第3話 森の王

夜の森というのは、恐ろしい。

暗闇のせいで、視界が悪くなり、道を彷徨ってしまう。


そして、何より、人間に対して悪意を持つ者たちが活発になる。


幽霊【ゴースト】や、赤帽子【レッドキャップ】は、夜行性。

小鬼【ゴブリン】、豚鬼【オーク】は、昼夜問わず活動するが、夜の方が人間を襲う確率が高い。

そして、ここには、この森と湖の主である、森の王と呼ばれる、強い力を持った魔物もいる。


だから、いち早く銀髪の少女を見つけなくてはならなかった。


「光よ【ルクス】」


レグルスは、光球を浮かべながら森を探る。


しかし、しばらく歩けど、少女は見つからなかった。


ここまで人の足跡を頼りに歩いてきたが、ついにここで消えてしまっている。少女のものではなかったようだ。


レグルスがどうしたものかと頭を抱えていると、ティオのいつもとは違う重低音のズシリと響く遠吠えが聞こえてきた。


「あっちか。急ごう」


レグルスは矢のように駆けた。




しばらく走ったレグルスは、森の最深部まで入り込んだ。

そこには、銀髪の少女が座り込み、それを守るようにティオが立っていた。


「良かった、ここにいた」


疲れ果てたように座り込んでいる少女の前に、レグルスは跪く。


「君は、夜の森がどれほど危険か分からないのかっ!!」


そして、レグルスは少女の頬を両手で挟んで、瞳を強く見つめながら強い語気でそう言った。


「...ごめんなさい。でも、私は何も分からない、何も分からないっ!」


少女は、俯き、体を震わせながら悲痛を叫ぶようにそう返した。


レグルスはこの時大いに反省した。

この幼き少女は記憶を無くしているのだ。

それがどれほどの恐怖か。どれだけの不安か。

自分はどれだけ愚かなのか。彼女の気持ちを微塵も理解していなかった。


レグルスは自分の頬を思い切り殴った。


「...ッ」


その光景に少女は心底驚いた様子だった。


レグルスは自分の頬を押さえながら、口を開く。


「本当にごめん、そうだね、僕が間違っていた。君の気持ちをちっとも考えていなかった。妻にも、よく言われてた。あなたは動物の気持ちは理解しようとするのに、人間の気持ちは考える気がないって。ごめんね」


レグルスは自重するようにそう言って、少女を優しく抱きしめた。


「君から離れるべきではなかった。君についてやるべきだった。もっと言葉をかけて安心させてやるべきだった。なのに、僕はココアを淹れて満足していた。なんて愚かなんだろう。ごめんね」


「...うんん。私の方こそ、ごめんなさい」


少女はレグルスに抱きしめられると、力なく謝り彼を抱きしめ返した。

そして、彼のその暖かさを感じて、決壊した湖のように大粒の涙を流し始めた。


「あー、あ、あ、な、泣かないで。ごめんね。怖かったよね。ごめんね。怒鳴ってごめんね」


嗚咽し始めた少女に、レグルスは慌てたように謝りながら、彼女の頭を優しく撫でる。


それは不器用で、頼りない。

でも、何より優しいものだった。


安心した少女は、それがなんだか可笑しくて、思わずクスッと笑ってしまう。


少女は、少しだけ心の不安と恐怖が軽くなった。


そして、ここでティオが警戒した様子で、何かを知らせるようにガオッと吠えた。


「ああ、わかっている。囲まれているね」


レグルスはそう呟いた。


そう彼らの周りは、無数の白い小さな光で囲まれていた。

それは100を超えるほどで、どれも凶暴な殺気を宿っていた。


レグルスは杖を出して、空に向かって呪文を唱える。


「大きな光よ【ルクスマキシマ】」


宙には大きな月のような光球が浮かんだ。


そして、その光球に照らされて、白い小さな光の正体が露わになった。


その光の正体は、ヘラジカ達の瞳の光だった。


ヘラジカ達はどれも巨大。黄金獅子【ライオネル】のティオと比べても遜色ないほど。どれも2メートルはゆうに超えていた。


草食動物で臆病な性格である彼らだが、決して彼らを侮ってはいけない。

巨大から繰り出される、強靭な前足や後ろ足を使った強力な蹴りや、鋭い角を使った突進など、強い攻撃力を持つ。そして、多くの群れで行動するため、魔物や人間がその犠牲になることは少なくない。


ここは彼らの縄張り。襲われても文句は言えなかった。


一頭のヘラジカが甲高い声で威嚇するような音を上げる。


その声で、レグルス達は警戒態勢をとった。


そして、負けじとティオも重低音の強い威嚇の声を上げる。


その獣達のピリピリとひりついた威圧される声に、少女は体をビクンッと振るわせてレグルスをより強く抱きしめた。


「安心して、大丈夫だよ」


レグルスはいつものように優しく微笑んで、彼女の頭を撫でた。


「ティオは彼女を守って」


レグルスの言葉にティオは頷いて、少女の前に再び立ち塞がる。


そして、レグルスは立ち上がり、彼女から離れ、杖を抜いた。


「鹿たちよ。我々は、あなたたちを襲いにきたわけではないっ! 争いにきたわけではないっ! あなたたちの縄張りに入ってしまった非礼は詫びるっ! なので、どうか、ここは引いてくれぬかっ!!」


レグルスは大きな声でそう叫んだ。


しかし、ヘラジカ達はそれに対して威嚇の咆哮でそれに答えた。


「くっ。ダメか」


そして、ヘラジカ達は、レグルス達に向かって一斉に走ら迫ってきた。


ヘラジカ達は巨大なその蹄で、力強く大地を蹴る。


100を越える大群に地面は、悲鳴をあげるように震えた。


「人喰い荊 召喚【サモン ロサ・エグランテーリア】」


レグルスの詠唱で、大きな魔法陣が現れ、そこから黒くて禍々しい荊が、レグルス達を守るように取り囲んだ。


その荊の召喚で、ヘラジカ達は足を止める。


「僕は君たちについても深く知っているよ。苦手なものなんかもね」


レグルスは言葉を続ける。


「このまま膠着状態が続くのは、僕らにしても、君らにしても有意義ではない。どうか、ここは引いてもらえぬか。賢いあなた達ならそれくらい分かるだろう?」


レグルスがそう投げかけると、ヘラジカ達は一斉に遠吠えを上げた。


そして、それに応えるように、地面がまたもや揺れ始めた。


奥から一頭の大きな大きなヘラジカが現れた。そのヘラジカは、長い年月を生きていることを示すように、魔力を有していた。


体は普通のヘラジカの倍以上、樹木ほどの大きさで、毛並みは真っ白、瞳は血のように赤い。そして、ヘラ状の巨大な角は、強い魔力を帯びていることで濃く光っていた。


「...森の王【エルク・キング】」


レグルスはその魔物の名を呟いて、ゴクリと唾を呑み込んだ。



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