第8話 失敗に失敗を重ねています

「どうすればいいんだろう……」


 新学期一日目の夜、心の中で呟く。

 実際に声に出せないのは、目の前に悩みの大元である、佐野君がいるからだ。

 家のリビングで、私達は揃って夕飯をとっていた。


 これだけ聞くと、けっこううまくやっているじゃないかと思うかもしれない。けれど、実際はそうじゃない。

 会話が、ほとんどないんだ。


 無言のリビングに、お互いの食べる音だけが響く。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………味つけ、どうかな? 口に合わなかったら言ってね」


 これじゃいけないと、勇気を出して話しかけてみる。

 家事はかわりばんこの当番制にしてあるけど、今日の夕飯は、私が作る番。

 そこから話が広がればって思ったんだけど、残念ながら望んだ成果は得られなかった。


「大丈夫、ちゃんと美味しいよ」

「そう。よかった……」


 勇気を出して始めた会話は、これにて終了。それからは、また無言の時が戻る。


 完全にシャットアウトされてるってわけじゃないけど、顔を合わせているのにほとんど会話がないってのは、かなりきつい。


 ちなみに、お父さんと洋子さんは、二人とも仕事でまだ帰ってきていない。新婚なのにそれでいいのかって思うけど、それでも仲良くできるからこそ、結婚しようって思えたんだろうな。


 それに引き換え、私達はこの有り様だ。

 いや。ちょっと前までは、もう少しマシだった。お互い探り探りな関係だったけど、今よりはまだ近い距離にいたと思う。

 それがこうなったのは、全てはあのやらかしが原因だ。


「洗い物、私もやろうか」


 食事を終えたところで、もう一度声をかけてみる。

 予め決めたルールでは、一人が料理を作ったなら、もう一人が片付けをすることになっていた。でも一緒にひとつの作業をすることで、少しでも距離を縮められたらって思った。

 だけど、佐野君の返事はこうだ。


「いいよ。俺の当番なんだから、北条さんは休んでて」

「そ……そう」


 断られると、それ以上無理に手伝うとは言えないのが私の弱いところ。

 距離を縮める作戦、またもや失敗だ。


 結局、そのままリビングを離れて、自分の部屋に戻ろうとする。するとその時、今度は佐野君の方から声をかけてきた。


「あのさ……」

「な、なに?」


 いったい何を言う気なのかと、思わず身構える。内容しだいでは、そこから話を広げられるかも。

 だけど、自分から話を切り出したにも関わらず、佐野はなかなか次を言おうとしない。迷うように、口を開きかけてはまた閉じるを繰り返している。何なの?


 そうして、ようやく言った言葉はこれだった。


「えっと……風呂、先に入る?」


 ずいぶんと溜めた割には、なんと当たり障りのない質問だろう。そりゃ、ちゃんと決めとかなきゃいけないことだけど、あれだけ悩んで見えたのは何だったんだろう。


「私は後でいいから。洗い物終わったら、先に入りなよ」


 それだけ言って、今度こそ部屋に戻る。

 最近佐野君は、時々こんな風に何か言おうと迷っては、結局何も言わないか、今みたいに大したことない話をしてくることがある。


 そんな時は、つい思ってしまう。もしかしたら、本当は何か他に言いたいことがあったんじゃないか。『あんな本読んでキモい妄想するなんて、止めてくれないか』なんて言おうとしていたんじゃないか。

 ひどい被害妄想かもしれないけど、ついつい悪い方向に考えてしまうんだ。


「違うから。リアルとフィクションの区別はちゃんとつけてるから!」


 部屋の戸を締めた後そう叫ぶと、本棚から、『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』を一冊取り出す。これを見られたその時から、全てが変わってしまった。なんて言うと、この本が悪いみたいに聞こえるかもしれないけど、やらかしたのは私で、作品に一切の罪はない。


 スマホでカクヨムを開いて、『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』のページを開く。

 あんなことがあったけど、今でも毎日更新されたらすぐに読むし、その度にキュンキュンする、私の最推し作品だ。


 だからこそ、そんな最推しを、このまま苦い記憶と結びつけてなんていたくない。

 でも、どうすればいい? 今さら何の脈絡もなく、佐野君で変な妄想なんてしてないとでも言う?


 悩んで悩んで、気がつけばけっこうな時間が経っていたけど、考えは一向にまとまらず、無駄に疲れだけがたまっていく。

 もういいや。考えるのは一旦ストップ。お風呂にでも入って、気持ちを切り替えよう。


 着替え一式を持って、脱衣場に向かう。

 だけど、その時私はすっかり忘れていた。さっきリビングから離れる時、佐野君と何を話したのかを。


 何の気なしに脱衣場の扉を開けた時、事件は起こった。


「────えっ?」

「────へっ?」


 ──そこにいたのは裸の佐野君でした。

 

 ──そこにいたのは、裸の佐野君でした!!!


「うわぁぁっ!」


 佐野君が声をあげたところで、彼か先にお風呂に入ることになっていたんだと、ようやく思い出す。

 そういえば、脱衣場の扉に使用中のプレートがかかってた。考え事の余韻が抜けなくて見落としてたけど、今さらそれを嘆いてももう遅い。


「ご、ごめんなさーい!」


 慌てて脱衣場から出て扉を閉めたけど、さっき見た光景が頭から離れない。

 一応補足しておくと、裸といっても上半身だけ。既にお風呂そのものはすませていたみたいで、下ルームウェアのズボンを履いていた。全裸じゃなくて半裸だ。

 けど、だからといってそれでセーフになるってもんでもないだろう。


「ごめん! 長湯しすぎた」


 佐野君も慌てているのか、ほとんど間をおかずに、大急ぎで出てくる。ドライヤーもかけていないみたいで、濡れたままの髪が頭に張りついていた。


「わ、私がプレート見なかったのが悪いから。もう少し、ゆっくりしててもいいよ。髪だってまだ乾いてないじゃない」

「これくらい、すぐに乾くから! それじゃ!」


 それだけ言うと、あとは言葉を交わす暇もなく、さっさと行ってしまう。

 そして残された私は、膝から崩れ落ち、床に手をついていた。


「やっちゃった。思いっきりやらかした……」


 同居もののマンガやラノベではお約束とも言える展開で、そんなことになったらどうしようかと妄想もした。

 だけど、実際に起きたら気まずいことこの上ない。


「……終わった。こんなの、ヤバい妄想女どころか、まるっきり恥女じゃない」


 元々底辺だった佐野君からの評価が、さらに限界を突破してしまった気がする。

 これが原因で、家族崩壊なんてことになったらどうしよう。お父さんと洋子さんも、新婚早々に離婚。全ては、私のアホなやらかしのせい。


 鍛え上げた妄想力をネガティブ方面にフルに発揮しながら、私は頭を抱え続けるのだった。

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