第5話 精神科

そして、佐々木の引き起こした大量殺人から2日後の昼。


「野神警部、精神鑑定師の朝霧あさぎりさんが話がある為研究室に来るよう伝言がありました」


出勤早々、受付の女性警察官から聞いた突如呼び出し。


朝霧は、佐々木を担当している精神科医だ。


彼に何かしらの変化があったのだろうか。


一先ず立花が出社した際、俺の代わりに資料整理をする事を伝言に残し、仕方なくひとり朝霧の仕事場を訪ねることにした。



警察病院は我々の拠点となるこの警視庁と目と鼻の先にあるが、中に入ると通常と変わりない病院の風景が広がる。


一般の受け入れも行っているのだから当たり前だが、今回目的としている場所の事務所は、そんな病院と連結する別に存在する棟にあった。


当たり前だ、危険人物を同じ場所で診るわけがない。


関係者用の扉の前にあるインターフォンを押し、スピーカーで要件を伝え、カメラに警察手帳を見せると扉のロックが解除される。


そのまま連絡通路を渡り、エレベーターに乗り、廊下を歩き、こうして漸く朝霧と表札が出された扉に辿り着いた。


扉を叩くと中から「どうぞ」と声が聞こえ、中に足を踏み入れる。


「失礼します」


汚い。


そう思うほどの資料の山に、つい溜息が出そうになり、慌てて息を飲む。


コレでは失礼に当たる。


それに、資料が多過ぎて床にまで積み上げられている状況ってだけだ、別に散らかっているわけではない。


ただ、地震が起きたら大惨事にはなりそうだな。


「いらっしゃい」


そういって来たのは奥の机で、作業をしているひとりの女性だった。


ふんわりパーマがかったダークブラウンの髪を後ろに束ね、理想的モデル体系を包むような真っ白な白衣を着た鑑定師。


「警視庁捜査一課野神 衛のがみ まもるです」


俺の挨拶にその女性は資料を閉じて、かけていた眼鏡を外し、此方に小さく微笑みかけてきた。


「初めまして、私はこの病院の精神鑑定師、朝霧 和泉あさぎり いずみです。突然呼び出してゴメンなさいね」


「いえ、お気にせず」


「早速なんだけど、今回の患者、佐々木 荵、彼と取り調べの時、会話をしたそうね」


「えぇ、しましたけど?」


「そう、貴方とは会話が成り立ったは間違いないようね」


成り立った、いったいどういう事だ。


「あの、質問の意味が理解できないのですか」


そういうと朝霧は立ち上がり、机に置かれていた資料の一部を手渡して来た。


見ると、ソレは佐々木の報告書らしく、11係が行なった取り調べと俺達10係が行なった取調べも纏められている物だった。


「……あれ?」


11係の報告書には空白が目立ち、取り調べの内容が全く記載されていない。


そんな事があるのだろうか。


「貴方は11係がある程度取調べが済んだ後だと思ったのか、細かい質問を行なってなかったようだけど、実は彼らは今回の患者から何も聞く事が出来なかったのよ」


「確かに彼はかなりマイペースで人の話を聞きませんが、それでも自分の質問には答えてくれました。

だから、流石に空白なんて事にはならないと思うのですが……」


「彼は貴方だから答えたのではないかしら」


「私だから?」


「因みに、私の言葉にも全く無反応よ。

だから、今回野神警部をここに呼んだのよ」


成る程、佐々木の奴、俺以外には常に黙秘していたというのか。


「何故……私だけに……」


「それは現段階では全く分からないけど、このままだと私も彼の正確な分析できないわ。

実は知り合いだったりしないの?」


「残念ながら佐々木 荵との出会いは、あの現場が初めてです」


「なら彼が何故貴方にだけ興味を示すのか、暫くはこの事件にだけ専念し、直接調べて頂戴」


面倒だな。


「失礼ですが、こちらも他の事件を抱えてまして……」


「問題ないわ」


朝霧が俺の言葉に重ねるように答えると、まるでソレを見計らったように部屋がノックされた。


「失礼します」


そいいい、この研究室に踏み入れて来たのは、署で待機しているはずの相方の立花。


「……なんでお前が」


「織田課長からの伝言です“君達の抱えている諸々の案件は、他の10係の面々で処理を行なう。だから君達は心置きなく佐々木の全てを担当してくれたまへ”だそうです」


「要は、まる投げされたと」


立花の下手くそな織田課長のモノマネ伝言を聞き、頭を抑える。


「会話が成立するのが貴方しか居ないなら、そうなるわよね」


今度は朝霧が追い討ちをかけて来た。


厄介な仕事を押し付けられたものだ。


このままでは、他の犯罪者を追う隙が減る。


だが、断る権利は今の俺にはない。


「……課長の命令ならこちらも従わざるを得ません。では、さっさと始めて、さっさと終わらせましょう」


そう答えると、朝霧は小さく口角を引き上げた。


「検挙率1位の実績を持つキャリア男としてのプライドかしら?」


「もちろん」


挑発してくる朝霧の言葉に、こちらも微笑み返す。




だがこうなると、本格的に佐々木が邪魔だ。


元より佐々木が忌み枝である事は間違いないのだが、このままだと暫くは警察や精神科の監視下に置かれる為、剪定しづらい。


さて、どうしたものか。


そんな思いを胸に、俺は佐々木がいる精神科の面会所へと通された。


中は警視庁の取調室と違い、ひとり分の空間多く作られているのか部屋が広い。


そしてその中心に、見慣れたテーブルとパイプ椅子があり、その一つに佐々木は座っていた。


右横の壁には大きな鏡に見せたマジックミラー。


その先には薄暗い部屋があり、今回そこには、立花と鑑定師の朝霧が入り、俺と佐々木のやり取りを聞いている。


「やあ、2日ぶり」


そう話しかけると、少し俯いていた佐々木がゆっくりと頭を上げた。

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