第4話 林檎の樹
この森と湖の主、森の王【エルク・キング】は、一瞬でこの場を支配した。
それでも、レグルスは必死に語りかける。
「森の王よ、どうか、彼らに引いてもらえるよう言ってくれないか?」
森の王【エルク・キング】は、レグルスを赤い瞳で捉え、品定めするように問いかける。
「貴様は、魔法使いか?」
「そうです」
レグルスは堂々とそう答え。彼に杖を見せた。
「貴様のことは、ナイアドから聞いておる。あやつは、人間にしては、礼儀を知っていると言っていた」
「有り難き言葉」
「そんな貴様が、なぜ我らの縄張りに入った?」
「この子を探すためです。この子は、まだ幼な子。あなた達の縄張りであることを知らなかった」
「ほう、この童のせいか?」
エルク・キングは、今度は、少女の方を見つめた。
少女は、怯えたように自分の袖をギュッと掴んだ。
「いえ、この子のせいではありません。私が、教えを怠ったせいです」
「そうだな。子の過ちは、親の怠慢だ。それは、我らとて同じ。貴様が、子に責任を押し付ける愚者でなくて良かった」
エルク・キングは、どこか楽しげにそう言った。
他のヘラジカたちも、王の雰囲気を察してか、殺気を抑え始めた。
「私も、あなたが賢者で良かった。本当に申し訳なかった」
レグルスはそう言って、深く頭を下げた。
「よい。頭を上げよ、魔法使い」
エルク・キングの許しを得て、レグルスは頭を上げる。
「近頃、我らの縄張りが人間共に荒らされてな。怪我をおったものおる。此奴らも気が立っているのだ」
エルク・キングがそう言うと、一頭のヘラジカが声を上げた。
そのヘラジカは、角が折れ、右目に深い傷を負っていた。
ヘラジカの角は、魔力伝導率が高く、杖や魔道具の素材として重宝され、薬としても用いられることがある。
どこぞの猟者が、金儲けのためにこの場所に立ち入ったのかもしれない。
「僕は、多少なりとも治癒の魔法も使えます。同じ人間の詫びとして、どうか治療させてもらえませんか?」
「それはこちらとて、有り難いことだ」
レグルスは召喚した、人喰い荊 【ロサ・エグランテーリア】の守りを消して、怪我したヘラジカに近づく。
「ごめんね、少しだけ痛むかもしれない」
レグルスは、怪我を負ったヘラジカの傷に優しく触れた。
傷には、汚れの呪文と、切り傷の跡があった。
「汚れを落とせ【ピュリファイ】、癒えよ【サナーティオ】」
レグルスは続け様に、2つの呪文を唱えた。
白い光が、ヘラジカの傷口を覆う。
その光が消えると同時に、ヘラジカの傷は消えていた。
「おお、見事なものだ。魔法使い」
エルク・キングは、レグルスの手際と魔法の扱いに感嘆の声を漏らした。
「いえ、これくらいは。それに、角までは治すことができませんでしたら」
「ははっ。確かに角は、我らにとっての誇りだ。だが、其奴は、負けた。だから、其奴の、角が欠けていても、それはしょうがないことだ。気にせんでいい」
「はははっ、それは手厳しい」
レグルスは、人間と違ったその感覚に、純粋にそう思った。
「魔法使いよ、それでは我らは帰らせていただく。貴様らも、早くここから出ていくといい」
エルク・キングは、そう言い残し、踵を返そうとする。
他のヘラジカ達も、その言葉でずらずらと戻っていく。
しかし、レグルスはそれを止めた。
「少しだけ、待ってほしい。エルク・キング!」
終わったかと思われた、話し合いを蒸し返すレグルス。
それを、エルク・キングは不快に思った。
此奴も所詮人間だ。傲慢な人間は、必ずなにかを要求してくる。彼は、そう思いながら、鋭い眼光を、レグルスに向けた。
「なんだ人間。まだ何かあるのか? 貴様は、我らと争うつもりはないと思ったが?」
レグルスは、エルク・キングの強い語気に慌てた様子なく、冷静に言葉を返す。
「いえ、まだこちらが貴方達の縄張りに入った詫びをしていない」
エルク・キングは予想と反した、レグルスの言葉に首を傾け、不思議そうに言葉を返す。
「先程、治療をしてくれたではないか?」
「あれは、同じ人間があなたたちを傷つけたことに関しての詫びです。こちらの詫びも受け取ってほしい」
レグルスは、そう言って、地面に杖を向けた。
「召喚 りんごの樹【サモン アップルツリー】」
今度の召喚では、橅木と同等程度の立派なりんごの樹が4本生えた。
「あなた達の好物のりんごです。年に一度実をつける。どうか受け取ってほしい」
レグルスは満足げに杖を懐に戻した。
「はははっ、これは良い。見事なものだ。よく我らの好物を知っていたな」
エルク・キングは心底喜んだ様子でそう言って、実を一つ口に含んだ。
高い樹の果実を、苦労することなくとれる辺り、森の王の巨大さに改めて驚く。
そして、レグルスは嬉しそうに口を開く。
「僕は君たちについても深く知っている。好きなものなんかもね」
他のヘラジカも、我が我がとりんごにむしゃぶりつく。
先程までの殺気がまるで遠い昔のことのようだった。
ヘラジカの好物は、どうやらりんごで間違いない。また一つ深い学びになった。
「以前もここには、りんごの樹があった。だが、あなたたちは好物が故に、実だけでなく、全ての樹まで食べてしまった。今度は同じ過ちを繰り返さぬように」
レグルスは、ヘラジカの姿を見ながら悪戯な顔でそう続けた。
「はははっ、これは手厳しい」
エルク・キングはその忠告に、面白おかしくそう返した。
「可笑しな魔法使い、お主の名は何という?」
「僕の名は、レグルス・エイメ。魔法動物学者です」
「そうか、レグルス。覚えておこう。では、詫びの過剰分の返しだ。【我らの加護あれ】」
エルク・キングは魔力を帯びた角を振り、その角から出た白の霧は、優しくレグルス達を包んだ。
「ありがとう。では、ここで」
レグルスは、優雅に頭を下げた。
「ほらっ、帰るよ」
そしてレグルスは、神秘的なやりとりに圧倒されていた少女を抱き抱え、ティオの背に乗り、野営地まで戻っていった。
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