき、それはやがて人型の巨大ロボットへと変わった。

 全長約千五百メートル。これこそが超越者であるセイカが惑星ガイアにやってきた際に搭乗していたマイカーこと超巨大人型戦闘用ドローン、HZヒューマノイド・ゼウスである。


「うふふふふっ。全くもう、コーシさんったら。あの汚らしい存在に不満があればいつでもおっしゃってください、ってちゃんと言ってたのに。男の子だから自分で何とかするんだー、ってカッコつけたかったのかしら? 可愛い人」


 いつの間にか、セイカの糸目は見開かれていた。その顔に静かなる怒りを携えて。


「でも大丈夫よ。不甲斐ない夫を支えるのも妻の役目。私がちゃんと、助けてあげるからね……新しいあなた」


 セイカのその声に合わせて、現れたドローン兵団が一斉に起動音を響かせた。大地を揺るがす機械の大軍。その全てを手足のように操る超越者である彼女もまた、本気で怒っていた。

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