Humiliated_girl.html

 ゴスロリと称される黒色が基調の衣装のジャンルは、当然僕にとって馴染みのない代物であり、妹がその類のものを持っているのは初耳だった。僕の頼もしい親友――内一名は目を輝かせたが、しかし僕を着せ替え人形にするより僕のいまだ不安定な精神状態を慮る方向に心が強く動いたようで、既のところ――服を脱がされズボンを下ろされかけた状態で朱乃の暴走を止めに入ってくれた。

 朱乃のその目つき――あれは、狙った獲物を逃さんとする肉食獣のようだった。そうか、彼女にそのような趣味があったのか。知らなかった。思い返してみると、妹は親――特に母に対しては僕の知らないサブカルチャーの話題でしばしば盛り上がりを見せていたような気もする。妹が推しているような話題に興味がなく、適当に聞き流していたせいか、ここ数年の妹の情報をシャットアウトしている状態に、偶然にも陥っていた。

 特別不仲というわけではないが、良好と言いきれない朱乃との関係が災いしたのだった。

 ともあれ、ここ最近特に理由はないが言葉を交わしていなかった妹との会話――やや一方的ではあったが、楽しくはあった。

 多分。


    ♀


 大学側が僕の置かれた状態や状況――大幅に隠蔽された事実を知ることなく理解し、受け入れてくれたのは実に有難い。

 昨今の性別に係わる問題――大学は性的個性について尊重していて、また寛容であった。法的に戸籍に記載された通りの性別を載せなければならない重要な書類を除き、例えば学生証に載せる性別は自由に選択できるようだった。

 もちろん特に理由もなく異なる性別を指定することはできないが、両親が考えた理由が大学に通用したようで、表面上の書類では僕は女性として扱われるようになった。

 ――『肉体は男性だが、性自認は女性。性転換手術は金銭的な問題で行えていない。大学生となった今、仲間との良好な関係を築くため、また社会でこれまでより幅広く自由な活動ができるよう、性別の扱いを最大限考慮していただきたい』。

 このような理由を付けて、僕の昨日までのような姿の写真と、今の僕の写真を添付したメールを送信した。これはいきなり問答無用で送り付けたのではなく、事前に話を通しての行動なので問題はない。

 ただ……戸籍や住民票といった行政の書類では僕は男性で、これと食い違わないよう『肉体は男性』で通しているが、いずれどこかで必ずバレる。そのときのために、できる限りの対策をしなくてはならない。

 ――晴れて(と表現するのは些か疑問だが)僕は女性として扱ってもらうことになった。さて、そんな僕に直面する課題の一つ――それはもちろん、あの問題だ。

 もし僕のように性別が変わってしまった人がいたら、ぜひとも頷いていただきたい。それは――、


「だから! そんなフリフリしたのは着ないって!」

「えぇーいいじゃん。ゴスロリじゃなくて普通のロリータなのに」

「僕にとっては普通じゃないし、というかどれも同じに見える……!」


 着て外に出られる衣服が、存在しないこと。

 いや、別に全く着れないわけではない。着るのが不可能ではなく、着て出ていくのが不可能――そういう意味での存在しない、という話だ。

 性転換する前の衣服は全てメンズカテゴリーに属するものであり、今の僕の体には不相応なサイズだ。

 前の僕は身長一六〇センチ後半。一七〇には届かなくとも、今の僕の身長――測ったら一四〇センチだったが、比べると三十センチ弱の差がある。この躰では、着ていたMやLの衣服は当然オーバーサイズになり、下手したら肩からずり落ちる。

 仮に上は着れても下は全滅だった。ベルトで一番キツく締められる穴で固定するまではいいが、上腿から爪先にかけて布があり余り、踵は裾を踏むどころの騒ぎではなくなった。もはや長袴(これ、上着でも言っていた気がするが……)となったそれを朱乃には指を差されて笑われたが、しかしこれは非常に由々しき事態だ。将来の夢は鳶職かと勘違いされないようにするためにも、衣服の調達は今考えられる重要課題なのだ。

 ――性転換して、翌日。ひとまずAmazonや楽天というようなネットショップを使って一時を凌ごうとしたが、例のごとくノックせず部屋に入って来た、ゴスロリ衣装を沢山持った朱乃に見咎められ、止められた。

 別にいいじゃないかと反論してみるが、ネットで服を買うのは自分の体格――身長や肩幅、スリーサイズなどを熟知してからだと言い聞かせられ、いいように言い包められてしまった。いや、確かに妹の言い分には僕の行為を止めるに値する正しさがあるのだが……妹の目が嫌に見開いているというが、ギラギラしているというか。このあとの展開は――想像に難くなく。


