第2話 真顔の殺人犯
周囲は気にした様子もなく作業を進めていたが、何故か俺の意識はその電話のほうへと向き、織田課長が電話を受けると、その表情を静かに観察する。
徐々に険しくなる織田課長の表情。
間違いない、これは何かが起きた。
「分かった、すぐ向かう」
織田課長の低い声で答えると、電話を切り息を深く吸った。
一瞬の無言、膨張する緊張感、それは途端に張り裂ける。
「総員出動だ!
都内で突如男性が刃物を振り回し、次々と無差別的に人を刺し始めた。
名越係はA号(前歴照会)B号(指名手配者照会)を洗え、後ほど現場から名前が送られる迄は顔だけで頑張れ!
現行犯だ、これ以上死体の山が増える前に逮捕しろ!
動ける車両はすべて使え、近隣交番にも至急連絡!」
周囲はその命令に顔色を変え、先ほどまでゆったりしていた時間の流れが途端に早く、あわただしく動き始める。
これは面白い事になって来た。
すぐさま現場に向かう準備を整えると、相方である立花も慌てて俺について来る。
警察は基本ペア行動だ。
そのままふたりで覆面車に乗り、助手席にいた立花はサイレンを鳴らし始めると、俺はアクセルをベタ踏みし、一気に現場へと向かった。
久々の大悪党のお出ましだ。
そう思うだけで、興奮が更に膨れ上がる。
「ちょっ、野神警部、運転が荒いです!」
「急がないと死人が増えるんだ、我慢しろ」
そう返しながらも一般車両を何台も追い越し、赤信号を突っ切り、角を何度も曲がって行く。
そして、漸く待ちに待った現場に辿り着くと、突然空気が変わったかのような感覚に襲われた。
色彩は赤と黒の2色に飲み込まれ、音は静寂に支配され、重力が通常より重く感じる。
生ある世界で生み出された地獄。
付近にいた一般人は既に逃げたのだろうか。
周囲に人気はなく、先に駆けつけた交番の制服警察官が、震えながら犯人と思わしき人物に銃口を向けているのが確認出来る。
そして、向けられた銃口の先には、10近く有る死体と、その中心に佇む男がひとり。
そんな異様な状況であるのにも関わらず、俺はその男に目を奪われた。
中性的で可愛らしい顔立ち、寝癖の様にハネが目立つ茶髪に、暖色系の緩いTシャツを着ている為、先程まで寝ていたのではないかと思えるほど男からは、全く緊張が感じられない。
服に付着した大量の人間の返り血はその男を称えているかのように溶け込み、その赤は周囲を飲み込もうと、ゆっくり広がりを見せていた。
男はこちらに気づくと、ゆっくりと近づいて来た。
地面に広がっていた赤は、その男の行動に合わせて、俺の方に伸び始める。
「動くな!」
立花が銃口を男に向けながらそう叫ぶと、男はピタリと止まり、俺の意識も強制的に現実に引き戻される。
そうだ、ココは事件現場じゃないか。
瞬間、現在の状況を思い出し、すぐさま銃を構えて男に向けた。
忘れるな、今は仕事中だ。
少しして、漸く捜査一課の面々が到着し、そのうちの数名が銃を構え共に周囲を囲み、残りは市民の誘導為、立ち入り禁止区域を作り始める。
これで、ここに一般人が入ってくる事はない。
さて、やっと行動がし易くなった。
「武器を捨てるんだ!」
気を取り直して叫ぶと、男は奇妙な物を見る目をこちらに向けながら首を傾げる。
「何で?」
「……は?」
男が初めて発した言葉は、あまりにも緊張感がなかった。
周囲に混乱が生まれる。
コイツ、もしやこの状況が全く理解できてないのだろうか。
そんな異様な空気間の中、男は此方の質問の答えを待つ事なく、又ゆっくりと歩き始めた。
「止まるんだ!」
「だから、何で?」
俺の言葉に男は再度こちらに疑問を投げかけてくる。
表情から動揺は全く見られない。
やはり、コレは普通の心理状況ではあり得ない。
「ふざけないで!」
立花はこの状況に不安や怒りを感じたのか、男に向かい、そう叫んだ。
だが「違う」
立花の言葉を否定すると、立花は驚いた表情を俺に向けてくる。
「……違うんだよ立花、彼は本当に理解してないから聞いてるんだ」
彼は普通の思考回路をそもそも持って居ない。
「どういう事ですか?」
そんな俺の代弁に、立花は怪訝な目で見て来るが、コレを説明するのはどうも難しいな。
「そのまんまの意味だよ……それより、なあ、お前は何故人を殺したんだ?」
立花をよそに早速目の前の男に問いかけると、男はそれに答える事なくふらふらと近づいて来る。
意思の疎通が出来ると思ったのだが、これは少し厄介だ。
「理由ぐらいあるだろ?」
「理由……ないよ、目の前に人が居たから刺しただけ」
「そうか」
このままでは埒が明かない。
「答える気がないなら、答えざるを得ない状況を作ってやるよ」
俺はそういうのと同時に銃を捨て、男に向かって一気に間合いを詰めた。
すると先程まで
だがそれを予測し、更に間合いを詰めながら刃物を避けた。
男の腹はその時一時的にガラ空きになり、刃物を持つ伸ばした腕を掴むと、もう片手で胸ぐらを掴む。
体を拗らせ、今度は重心を切り替え足に力を入れると、そのまま男に背を向けた。
そして、今ある力で一気に持ち上げ、背負い投げを決める。
ナイフは宙を舞い、男はコンクリートに打ち付けられ、辺りに鈍い音が響く。
俺は直ぐにその男の動きを抑えるように上から体重を乗せ、拘束し、自身の呼吸を整えた。
「午前11時、銃刀法違反及び傷害罪現行犯の為逮捕する」
そういいながら男に手錠を掛けると、男は脳の処理が追いつかないのか、唖然とした表情のまま俺を眺めていた。
そして、その後直ぐに立花含めた他の捜査一課も周辺を囲み、男はそんな状況下の中、不思議そうに周囲を見渡しながらも大人しく立ち上がり、連行されて行く。
やけに大人しいな。
それに、移送中のパトカーの中からも、常に男は怒りや不安と全く無縁の何ともいえない視線を俺に向け続けて来た事が、妙に気になった。
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