「じゃあ、全部脱ごうか」

「へ」


 なんてことを言うのか。僕の部屋は断じてAV撮影スタジオではない。

 ――いつの間にか朱乃の手にはメジャーがあった。僕を採寸するつもりか。いや、採寸は別にいいのだが、しかし。


「ど、どうして? 全部脱がなくたって、採寸くらいできるでしょ?」

「いや、そっちのほうが正確だし。ていうかその服で採寸させんなって話よ」


 どちらも正論だった。小学生の女子が背伸びして母の服を着たときのような布の余り具合が、僕の身と服で起きている。採寸には不便だろう。僕も僕で、移動しづらい。


「で、でも……」

「自分の体だから。恥ずかしがることはないよ」

「それは、そうだけど」

「ネットで買って、失敗しても嫌でしょ?」

「うぅ……」


 結局言い包められ僕は、自分の手で袖が余る服を脱ぎ、裾を中から踏んづけているズボンを脱いだ。

 パンツは脱ごうとしたら、重力に従って暇もなく勝手に落ちた。


「――っ」


 妹の前で生まれたままの姿(生まれ変わった姿と表したほうが正しいだろうか)になった。

 恥ずかしい。

 朱乃は、男だった僕の全裸を見てもなにも思わなかったかもしれない。僕も朱乃の全裸を見ても、なにも思わない、劣情を抱かないのと同じように。

 ――ところで僕は、高校生になってから自分の体、というか下半身を家族に見られるのに恥ずかしさを感じてしまい、家族の前でもパンツだけは脱がないようにしていた。

 元の体の全裸を見られないようにしていた僕が、女性の体になって。しかも全裸にさせられて。


「……」


 僕の肢体を見る朱乃はなにも言わない。ただ僕の体をつま先から頭頂部にかけて、舐めまわすように観察してくる。

 体が振るえ、顔が熱くなっているのが分かる。

 性転換に慣れない身で、極限に近い羞恥が涙となって現れたとき、


「み……見ないでぇ……」


 胸を右腕で隠し、恥部を左手で隠した。


    ♀


 結局全裸で、羞恥でどうにかなってしまいそうな状態でどうにか採寸を済ませ、得られた体のサイズをもとにようやく服選びを始めた。

 外出のための服は、数年前妹が着ていたものを拝借した。案の定着せ替え人形にされてしまったことと、決まった服装が思いの外似合っていて満更でもなく思ってしまい、恥ずかしさと悔しさとで感情がごちゃごちゃになったことについては、ここでは割愛する。

 無論服選びは、一人で臨むわけもなく。


「どういう風に自分を見せたい? 可愛く? 清楚に?」

「いや……僕は、大学で目立たず静かに過ごしたいんだ」

「でも、その顔だよ? 目立たず過ごすってのはちょっと無理があるんじゃない?」

「それでも、だろう。いずれにしろ目立つのは確定している。顔を隠せても、グループワークがあったら声で目立つ。それなら顔をできる限り隠せるような姿をし、極力目立たないようにするのがベストだ」

「まあ……それもそうか」


 僕だけでは、女性の服選びは無理がある。自分に似合うか似合わないかも分からない服を買い、それを着て逆に目立つのは絶対に避けたい。

 ゆえに、レディースファッションに日々悩んできたために知識が培われてきた境子と、男性目線で不自然ではないか見てもらうために忍に付いてきてもらうことにした。

 朱乃も付いてこようとしたが、境子が待ったをかけた。魂胆丸出しの朱乃に「トラウマを植え付けかねない」と理由を付けて自宅待機の令を下した。朱乃はつまらなさそうに口を尖らせていたが、僕は境子に感謝の念を抱かずにはいられなかった。

 新快速に揺られること数分。県最大のターミナル駅に着いた僕らは、駅ビルの上階にあるファッションブランドの店舗に向かう。その間、今後の僕のファッションの方向性を確認する。


「とにかく僕は目立ちたくないんだ。だから、例えば家にあるようなパーカーのフード被って、マスクに眼鏡を着けて……顔というか頭部を露出せずにしたい」

「目立ちたくないのは分かった。意向も汲み取った。ただ、あのパーカーは些か地味だ。グレーの無地では、地味だ」

「二回言ったな」

「地味だよ。ぶっちゃけ喪女」


 グレーの無地パーカーを着ただけで喪女とは、それは言い過ぎではないか。……というか、今までそれを着てきた僕が地味であると間接的に伝わってきて割とへこむ。それならアドバイスの一つや二つくれてもよかったのに。

 今までの僕のファッション遍歴を思い返し、ほとんど親が買ってきた服を着てきた事実に打ちひしがれつつ、僕らは目的の店に到着した。


「じゃあ緋彦、そこのベンチに座って待ってて。緋彦に似合いそうなものを適当に選んでくるから。準備できたらフィッティングルームにゴーで」

「えっ、今日そういうシステムなの?」

「忍は緋彦に悪い虫に寄り付かないように見張ってて」

「心得た」

「えぇ……」

「俺も女のファッションには疎いからな。でも人を守るのは得意だ」


 この忍という男、体つきはハンサムでスマートだが、その実筋肉の塊である。握力計は握り切れるし、フライパンをまるで粘土のように軽く曲げられる。前髪は目にかかって地味さに拍車をかけているが、僕一人守るぐらい、この男には造作もないのかもしれない。

 忍の家にあるトレーニング器具、使わせてもらったけど……まともに動かせなかったなぁ。

 僕は非力――文字通りの非力である。


「――そういえば、緋彦」

「なに?」

「今、下着を穿いているか」

「え、なに言ってんの。穿いてるに決まってるでしょ」

「そうか……それは、自分のか」

「……」

「……」


 パンツを穿けば、たちまち重力に従う。そのため、今僕は妹のパンツを穿いている。あと、妹のブラジャーも着けているが、これは無理矢理着させられた。

 正直、途轍もない恥辱である。

 というか、これでもサイズが大きい。僕は妹より小さくなってしまったのだ。納得いかない。ブラジャーは普通のブラジャーではなくスポーツブラで。それでも若干余裕がある。

 恥辱にも劣らない屈辱を、僕は味わった。


    ♀


 そういえばどうして僕の体のサイズが分かるのか、とか。それに合った服をどうして的確に選べるのか、とか。そういう細かな疑念や疑問を全てすっ飛ばし、僕のファッションスタイルは確立した。

 まず上は、スポーツブラに肌着、その上に適当な――しかし今の僕に似合ったシャツ等を着て、その上にオーバーサイズのパーカーを着て、フードを被る。下はズボンで統一。顔にはマスクと眼鏡。あと首にヘッドフォンを掛ければ、周りの人間にそういうファッションを好む人なのだなと思い込ませられる。

 下着は――これ自分で選んだ。さすがに下着は、友人に選ばせるのは荷が重いのでは、と思った僕が境子に言ってランジェリーショップに単身で突撃するも、終始顔を赤くして商品を直視できなかったものだから、結局境子に手伝ってもらって数点購入した。荷が重く感じているのは僕のほうだった。

 あと、女性の下着は意外と値が張るのだと知った。万を超える下着――男物でそういったのは見たことない。向こう数ヶ月は、この下着を使い潰すことにしよう。


    ♀


 それから一ヶ月弱――女性として生きていかなくてはならないという試練が、これから始まる。

 瞼を落とし、意識を睡魔に委ねれば、気付いたときには朝になる。そうなれば、新しい僕による大学生活が始まる。

 有り体な話、行きたくない。一ヶ月ほど時間があったが、まだ気持ちの整理がついていないところがある。

 これで無事に大学生活を乗り超えることはできるか。波風起こさず平穏に、かつ静寂に過ごせるか。最低限な関りを保つことができるか。――全ての要因において不安が付き纏う。


「はぁ――」


 息を吐く。不安で腹の底が締め付けられ、手で押さえても治まらない。

 心を落ち着かせよう。これでは安眠できない。

 充電器のケーブルが挿さったスマホを手に取り、ブラウザーを開く。

 開いたウェブサイトには、最近気に入っているミステリー小説がある。

 還暦の男性が自身の個人サイトに自作のミステリー小説を載せていて、それはどこぞの十角館よろしく奇妙な建造物を舞台に物語が始まるのだが、これが面白い。

 毎週水曜日、零時に更新されるその小説は、ミステリー好きの僕を、赤子の手を捻るかのように唸らせた。

 大体五千文字で更新される本作だが、今回もそれぐらいの文字数で、これならじっくり読んでも入学式に障らない。

 画面の明るさを弱め、読書に集中する。


    ♀


 三十数分――今回の読書に費やした時間だ。前回までの話の流れや謎を思い返し、今回の話を読んで掛け合わせ、謎解きをして――いつもそれぐらいはかかる。

 ミステリーは楽しい。奇妙な館でも、特急列車でも、絶海の孤島でも――僕の心を満たしてくれる。今回は鎮静作用に大きく働いたが、それはそれとして。


「……」


 この作者にしては珍しく、最下部にある一言コーナーに作者からの書き込みがあった。


『最近、バーチャルYouTuberなるものを知りました。CGで構成された肉体と現実の肉体を繫ぎ、あたかもYouTuberのように活動する存在のようですが……。これは、使えそうですね。しばらくは彼らについて勉強したいと思います』


 ――ふうむ。話を面白くできるかもしれない要素を見つけたようだ。ますます期待できる。

 僕は期待に胸を膨らませて、スマホをスリープにする。

 見ず知らずのアマチュア作家だが、還暦でも前へ進もうとしている。――数時間後の入学式、なんとか頑張ってみよう。

 僕は瞼を閉じ、明日を想う。


    ♀


 この時点で、僕は想像もしていないし、できもしない。

 まさか、あのサイトの一言コーナーに書かれた“バーチャルYouTuber”という存在に、深く関わっていくことになるとは。

 しかしこれは断じて、僕の想像力不足ではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る